二〇一八年一月一一日(その5)
二〇一八年一月一一日
「お待たせして申し訳有りません。担当の関です」
現れた男に陽子と米田の抱いた感想は“普通”だった。
中肉中背、在り来たりすぎて名前もないようなヘアスタイル、強いて特徴を挙げるなら誰にも嫌われなさそうな笑顔ぐらいという有り様だった。
画面も見ずに陽子は賢作をスリープに移行させる。
録音はするが、賢作は喋らないモードだ。その動きを誤魔化す意図もあるのかないのか、米田は最初から喧嘩腰だった。
「どうも待たされて。俺たちは社長を呼んだつもりだったんだが?」
「誠に申し訳ございませんでした。社長と連絡が取れず、私まで話が回って来たのが先ほどでして。貴重なお時間を割いて頂いて。お力になれることでしたら、なんなりと」
挑発するような米田の物言いにも、受け流すでも反撃するでもなく、まず謝るという普通の日本人すぎるリアクションに米田の硬直する間に、陽子は名刺を差し出していた。
「町内で私立探偵をしている中聖子です。今日はお騒がせしてすみません」
「探偵さんでしたか。その手錠も何かの調査ですか?」
「ちょっとした手違いでして。お気になさらないで下さい」
普通な会話の中、刑事は名刺を持たないで警察手帳を見せるものだと盲信している米田は取り残されていた。別に名刺を持ってはいけないルールがあるわけでもないのだが。
そして遅れながら米田の手にも関の名刺が渡され、胡散臭げに眉を潜めた。
「関(せき)輝石(きせき)、KOB宙運……だあ?」
変わった名前以上に米田の目を引いたのは社名。未知道コーポレーションではなかった。
「出向というヤツです。人格交換の研究には弊社も出資していて、その関係で」
変わらぬナイススマイルで対応する関に、米田は苛立ちをあらわにしてバンと机を叩く。
「警官が聴取に来てるのに部外者が対応すんのか、宇宙ヤクザは」
宇宙ヤクザという言葉に関は変わらぬ笑顔を湛え、陽子は眉をひそめた。
「宇宙……ヤクザ?」
「KOBは、火星からの物流をやってる企業だ。火星資本の企業でも一番の規模だが、裏では非合法な品物や客も運んでる。常識だ」
陽子も噂程度には聞いたことがあったが、ネットの無責任な書き込みや週刊紙のイニシャルトークの特ダネと大差ない信憑性だと認識していた。
しかしそこはそれ、暴走的なまでに正義感の塊のような米田の口から出れば、同じ言葉も意味が変わってくる。
「ええ、まあ、ですが、弊社は上場もしていますし、社員の九十九%は通常の業務しかしていませんよ」
「……つまり、あんたは一%の通常じゃない方、ってことで良いんだよな?」
「話が早くて助かります。それでは失礼して拳銃を取り出します、弾は入っていませんのでご安心ください」
唐突すぎる切り出しだが、マッチを借りるような気軽さで云われ、陽子も米田も反応が一拍遅れ、関が変わらぬ笑顔で拳銃を取り出すのを黙って見届けた。
大丈夫、と関はリボルバーを外して弾丸が入ってないことまで見せつける。
「去年のクリスマスの頃ですから、嶋田さんが撃たれる少し前ですね。嶋田さんから命の危機を感じると相談されたので、私がこれをお渡ししたのは」
「命の危機、そう嶋田が云ったのか!?」
「ええ。それで拳銃を用立てろ、と話されましたのでこれを」
「護衛とかは? 居なかったんですか? ヤクザさんなんですよね?」
「それは嶋田さんに断られました。集中して研究ができない、と」
「命を狙われていて、集中って……」
陽子は関の言葉に納得の行かない様子だが、米田はなんでもないといわんばかりに息を荒げた。
「嶋田は妊娠した嫁が大変だと息子が電話しても研究を優先してたくらいのヤツだ。頭のネジが抜けているんだよ! それより嶋田は誰から狙われていた? なにと拳銃で戦う気で居たんだ!?」
「さあ、そこまでは……私もただ拳銃を欲しいと云われただけなので、そこまで根掘り葉掘り聞くわけにも行かず渡しただけですから」
「……そりゃそうか。ただ拳銃を一丁渡すだけなら、大したことじゃないしな」
あんたら銃刀法知らないのか! 陽子はハリセンか何かでふたりを叩きたい衝動を本筋から逸らさないために理性で押さえ付ける。
「それを回収しに来たんですか?」
「一般業種の方には捨てにくいものですしね。別件で私も拳銃を無くしていましたし、リユースですね。エコですし、未使用ですし」
……ん? 未使用?
