砂上の楼閣

御剣ひかる

砂上の楼閣

「結婚しよう、希美のぞみ

「え、でもわたしには……」

「判ってる。でも大丈夫だ。俺の事業もやっと軌道に乗ってきた。おまえの家の借金だって返してやれる」

「でもそれじゃあまりにも、あなたに頼りすぎ――」

「頼ってくれよ。大切なおまえに頼られて嬉しくないはずがないだろう」

「……ありがとう」

「結婚、してくれるよな」

「うん」


    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆


 すべては計画通りだ。

 同い年で幼馴染の希美に学生時代からずっと片思いしていたのだが、結婚することになった。いや、結婚する運びに持って行ったというべきか。

 籍は入れていないし式もまだなのだが、彼女に選択の余地はない。

 なぜなら、彼女の家の莫大な借金を俺が肩代わりしてやるからだ。

 その借金も、実は彼女を手に入れるために裏で俺が仕組んだものだ。もちろん彼女はそんなことを知りもしないで俺に感謝している。

 昔から俺の計画には狂いはない。もたもたやってる親父から会社の経営権を奪い取った時もそうだ。まわりはみんなトロすぎる。そんなことではこの不況の中、すぐに立ちゆかなくなってしまう。

 社内の老害どもを追いだし、まさに俺の理想とする精鋭たちだけが残った会社は、これからもゆるぎない業績をうちたてることだろう。

 仕事仕事で恋愛なんかに見向きもできなかったが、余裕が生まれると途端に「リア充」なんて呼ばれてる連中とも張り合いたくなってくるのだから不思議なもんだ。もう三十路に入って三年ばかり経とうかという歳で、周りが「そろそろ結婚を」とうるさくなってきたのもある。

 どうせ結婚しなけりゃならないなら、以前から片思いの希美がいい。一から知りあうよりある程度相手のことを知っている方が御しやすいし。これからだって俺は仕事で忙しいから家庭でごちゃごちゃ言わせる気はない。それにはこちらがアドバンテージを取るのが一番だ。元々大人しい性格だし借金の件もあって希美は俺に逆らえやしないだろう。彼女が俺のことを好きかどうかは今一つ判らないが、悪くは思ってないだろうし、それでいい。

 今日は互いの友人数名ずつを招いて婚約報告会だ。披露宴や二次会で役立ってもらわなきゃならない連中だから、こいつらの給料じゃ二の足を踏むだろう料亭にご招待してやった。

 質素だが品のいい家具や掛け軸や置物がしつらえられた和室で対面する。

 案の定、希美の友人は周りを見て「すごいね」とか囁きあっている。せいぜい堪能するといい。

 対し、俺の友人は堂々としている。特に俺の秘書も兼ねている紙谷は落ち着いたもんだ。さすが一流企業の社長秘書だ。

 俺の嫁になる希美はというと、どこか落ち着かない様子だ。俺と目が合うと、なんだか申し訳なさそうな顔で口元に中途半端な笑みを浮かべる。

 そうだ。そうしていろ。夫婦平等なんてくそくらえ、俺の方が立場が上だ。それを判っていればいい。分をわきまえていればずっと贅沢させてやるし、結婚後だってある程度自由にさせてやるから。

「それでは、これより浜村竜司さん、村辺希美さん婚約報告会を始めさせていただきます。私は進行役の、新郎側友人代表、紙谷と申します」

 皆がそろい、落ち着くと紙谷が口を開く。

「ではまず、新郎になられます浜村君から挨拶を」

 紙谷が言う。

 おいおいそんなのは予定にないぞ。まぁいい。ここはそつなくこなしておくか。

「このたびは私達のためにお集まりいただき、ありがとうございます。私と希美は幼馴染で、私は学生の頃からずっと希美だけを見てきました」

 俺は、いかに希美を大事に思ってきたか、これからは自分が彼女を幸せにしていくという喜びを胸に精進していきたい、という旨の挨拶を述べた。

 友人らから口々に「おめでとう」と声が上がる。うん、なかなかいい気分だ。

 次は友人らの自己紹介だ。俺の友人はハキハキと自分をアピールできているのに希美の友人はというと名を名乗るだけだ。せめて自己紹介なんだからどこに勤めているとか趣味はなんだとか、それぐらいのことは言ったらどうなんだ。どうせろくな生活をしていないから口にするのも恥ずかしいのかもしれないがな。

 レベルの違いが歴然とし過ぎていて、愛想笑いも疲れてくるぞ。

「ここにいらっしゃる皆さまには披露宴や二次会のお手伝いをご依頼することとなる予定ですが、その話は後ほどということで、まずはこの料亭ご自慢の懐石料理をお楽しみください」

 紙谷がそう締めくくった。

 ここの懐石はうまいぞ。特に煮物が絶品だ。しっかり味わうといい。

 食事をしながらの歓談は和やかな雰囲気だ。うまい料理で皆、気分が上向いたのだろう。俺らの晴れの日にはしっかりと働いてもらうことになるから、せいぜい仲良くなっておいてくれ。

 ……ん? 希美はどうしたんだ?

 元々大人しいし、口数も少ない彼女がいつもにもまして縮こまっている。

「希美? 大丈夫か? 気分でも悪いのか?」

「あ、いえ……。ごめんなさい」

「謝ることなんてなにもないんだよ。気になることがあるならすぐに言うんだよ」

 できるだけ優しく笑いかけると、希美はこくりとうなずいた。

 その儚げな姿にどきりとする。やっぱり希美は綺麗だ。俺の目に狂いはなかった。

 宴もたけなわ、そろそろ吸い物が運ばれようかという時になって、紙谷がすっと立ち上がる。

 何をする気だ? といぶかる俺に一瞥をくれた後、紙谷が希美を手招きする。

 なんだ、希美からも挨拶させようということか。

「ここで、村辺さんから一言、浜村君に伝えたいことがあるそうです」

 伝えたいこと?

