みっつめの死体の登場

二〇一八年一月二十日(その1)

二〇一八年一月二十日


 土曜の昼間。ハルは人込みの中で人格交換を純粋に楽しんでいた。

 父親から託されたお小遣いで現実世界と人格交換を何度か行っており、米田と出会ったのもその中の一回だった。

 米田にしたように出会った誰かに自分の歌を教えたり、音楽のインスピレーションを得たりとしていたが、社長の三毛と開発者の嶋田が戸籍上死亡したことから、会社が傾き、そして安全性の調査という名目から人格交換は禁止されることとなった。

 本日が最後となる人格交換であり、以降は電脳空間から一切出ることはできなくなるかもしれないが、ハルは気にして居なかった。

 電脳空間は時の流れが一定でなく空間が定まらず、言葉が魔術のように力を持ち、人間の一生を狂わせるような情報と感情が飛び交う、永遠の発展途上領域。

 しかしながら、ただ故郷に帰るだけ。

 ハルにからすれば、常に上下が定まり、朝と昼が均等に訪れ、人が人の姿をしている物質世界は、ひとつのアミューズメント用のゲーム・スペースでしかない。

 彼女にとっての現実とは物質世界ではなく電脳空間のことを指すのだ 向こうでは歌も唄える上、父と呼ぶ嶋田も居る。不安は無かった。

 物質世界には知り合いも居ないでひとりで遊ぶだけ、そう思っていたが、人混みの中からハルは見覚えのある背中を見出し、走りよってしがみついた。

「お父さん!」

 その背中は、嶋田九朗と同じように面倒くさそうにハルを引き剥がしたが、それは嶋田九朗ではなかった。嶋田ではあったが――パチンコで大負けして腹立っていた嶋田秋由だった。

「なんだ、あんた」

「……? お父さんなのに、お父さんじゃない……?」

 似ていて当然、秋由は嶋田九朗の息子なのだから。

 そのことを理解できないハルはパニックに陥りつつあり、しどろもどろになっていた。

 ハルの精神年齢は子供とも大人とは云いが、借りている肉体は人格交換を生業とする二十代女性。秋由からすれば、見ず知らずの大人から意味不明なことを云われているとしか思えない。

「……カネならないぞ。今、全部スッたから」

「お金じゃなくて……お父さん、は?」

「いや、知らないって?」

「お父さんは……?」

 もう一度“知らない”と云ったら、確実に自分は“往来で女を泣かせる男”になることに秋由は気が付いた。

 しかし、慌てず騒がず、手に提げていたビニール袋から、パチンコに負けて釣銭代わりによこされた飴玉を取り出した。

 なぜか、秋由はそうするのが自然なような、前々から決めていたような、スムーズに体が動いていた。

「ほら、これやるから泣くな。お前、名前は? お父さんの名前、云えるか?」

「私はハル。お父さんの名前は……クロウ」

「……偶然って有るんだな。俺の親父と……生まれるはずだった妹と、同じ名前だな」

 大して驚いている様子でもなく、秋由は不思議と優しい気持ちになっていた。

「私、あなたの妹なの?」

「それなら、俺はお前の兄ちゃんだな」

 云ってから、何を云っているんだと秋由自身困惑し、強く云って泣かれたらそれはそれで迷惑だから誤魔化したんだと自分を納得させた。

 そこでちょうど、でっぷりとした体形で自転車をこいでひとりの男が現れた。

 片耳にハルの曲を流すイヤホンを差した自転車運転という交通ルール的に怪しいいでたちで現れてのは巡査の日下。なぜか自転車の前籠には猫のクロちゃんが大人しくちょこんと入っていたりする。

「どうかしました? 何かトラブルですか?」

警官の登場に安堵半分・面倒半分という秋由が言葉を選んでいる間、パチンコ屋から別の人物が飛び出してきた。陽子だ。

「おまわりさーん! このお店! 絶対裏で操作してる! 出ないわけないのに出ないの!」

《やめなよ陽子。厚顔無恥だよそれ》

「いいえ、不正操作よ! おまわりさーん!」

バカみたいな陽子の出現に、秋由も肩の力が抜けた。そもそも相手は子供っぽくてもどう見ても成人女性。自分が何かしているようには見えないだろう。

「そういえば、あんた、父さんはどこに居るかわかるか? ひとりで行けるか?」

「うん、時間になったら……帰ることになってる。大丈夫」

「そうか。なら、大丈夫だな」

 秋由は自分も飴玉をひとつ口に放り込み、その場を立ち去ろうとしたが、ハルは駆け寄って秋由の手を取った。

「これ、後で見て! お兄ちゃん! 私の歌! 聞いてね!」

 それだけ云って、ハルはその場を立ち去った。

「……ずいぶんと、まあ、手間の掛かったキャッチセールスだな」

 秋由とハルは、もちろん生まれる方法の異なる兄妹の出会いだと知ることもなかった。

 ただ、秋由がパチンコをしながら聴く音楽が、あるネットアイドルの曲になるだけの、なんでもない出会いだった。

 取り残されたのはパチンコ屋の不正だと騒ぎ立てる陽子と、猫を乗せた自転車巡査の日下だけ。

「ねえ、日下さん、私と一緒にちょっとパチンコ屋行ってよ! ここ、リモコンとかで遠隔操作してるのよ! 甘デジが遊パチくらいにしか出ないんですよ! おかしいでしょ!?」

