小さな恋を唄わせて


「凛、待て!」

「鬼さんこっちら!」


二人の子供の声が初秋の青空に響きわたる。金木犀の優しい香りが立ち込める中、翔珂と凛は小さな庭を二人で走り回っていた。

鬼が翔珂で、逃げるのが凛だ。二人は迷路園の中を慣れた様子で走り回る。

後ろに翔珂の姿が見えなくなり、うまいこと撒けたと思っていた凛であるが。


「―――おりゃっ!」

「うわっ」


翔珂が抜け道を使って先回りしており、凛はあっけなく捕まった。


「あー悔しい!翔様ずるだよー」

「ずるじゃない!凛はすばしっこいから、頭をつかっただけだ!」

「…やっぱずるじゃん」


両頬を膨らませ、翔に連行されていく雪花。その光景を、愛おしそうに見つめているのは姉の美桜だ。

二人は彼女の姿を見つけると、嬉しそうに駆け寄っていく。

…我先にと、互いに牽制しながら。


「みおーっ」


結局凛が翔珂を跳ね除けて美桜に勢いよく抱き着いて、彼女に抱え上げてもらう。

一方の翔珂は尻餅をつき、忌々し気に凛を見遣る。


「おまえは猿か!」

「へーんだっ」


翔珂と凛は同い年であったが、凛のほうが身長は高く、確かに猿の様に運動能力も高かった。


「…凛、本当にあんた猿よ」


猿の子の様にしがみつく凛に、美桜は呆れたように呟きを落とした。





美桜は二人の手を引き、迷路園を歩く。


「ねえ、美桜」

「ん?」

「どうして外に出ちゃいけないの?」


迷路園の緑の壁を見上げながら、雪花は美桜に尋ねた。

ここから先、一歩も外に出ることを凛たちは固く禁じられていた。

一度こっそり抜け出そうとしたら、出口にいた衛兵達に見つかって強制送還され、母にこっぴどく怒られた。

自分たちの世界はこの小さな空間だけ。この壁を越えた先に、一体何があるのだろうか。

いつもその向こうに想いを馳せても、凛達の前には緑の壁が立ちはだかる。


「そういえば、父上が言ってたよ。冬が終わったら、母上とみんなで引っ越ししようかって!」

「え、翔様それ本当!?」


翔珂の言葉に、凛は目をきらきらと輝かせた。翔珂も嬉しいのか、楽しそうに笑っている。


「もうちょっとの辛抱だって」

「えーっ。どうしよ、すっごく楽しみだね!何があるのかな!?街にいってお団子にお煎餅いっぱい食べたいなあ」

「…食いしん坊だよな、凛は」

「美桜は?外にいったら何したい?」

「え、私?」


凛たちと比べ、少しの間は外で暮らしていた記憶のある美桜は、うーんと首を捻る。


「私もまあ、街にいって買い物したいかなぁ」

「美桜もお団子?」

「違うわよ。ほら、反物とか簪とか」

「えー。そんなの見て楽しいの?」

「凛も、もう少し大きくなったら分かるわよ」


…多分、と美桜はこっそり付け加えた。

この妹は、食べ物以外にあまり興味を示したことがないからだ。

周りの環境と隔離されているせいもあるのかもしれないが、狭い中をとにかく走り回るのでいつも袴(ズボン)を佩いているし。

翔珂の母、自分たちが仕える妃―――晶紀に作法や礼儀を教わっているものの、我が妹ながら落ち着きがなくがさつ。大雑把。

運動神経だけはいいのか、舞と体術だけはそれとなくできてはいるが。


(可愛いのは可愛いんだけど、相当なじゃじゃ馬になりそうだわ)


母である千珠は、好きなことをすればいいと大きく構えているが、少し心配な美桜である。


「じゃあ、翔様は何がしたいの?」

「え、俺…?」

「うんっ」

「…わかんない。でも、色んなものをみたいな」

「?」

「山に、川も見てみたい。海もみてみたい」

「海!私も見てみたいっ。塩のお水でしょう!?」

「うん。そこに、船っていう乗り物で、海に出られるんだって」

「海って大きいのかな?すぐに行き止まりなのかな」

「どこまでも続いてるんだって、父上が言ってた。それに乗ったら、色んな人に会えるんだって」

「私もそれに乗りたいっ」

「じゃあ、皆で乗ろうよっ。ね、美桜!」


二人の太陽のようなきらきらとした眼差しを受け、美桜は曖昧に微笑んだ。

ここから外に出る―――その意味は、一体何を意味するのか。

美桜はなんとなく気づいている。翔珂が、この閉ざされた世界にいる意味を。

確かに晶紀様の体調が思わしくないのはそうであるが。何かから、陛下は守っているのだ。彼女とその息子を。


(ここから外に出るということは。陛下は、翔珂様を廃嫡なさるおつもりなのだろうか。それとも、一時だけのこと…?)


「―――あっ!お母さんだ!」


凛が宮の前に立っている母の姿に気づき、美桜の手を離して駆け出していく。


「…美桜、どうしたの?」


考え事をしていたのに気づいたのか、翔珂が心配げに美桜を見上げていた。

彼は美桜よりも幼いが、人の気持ちに機敏な部分がある。

母親が病を患っていることや、父親が中々会いに来れない事情など、彼なりに色々と気遣っている様だ。


「いえ、なんでもありません。ただ、考え事をしていただけです」

「?」

「外に出ても何をしなくとも。今の様に翔珂様たちと一緒にいられるなら、それで幸せだろうなと思って」


母親にも飛びついていく凛の姿を見つめながら、美桜はつぶやいた。


「じゃあ、ずっと一緒にいようよ」

「え?」


翔珂はいいこと思いついたと、にししと微笑んだ。


「俺が美桜と結婚すれば、みんなずっと一緒だよ」

「!」

「美桜の事、俺すっごく好きだし!」


いい考えだろ、と胸を張る翔珂が可愛らしくて、美桜は噴出した。


「翔様、そんな簡単に結婚の相手を決めてはいけませんよ」

「なんでだよ」

「私は、翔様よりも年上ですし」

「別にかんけーないじゃん。背だって、そのうち追い越してやる」

「私なんかより、もっと可愛くて綺麗なお姫様がたくさんいらっしゃるのに?」

「かんけーねーよ。俺は、美桜がいいんだ。ずっと好きだよ」


白昼堂々、小さな少年の告白に美桜は一瞬目を丸くさせ、その次に柔らかい笑みを唇に乗せた。


(いずれ、翔様は然るべき相手を娶るのだろう。でも―――)


「もし、大きくなってもそう思ってくれるなら。その時は、私を翔様のお嫁さんにしてください」


美桜は跪くと、翔珂と視線を合わせた。




「私も、ずっと好きですよ」




今だけは、この小さな世界にいる時だけでいいから。


小さな恋を、唄わせて。


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