二〇一八年一月一一日(その2)

 二〇一八年一月一一日


 三毛はMC未知道コーポレーションに居た。

 社長室にて不機嫌そうに時計を眺めるその姿は、先日の猫の出産を楽しみにする男とは全く別人だった。

 ここ、MC未知道コーポレーションは三毛正二の会社であり城である。社長という役職は城主であり、主である以上、責任を取ることを求められる。

 責任の重さは、タバコを不機嫌そうに燻らせる。平日の昼間、普段なら文字通りの重役出勤をしていたが、今日は客が来る。

 待ち合わせに遅れること五分、ノックも悪びれもせずに入って来たのは刑事・米田新太。

「失礼。急に入ってしまいました。お忙しい中ありがとう」

 米田から三毛へ社交辞令だとテレパシーのように慇懃無礼が伝わったが、三毛はタバコを消し、紫煙越しに笑顔を作り出す。

「いえいえ、社長というのはヒマにしているのが仕事の様なものですから」

「そうですか。私は忙しいので手短く行きましょう。この会社は何を隠しているんですか?」

「……えー……弊社は世界で初めてお気持ち旅行を導入した企業です。お気持ち旅行は面倒も無くと……」

 お気持ち旅行。人格交換技術をMC未知道コーポレーションが広げている大衆向けの呼称。

 テレビでのコマーシャルは連日流れ、【行きたいと思った気持ちが大事! 誰でもいつでもどこへでも!】と、どこかで見たようなタレントがそんなキャッチフレーズを呟くたび、米田は眉をひそめていた。

 同僚の若手警官たちからは新しいものに対して意固地になっていると云われるし、一般に浸透してきている人格交換だが、米田はいまだに懐疑的だった。

 道程を楽しみ、荷造りをするのが旅行ではないか。それが本当の旅行ではないか、と。

 ただしそもそも休みを取ろうとせずに旅行は実現せず、それこそ自分の様な人間にこそお気持ち旅行のニーズが有りそうなだということに、米田は気が付いていない。

「行きたいと思ったとき、思った気持ちを現地のガイドで、見た目が旅行者に見えないという方には専用のバッジを……」

「ああ、申し訳ない、そちらではありません。国木優さんの事件の方です」

「……ああ、ニュースでやっていた事件ですね? バラバラ殺人の」

「会ったことあるでしょ?」

「……どうして、そういう話になったのか、お聞かせ願えますか?」

「国木優は、自宅のパソコンを使ってネットで“ハル”という名前で活動していて、収入源を追っていくと、未知道から出ていた……社長のあなたが知らないというのは、ウソでしょう?」

 一瞬の逡巡。

 どう答えるべきか三毛が悩み、米田はその機微を見逃さず、見逃されなかったことを見逃さなかった三毛。やれやれ、とばかりに口を開いた。

「……ええ、国木さんは我が社のキャンペーンを担って下さっていました」

「どういったキャンペーンで?」

 当然調べてあるが、あんたの口から吐かせたいんだ。そんな台詞めいた文句だった。

「ネット上での広報活動ですよ。うちの人格交換のイメージキャンペーンです。電子音声の曲を動画サイトへ投稿し、その中で日本全国のファンと人格交換で旅行がしたい、と云う」

「ハル、というユーザーですよね。一般のメディアにも取り上げられたことがある」

「……そうです。表向きには我が社には無関係のユーザーが人格交換を使っている、という設定でした」

「イメージ戦略ですか。どの程度の利益が?」

「表立っては調査していないので具体的な数字は出せていませんが、ハルの新曲に合わせて人格交換のイメージ調査の結果が良化比例していたのは事実、ですね」

「なるほど。あなたは国木優さんが死亡したことで損をした、ということですね。それは良いことを聞いた。疑者がひとり減って助かりました」

「いえ、こちらとしても調査に協力出来て良かったですよ」

 露骨にお前を疑っていると伝えたが、三毛は笑っていた。その笑顔を背中越しに敵意だと解釈しつつ、米田は社長室を後にした。

 米田の刑事の勘は、三毛から殺人者の臭いを感じ取っていたが、その臭いの元が分からない。

 国木優の殺人事件に絡んでいるのか? 女子高生銃殺事件の方か? それとも別件で黒いことをやっているのか?