 なぜか陽子が日下さん、という名前を出したとき、日下の目の動きはぎこちなかった。

「そういうのは……えーっと……中聖子さん、でしたよね」

「いやいや! 日下さん! そんな他人行儀にしてもダメですよ! いくら業務中だからって! “いつもみたいに”呼んで下さいよ!」

 “ヨーちゃん”それがこの界隈のパチンコ屋での陽子の通り名だったし、日下も正月に会ったときはそう呼んでいた。

 しかしながら、日下は固まった。休日はパチンコを打ちにばかり来ているような男がその愛称を忘れているようだった。

「……ところで、私、自分で云っててなんなんですけど……甘デジって、遊パチより球が出るモノですよね?」

「そうですね、私も打つときは甘デジを選んでますから」

 パチンコ好きなら当たり前にわかる言葉を日下は詰まりながらの回答し、スマートフォンの賢作がいつものように素早く訂正を叩き込む。

《あれ? 甘デジと遊パチって大体同じ意味だよね、設定が甘いから長く遊べる台》

「そうだった賢作? そういえば……そうよね?」

「……そうですよ、嫌だなぁ、陽子さん、僕もどう訂正したら良いか分からなくなっちゃって……」

「すみません、“三毛正二”さん。私もうっかりしてましたけど、教えてくださいよ!」

「それはすいませんでした!」

『あはははははははははははは!』

 ひとしきり笑い終わったところで、笑いが止み……否、日下巡査の口に嫌らしく不自然な笑顔が浮かんでいた。チェシャ猫のように三日月のように深い笑み……未知道カンパニー社長、三毛正二だ。三毛の人格がそこに居た。

「いやあ、驚きましたよ。中聖子さん、あなた日下さんとお知り合いだったのですね?」

「……パチ屋で会うくらいでしたけどね……」

「なるほど、それではどうやって私が三毛だと?」

「……逆に騙せると思ってた? あんたのその笑い方……喋り方……慇懃無礼って云うのよ?」

《あ、珍しい。陽子の口から四字熟語が出るなんて。盲亀浮木?》

「なるほどぉ……それは残念。私のオリジナルの身体も捨てて、こちらの身体と替えたんですが……失敗でしたね」

「替えたのは一月一一日ね。米田さんに最初に会ってから自殺したあなたが見つかるまでの間……その間にあんたは日下さんを襲った。そして……肉体を入れ替えて、あんたの身体で日下さんの人格を“自殺させた”!」

「ちょうどよく日下さんが拳銃と弾丸を余らせていましたので。奪い取って何発か撃ち込んだら睡眠薬を飲んでくださいまして。助かりました」

 米田はあの雪の日に日下(三毛)から日記を受け取ってからすぐに事実に到達していた。足にケガを負っている不自然さ、そしてそれを誤魔化すウソがサラサラと出てきたこと。

 その態度と三毛の死体が見つかったという段階で、米田が断定するのは無理も無かったが、証拠が無かった。

「なら、やっぱり……あんた(三毛)の身体で自殺した……いいえ、殺されたのが日下さんだったのね?」

「日下さんは本当に良い方でした。この事件の責任をずっと感じていても法に裁かれることもできず……自殺でもしそうなほどに追い詰められていらっしゃたので、私が裁かせて頂きました」

「……それで油断させて……ハルちゃんを浚おうとした、ってわけね?」

「ええ。現実世界でもさっきのように歩いているのは知っていましたし、秋由さんを見張って居ればチャンスもあるかと思いましたが……さすが兄妹! 運命的に再会するのですから、驚きです!」

「ハルちゃんが居ても、あんたの身体がそれじゃしょうがないでしょ!?」

「真面目にやっておいて良かったと思っていますよ。税金対策。大した額ではありませんが……新しい会社を建てるくらいなら足ります。ハルさんさえ一緒に来ていただければコピーして売り出せます。会社という入れ物よりもコンテンツですよ」

 前籠に入ってた猫のクロがナァーと鳴き、三毛はフサフサとその背中を撫でた。

「あんた……人をなんだと思ってんの……!?」

「云ったでしょう? コンテンツですよ。月並みな表現ですが社員は財産、ですから!」

 その発言に陽子が拳を振り上げたとき、日下も腕を動かす。その手には拳銃を握りしめ、笑顔のまま引き金を絞った!

 鳴り響く銃声、弾丸は陽子のコートに穴をあけ、地面にイビツなくぼみ。

「本当に何考えてんの!?」

「弾丸は、嶋田さんが補充してくれた分があるのでまだまだ撃てるな、そう思っています」

 続けざまに放たれる弾丸、喧々会話していた刑事と女がいきなり発砲事件に発展すれば、普通じゃなくてもパニックになる。

 しかしながら、陽子は慌てない。今三毛が持っているのは乱射できる弾数ではないが、後ろを向いて全弾を外してくれると楽観する数でもない。口で繋ぐ!

