第5話 呪われた王さま[後編]

「………城内を頭のおかしい男が走り回っているという報告があった。お前だったのか」

「人違いだ」


 全く失礼な目撃情報だ。どっからのタレ込みだと弓月ゆづきが憤慨していると、シリウスは無言で「闇精霊シェイド」と呟いた。たちまち黒い影が手のひらに集まり、ざわざわうごめく。弓月は特に悪気無く「すげぇ気持ち悪いね」と思ったまま口にした。


「これらが教えた。城内を叫びながら暴れる男がいると」

「へぇ」

「やはりお前か」

「……………」

「あの、」


 突っ立っていた一人、金髪きらめく碧眼の青年がようやく口を挟んでくれる。それに乗じてうやむやにしようと「はいはい」と手を挙げた。


「その………君が、兄上の『片割れ』かい? 召喚であらわれたっていう」

「らしいですね。王さまが全然説明もしてくれないからまだ何もわかんないけど」

「な………っ、兄上、あなたは本当に……」

「お、落ち着いてくださいませ、アルタイル様」


 かっと目を剥く青年に、儚げな少女が慌てて取りすがる。アルタイルと呼ばれた彼は「ああ、すまない」と彼女に呟き、息をついた。少しだけ落ち着いた様子を見せたアルタイルはしっかりと弓月に向き直り微笑みかける。


「私はアルタイル・サジタリウス。シリウス国王の弟なんだ。よろしく。彼女はベガ。私の妃なんだ」

「はじめまして」


 少し恥ずかしそうに、ベガがはにかんでお辞儀をする。彼ら二人からは敵意なんて丸っきり見えず、弓月も毒気を抜かれてしまった。


「アルタイル王子とベガ姫ですか。お似合いですね」


 夏の空を飾る風物詩と伝説を思い浮かべ、素直な気持ちでそう口にする。ありがとうと嬉しそうに笑った彼は、表情を一転させ真剣な顔で弓月の両手を握り込んだ。


「君が宣託通り………この国を兄上と共に救ってくれると信じているよ」

「おおー……善処します」

「その、君の髪や目のことで色々言われることがあるだろう。だが負けてはいけない。私たちのことも遠慮なく頼ってくれ。なぁベガ」

「えっ……え、ええ、そうですわ。わたくしも王弟妃として頑張りますもの」


 この国に来て初めて優しく激励されますます面食らう。この黒で邪見にされ嘆くどころか、利用して存分に兵士さん達追いかけ回してたとは言えず、適当な愛想笑いで誤摩化すことにした。いや本当お騒がせしました。これからはほどほどに現状嘆いときます。


「ではこれで失礼します。兄上、彼にしっかり説明を。この国の命運を握る、私たちにとっても、兄上にとっても大事な方ですよ」

「どうせ神殿の宣託なんてアテにならんだろう」

「このまま彼を放置するつもりですか。彼を殺したのはあなたなのに」


 そーだ言ってやれ言ってやれ、内心で存分に援護射撃を送っておく。だが、アルタイルが一歩踏み出した瞬間、シリウスを纏う影がぶわりと膨らんだ。


「…………今回は随分口出しをするな、お前」


 シリウスが低く唸った途端体感温度が十度は下がった。

 部屋中に何かが溢れて渦巻き、息をするのも躊躇われる。ベガが怯えてアルタイルの袖をきゅっと掴み、アルタイルは妻を背に庇いつつも、厳しい顔で兄王を見つめていた。


「…………頼みましたよ」


 そう言いおいて、アルタイルはベガの肩を抱きやっと執務室を後にした。引き結ばれた唇と意志の強そうな瞳は正義感の強さを思わせ、きらめく髪が光を弾いて少し眩しい。扉が閉まる音が響き、やっと弓月は肩の力を抜いた。