「ちょっと待て! それが嶋田を殺った凶器じゃないのか!?」
「まさか。一発も発射していませんよ、保証します」
「なぜ云いきれる?」
「硝煙が付いていないのにダミー指紋が付いたままだったからですよ」
淀みない回答になるほど、と納得する米田は、隣の陽子が解説を求めていることに逆に不思議そうな視線を向けたが、関が代わって説明を始めた。
「拳銃は発射すると火薬のクズを撒き散らし、必ず銃本体にも付着します。洗い流すこともできますが、それだと付けておいたダミーの指紋……撃ち殺した後に替わりに犯人になってくれる方の指紋も洗ってしまうことになりますが、それは残っていたので未使用、ということになります」
常識だぞ、と云わんばかりの米田に、そろそろ陽子も疲れが出ていた。こいつらの常識は世間の非常識である。
「米田さん、サーティエイトSPの弾丸、お持ちではありませんか? 嶋田さんが抜いてどこかにしまってしまったようで一発も無いんです」
「素人にはよくあるけどな、暴発怖くて実包入れないヤツ。俺もナンブだから持ってるけど……ラスイチだからダメだな」
ティッシュやのど飴のような気軽さで、人を殺す道具のやりとりをする警察官と宇宙極道に陽子はクラリとするものを感じたが、平静を保ち、質問を選ぶ。
「ところで関さん、私、人格交換やネットアイドルのハルについてお訊きしたいことがあるんですが、構いませんか?」
「ハルはともかく、人格交換については構いませんよ。厳密に云えば私は未知道の代表ではありませんが、プロジェクトには古くから参加していましたから」
「……なら、今の状態に困っているのはKOBも同じ、ということですよね?」
「ええ。事件の実態が明らかになるまで人格交換がビジネスに使いにくいですからね。投資した分は回収できていても企図していた程の黒字でもなく、弊社もヤクザですから、ひょっとしたら私が三つ目の死体になることも有りまして。恥ずかしながら」
笑えない話題を笑顔でする関に呑まれかけた陽子だが、聞き逃さなかった。“三つ目”?
「一つ目が国木さん、二つ目が嶋田さん、で三つ目、ってことはやっぱり関連があるんですよね?」
「少なくともKOBはそう判断していますね」
「敵じゃない、そう云いたいわけか。ヤクザ野郎」
「私はこの事件に“敵”と呼ぶ方は居ないと考えていますが、ね」
「ヤクザからすれば悪党はお仲間だもんな」
「すみません、米田さん、ちょっと黙っていて下さい」
声を荒げる米田を陽子が制し、少し考えてから口を開く。
「……なら、人格交換に関しては詳しい、ですよね? 少し専門的に説明をお願いできませんか?」
「そうですね……仕組みとしては集団無意識という量子リンク機能が脳にはあるらしく、その現象を応用して距離を無視して別の肉体と共感しあい、そこをホットラインにして人格を入れ換えているようですね」
『……?』
米田と陽子、顔を見合わせる。一気に云われた内容を互いに理解できていないらしい。
「人格そのものを入れ替えるもので、遠隔操作するものではない、ということですね。例えば刑事さんと探偵さんが人格交換を行い、探偵さんが刑事さんを殺害した場合、死亡するのは刑事さんだけ、ということです」
「……ちょっと待て。意味わからん」
「ハブの心のマングースがマングースの心のハブを殺したとき、ハブ心のマングースはそのまま生き続ける、って意味で良いんですよね?」
「ええ、そうです。身体を遠隔操作をしているわけではないので、本当に別の脳に移動している、ということです」
「それなら人格を入れ換えている最中に転送が止まったら? パソコン通信のフリーズみたいな。それだとデータが壊れたりすること、ありますよね?」
「人間の人格はコンピュータの電気信号とは根本的に異なっています。人格は塊です。片方にだけ精神がふたつになることは有りませんし、どちらかがカラになることも有りません。同時に両者の肉体間を移動するのですから。
もし文字列の集合であるコンピューター的情報を二次元とすると、人間の精神は複雑に絡み合った三次元のようなものです。もしコンピューターと人格交換をするとなると、デジタルと通信するならチューナーのようなものが必要ですね」
「……それって、チューナーが有れば人間もコンピューターに入れる、って意味ですか?