「ここでそんなことしたら……ハルちゃんに逃げられちゃうんじゃない!?」

「そうでしょうね! でしたら私も逃げるだけです! 今日まではまだ人格交換をやっている方はいらしゃいますからね! お気持ち旅行! 便利じゃありませんか! 外国にでも高跳びできるんですよ!」

《? 陽子? よく意味わかんない、再入力して》

 例によって賢作の間の抜けた発言に、逆に“間”が合った。時間稼ぎは無理だ。三毛が拳銃に意識を移すのを陽子は感じ取り、三毛の乗っていた自転車を蹴り倒した。

――クロちゃん、ごめんっ!――

 乗っていた猫に心の中で謝りつつ、陽子は自転車を蹴り倒した勢いで身体を回して三毛との間合いを詰め拳銃を持っている右腕に絡むようにしがみ付き、銃口を下に向ける。

 咄嗟ということも有るが、この体勢は自身の保身を考えるならば最良では決してない。しかし、周囲に人が多い状態では、誤射でも周りに撃たせるわけにはいかない。

「離して下さい! 人格交換をするために寝ないといけないんです、だから早くあなたを殺さなければいけないんです! やめてください!」

 そう云われて離す人間がいるわけがないが、云いながら三毛はその太い指でパチンコのハンドルを掴むようにガッシリと陽子の首を握って引き剥がしに入っている。指がめりこみ、筋が捩じられて気道を塞ぐような痛みが襲うが、陽子は銃を持っている手を離さない。三毛は腿上げの要領で膝を振り上げてみたりするが、それは陽子が銃を中心に丸まる体性のため、腹や胸などの急所までは届かない。

 数秒の揉み合い、三毛は後ろから片腕ではアザと内出血はできても絞め殺すことは難しいことに気が付き、陽子のショートヘアに指を絡め、ちぎるように引っ張ってみせ、驚くほど容易に、陽子は拳銃から手を放してしまった。

「……こんな体形でも、刑事さんの腕力って凄いんですねぇ。ありがとうございます日下さん」

 地面に放った陽子に向け拳銃が放たれるそのとき、ちょうど、陽子を引きはがそうとしていたときに緩んでいたイヤホンジャックが抜けた。音楽再生機のスーピーカーから、歌が漏れた。

【勇気を出して! 今、あなたは輝いてる!】

 ハルの楽曲だった。国木優がファンだったグループの曲をカバーした、ヒットソングだった。日下が好きで音楽再生機に入れていた曲だった。

「ああ、うん、ホントだ」

「え?」

「良い曲だな、この曲。ハルってのか」

 プロレスラーが現れたのかというまでの、美しく身体を横一文字に傾けたドロップ・キックが三毛の身体を跳ね飛ばしていた。嶋田秋由。

【夢は! 信じ続けていればいつか叶うよ! みんなも輝けるよ!】

「……ん、確かに。私も……賢を見つけるまで……死ねないんだったわ」

 ドロップキックの勢いで落とした拳銃を探す三毛の顔面に、振り子のような陽子のブーツが突き刺さった。

「っが、フゥーッッ」

「……どうして、助けてくれたんですか?」

 落ちていた拳銃を拾っておっかなびっくりで後退る秋由に、視線を向けないまま陽子が尋ねた。

「知るか! 身体が動いちゃったんだから仕方ないだろ!」

 気が付くと、秋由の背後には、例の人格交換をしてハルが人格交換している女の姿が有った。

「……妹さんや弟さんの前でカッコつけちゃうの、よくあると思うし、カッコいいと思いますよ、そういうの」

「……意味わかんねーよ」

「……すいませんが……秋由さん、拳銃を返して頂けませんか?」

 唐突に名前がバレていることに驚きながらも、秋由はまた一歩退った。

 拳銃を拾った手前、逃げ出すわけにもいけないが、かといって誤って発砲するような状況も嫌なのは、当然と云えるだろう。

「外国に人格交換を用意していますので……ただ、痛みが強くて眠れないのです。拳銃を返して頂けないなら、睡眠薬をお持ちでは有りませんか?」

《この近くの薬局は、この先の商店街を……》

 全自動検索機能を働かせる賢作を黙らせ、陽子は三毛を睨み付けた。

「……じっとしてて。米田さんのことだから信号無視してすぐ来てくれるから……三毛、動くんじゃない!」

「撃っていただけるならどうぞ。拳銃段のショックで血液に振動が起きればそのままブラックアウトすることもあるそうですから……」

 云いながら三毛はポケットから裸の弾丸を取り出し、タバコのように銜えた。

「……ちょ、待ちなさい!?」

「……はひょうらら(さようなら)♪」

 弾丸を口にくわえたまま、三毛は顔面から倒れ込み……その衝撃で、弾丸は三毛の口の中へと発射された。

 三毛の意識は消失した――永遠に。

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