二〇一八年一月一九日

二〇一八年一月一九日


 とあるファミレス、昼前でこれから込みだす時間帯、冬美はぼーと窓の外を眺めていた。

 須古冬美は釈放されてから、久しぶりに自分だけの時間を得ていた、というよりも、自分だけの時間しか持っていなかった。

 無実が証明されて釈放されてからというもの、冬美は人格交換のビジネスが停止して無職となった。

 父親が震災で行方不明、母親が意識不明である冬美にとって、大学に入学するには学力以外にも、人格交換で効率的に学費を稼げる前提だった。

 希望する大学への進学はできないと分かったが、冬美はそれ以上、なにをすることもできずにいた。無実は証明され、尚、冬美は途方にくれていた。

 保護という名目での拘留期間は勉強に集中することができていたが、外に出てみればやれることはいくらでも有る。

 どこへ走って行けば良いのか、冬美は道標を見失っていた。

「始めまして。須古冬美さん、ですよね?」

「そうです。あなたが……中聖子さん、ですか?」

 米田の仲介で待ち合わせをしていた相手との遭遇――思えば奇妙なことだった。

 事件解決後、初めて容疑者と探偵がその顔を合わせたのだから。

 しかも安楽椅子に座って推理するような知性派ではなく、町中を走り回るような情熱系の陽子。

 握手を求める陽子に応えて立ち上がった冬美、そしてそのまま熱いハグが待っていた。情熱系なのだ。

「ごめんなさい。遅くなって……大変だったよね」

「え……ハイ」

「……ずっと拘留されてて……お疲れ様。不安だったよね、ごめんなさい……」

 陽子は泣いていた。なぜ赤の他人である陽子が泣いているのか冬美には理解できなかったが、不思議と冬美の目からも涙が出てきた。

 込みだしたファミレスの喧騒は、涙が落ちる音を掻き消していた。


「今回の事件で、ある人があなたに迷惑を掛けてしまったとのことで、あなたに気持ちばかりのお金を渡したいと云っているんです。

 諸事情で依頼人の名前だけはお伝えできまないけど……」

 陽子が提示した金額は、例の一千万円から必要経費を取り除いた残額であり、大金だった。

「分かりました。頂きます」

 冬美の返事は、陽子にとって意外だった。

 冤罪で拘留された直後、怪しすぎる自分の発言を即答されるのは予想外。

 ここでの答えを保留するとか、念書を書かされるとか、最悪の場合、大声で逃げ出されるくらいのことは覚悟していた。

 意外そうにしていた陽子の感情を汲み、冬美は言葉を続けた。

「私にはお金が必要ですから。受け取る以外に選択肢は無いんです」

「……よろしければ、話を聞かせて貰っても良い? 何か力になれるかも」

「ただの学費です。苦学生でして」

「それでも、こんなに怪しいお金でなくとも、もっと方法は……あるんじゃない?」

 自分で持ってきておいて怪しいと云ってしまうのかお前は。と陽子の心の中で賢作がツッコミを入れた。

 実物は余計な茶々を入れないように電源を切っているからだが。

「奨学金だったら有りません。私の行きたい大学はひとつしかなくて、その大学はその制度が有りませんから。

 火星のある地域に行きたいんですが、そこは調査団体しか入れなくて……」

「もしかして……シドニア大震災? あの地域は今、立ち入り禁止だって聞いたけど?」

「ええ。水の発掘をする地下施設なので崩落や沈下の危険性が高くて、調査じゃないと入れないんです……そんな地下深く、閉じ込められたのが……父と母でした」

「……え?」

「酸欠が迫る中、ふたりがどのような行動を取ったのかを確かめたかったんです……父の死体、まだ見つかっていないので」

 話慣れている様子で、冬美は言葉を続けた。

「ビデオが途中まで残っていたんです。地下で酸素は一人分しかない、そして私がお腹に居た母を助けるために、父は自ら死のうとした。

 けど、自殺ができる工具は母が持っていて、その工具を渡してくれと父は母に頼むんです……やっぱり、母は躊躇っていました。もしかしたらそれ自体が凶器を受け取るための芝居なんじゃないかって。実は父が私と母を殺すつもりだったんじゃないかって。

 でも、本当に父が自ら死のうとしているとしたら、そのことを信じずに撃ち殺しても良いのか、そうやって悩んだところで……テープは切れました」

「お母さんには……その話、聞けなかったの?」

「母は私を出産後、植物状態になりました。極限状態が理由かはわかりませんが、脳卒中を起こしたそうです。

 ――ふたりは殺し合い、その末に母が生き残って自分は生まれることができたのか。それとも、父は自分と母を助けるために自殺し、その亡骸の横で救助が来るまでの二日間、母は酸素の消費を抑えるために泣くこともできずに耐えたのか……調べに行きたいんです」

「……それ、どっちかに決めつけなくても良いんじゃないんですか?」

「……え?」

 話慣れていた冬美が、そこで初めて揺れた。

「そこでテープが切れたっていうなら、なんでだと思う?」

「震災で……電線が切れたか、何か」

「そうだと思う。けど、そこまで無事だったカメラが急に切れるって、不思議じゃない? 余震か何かと重なったんじゃない?」

「それは……確かに。余震は有ったようですけど……」

「それで出入口が開いたり、空気の通り道が開いたり、もしかしたら事情が有ってお父さんだけ、脱出できたのかもしれない」

「でも、警察の人も……」

「警察は間違うのよ。今回のあなたのことでも分かるでしょう?」

 一度乾いた冬美の涙腺に、またも涙が込み上げていた。

「可能性はゼロじゃない。ゼロじゃなければ……見るまで、絶望しなくて良いんじゃないかな?」

 冬美は、やはりカネを受け取った。大学への入学を目指すべく勉強を再会した。

 ただし、それは両親が殺し合ったという絶望の種類を確認するためではない、希薄な望みを確かめるために火星に向かった。


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