「さて……どうでしょうか、“ここにはありません”ね」
陽子は関の言葉の意味よりもまず意図を理解した。何かを伝えようと示唆しているが、そのことを明言できない事情が見え隠れしている。
「……なら、どこに有るんですか?」
「さあ? 私には分かりませんね」
「……つまり、肉体は死亡しても、人格だけは生きている可能性どころか、それが電脳ネット上に存在している可能性すら有る、と?」
陽子の提示した回答に、関はただ笑顔を返す。マルもバツも付けるつもりはないらしい。
「オイ、待てよ。それじゃあ……そもそも死んだのが嶋田なのかが怪しくなるだろ。死亡した人格の方が須古で、今もまだ須古の肉体に入っているのが国木か嶋田の可能性もあるんじゃないか?」
米田の指摘に、ひとつ、と関が指を立てた。
「今、須古さんの肉体に入っている人格は須古さん自身だと思いますよ? そのまま須古さんのIDですから」
その指摘に米田は“ID”のことを思い出したようだった。そもそも、須古が犯人ではないのではないかと最初に指摘された根拠、それが須古が人格交換をしていたというIDだったのだから。
「そのIDってのは他人のと代えたりできないのか?」
「IDは脳内に点在するアセンブラー機能を有する集団無意識の量子リンクを計測するナノマシン、だそうです。人格が交換されると自らを瞬時に変質させて人格に合わせたIDへの書き換えを行います」
「分かる日本語で喋れ」
「人格交換をすると、それにしたがってIDも交換されますので、偽証は難しいでしょうね」
「嶋田がやったなら出来るだろ。製作者なんだから」
「制作者とは云っても、ひとりですべて作っているわけではありませんからね、不可能だと私が保証しますよ」
「なら、今、国木のIDはどうなってるか、調べられるか?」
「ええ、できますが……少々お待ちを」
拳銃をしまったポケットから、関は今度はタブレット端末を取り出して調べ出す。
それと同時に米田は上着を脱いで肘から厚手のサポーターを外し、机に置いた。
「中聖子、警察署まで戻る時間が惜しい。手錠外すぞ」
「……え゛」
無論、陽子も外すことに異論はないのだが、テーブルに置いたサポーター、そしてなぜか米田がナンブ拳銃を取り出しているのだから、笑えない。
「ここに鍵穴を置け」
「……机に穴、開きませんか?」
それが陽子の最後の抵抗だった。
「大丈夫だ。この肘サポーター、防弾素材だから。跳弾もしない」
本来はそんな問題ではないが、この部屋の中に居る三人中陽子以外のふたりにはそういう問題だった。
鍵を使わず手錠を外す手品は、陽子の手首数センチの所にある鍵穴へ弾丸が叩き込まれることで完了した。
「……ん、中聖子、拳銃を向けられて撃たれるの、始めてか?」
「……恥ずかしながら」
「へえ、一色辺りがやってるかと思ったが、付き合ってたんだろ?」
「あはは、米田さんは付き合った女の人に銃向けたこと有るんですか?」
大事な人である一色賢まで巻き込んだ言い回しに陽子がキレそうになっているが、米田は全く気付いていない。
「最初の彼女が連続殺人犯でな。銃撃戦したからな」
「すみませんね? 私は連続殺人どころか、ひとりも殺したこと無くてっ!」
「いや、大概のヤツはそうだから、気にするな……やべえな、ナンブの弾、使いきっちまった。また始末書書いて貰わなきゃな」
「……え?」
「警察って面倒でな、一発撃つだけで報告しなくちゃいけなくてよ、俺はシグかナンブが無くなるとまとめて始末書に弾丸紛失って書いて貰ってんだ」
始末書を弾丸注文用紙と勘違いしているんじゃなかろうか、この男は。
米田は今回のように本来の用途外で弾丸を使い、しかも報告していない。通常は使途不明の弾丸が一発でもあると査問されてもおかしくないのだが。