 米田は懐から一枚の写真を取り出した。それは国木優が殺されたマンションのエレベーターに設置された監視カメラの一映像。

 日付は二〇一七年一二月八日、死体発見の二週間前だ。

 そこには解像度こそ粗いものの、殺された嶋田九朗と三毛正二が映り、ふたりの内、生き残っている三毛が犯人とするのは自然な発想だった。

 ただし、死体はバラバラで正確な死亡推定時刻は割り出せなかったし、そもそもマンションのカメラというのは知識さえ有れば死角が多くて映らなくても侵入できる。

 しかも、このふたりは国木優の部屋に向かうときは別の時間に来ていたのに、帰るときだけ一緒。

 何かある、間違いなく何かあるが、強硬策も取れず、効果が実感できない絡め手しかやることがない――面倒な腹芸を強いられることに疲れ、一服しようとポケットをまさぐる。

 すぐに車に飛んで捜査を続けたかった米田だが警察の公用車署で来ていた。禁煙の車内に戻る前に、喫煙スペースで一服する。ヘビースモーカーの習慣だった。

「あぁー! あたしの好きなのあるー!」

 米田は、喫煙所に隣接された自販機に来た女子学生を見てジッポーの着火を止めた。

 米田は待ってみるが、いつまで経っても女は「こっちが良いか」「あっちが良いか」などと云っていた。

 ほんの数十秒だが、米田からすれば苦痛な時間以外の何物でもなく、文句を付けることにした。

「なあ、急いでくれやしないか。そこに君が居たんじゃ吸えない」

「えー、喫煙所なんだから気にしないで吸って良いんじゃないの?」

「風向き考えてくれないか。俺が吸うとそっちに煙が行く」

「だから、良いじゃん。別に」

「俺が気持ちよく吸えないって言ってるんだがな」

「? 何? あたしの体、心配してるの?」

 妙に浮世離れした女の子だな、と米田は感心すらしていたが、女子どもを相手に怒鳴り散らすのはもっと気分が悪い。

「……もう良いよ、俺が動くから……ゆっくり選んでて下さいませ、お嬢様……」

「じゃあ、これ、お詫び!」

 少女は素早く貼り付けるように四つ折りのメモ紙を米田に手渡す。

「……なんだ、こりゃ?」

「あ、今は開かないで! あとで!」

 変な奴、と思いながらも米田はその場を離れ、車中でタバコに火を点ける。あとで署の人間に云われる小言への煩わしさよりも脳がニコチンを欲していた。

 同僚たちに小言を云われる煩わしさを誤魔化すために携帯の着信履歴をチェックする中、そこで中聖子陽子の名前があることに気が付いた。

「中聖子、から?」

 米田は旧知の連絡に、驚いていた。

 今までの緊張がモニタの中に溶ける様な感覚が有り、やる気をタバコのように着火して彼女の元へと車を走らせる。

 中聖子と米田は年齢・性別・思考も異なるが、接点として共通の友人、一色賢の存在があった。

 一色という男は、常に何かと戦っている男に見えた。

 米田は彼が何かを守るために戦っているのか、戦うために戦っているのか。わからなかったが、警察官である自分すら守られていたとうことだけはわかっていた。

 多くの人が一色という男を信頼していたが、彼はある日、姿を消した。誰にも行き先を告げず。

 その後、中聖子という女は一色探偵事務所で一色を待つことにすると米田に伝えた。

 いつになるのか、そもそも戻るのか、何一つわからないまま待つという彼女の姿勢に、米田は敬意と感銘を持った。

「……あいつも、強いよな」

 米田は強い友人を訪ねる。

 全ては真実を見つけ出し、この事件の本当の被害者と加害者を見つけ出すために。

 一色探偵事務所、見慣れた看板を見上げ、階段を登りながら何から話せばいいかを考えた。

 ともに一色という男の友人ではあるが、お互いには対して会話したこともない。探偵とはいえ独り身の女のところを訪ねるのは何かと緊張はする。

「米田さん、いらっしゃい。待ってましたよ」

 そんな考えはどこ吹く風、迎え入れるような優しい声に導かれるように、そのしなやかな指先へと視線が向くと米田は懐から手錠を取り出した。

 事務所にある複合印刷機に一万円札をビッシリと敷く彼女を見て。

「……? えと……って、違う違う! やめてよ、米田さん! 違うから! 無言で近づくのやめて! 手錠を嵌める位置を見極めないで! 違うから!」

 迷える警察官は、このときばかりは迷わずに犯罪者予備軍のような探偵に手錠を掛けた。


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