二〇一八年一月一一日(その3)

 サイレンを鳴らさないパトカーは、ただ和やかな平和のシンボルでしかない。

 手錠をされてスマホの操作もままならない中聖子を置いておいて、賢作が言葉をつむぐ。

《お札には番号や傷があるんだ。大同小異だけど、全然違う》

 ネットに画像を公開する人間は無数に存在し、その中に現金の映像を公開する者もある。

 紙幣というものは恐らく最も持ち主を換えることの多い物質であり、それが一千枚も有れば一千人の持ち主が居たのだろう。その中に現金を画像として公開している物が居ても珍しいとは思わない。

 なぜこの紙幣を入手するにいたったか、その経緯の資料になるというわけだ。、

「いやー、大変でしたよ。一千枚でしょ? スキャナーに敷いて読み込んで、敷いて読み込んでを繰り返して……」

「まあ、印刷しないなら良いけどな……」

「私、そんなにお金に困ってると思われてます?」

「返答に困る質問だな」

《そのリアクションが返答なんだよねぇ》

「……とにかく、話はわかった。お前はカネの出所と依頼人を突き止めたい、俺は……その依頼人と同じく、被疑者の無実を証明したい」

「逮捕したの米田さんなんでしょ? どんな子なの?」

「……なあ、云って置きたいんだが、俺は一言も冬美ちゃんが被疑者だ、なんて云ってないからな。お前が勝手に名前を出して、否定していないだけだから」

「分かってます、米田さんは一言も捜査情報を私に教えていないですから……あ、ごめんなさい、私ですか?」

 陽子は、米田の苛立ちの理由のひとつを彼の喫煙癖にあると見ていた。女子供の前では吸わない、それが彼のルールである。

 さっき一本捕球してから、またニコチンを補給していない空白期間から米田のハンドルの返しからギアチェンジまで、ストレスが滲んでいた。

「こんなときしか休煙せんからな、気にするな」

《それより、良いから陽子の手錠を外してあげてよ、慷慨憤激》

「手錠の鍵なんて持ってるわけないだろう? 鍵紛失したら厳罰だぞ。失くしたらめっちゃ怒られるんだぞ」

《誤認逮捕の方が怒られるんじゃないの?》

「誤認逮捕くらい誰だってあるだろ。月四くらいで」

「まあ、警察署全体ならそれくらい有るよね」

「ん? 一人でだろ。俺もこれで今月三回めだし」

 今月はまだ一一日だったとタイトルにも冒頭にも明記されているが、このままだと四回平均を越えるペースであると中聖子は思ったが、気にしないことにした。

 米田のスケールに合わせていたら話が先に進まない。そのことは彼自身もわかっているらしく、目配せでダッシュボードを示しつつ。

「事件を整理しよう。そこに資料が入ってる」

《ん? 部外秘じゃないの?》

「……それはね、賢作。私が機密資料を盗み見て、それに米田さんが気付かない、ってことだよ」

 米田にとって、“大人”とは正義を最大の価値基準にする。その中では被疑者を救うために信頼する知人に見せるのは罪ではない。

「まあ、これも俺の独り言だ。運転に夢中で横にお前が居ることも忘れてるって設定だ」

《都合の良い独り言だねェ》

「最初は去年の一二月。国木優っていうアイドル志望のアラサー女がバラバラ死体で発見された。これくらいは月一くらいの事件だな」

「……日本、広いからね」

「日本全体なら毎日起こるくらいなんだがな。まあ迷宮入りってのは意外と珍しい。バラバラ死体って奴は普通は大概検挙はできるが、今回のは手がかりがほとんど残っていなかったが、この前、動きがあった」

《嶋田九朗が須古冬美に殺害された事件、ね》

「ただしそのとき、記録の上では国木優の人格が須古冬美の肉体を使って殺害したことになっている。考えられるのは大雑把に二通り。

 一・国木優が生きていて犯行を行った。 二・国木優のIDで別人が犯行を行った、だな」

「一は有り得ないんじゃないんですか? だって死体が見つかってるんでしょ?歯形とかは?」

 探偵女の言葉に不思議そうに米田は少し考え、左折のウィンカーを出しながら気がついた。

「ああ、一般には伏せられてたな。国木優のバラバラ死体は頭部が丸ごと持ち去られていたんだ。だから歯形の検証はできていない」

「DNA鑑定とかは? したんでしょ?」

「もちろんした。だが例えば部屋中のDNAサンプルが全て摩り替えているとか、死んだのが国木優のクローン人間だった、とかだと証明しようが無い」

《どういう冗談? それ》

「冗談じゃ済まない部分もある。人格交換技術ってのは俺たち警察にとってもクローン人間以上に対応しにくいネタなんだ。

 須古冬美が犯行当時に人格交換をしていたとする未知道カンパニー連中の証言も、俺たち警察はウラが取れない。なにせ人格交換技術を検討できる第三者機関が存在しない。未知道カンパニーの自己申告でしかない、動きにくいな。報道も全くできんし、な」

