泥中の桜蓮



一人の若い女は、盤花城の入り口で観光用のパンフレットをもらい、観光客達の列に並んで荘厳な建物の中へと足を踏み入れた。長い髪を後ろでバレッダで止め、唇には桃色のグロス。睫毛のエクステなどはしていないが、薄化粧ながらも綺麗な顔立ちをしていた。


(大きいな…)


彼女は広大な敷地の中にそびえ立つ建物を見上げ、感嘆のため息を漏らした。

確かに、ここを隅々まで見るには一日はかかるはずである。彼女は建築の勉強のため、夏季休暇を利用して遥々海を渡ってここに来た。まあ半分は、妹との旅行であるが。


「あ、お姉ちゃんごめんごめん」


トイレに行っていた妹がスマートフォンを片手に戻って来た。


「もう。なんで始めに行っておかないのよ」

「あーもうごめんってば」

「ほら、行くわよ」

「うん」


一眼レフの黄色いカメラを首から下げる妹は楽しそうだ。

互いに仕事の休みがうまくあったので、短い日程であるものの二人で旅行にやってきたのだ。


「それにしても大きな城だね」


細身のスキニーパンツを履きこなし、足元はスニーカーというラフな格好をした妹は、屈んだりしながら色んな角度で写真を撮っていく。


「そうだね。なんで金持ちって、大きなものを建てたがるのかしらね」

「ははっ。そんで、その大きなお家で女を囲いまくると。それが王様の大事な仕事っていえばそうだけど」


今で言うハーレムだよねえ、と妹は奥へと進んでいく。その後を追いながら、自分もパシャりと、建物の写真をスマートフォンに納めて行く。妹の後ろ姿も、こっそりと。


「お姉ちゃん。みてみて、歴代の王様の肖像画だってさ」

「へぇ」


中に入ると、展示品のエリアが二人を出迎えた。写真撮影禁止の看板が置かれており、どうやらここから先は撮影禁止エリアのようだ。

監視員の目もありみな写真を撮るのをやめる。中にはこっそり撮影しようとして怒られている者もいるが。

二人もカメラから手を離し、解説パネルを見ながら進んで行く。

どうやらここは、歴代の国王たちの肖像画が展示されている様だ。

初代から末代の王までずらりと並んでいる。初代王の顔は劣化が進んでいて、薄っすらとしかわからないが、どうやら若い時分に描かれているようだ。

よくもまあ、これだけ古い物が残っているものだと関心しながら順番に眺めていく。


「あはは、みてこの人。目がこわっ」

「本当だ」

「あ、でもそれにくらべてこっちの王様は少しイケメンだね」

「…こうやって後世に伝わるんだから、嘘でもいいから良く描いてほしいわよね」

「確かに。お金握らせてでもかっこよく描いてほしいかも」


二人、好き勝手にものを言いながら足を進める。


「…あ。なんか、隅っこに白い花が小さく描かれてるけど、こっちでいう家紋みたいなもんかな」

「そうじゃない?あんた、意外とよく見てるわね」

「…お姉ちゃん、私をなんだと思っているの」

「大雑把な適当女子」

「うん、まあ、間違っちゃいないけどさ…。あ、次はまた厳つそうな人だ。ていうか、目力強調しすぎじゃない?ええと何々。この王様は―――えぇ?生涯で正妃を持たなかったんだって」

「えー、そんな人がいるの?本当かしら。胡散臭いわね」

「胡散臭いってお姉ちゃん…。えーと、理由は書いてないね。謎だってさ。王様なら選り取りみどりなのにもったいないねえ。私が王様なら、美女ばっかりで周りを固めたいね」

「エロ爺かあんたは」


妹の背中を叩いた後、ふむ、と両腕を組んでその肖像画を真正面から眺める。


「うーん、そうだけど。もしかしたら、心に決めてた人がいたりして?」

「…お姉ちゃん、相変わらずロマンチストだね。そんなのないに決まってんじゃん」

「悪かったわね」


二人はやいやい言い合いながら、順路に沿って先を行く。すると順序の矢印が二手に分かれていて。一度中庭に出る経路と、そのまま真っすぐ建物を進んで行く経路に分かれている。

観光客のほとんどが暑いからか、中庭には目を向けずに進んでいくが。二人はせっかくだしと、休憩がてらに中庭に足を向けた。


「あ、みてみてお姉ちゃん。蓮の花だよ」


広い庭の中心には池があり、その水面に浮かぶのは薄紅色の花―――蓮が群れ咲いている。


「綺麗ね」


まん丸な大きな葉は、夏の日差しを浴びて瑞々しい緑色に輝いて。薄紅色の花はそよ風に吹かれて、ゆらゆらと水面に漂っていて美しい。


「ちょっと休憩ー」


妹はそう言うと、池の傍に設置されていたベンチに腰かけた。そして汗ばむ額をハンカチで拭いながら、鞄からペットボトルを取り出して口付ける。なんとなくその姿を納めたくなった自分は、手元のスマートフォンでパシャリと一枚。


