これから、ここから共に

 祝言という名の宴から解放された雪花は、手早く風呂を浴びて寝台の上で大の字で横になっていた。この後のために杏樹から化粧をされそうになって、雪花は急いで部屋に引っ込んだのだ。


(この後って…やるしかないんだよな)


 あまり深く考えないようにしていたのだが、結婚したとなれば自然な流れであって寝室も有無を言わさず同じにされているし、逃げ場もない。いや、逃げる気などないのだが。

 とりあえず髪くらい梳かしておくか、と鏡に向かって櫛で髪を梳かしていると、その時はきた。

 今日から夫となった紅志輝が、夜着姿で現れた。


「…」

「…」


 互いに目が合い、微妙な沈黙が落ちる。目の前の美しい男も、自分も妙に緊張している。


「…お疲れ様です。お風呂、お先でした」

「…あ、いえ。貴方もお疲れ様です」

「お水、淹れましょうか」

「あ、いえ…大丈夫です」


 志輝は扉の前で突っ立ったまま、何故か動こうとしない。どうしたのだと、雪花は櫛を置いて立ち上がった。


「志輝様…?」


 彼の目の前に立って、その顔を見上げる。初めて会った頃に比べて感情を出すようになったものの、今でも時折、何を考えているか分からない。いや、まあ所詮、夫になったとはいえ他人の思考など分からないものなのだが。

 目の前で手をひらひらと振ってみると、その手を掴んで雪花の顔をじっと見つめた。


「飲み過ぎて気分が悪いですか」


 祝言の席で志輝を酔い潰そうとしていた風牙と、それを禍々し笑顔で受けて立っていた志輝を思い出す。


「いえ、そういうわけじゃありません」

「そうですか…。寝ないんですか?」


 誘っているようにも取れる台詞だなあと思いつつも雪花は尋ねた。いや、でもこれしか尋ねようがない。

 だがそこで、あぁもしかして、とある事に気付いて手を叩いた。


「飲みすぎて出来ないなら気になさらず」


 一瞬何が、とキョトンとした志輝だったが、すぐに雪花の意味を理解して慌てたように声を荒げた。


「違いますっ!」

「そうなんですか?」

「どうして貴方は、そういう事をそう平然と!」


 志輝は前髪を苛立ったように掻き毟ると、雪花を軽く睨みながら、彼女の手を引いて寝台へと連れて行った。


(なんだ、するのか)


 雪花は志輝と共に寝台に腰かけると、片方の手を握られたまま志輝の反応を待った。

 このまま寝台に雪崩れ込むのかと考えていたのだが、やはり志輝は動こうとしない。

 一体どうするんだ。するのかしないのか一体何を考えてるんだこの男は、と雪花はちらりと志輝を見上げれば、志輝は空いている方の手で口元を手で覆って深いため息をついていた。


(…ため息)


 雪花はふむ、と考えて立ち上がった。


「志輝様、休みましょう。さ、休んでください」

「…は?っちょ、ちょっ!」


 雪花は志輝を寝台へと押し倒すと、さっさと寝ろと言わんばかりに布団を被せた。


「雪花!」

「だって、ため息つくくらいお疲れなんでしょう?まあ夜はこれからもありますし、今日はゆっくり休んでください。朝から忙しかったですし、元気な時にしましょう」

「はぁ!?だから、何を勘違いしてるんですか!」


 志輝は立ち去ろうとする雪花の手を引っ張り、寝台へと引きずり込む。そして雪花を押し倒して、彼女の上に圧し掛かり身動きを奪った。

 目と鼻の先に志輝の目があって、雪花は目をまん丸く見開く。間近で顔を見て気づいたが、志輝の顔が妙に赤い。


「…あの、志輝様。顔が赤いですよ」

「っ緊張してるんですよ…!」

「え、志輝様がですか?祝言の時なんて、全然そんな素振りなかったじゃないですか。物凄くいつも通りでしたよね」

「…ああいった皆の前では普通にできるんです。でも、今宵の事を考えたら嬉しさを通り越して、ものすごい緊張が…」


 志輝は悔しそうにそう言って、雪花の手を自身の胸に当てさせる。すると、その鼓動が早く波打っているのが掌越しに伝わってきた。


「すごく早い…」


 そして、その手も。夜着越しに触れる肌も、すごく熱い。思わず手を引っ込めようとした雪花を許さず、雪花に口づける。

 触れるだけの口づけ。けれども軽い口づけには反して、その目には熱が灯る。


「…ようやく貴方に触れられると思ったら、自分のどろどろとした慾を思うがままぶつけてしまいそうで。始めからこんなのでは、嫌われるんじゃないかと思って。優しくしたいのに、貴方を傷つけてしまいそうで」

「…そんな、」

「だから、貴方の心の準備ができていないなら、もう少し待とうと…」


 気まずそうに眼を逸らす志輝に、雪花はふっと噴出した。そして彼の頬に手を添えて、今度は自分から口づける。

 強引な癖に、結局土壇場では優しい男―――自分の夫。

 雪花は志輝の唇を割って舌を絡ませ、志輝と自分の位置を入れ替える。

 そして、志輝の手を自分の胸へと押し当てた。


「…私も、これでも緊張してるんです。貴方と同じです」


 透明な糸を引いて離れながら、雪花は小さく微笑む。


「待たないで下さい。私はもう、貴方の妻ですから。どんな私でも受け入れてくれるように、どんな貴方でも受け入れます」


 雪花はそう言うと、恥じらいながらも帯を解いて、自分の夜着をはらりと脱ぎ落した。


「…私は傷だらけの身体だし、綺麗なんかじゃない。でも、こんな私でもいいなら、全部ちゃんと、最後まで貰って下さい。ちゃんと、妻にして下さい」


 雪花の必死の言葉に、志輝は噛みつくように口づけた。雪花を抱きしめ、改めて彼女を組み敷きながら何度も何度も口づける。


「誰よりも、そんな貴方が良い。でも、壊しそうで怖い。…だから、こんな私からもお願いです」


 口づけの合間に、志輝は熱を隠さずに雪花に願った。


「どうか、私を貴方の夫してください。貴方を奪うことを許して下さい」


 雪花は目を伏せ、頷くと志輝の首に腕を巻き付けた。そして、互いの額をコツン、と合わせる。


「…途中で嫌がっても、やめないで下さい。…正直、恥ずかしくて死にそうなんで」


 今更になって恥ずかしがる雪花の仕草に、志輝はくらりと眩暈がした。自分を落ち着かせるようにして、志輝は深く息を吐き出す。


「まったく…。可愛すぎて、こっちの心臓が持ちそうにないですよ」

「は…?」

「好きです、雪花。本当に、どうしようもなく愛してます」


 そう言って志輝は雪花の肌に手を滑らし、その唇を深く、長く奪った。



 切なく、甘く長い夜は、始まったばかりだ。

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