 日本の司法制度では、“前例”によって比較検討される。

 しかしながら前例が無いだけでなく、被疑者がクロあるという証拠とシロであるという証拠。シンギュラリティのもたらす社会的な矛盾に米田だけでなく警察全体が後手に回っていた。

《なら、冬美って子が犯人なんじゃない? 未知道カンパニーがウソを吐いてるんだ》

「それだと今度は“なぜそんなウソを吐くか”だ。 殺された嶋田九朗は人格交換開発者だし、消して困るのは未知道カンパニーの方だろ」

《それならクローン人間って方もそうなんじゃないかなぁ。クローン人間なんてひとり作るのにいくら掛かるの? そこまでやって国木さんの死を偽装する必要、ある?》

「まあ、ただの例えだからな。クローンじゃなくてもタイムマシンとか、どこででもドアでも良い。それくらい手が付けにくい技術だってことだ。人格交換は」

 携帯電話の中、人工無脳・賢作は、相手の意見に対して皮肉めいた切り替えしを多く行う傾向がある。

 それが会話するものの思考をまとめ、思考の道標にもなる。

《タイムマシンっていえば、バックトウザフューチャー観た? 特に二作目が名作だよね》

「バカか。あれを観てないでタイムマシンなんて言葉を使うかよ。百回は観たわ」

《捲土重来。ならこんな映画も有るんだけど……》

 検索結果をモニタに出現させる。賢作は道標としては優秀だが、別の方向へ誘導して道に迷わせることもある。

 人工無脳の賢作は決して“個”にはなりえない。ネットに無数に存在する“群”を読み取り、相手の言葉を促す。

 陽子も脱線に気が付くが、米田も息抜きになっていると感じ、特に指摘はせず、黙々と警察の資料資料に目を通し、その中で資料外にあるメモ紙に気が付いた。先ほど喫煙所で米田が女から手渡されたメモ紙だ。

「あれ? 意外……って云っちゃなんだけど、意外です」

「? 何がだ? 中聖子?」

「米田さん、ハル聞くんですね。失礼ですけどもっと演歌とか聴いているイメージでした」

「女性ボーカルは中島みゆきしか聞かないって……」

 横目に陽子の持つメモを見て、ハンドルを持つ手が止まった。

「米田さんっ、ちょ、信号!」

「舌噛むぞ」

 赤信号が見えていないのか、十字路へと突撃する米田は思いっきりアクセルを踏み込みながら米田はリズミカルにUターンし、来た道へと戻る。

 鳴らされる多数のクラクションを自分の運転技術への拍手と勘違いしているんじゃないか、陽子はそう感じた。

「ねえ!? 米田さんって警察の人でしたよね!?」

「ああ、だから捕まらない。便利だよな」

《職権乱用っていうか、こんな奴に税金使って良いのかなァ……》

「そうだな。仕事中だからな。賢作、今すぐ調べろ。“ハル・新曲”だ」

 メモに記されていたのは“ハル 新曲 一月十一日発表!”。 そんなはずはないと米田は腹の底から込み上げる痒みに似た焦燥を切るようにサイレンを鳴らす。

《はいはーい、出てきたよ、出前迅速。ミーチューブとボコボコ動画で三時間くらい前に更新してるね》

「……警察署に行っている余裕は無くなったな。未知道コーポレーションへ行く! 三毛の野郎に吐かせる!」

「どういうことですか?」

「なら競争だ! このまま未知道コーポレーションに着くのが先か、中聖子が資料を読んで状況を察するのが先か、な!」 

 陽子は眼球を躍らせるように資料を読み込み、戦慄いた。

 ハルというネットアイドルとして活動していたのは国木優だった。

 そう呼ばれていた国木優は、一二月二一日、首なしのバラバラ死体で発見されているというのに。


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