蒼穹に贐を
黒く焼け落ちた屋敷跡に、一人の男が花を手向けにやってきていた。風花が青空に散るのを見上げながら、この世から姿を消した彼女に想いを馳せる。
彼が腕に抱えるのは、季節外れの白百合だ。
外套の頭巾を外すと、男はその場に腰をかがめた。片頬に太刀の跡が深く残っている。
「…ったく、厄介な役を押し付けやがって。当主なんか柄じゃねえんだよ。おい、聞いてるか?邑璃」
彼女は静かで嫋やかで。けれども胸の内に隠した炎は煌々と燃え盛り。あの真っすぐな目は前だけを向き、己の信念を貫いた美しい女。
『朔馬に、いい嫌がらせを思いついただけよ。そのうち分かるから楽しみにしていて』
いつのことだったか、彼女が後宮入りする前のこと。一人、姿を忍んで突然会いにきた彼女は、いつかのようなやんちゃな笑みを浮かべていた。
彼女は、あの時すでに覚悟を決めていたのだろう。母親との約束を果たすために。皛家の。そして、この国の先を見据えて。
彼女、皛邑璃は幼い頃から男顔負けの根性を持った、負けん気の強いお転婆少女だった。剣術を極める同門の兄弟子らに食らいつき、傷や痣が出来ようがひたすらに立ち向かっていた。
彼女の父親でさえ、その闘志には舌を巻くほどに。だが、いつの日からか。彼女の纏う空気がガラリと変わったのに気づいた。能面のような静かな笑みを貼り付けて。まるで人形のように、人に気持ちを悟らせずに全てを胸の内に隠して。おそらく、それは彼女の母親がこの世を去ったのがきっかけだった。
彼女の母親は、古典的な人柄で。静かな強さを身に備えた美しい人だった。自身を見ていない夫を誰よりも愛し、常に後ろで付き従い。次第に道を踏み外していく彼を、身を呈して止めようとする程に。彼女は妄執に囚われ続ける夫を、自らの命をもって止めようとした。
彼女は、夫の前で命を絶ってみせたのだ。だが、それでも彼は止まらなかった。それに憤った朔馬の父と朔馬は、彼を諌めようとしたが。彼の逆鱗に触れ、皛家から追放される身となった。頬に残る太刀の傷はその時のものだ。
『私ね、妃になるわ』
彼女は密かに自分たちの元を訪れてそう言った。驚きはしなかったが、何かを決意した目だと、そう漠然と感じた。
『おまえが?』
『ええ、四夫人の一人として名が上がったから』
『へーおまえがねえ』
『何よ。私は綺麗だから当たり前でしょう』
『…自分で言うあたりが性悪だな。陛下に幻滅されんぞ』
『ふふふ、ボロは出さないわ』
『こえーな、女ってやつは』
二人、人里離れた野原に座り込んで肩を並べながら話したのが最後だ。彼女はけらけらと笑うと、地べたに寝転がって両腕を大きく広げ。草の匂いをめいいっぱいに吸い込んだ。白い紋白蝶達が、二人の周りをふわりふわりと舞っている。
『…おまえさ』
『何?』
『わざと、俺達を追放させるよう仕向けたな』
『ふふ、何のこと?』
朔馬よりも年下の癖に邑璃は敏かった。そして、優しかった。だから、彼女が笑顔の下で何かを成そうとしていることはすぐに分かった。
『何するつもりなんだよ』
穏やかに流れる雲を見上げながら、朔馬は気だるげに尋ねた。
『朔馬にいい嫌がらせを思いついただけよ。そのうち分かるから楽しみにしていて』
彼女は笑ってそれだけ答えると、その辺りに生えていた鼓草の綿毛を手に取った。そっと息を吹きかければ、白い綿毛が風に乗って青空に飛んで行く。それをぼんやり見上げながら、朔馬は一つ欠伸をした。
『…おまえってさ、本当ややこしい性格してるよな』
『そうかしら』
『色んなものが捻れて歪んで絡まってる感じ。でも実際は単純というか。おまえ、損してるだろ』
『失礼ね』
わざとらしく眉をしかめた邑璃に、朔馬は笑った。
彼女とはこの先、もう会うことはできないのだろう。おそらく彼女もそれを分かっていて、この場にやってきた。
―――死に急ぐなよ。
そう言いかけだが、朔馬は言葉を飲み込んだ。
覚悟を決めた者に、何を言っても無駄なことは朔馬が一番誰よりも分かっている。
彼女の母親がそうであったように。
邑璃は、外見の美しさだけではない。内に抱える静かな炎でさえも、彼女の母親から引き継いでいた。
そんな邑璃が覚悟を決めた。母親が命を賭してもできなかった事を。
朔馬はそれ以上何も言うことはせず、彼女と並んで青空を眺めていた。
遠い過去の日々を思い出しながら、朔馬は献花を供える。
結局、彼女は自身の信念を貫き果てた。女の身でありながら立派な生きざまだった。
「おまえ、最期まで信念を貫いたんだな。…だが、本当に面倒臭い役目を押し付けやがって。めんどくせえな」
皛家の後処理も然り、今後の事も然り。今まで隠居生活のようなものであったため、いきなり舵を取れと言われても、ああはい分かりました、などとすんなりいくものではない。
それに、これからこの国は正念場を迎えることになる。
「…玻璃が動いたということは。更に西が動いているってことだ。まったく、ややこしい時期にややこしいことを押し付けてんじゃねえよ。おかげでしばらく不眠だっての」
一人悪態をついていると、ふと、冷たいくせに柔らかい風が吹いて、彼は青い空を見上げた。
何故か、遠い
「しゃあねえか」
朔馬は立ち上がり、山積みの仕事が待つ家へと踵を返した。
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