『症例A』書評

多重人格が娯楽作品で扱われるようになって、多重人格という存在そのものがサイコ小説的な偏見に汚染されてしまった現代。

フィクションとしての多重人格に、辟易させられている精神科医・榊。

榊はうさんくさいものを嫌い、医学的な治療をモットーとするリアリストの精神科医である。

そんな榊があるとき担当することになった患者の少女・亜左美。

榊は何度も面接を繰り返すが、亜左美の精神病の正体がなんであるか判断できない。

そんなとき、臨床心理士の広瀬が亜左美は多重人格の疑いがあると指摘する。

催眠を使った治療の提案に榊は否定的。

榊は多重人格の治療を、どこかオカルト的な信用ならぬものだと思っていた。

あくまで客観的に、厳密に治療しようとする榊の治療のスタンスと相反するものだった。

広瀬の提案で、休日に広瀬の師匠である精神科医と気の進まないまま会うことになる榊だが、榊はそこでおどろくべき事実に直面することになる……。


見どころは、榊の患者に対する見方の変化だろう。

榊ははじめ治療を、悪との戦いであるかのように語っている。

本文の広瀬のセリフに"「さっきのお話のなさり方、なんだか、あの子のことを敵のように思ってらっしゃるみたいでした」(中略)「ええ、治療方針を語るというより、なにか戦いの心構えを訓練してらっしゃるみたいに感じました」(P.278)"とある。

この考え方は治療法として本当に正しいのだろうか?

理屈を筋道たてて、病状を厳密に把握することばかり気にかけて、患者の心によりそい、心をケアしてやる、というところから離れて行ってしまっているのではないか?

そもそも治療とは本来なんのために行うことなのか?

患者の心のなかに巣食う悪者を退治することなのか。それとも患者が前向きに生きていけるような手伝いをすることなのか。

患者と戦うのか、受け入れるのか。

治療に対するスタンスの決断を迫られた榊医師がだした結論には、心が打たれる。


2017/6/14引導

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