花街の用心棒【番外編】

深海亮

とある夏の日の果たし状

※本編無視した日常の一コマ。細かいことはスルーでお願いします。





全ては一枚の手紙が始まりだった。


「果たし状…!?」


掃除中、回廊に落ちていた一通の手紙を拾いあげた鈴音は、慌てて皆の元へと駆け込んだ。


「た、た、大変ですー!」

「どうしたの、鈴音」

「一水!大変大変っ。こんなものが落ちてたの…!」

「果たし状…!?」

「あら、何を騒いでいるの?」

「蘭瑛様!こんな物騒なものがっ」

「…ん?どこかで見たような字ね」


蘭瑛妃は首を傾げながら、その手紙を遠慮なく開く。


「しかも指定の日付、今日じゃない。ええと、未ノ刻、外宮の宝仙園で待つ…?―――あっ、これやっぱり駿じゃないの!てことは、あて名は勿論…」

「あのー、庭の掃除してきます」


皆が固まっているところに、ひょい、と顔を出したのは雪花だ。


「あ、雪花!これ貴女のでしょう」

「…あっ!!」


蘭瑛妃が手にしている物に気づくと、雪花は慌てて自身の胸元を漁った。今日捨てようと思って持ち歩いてそれが、なぜか蘭瑛妃の手元にあった。






―――果たし状。


そんな物騒な手紙が届いたのは、蝉の声が遠慮なく鳴り響く夏の真っただ中。ただでさえ暑いのに、それを煽るような一枚の紙きれ。

差出人は紅駿。筆跡は力強く、彼の愚直な性格がありありと伺える。

花街にいた頃から、こうした果たし状が届くことは度々あった。どこぞの道場と間違えているのか、道場破りならぬ門番破りというか。

たいていは無視するか、帰蝶がうまくあしらうか。それでも無理な場合は一戦交えることもあったが。

何故後宮にいてまで挑まれなければならないのか。


(…無視しよう)


奴はここに乗り込んでこられないし、放っておいても良いだろうと、雪花は何も考えることなく自室に放ったまま数日が過ぎて。

庭掃除の当番が当たっている今日、廃棄場へ行くついでにこれも燃やしてもらおうと胸元にしまっていたのだが。

どうやらどこかで落としてしまっていたらしい。


「いや、あのそれ…返して頂けませんか」

「雪花、どうするつもりなの」

「行きませんよ。勝手に出れませんし」


要するに無視するつもりである。


「…それはだめよ」

「へ?」

「行ってきなさい、雪花」


何故か口端を持ち上げる蘭瑛妃に、雪花が嫌な予感を覚えた。最近後宮に来てからというもの、そういった予感しかしないのは何故だ。


「暇をあげるから、あの駄犬を言い負かしてきなさい!」


案の定、人差し指をびしっと突きつけられた。


「…蘭瑛様、言い負かしてきたのは貴女様です」

「うるさいわね」


明明がぼそりと訂正するのはもはやお決まりか。


「え、いやでも、今日の仕事もありますし」

「庭掃除くらい明日でもいいわよ。そうね、鈴音。貴方も、私の代わりに雪花の勇姿を見てきなさい」

「えぇ!いいんですかっ」

「特別に許可します」


そんな簡単に侍女を外に出していいのか、おい。


「なら急がないと!さあ、雪花!その服は動きにくいでしょう。一水、何か着替えさせて頂だい」

「はーい」

「……」


うんともすんとも何も言っていないのに、勝手に全てが決められていく。雪花は反論も許されぬまま、一水と鈴音に衣裳部屋へと引きずられていったのであった。









案内人に連れられて、指定された場所にやってきた雪花と鈴音。そこは人通りの少ない小さな庭園だった。

なんせこの炎天下だ。好んで出歩きたい人などいないだろう。目の前で仁王立ちで待つ、一人の男を除いては。


「来たか」


駿は手に木刀を二刀持ち待ち構えていた。こんなギラギラと輝く太陽の下でご苦労なことだ。雪花はというと一水に渡された胡服を着て、面倒気な表情を前面に押し出していた。

見届け人である鈴音といえば、小さな池がある木陰で涼んでいたが、しっかりと目がこちらを見ていた。事細かく蘭瑛妃に報告するためであろう。


「これを仕え」


駿は一本の木刀を雪花に投げてよこした。仕方がなく、雪花は手に取る。こんな炎天下で、こいつと一戦交えなければいけないのか。

暑さが苦手な雪花は、さっさと終わらせようと決めていた。木刀を手に慣らし、軽く足の健を伸ばす。


「女だからといって手加減はしないからな」

「分かってます」


二人は睨み合うと、互いに木刀を構えた。

先に動いたのは駿だ。地を蹴り、上から叩き込む。


(―――っ馬鹿力め)


それを難なく雪花は受け止めたが、その強く重たい剣に雪花は舌打ちした。雪花はそのまま刀を受け流すと、屈んで駿の喉めがけて突きを繰り出す。

駿はすぐさま後方へと飛びのき、両者再び木刀を構えなおす。

汗が背中を伝っていく。柄を握る手も汗ばんでいる。

次で決めてやる。

目を細めて片足を後ろに引き、今度は雪花の方から繰り出そうとしたその瞬間。


「きやぁああああ!」


突然の鈴音の悲鳴に、二人は振り返った。


「は、蜂がっ、やだぁああああ!」


ぶんぶんと手を振り払って、彼女は一人暴れていた。よく見てみれば、大きな蜂が鈴音の周りを飛んでいるではないか。


「鈴音、暴れると余計にっ」

「だって、怖いんだもの、いやっ、こっち来ないでっ」

「鈴音!落ち着いて、ていうか足元あぶな―――」

「え、きゃあっ…!」


蜂を追い払うことで精いっぱいであった鈴音は、足元を滑らして池の中へとざぶんと落ちた。

盛大に跳ねあがる水しぶき。雪花が伸ばした手は間に合わなかった。


「鈴音、大丈夫?」


蜂は、池に落ちた彼女に満足したのかどこかに去っていく。急いで池を覗き込めば、鈴音が両目に涙を溜め、放心状態で雪花を見上げていた。

底は浅いようで尻餅をついていて。だけど落ちた際にもがいたのか、深衣が乱れて肩からずれ落ち、わずかに胸元が露わになっていて。ささやかな胸の谷間が覗いている。


「おい、大丈夫か―――」


駿も駆けつけ、鈴音に手を伸ばしたが。


「……」


固まった。まるで絡繰り人形のゼンマイが止まったように。

そしてぽたりと落ちる、赤い滴。


「?」


怪訝に思って駿を見遣れば。顔を真っ赤にさせた駿は、鼻血を垂らしていた。


「……」


雪花は目をぱちくりさせると、ふん、と鼻で哂った。そして手にしたままの木刀で、彼の頭頂部をコン、と軽くたたいた。


「一本。私の勝ちですね」


そして彼は、鼻血を噴いたまま後ろへと倒れ込んだ。

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