「始末書って、いつクビになってもおかしくないって意味ですよね、大変ですねっ」
「ならねーよ」
「え?」
「クビになるわけにはいかねぇよ、一色のヤツを見付け出すまでは、な。あいつと一緒に潰さなきゃいけない悪いヤツが……多すぎるからな」
不思議と陽子の憤りは収まっていた。
全く反りも気性も合わない陽子と米田だが、お互いにお互いの知らない一色賢を慕い、それは絆と呼べるような気がした。
そこに来て、関の調べ物が完了したようだった。
「おや。国木さんのID、久しぶりに今日使われていますね、先程です」
「どんな肉体を使ってた? モニタ見て良いよな?」
「それは困ります。国木さんの方は捜査協力ですが、肉体を貸しているユーザーの個人情報は私が勝手にはできません」
「なら当ててみせよう。その身体はこの町に住んでいる少しバカっぽい若い女、だろ?」
「……画面、見えました?」
それは先ほど米田にハルの新曲がネットに公開されたことを伝えた女だった。
九分九厘自信の有った解答が米田の中で十全の事実に固まり、鼻息を荒くした。
「ハル=国木優はネット上に人格を移して生きてやがる! そして須子の肉体で嶋田を殺し、新曲まで発表! そのことを俺に伝えて来やがった!」
「え、どうして?」
「動機は全く解らんが、これ以外にパズルのピースが納まらない! だが殺人を犯した国木優が野放しになっている以上、ここでこうしているわけにはいかん! 行くぞ! 中聖子!」
「どこへ?」
「現場百回! 国木優の家だ! 必ずヤツがどこに行ったかのヒントがあるはずだからな!」
「なら、私は嶋田さんと仲の良い人から証言を集めます!」
そうか!と一言残すが早いか、米田は飛び出して行った。残された陽子に、関は変わらぬ笑顔で尋ねた。
「申し訳ありませんが、中聖子さん? 刑事の米田さんが居ないなら、嶋田さんのお知り合いはご紹介できませんよ?」
「ええ、大丈夫です。心当たりが有りますから」
それは、先ほどの関の一言だった。
“久しぶりに”国木のIDが使われた、と。
ならば、昨日、緑のフードを羽織って一千万を一色探偵事務所に届けたのは誰だったのか?
米田にメモを渡した国木優のIDを持つ女、緑のフードで一千万円を届けた人物、ネットアイドルハル。
影たちは何者なのか? それぞれが別の人物の影なのか、それとも同じ人物の異なる光源から生じた影なのか。
陽子は名前の通り、その影を照らすことは適うのか。
「それでは関さん、お騒がせしました。色々とすみませんでした」
「いえ、構いませんよ。その防弾サポーターも処分しておきますから」
関に云われて思い出せば、先ほど手錠を壊すために外した防弾サポーターを米田は置いていったのだ。
基本的に防弾用品は着弾したら防弾性能が低下するため、使い捨てである。
「重ね重ね、すみません」
本当に米田とは友人にはなれそうにはない、そう思いながら部屋を出てドアを閉める瞬間だった。
「賢さんが早く見付かることもお祈りしていますよ」
「それはどうも……えっ!?」
ドアを閉めてから数秒間、陽子は硬直した。
自分も米田も、関に会ってから一色賢の下の名前は口にしていないはずだからだ。
「関さんっ! 今!」
閉めたばかりのドアを押し開けたが、そこには既に関も、防弾サポーターも無かった。
「――ッッ! 賢作! 起きて!」
《おはよう陽子、って時間じゃないね》
「この部屋の状態を記録して! 映像、音、温度、全部!」
陽子が興奮したまま二時間近く部屋中を探し回ったが、分かったのは関が既にこの部屋に居ないということだけだった。
釈然とせず、自己嫌悪すらしながら陽子はやっと走り出した。
一色賢ならここで二時間も関を探したりしない。
せいぜいグルりと見回して終わりだろう。
その時間は困っている誰かの事件を一刻も早く解決するために使っていたはずだ。
