二〇一八年一月一一日(その4)
二〇一八年一月一一日
未知道カンパニー受付の女子社員は、会社員の基本である笑顔を崩して出した驚きを隠しきれなかったが、そこを責めては彼女が可哀想だろう。
先ほど出て行ったばかりの警察官が不機嫌そうに再度来社し、しかも手錠を付けた若い女を連れてきたのだから。
それでもなんとか取り直したぎこちない笑顔で女子社員はどこかに電話をかけていた。
「……社長室に掛けてくれてるんですよね?」
「は、はい! ですが出なくて……在社のはずなのですが……」
「慌てなくていいが急いでくれよ」
先ほど会ったはずの三毛正二が、中々出てこないことに苛立つ米田を陽子はまあまあ、となだめるが、効果は認められない。
お待ちいただく間、と通された部屋は先ほどの社長室と違って椅子が多く、ポットや本棚などが置かれているミーティング用の大部屋。
米田は陽子に茶を淹れるように目配せしたが、陽子の手が手錠で自由が利かないことを思い出し、諦めたようだった。
ただ時間だけが通り過ぎるその空間で、元気なのは賢作だけだった。
《ねえ、痛定思痛、って言葉知ってる?》
「不撓不屈なんだよ。やっちまったもんはしょうがないだろ」
先ほど聞く耳を持たずに手錠をかけたことを悪びれる様子もなく、賢作の軽口を受け流した。
手錠をしたままでも陽子自身は気にもしない、といった様子で賢作の入っているスマートフォンを操作している。
「待ち時間の間、私が思ったことを云ってもいいですか? 読ませて頂いた資料で得た結果、ですけど」
「ああ、頼む……例によって、俺のは独り言だから。安心しろ」
《おまわりさーん、来てくださーい! この不良刑事をまず逮捕してくださーい!》
「うるさいぞ犬鍋三日前、じゃあ頼む」
ゴホン、と陽子は咳払いひとつ。
「まず、私たちが解決する事件は三つ。国木さんのバラバラ死体事件、嶋田さんの銃殺事件、私の事務所に届いた一千万円の依頼料事件、ですよね?」
「俺としては最後のは解決しなくても良いんだけどな。他の二つを解決すれば、依頼成立ってことで中聖子が貰えばいいだろ」
《はぐれ刑事 汚職系》
「うるせぇよ、遠吠えスヌーズ機能。はい、中聖子、続けろ」
とにかく二つの殺人事件を解決しなくちゃ、と置いて、陽子は言葉を続けた。
「まず、国木さんの方。発生は二〇一七年一二月二一日、ですよね?」
確認と口に出すことでマイク越しに賢作をメモ代わりにすることが目的だと米田にもわかっているが、特に止めるそぶりもない。
「訂正があるなら、それは発見だな。同じマンションの主婦が死体を見付けた時間。犯行時刻は不明だ」
《そういうの、死亡推定時刻とか分かるんじゃないの?》
「死体がまともな状態ならな。切り分けられた豚バラブロックが死後何日とか分かるなら賞味期限偽造なんて起こらないだろ?」
「大体、とかは?」
「あまり腐敗してなかったから大昔じゃなく一月以内だろうって話だな。ただ温度やなんやらで大違いだし、三日前か三週間前かも分からん、ってのが現状だな」
《アリバイとかそういうのは意味がないってことだね》
「ああ。カメラには米田と嶋田にしか見えない人影が国木優の部屋に侵入しているが、それが生きている頃だって云われても、否定できない」
《でも、他に誰も入ってないなら確定でしょ?》
「あのマンション、カメラに死角が有ってな。俺なら……というか、それなりに勉強した人間なら死角を通って侵入できる。状況証拠で物的証拠じゃない」
米田はおもむろに立ち上がり、給湯器から紙コップにティーバックの緑茶をふたつ作る。
「被害者は国木さん、っていうのは? 米田さんはどう思ってるんですか?」
「……? ああ、替え玉ってことか? 首は持ち去られていたが、死んだのは国木で間違いないと思うぜ。国木はアイドル志望で写真は有ったし、普段はサングラスとかしていたらしいが、周辺住民に確認は取った」
《住んでたのは国木さんでも、死体がそうとは限らないじゃん、首無いでしょ》
「限るよ。部屋の中に落ちていた髪の毛は何種類か有ったが、一番多かったDNAが死体と一致した」
《犯人の工作じゃないの? 片づけたあと、頭部から引き抜いた髪の毛とか巻いたとか》
「それはない。国木の前に住んでいた住人のDNAも絨毯の隙間とかから出たしな。隠滅すれば、どうやっても隠滅した痕跡は残る」
そこで米田はお茶を一口。
「つまり、そこに住んでいたのは国木だし、死体も国木に間違いない、ってのが俺と……そして警察署の判断……だった」
《そこで第二の事件、嶋田さんが撃ち殺される事件が起きた、と》
沈痛な面持ちで米田は懐に手を伸ばして煙草を取り出したところで、この部屋に灰皿がなく、壁の終日禁煙の文字に苛立ち、緑茶を一気飲みした。
「そうだ。事件は二〇一七年一二月二七日の七時一八分。こっちは間違いない。監視カメラの映像にはしっかりと須古冬美が嶋田九郎を撃ち殺す映像が入っていたし……須古が人格交換をしていたという証言さえなければ、事件は行方不明の拳銃を探すだけだったんだ
「……先にそっちやりましょうか、拳銃の行方はどうなったんですか?」
「見付かってない、というか、拳銃がなんなのかもわかってない」
《? 拳銃は拳銃でしょ?》
