第2話 愚者の祭壇


「か、風邪かぜですか……?」


 上気したように頬を紅潮させたハシビロコウが博士たちから事情を聞く。

 こどもたちは、おやつのジャパリマンを与えられ、いまはすやすやと眠っていた。

 起きて食べて寝る。まことに野生の生き様であった。


「フレンズは病気になるとサンドスターの消耗を抑えるために退行現象を起こすのです。あのふたりもきっと流行り病にかかったのですよ」

「え、えっと……。じゃあ、どうすれば?」


 原因はわかった。では何をすればいいのか対処法をたずねる。


「過剰に心配する必要はないのです。人間と同じで十分に栄養を取って睡眠を重ねれば、勝手に治るのです」

「そうなんですか、よかった……。あ、あの、それとですね……。ふたりがなぜか、わたしの胸をその……」

 

 気恥ずかしさに視線を床に移す。右手で自分の胸を隠すように左腕をつかんだ。

 記憶から消し去ってしまいたい白昼堂々のはずかしめ。その意味を問いた。


「あー。それはまあ幼児化しているわけなのだから、ヒトでもケモノでもおなかを空かせた子供のやることは変わらないのですよ」


 さも当然と言わんばかりの返答。それでもハシビロコウは納得できずに訊き返した。


「で、でも、わたし! いくら吸われても何も出ないですよ!」


 いささか大胆すぎる告白。自分でもそう思ったのか、さらに顔を真っ赤にした。


「まあ、所詮は疑似行為なので出ようが出まいがしばらく吸っていれば、いつか安心して眠ってしまうのです。少しの間の辛抱ですよ……」


 大した慰めにもならない結論を口にする博士たち。絶望したハシビロコウの顔色が今度は蒼白となった。

 そのとき、いつの間にか目を覚ましていたヘラジカが再度、ハシビロコウの足に取り付く。


「え? う、うそっ! もう、おなかが空いたの?」


 バランスを崩され為す術なく倒される哀れな生贄いけにえ。ヘラジカが巧みな動きで上半身にのしかかる。


「ま、まって……。キレイにしたばかりだから」


 懇願するも相手は無慈悲に行為を求めてくる。

 ハシビロコウの声にならない叫びが、いつしか声を我慢するように変わっていった。

 一方、ライオンは博士と助手の前に立ちふさがって、ふたりの動きをじっと眺めている。


「博士、これは結構なピンチなのです……」

「動いてはダメなのです、助手。食肉目は動くものに反応して飛びかかってくるのです。興味を持たれたらハシビロコウと同じ運命が待っているのです」


 重苦しい緊張感とともに身じろぎひとつ見せない博士たち。

 その周囲でライオンは獲物を狩る肉食獣の気配を漂わせる。ヒリヒリとした空気が狭い図書館を支配した。


「は、博士……。これはいけないのです。われわれ逃げ場を無くした、ただの鳥なのです」


 さすがにどうにもならない現実を受け止め、助手が諦めたような声を上げる。


「ラ、ライオン……。助手のほうが体が大きくて、かぶりつくにはちょうどいいのです」


 そして、あっさりと仲間を差し出そうとする博士。森の賢者たちのチキンレースが始められた。


「ず、ずるいのですよ、博士。ヒトの姿ならどっちも変わりはないのです……」


 醜い生存競争に明け暮れるフクロウたち。まるで値踏みするように両者を見つめているライオン。いつしか、ふたりの華奢な体つきに何かをさとりハシビロコウのほうへ向かっていった。

 またしても試練に襲われる少女が、さらなる苦悶のうめきを上げ続ける。


「お前たち、知りたいことがわかったのなら、さっさと群れに帰るのです……」

「ここにいつまでもいられると、われわれまで病気になってしまうのです……」


 守られた乙女の純真と傷つけられた女としてのプライド。

 ゆれる天秤に感情をもてあそばれながら、早々の退去を言い渡す。

 その視界には文字通りむしゃぶられている鳥系のフレンズがいた。






 ボロボロになった心と体を奮い立たせ、ハシビロコウはふたりを連れてへいげんに帰還した。

 話を聞いたメンバーは命に別状はないという診断にまずは安堵する。と同時に、彼女が語る屈辱的な経験談を聞いて心中、穏やかではいられない。


「や、やばいな……。どうしたらいいんだ、こんなの?」


 オーロックスが青ざめた表情でこれからの日々を心配する。足元にはなつくようにしがみついているライオンがいた。すでに幼女の中でオーロックスは母親として認識されているのだろう。