陽子は苛立っていた。探偵としての調査を中断して関を探してしまった自己嫌悪。
緑マントの男は不自然な依頼人だったとはいえ、この事件解決を切望して一千万円という大金を出した。
その依頼人のための貴重な時間を割いて暴走してしまった、いや、終わったことをこんなことを考えている場合じゃない、だが集中しなければと意識を切り替えようとすればするほど集中は散っていた。
もし、こんな情けない自分を、当の一色賢が見れば呆れられるんじゃないかと思うと、陽子の中には羞恥心すら沸いていた。
《で、陽子、どこに向かってるの? 無知蒙昧?》
「パチンコ屋」
《……は?》
「だから、パチンコ屋」
《何しに行くの?》
「パチンコ」
賢作にアップロードされいてる普段使われていない地図アプリは、陽子の足が行きつけのパチンコ屋に向いていることを確認した。
この状況でパチンコ屋に行くことは、賢作の人工無脳の検索機能は素早く適切な語彙を探し出していた。
《憂さ晴らしにパチンコとか、支離滅裂じゃない?》
「……このままじゃ、仕事にならないもの。必要なの」
ひょうひょうと言い切る陽子に、これまでの会話パターンから、賢作はこれ以上の説得はメモリの無駄遣いであることをデータとして収集を終えていた。
会話よりも周囲の情報収集へと演算対象を切り替え、マイクやカメラで集めたデータの中に、賢作は“彼”を見つけ出していた。
《あれ? 陽子、今の角に居たの、探してた子じゃない?》
「……え……っ!?」
探していた人物の自動通知は、陽子が自分で賢作に加えた機能だった。
先ほど未知道カンパニーで姿を消した関輝石? それとも、もしかして、本万が一、この賢作を預けて自分の前から消えた男・一色賢?
そんな期待を胸に振り返り、賢作のモニターを見比べると、陽子はまたも、自分が一色賢に依存してしまっていることを思い知らされた。
「……あの子って、あの仔のこと?」
《もちろん。三毛社長のところのタマサブローだよね。一目瞭然》
陽子の目に入ってきたのは、この仕事に取り掛かる直前まで探していた猫のタマサブローだった。
状況的に、探していた相手を見付けたと云い出せば、関輝石や一色賢を連想するのは当たり前と云えるが、人工無脳である賢作はそんな気遣いはできない。
そして、そのことを分かっていたはずなのに、それでも一色賢に会えるのではと期待した自分の弱さを噛みしめ、一月の風に当てられながらパチンコ屋まで走って行った。
ニャー、と一声鳴いたタマサブローの宝石のような目玉と、首輪についた飾りは、ギラリと怪しく光った。
流れるパチンコ玉は滝のような音を立てているが、パチンコの電子音はそれを掻き消す。
それぞれがアニメーションや実写でショッキングな演出で盛り上げているが、互いに相乗しあって耳には雑音としてしか届くことはない。
賢作の集音機能も意味を無くし、ここではほぼほぼ通話や情報収集もほとんどできず、ただのスマートフォンに成り下がる。
陽子はそこまで分かっているが、というより、わかっているからこそ、パチンコ屋にはよく足を運んだ。
何百人も集まりながらほとんど干渉せず、ひとりひとりがただゲームをしている。顔を隠しているわけでもないのに声を押し流す騒音は不思議と陽子の苦悩を覆い隠してくれた。
時折機械に取り付けられた表示を確認しながら、狙い目の台を探して店内を徘徊していた。
そんな中、陽子の視線は、立ち上がった男に向いた。脱色した頭髪に揃えた眉毛、いかにも今どきの若者といった風体。平日の昼過ぎにパチンコ屋に出入りしていている辺り、まさにイマドキとも云えるかもしれない。
人々がパチンコ台の情報を読み取って出玉の多い台を探す。そんな中、陽子も探し出した。
「ねえ、お兄さん! その台! 私が座っても良いかな」