「監視カメラの映像がそこまで高感度じゃなく、しかも弾丸は頭ぶち抜いた後に研究所の地面に当たってマッシュルーミングが酷すぎて……つまり、変形しててな。ライフリングの特定もできてない」
拳銃には通常、弾丸を回転させて安定した弾道で射出するために溝が付いている。
ライフリングマークといえば、その溝と発射の際の摩擦で弾丸そのものに残る傷であり、これで拳銃を特定することができる。
だがしかし、同じ拳銃ならば溝も同じようなものではあるし、特徴的な溝がない限り、大きく変形した弾丸から拳銃を特定することは不可能である。
「弾丸も拳銃も、たぶん警察でもヤクザでも使ってるようなありがちな奴だな……手に入れようと思えば、俺なら七万円で手に入れられる」
そう云って、米田は懐から形の違う二丁の拳銃を取り出してみせた。ニューナンブとシグザウエル。新旧の警察の制式採用銃だった。
「……あれ、警察の方って銃を二個持てるんでしたっけ?」
「いや、ニューナンブからシグザウエルに切り替わるときに、ちょろっとね。正義のためだ」
事件解決より先にこいつを逮捕した方が良いんじゃないか、さすがの陽子もそんな考えがよぎったのは云うまでもない。
「拳銃を手に入れるのは簡単、ってことですか」
「……まあ、一般人には無理だろうが……拳銃から特定するのは難しい、ってことだな」
《じゃあ、犯人に聞けば良いじゃん、そういう話でしょ?》
賢作の質問に、米田は不思議そうにした。賢作がすでに知っているはずのことを質問したからだ。
しかしながら、賢作はあくまでも人工無脳。学習しているわけではなく、会話の流れからウェブ上に溢れる情報を集めて自らの意見として発信するだけ。
複数の要素が絡み合う会話となると、すでに知っているはずのことを話すことがある。米田はそのことに気づかないようだった。
「? だから、銃を撃ったのが須古冬美は人格交換をしてたんだよ。国木優のIDと」
《え? 銃殺は去年の一二月二七って云ったよね、で国木のバラバラ死体が発見されたのが一二月二一日だったよね?》
「そうだ」
《おかしいじゃないか! 既に死体が発見された国木って人が、冬美ちゃんっていう子と人格交換して人を殺したことになる!》
「だから悩んでんだろうが!」
《拳銃の所在よりもそっちの方が重大問題じゃないか!》
「そうだって! だから俺がわざわざ人格交換の大本の未知道カンパニーまで来てるんだろうが!」
《警察は人格交換をどう思ってるんの!?》
「だから! 警察も新しい技術すぎて専門家が居ないんだよ!」
《一番の専門家に聞いてみた?》
「だあああああ! だーかーら! 拳銃で殺された嶋田九郎って研究員が一番詳しかったんだよ!」
「ふたりとも、声、小さく」
賢作は所有者の陽子の意見に音量を絞り、米田は二杯目のまだ熱い緑茶を一気に飲み干した。
完全に陽子のために淹れてきたということを忘れているのか、それとも最初から自分でふたつ飲むつもりだったのかは本人すらわかっていないが。
《不可能犯罪、ってこと?》
「それも分からない。法律上、人格交換が刑事事件になったケースは無くはないが、それもせいぜい人格交換中のセックストラブル程度で、ここまでのは初のケースなんだよ、警察が対応する中で被疑者が被疑者の人格だったかどうかなんてのは」
《多重人格とかは? あれは無罪って聞いたことあるけど》
「それを決めるのは裁判所。俺たち警察はそこに提出するための正義と事実を調べるのが仕事。だからここの社長に問い正しに来たんだが……待たされてるな」
「……そういえば、さっきも来たみたいな言い回しでしたよね、さっきはどんな話だったんですか?」
「ん? ああ、例のネットの歌姫……ハルって云ったか? あれが未知道んとこの広告塔だったんだろ、って聞きに来てそれは認めさせたんだが……なんか隠してんだよな、あの親父。中聖子は知ってるか? ハル」
「知らないわけないですよ。テレビとかでも見ますし、お店とかではよく掛かってますし。あの緑色のフード姿も話題に……」
そこで陽子は言葉を詰まらせた。
緑色のフード? そういえば、自分は昨日、ハルと関係なさそうな所で緑色のフードを見ている。
「……そういえば、お金を置いてった人……ハルと同じフード、着てました」
「!? 見たのかっ?」
「直接じゃないですけど、仲良くさせて頂いてるコンビニの店長さんが居て、監視カメラを見せて貰ったんです。お金を持ってきてた人が……そっくりなフードでした」
「……コスプレグッズってことで手に入れやすいもんでもあるし、偶然ってことも有りうるが……臭ぇな」
《なんか、どれかの犯人を見つければ芋蔓で解けそうだよね。一挙両得》
賢作の言葉に、米田はむずがゆさを覚えた。
手掛かりがあれば説けるはずのクイズ、その手掛かりがないこそばゆい触感。
だが、陽子は“何か”を感じ取っていた。答えのない仮定、空論ではあるが見えている範囲の全てが収まる解。
「……まさか、ね」
米田がその様子に気付いて聞こうとしたとき、会議室のノックが聞こえた。
待ち人、来たる。
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