「まあ……。二、三日で治るらしいから、それまでの辛抱だよ」


 オオアルマジロが慰めるように言った。人数の多いヘラジカ軍団と違ってライオン陣営は少数先鋭ゆえ、ひとりひとりの負担が大きい。子供の世話も一苦労だ。

 などと真剣に考えている姿は、もはや育児の悩みをともに語り合うママ友の会である。


「アラビアオリックスに相談しないとな……」


 相方の存在を匂わせたとき、急に足元がぐらついた。

 あせって下を向くとライオンが下半身に取り付いて、いまにも登ろうとしている。


「え? ちょ、ちょっと、なんだよ大将!」


 本能に突き動かされた狩人の行動。不穏な空気を感じて真意を求める。


「まんまー……」


 いまや呪いの言葉とさほども変わらないライオンの空腹アピール。

 またたく間に姿勢を崩され、上体が地に横たわった。

 無表情にみずからの欲求を満たそうとしている小さな猛獣。

 オーロックスのあらがう声がへいげんに響き渡る。


「ま、まって、大将! こ、こんな明るいところじゃ、みんなが見ているから!」

 

 暗ければいいのか?

 という野暮なツッコミは脇に置いておく。

 無残に襲われている草食系フレンズを尻目に、アルマジロはもうひとりの野獣へ目を配った。


「ま、まんまー! まんまー!」


 やはり目覚めていた。しかし、異変には近くに立つ全員がすでに気づいている。

 遠巻きに小さなヘラジカを囲んで逃さないように間合いを図る。

 向こうが一歩近寄れば合わせて少し距離を取り、まわりの仲間が等間隔を維持していった。

 誰かに犠牲を強いるのでなく、全員が一致協力してこの窮地を脱するチームプレー。ヘラジカ軍団がもっとも得意とする戦法であった。


「まんま、まんま……」


 すがる相手を求めて、ぐるぐると同じ場所で回り続ける小さなヘラジカ。

 人混みに心細さから母親の姿を追いかける迷い子の表情を浮かべていた。

 いまにも泣き出してしまいそうな幼子。その前にひとりのフレンズが歩み出た。シロサイである。


「ヘラジカ様。さあ、こちらへ……」


 両膝を地につけ、聖母のように腕を大きくひろげたまま、小さな主君を向かい入れる。

 一目散に駆け寄ってきたヘラジカを強く抱きしめた。


「ごめんなさい。わたくしは身も心もあなたに捧げると誓ったのに……」


 安心したヘラジカはシロサイの胸の中ですすり声を上げている。

 緊張から解き放たれた安堵感。そのせいで感情が一気に爆発してしまったのだろう。

 ヘラジカはさらに体を強く寄せ、相手を地面に押し倒す。

 逆らう様子もなく、シロサイは守るべき対象をみずからに引き寄せた。

 コート状の装甲があらわに剥がされていく。その内側、鎧の影となっているあたりにヘラジカの頭がある。飛び出している角状の髪の毛が不規則に揺れていた。


「シ、シロサイ殿……。大丈夫でござるか?」

 