「ちょっと、盗撮じゃん」

「ふふ。お母さんに送ってあげよ」

「もっとマシなやつ送ってよー。例えばさ、この蓮と一緒に撮ってくれるとかさ」

「はいはい」

「あ、お姉ちゃん。撮るならこれで撮ってよ。逆光でも結構綺麗に写るから」


妹は首から下げたカメラを渡してきた。


「え、撮り方わかんないよ」


妹とは違い、本格的なカメラなど今まで持ったことがない。


「シャッターを軽く長押して、グッて押したら大丈夫だから」

「…よくわかる説明だこと」

「まあまあ、とりあえず覗いてみてよ」


適当な説明を受けて促されるまま、とりあえずレンズを覗き込んで、言われた通りに触ってみる。


「あ、すごい!勝手にピントが合う!」

「スマホもそうじゃん」

「なんか本格的なのよ。へー」


面白くなって妹の姿を何枚か連写する。やっぱりスマートフォンとは違い、画質も性能も全然違う。


「すごいわね。少しだけ、他のものも撮っていい?」

「もちろん」


暑さが苦手な妹は、ハンカチで顔を煽ぎながら休憩するようだ。

蓮の花をアップで撮ったり、青い空を映してみたり。地面に移る自分の影を撮ってみたり。

自分もカメラを購入しようかな、などと彼女は考えながら、レンズを覗き込んだままクルリと身体を反転させると。

彼女と同じようにカメラを構える男性と、レンズ越しに視線がぶつかった。


「―――」


瞬間、周りのざわつきが消え去った。人の声も、風の音も、鳥の声もない。

まるで時間が止まったかのように、辺りの景色が透明に変わった。

今、自身がどこにいるのか分からなくなって。何かの映像が、ブロックノイズの様に脳裏を刺激する。

それがはっきりと、何かだなんてわからない。形なんてない。

でも。まるで何かを手繰り寄せるような糸のようなもの。そう…遠い、遠いところにある、分からない何かを、掴もうとしている。

多分、それは相手も同じだ。レンズ越しに視線が絡まり、結び合うのが分かった。


「っ」


目の奥が急激に熱を帯びて。心臓を強く締め付けられる。

恐る恐る、カメラを下ろした。相手も、同じ動作をした。レンズ越しではなく、自身の目に、その姿を互いに映し出す。


「…ぁ……」


自分の口から漏れ出たのは、言いしれぬ驚愕と当惑の声だった。

そこにいたのは、妹と同じくらいの年だろうか。年下の若い青年で。

黒い瞳が自分と同じように、大きく見開かれ、揺れていた。

そして再び、脳裏で浮かんでは途切れる残像。大切な誰かの影が、目の前の彼と合わさって。


「―――ちゃん、お姉ちゃん。そろそろ中に戻ろ…って、え。何泣いてるの?」


肩に妹の手が触れ、周りの景色がざわめきと共に一瞬で戻ってくる。困惑した妹の顔が間近にあって。

その言葉に、自身の頬を手で触れると。

どうしてか、涙が流れていた。


「え…な、どうして、え…?」


知らずのうちに、目から流れ落ちる滴を拭いながら、煩く鳴り響く心臓を片手で押さえこむ。


「お姉ちゃん、もしかして具合悪いの…!?」

「ううん、違う…。全然そんなことない…。そんなんじゃ、なくて…」

「?」


悲しいような、苦しいような、懐かしいような。胸を込み上げてくる、この言いしれぬ感情は。

妹が無言で差し出したハンカチで目元を押さえ、深く呼吸を繰り返して涙を抑える。


「…大丈夫?」

「うん、ごめん…。なんだろ、ゴミが目に入っちゃったみたい」

「本当にそれだけ?」

「うん、大丈夫よ。…戻ろう」


安心させるように微笑んで、何もなかったかのように足を速める。

一方、その青年は、建物の入り口でまだ立ち尽くしていた。


(…何で、まだ、胸が苦しいの?)


彼に近づいていけば近づくほどに。鼓動が大きく高ぶっていくのを感じる。

汗ばむ手のひら、戦慄く唇。

この感情は、一体何。貴方は、誰。貴方は、何。

身体を駆け巡る言いしれぬ感情を持て余しながら、顔を俯かせ、彼とすれ違おうとしたその時。


ふわり。


幻だろうか。彼と自分の間に、ひとひらの桜の花びらが目の前を掠めた。

ふわりと青空からそれは舞い降りて。再び彼と視線が交差する。


なんだろう、この感情は。この想いは。


「―――あの…!」


カメラを握りしめた青年が、震えた声で、自分の背を引き留めた。



なんだろう、この感情は。この想いは。―――この願いは。



私は足を止めた。震える拳を握りしめて。

そして、見えない何かに引き寄せられるように。答えを求めるように。


私は、ゆっくりと振り返った。

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