「あ? 良いけどよ、出ねえぜ。無意味だろ」
「じゃあちょっと見てて。ドル箱いっぱいにしてみせるから、さ」
ウインクしながらの陽子の言葉は即座に検証された。
陽子の入れた千円札は素早く銀色の玉に変わり、高速で盤面を駆け抜けていく。
続いて投入した五千円札も千円札と大差ない速度で盤面へと走り去り、一万円札に至っては瞬く間に回収穴に消えていき、都合十分後。
ドル箱どころか、上皿にも下皿にも、既に一玉も残っていなかった。
「インチキぃーッッ! 絶対操作とかしてるんだぁあああ! 出ないわけないのにぃいいいいい!」
「姉ちゃん! やめとけ! それ絶対勝てないヤツの発言だから! もうやめろ!」
僅か五分で一万六千円を溶かした陽子は、元々その台に座っていた男に回収されるように、パチンコ屋に併設されていた食堂に引きずられていった。
「落ち着いたか?」
「いえいえ……いや……あれは絶対出る台だったんだけど……変だわ」
「パチンコは負けるようになってるんだよ」
「でも、私は勝てるはずなんですけど……秋由(あきよし)さんも、勝てると思ってるから来てるんでしょ?」
それはそうだけど――そう云いかけて男は気が付いた。自分は一度も名乗ってなど居ないのに名前を呼ばれたということを。
「嶋田秋由さんですよね。ごめんなさい。私、こういう者なんです」
取り出した一色探偵事務所と明記された陽子の名刺に、嶋田秋由は気を悪くした様子もなく、ただ次の言葉を待った。
「私、この前の嶋田九朗さん……秋由さんのお父さんの事件を調べています。その件でお話を伺いたいんです」
「……親父が死んだの去年の十二月だろ? 今頃俺に話を聞きに来る、ってずいぶん後発だな? 誰の依頼よ?」
嶋田秋由は、父親の死をずいぶんと気安く口にした。
本人の話す通り、死亡したのは先月だからだと陽子は解釈しようとしたが、時間は思いの外、感情というものには無力な場合が多い。
少なくとも、陽子本人の実感としては一色賢に関してのことは時間は無力なのだから。
「依頼人についてはお話しできないのですが……どうしても、お話を伺いたいんです」
「さっきの演技に騙されちまったからな。負けたって気持ちだしな。良いぜ。なんでも聞きな?」
「……素性を黙っていたのは、本当に申し訳ありませんでした」
「いや、それじゃなくて。さっきのパチンコの負け方。本当に自信があるんだと思って見てたから。」
「あれは勝てたはずなんです。勝ってその必勝法で誘うつもりでしたから」
沈痛そうな面持ちで秋由は目を閉じた。むしろ騙してくれていた方が良かった、と。本当にただ弱いギャンブラーだったのかと。
「……で、何が聞きたいんだっけ?」
「ひとつだけ。お父様の十年前に、何が有ったか、教えてくださいませんか?」
「……十年前、って、なんで、また?」
「未知道カンパニーはかなり前からお父様にオファーを掛けていたようですが、その年、急に大学を辞職されてます……その理由を伺いたいんです」
「事件に関係ないんじゃないか。今まで記者や警察官、誰も気にしなかったぞ」
「多分、私にはこの事件の全容が見えていません。ですが、きっと、他の人には見えていないものが有ります」
食堂の中が静かになったような気がした。パチンコ休憩の人が減り、再び喧騒の中へと向かったのだろう。時計を見れば三時を過ぎている。
秋由もさして葛藤もないどころか、ずっと押し込んでいたことのような、言葉は素早く飛び出した。
「十年前、俺の妹が死んだ……というより、生きてもいなかった。親父のせいでな」
「詳しく、お聞かせ願えますか?」
「生まれていたのか、死んでいたのか、俺には……確かめられなかった」
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