 様子をうかがいながらパンサーカメレオンがたずねた。


「見ないで! 見ないでください……」


 主君の求めに応じて、すべてをなすがままに許す。これはよい。

 けれど、衆人環視の下で行われる行為はシロサイの気高いプライドをズタズタに切り裂いた。


「すまない……。すまないでござるよ、シロサイ殿。あなただけに恥ずかしい思いはさせられない。次は拙者がヘラジカ様のお相手を務めるでござる!」


 何をとちくるったのか、その場にいる全員がシロサイの姿に美しい自己犠牲の精神を見出した。結果、みなで幼子の世話を引き受けようと誓い合う。

 昼下がりのさなか、こどもたちが満足するまで狂宴は繰り広げられた……。






「単に口寂しいだけなんだから、こうやって指でもしゃぶらせておけばいいんだよ……」


 城に戻り、メンバーみんなでライオンの養育を始めた。しばらくして、またも空腹を訴える幼女に対し、ツキノワグマが冷静な対処をしてみせる。

 近づいてきたライオンを抱き上げ、その口に自分の人差し指を押し当てた。

 すると相手は指先を咥え込み、夢中で吸い始める。

 あとは満足するまで待っていればいい。実に巧みなあやしかたであった。


「あ……。そういう感じでいいんだな」


 オーロックスが敬服したようにツキノワグマの手法をほめた。


「どうして顔が赤くなってるんだ、お前は?」


 アラビアオリックスが表情を目ざとく見咎め、理由を問いただす。


「い、いや、別に……。なんでもない」


 そっぽを向いてごまかそうとした。

 小さなライオンの荒い鼻息と本能任せの激しい唇の動き。

 脳裏に忘れてしまいたい昼間の記憶がよみがえる。


「…………アルマジロたち、ちゃんと相手できてるのかな?」


 稽古場の惨劇を思い返して心配そうにひとりごちる。


「さすがに誰か気づくでしょ、これくらいのこと?」


 ツキノワグマの返答にオーロックが遠い目をして、それでも不安げにつぶやいた。


「でも、あいつら。そろいもそろってバカだからなあ……」


 やがて日が暮れる。パークの大変な一日はこうして終わろうとしていた。






 それから、しばらくの後。快気したヘラジカがいつものように腕を組んで元気にあいさつをする。


「みんなには随分と迷惑をかけてしまったようだな! おかげですっかり元通りだ。今日からまた全員で勝利を目指していこう!」


 気合十分で士気を高めていくヘラジカ。彼女の唇を軍団の全員が艶っぽい眼差まなざしで見つめていた。どうやら、オーロックスの心配が現実になってしまった模様……。






 ところ変わって、ここはいずこかのちほー。

 朝焼けに目を覚ましたハンターのキンシコウが半身を起こす。

 となりでもぞもぞと動くフレンズの気配がした。


「あ。おはようございます、ヒグマさん。今日は早いお目覚めですね?」


 横で眠っていたヒグマに声をかける。

 彼女は寒さよけの毛布を頭からかぶっていた。


「ほらほら。前が見えないでしょ。もう、いつまでも子供みたいなんですから……」


 見かねたキンシコウが両手で毛布をめくった。

 そこから姿をあらわすヒグマ。いつもとは明らかに見た目がおかしい。

 なんというか小さい。あと、幼い。


「ヒ、ヒグマ……さん…………?」


 目の前の現実に思考が追いついていかない。

 放心したようにキンシコウが彼女の名前を呼んだ。


「ばぁっ!」


 元気にヒグマっぽい容姿のこどもが返事をする。

 表情だけはいつもとは違ってやたらと明るい。


「え……っと。あの、その……。だ、誰の子ですか?」


 普段は冷静沈着なキンシコウも、こればかりは混乱しすぎて情報をうまく処理できない。酔狂な質問と斜め上の結論に自縄自縛で囚われている。


「まんま! まんま!」


 そうこうしているうち、小さなヒグマがもうひとりのハンターに近づいていった。

 あっという間にキンシコウを組み伏せ、上半身にのしかかる。

 流れるような制圧術は一流のハンターの証だろう。

 もっとも、された方は青天の霹靂へきれきである。

 跳ね除けようにも的確に肩口を押さえつけられ、身じろぎひとつ打てない。


「ヒ、ヒヒヒヒヒ、ヒグマさん? ダ、ダダダダダ、ダメです。わたしたち、まだそういう関係じゃない……。え! い、いや……。そんなに激しく…………」

 

 荒々しいヒグマの動きにキンシコウが焦りの色を見せる。

 たまらずに顔をそむけると、視界の端に見回りから戻ってきたリカオンの姿が映った。

 物陰に体を隠し、顔の半分だけをこちらに向けている。彼女は見てはいけないものを見てしまい、それでも目が離せないという表情をしていた。


「リ、リカオン! 違うのです、これは! か、勘違いしないでください! いいから、早く助けて! こ、こらー! 見てないふりして、隠れようとしないで、早くこっちにきなさい……」


 キンシコウの受難は続く……。





                                おわり

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BE MY BABY! ーこどもフレンズー ゆきまる @yukimaru1789

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