 俺は、運ばれてきた牡蠣の吸い物の椀に手を伸ばすのをやめ、希美を見上げた。

 皆も注目する中、希美はもじもじと体を揺らした後、俺を見、紙谷を見て、何かを決意するかのように軽くうなずいた。

 なんでそこで紙谷を見る? 紙谷も何をうなずいている?

 そう思った矢先。

「浜村くん、ごめんなさい。この結婚の話は、なかったことにしてください」

 震える声で言うと、希美は深々と頭を下げる。

 ……は?

 なんだこれは? あぁ、判ったぞ、嘘をついて俺を驚かせてうろたえるのを見て喜ぼうという余興だな。

「何を言っているんだ希美。悪い冗談だな」

 俺も立ち上がって希美のそばに寄る。くだらないが少しは乗ってやらないと場が白けるというものだ。

「冗談じゃないの。わたし、他に結婚したい人がいるの。ずっと付き合ってて、でも借金のことがあって、でもそれが、解決するって言うの」

 希美はしどろもどろに、でも意志は固いというように言葉のひとつひとつに力をこめて、言った。

「借金の問題が解決するから、元から付き合ってる男と結婚したい、って言うのか」

 俺が彼女の言葉を繰り返すと、希美はさらに申し訳なさそうな顔で何度もうなずいた。

 嘘だ。希美の実家に何千万も返すあてなどないはずだ。

「嘘だ、って顔ですね」

 突然、話に割って入ったのは、紙谷だ。

「どういうことだ。どうしておまえが話に入る」

「私が希美と結婚するからです」

 なん、だって?

 あまりのことに俺が絶句すると、周りでひそひそやってた連中も押し黙る。

 一気に緊張が高まる室内で、紙谷が続けた。

「俺は、ずっとおまえに忠告してたよな。そんなやり方じゃいずれ人が離れる、って、それでもおまえは我を貫き通した。それでも仕事のことだけならまだ我慢できたが、俺が希美と付き合ってることに気づきもしないで、俺の話すら聞こうともしないで、希美の家にわざと借金させるように仕向けて彼女を手に入れたと自慢げに語ってるのを聞いて、こいつには絶対に希美を渡さないって決めた」

 普段、感情を見せない紙谷が、言葉を崩し語気を強め、怒りをあらわにして俺を睨んでいる。

「おまえ……。俺を裏切るのか」

「希美を悲しませる男に協力するつもりはない」

 ……なんだと? 偉そうに正義感振りかざしやがって。

「なら好きにしろ。おまえはクビだ。だが借金はきちんと返してもらうからな。それと、希美は婚約破棄の慰謝料もな。俺と婚約しながら紙谷と付き合ってたなんて不道徳にもほどがある」

 かっとなって怒鳴ると、希美は首を左右に振った。

「ち、違うの……」

「何が違うんだ」

「婚約が正式に決まってから、紙谷くんとはお別れしたの」

「俺が昨夜、希美を訪ねて何もかもを打ち明けるまでは、俺たちは会ってない」

 二人で口裏あわせやがって、何をしらじらしい。

「そんなごまかしが通ると思うのか?」

「見苦しいぞ浜村。なんならおまえが希美の家族をハメた証拠をあげて訴えてもいいんだぞ。ご丁寧にどうやって陥れたのか、資料付きでプレゼンしてくれたもんな。おまえもこれぐらい出来るようになれよ、って。口もはさませてもらえずに俺がどんな気持ちでそれを聞いたか、おまえに判るか?」

 うっ。

「クビで結構。借金は返す。俺が個人的に始めた事業が軌道に乗ってきたからな。それで文句はないな。その代わり、彼女には金輪際近づくな。変なうわさなんかを吹聴したら本当に訴えるからな」

「……判った。それでいい」

 こんなことで訴えられては社のイメージダウンだ。これは了承するしかない。

「ということですので、村辺さんのお友達の皆さま、いつになるかはまだ判りませんが、私達の結婚式の際には、お手伝いをよろしくお願いいたします」

 紙谷が、憎たらしいぐらいに爽やかに笑って希美の友人に頭を下げる。

「おめでとう!」

「よかったね希美!」

 会食の初めに口にされた祝いの言葉よりも、感情のこもった言祝ぎが部屋の片方から飛んでくる。

 もう一方からは、俺に失望したと、友人だった男達のあざけりや罵りが聞こえてきた。

 何てことだ。こんな屈辱はうまれて初めてだ。憎たらしい。今すぐ紙谷をぶん殴ってやりたい。

 だがいい。仕事さえうまく行っていれば結婚相手なんて自分で探さなくてもお節介焼きが適当に見つくろってくれる。

 素人がにわかに始めた事業なんてすぐに駄目になるさ。その時に泣きついて来ても助けてやらないからな。


    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆


「あれから一年か」

「うん。あの時はありがとう」

「どういたしまして。そういやこの前、浜村の会社が民事再生法の申請をしたってニュースでやってたな」

「そう……。浜村くん、立ち直ってくれるといいね」

「希美は優しいな」

「紙谷くんだって優しいよ。わたしのこと助けてくれたじゃない」

「そうか? それより苗字で呼ぶのはやめろよ。もう明日式を挙げるんだから」

「そうね、……あなた」


(了)

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