「………似てない兄弟だな」

「よく言われる」

「しかも相当仲悪いっぽいじゃん。なんで?」

「お前には関係ない」

「王位継承者だった王さまが呪われる前までは仲良しこよしやってたのにね」


 ただでさえ降下気味の温度がついに氷点下に突入する。構わず弓月は続けた。


「人を寄せ付けなくなった兄、か。まあ気持ちはわかるけど、それって国王としてはどうなのーってアルタイル王子は言いたいだ」


 け、まではさすがに続かなかった。ナイフのように尖った影が、弓月の喉元ぎりぎりに突き立てられていたからだ。


「…………なぜ知っている?」

「なんでだろーな。見てたからじゃないか」

「どこから」


 弓月はそれ以上説明しなかった。シリウスも数秒後には影をゆっくり霧散させる。ここで二度目の無駄死にを迎えさせるほど彼が愚かでないことは、弓月は重々承知していた。


(なんせ七年来の付き合いだ)


 でも別に言う必要はないだろう。これも、手紙と同じく「なんとなく」で、特に深い意味は無かったが。

 部屋中の不快な影が全てシリウスに戻ったところで、弓月はずばりこの部屋に突撃訪問した本題を切り出した。


「王さま。俺の質問に答えてくれるか」

「答えられる範囲ならば構わない」

「まず一つ。俺はなんで連れてこられた。偶然迷い込んだとかじゃ無いだろ」


 大前提の質問だ。全ての疑問はここを起点にしている。シリウスは迷う素振りも無く「国の救済」と言い放った。


「この世界でお前に課せられた使命はただ一つ。この国の救済」

「拒否権は?」

「好きにすれば良い」


 どうとでもとれる答えだ。だが、シリウスが弓月に何の期待を持っていなくともこの城の人間はどうだかわからない。昨日の殺人がたった一回・・・・・で済んだのは奇跡だったかもしれないのだ。でなくば、完全に異邦人の自分はどうなっていたことやら。

 弓月は慎重に疑問を重ねる。


「………二つ目は、俺が救世主として迎えられた割には随分扱いが適当なんだけど、どういう了見?」

「城のものはお前を恐れているからだろう」

「黒髪が?」

「黒眼もだ」

「《呪い》の証なんだっけか」

「………よく知っているな」


 まあなと適当に相槌を打つ。これで疑念が確信に変わった。

 ああ、面倒なステータスを背負ってしまった。己の価値も聞き出しておきたかったが、この時点で大分お察しである。


「それじゃ最後に一つ。《呪い》ってなんだ」


 淀みなく答えていたシリウスの口がぴたりと止まった。それでも辛抱強く待っていると、やがてゆっくりと言葉が紡がれる。ためた割には相変わらず―――いや、今まで以上に平坦な声だった。


「この国にはいくつもの《呪い》がある」

「悪い力ってことか?」

「強すぎる力ということだ」

「ってことは、使いどころによっちゃ悪くはないってことかよ」

「あまりに強大な力は嫌悪の対象になる。それが理だ」


 弓月としては、正直あまり要領を得ない回答だと感じた。そもそも呪いだの魔術だのに今まで馴染みが無かったのだ。いきなりそんな渦中に放り込まれても身動きが取れないに決まっている。


「お前は《眠りの呪い》だろう」

「え、何でわかった」

「人差し指の呪紋は《眠りの呪い》だからだ」

「へ、へえ………王さまも呪われてるんだよな?」

「当然だ。この大陸において、黒髪黒眼は間違いなく呪いを身に受けた者」


 たとえ、金髪でも銀髪でも赤髪でも、呪いを受ければ黒に染まる。例外は、無い。


「私は《時の呪い》だ」


 そう立ち上がったシリウスは、おもむろに服を脱ぎだす。何枚も着込んだ複雑そうな衣類を簡単そうに脱ぎ捨てていった。じっと眺めていた弓月は、シリウスの上半身が露わになったところでさすがに息を呑む。


「………すげぇな、それ」


 そんな安易な感想しか出てこない。

 王の体をびっしり覆う呪紋は、弓月のちゃちなものとは比べ物にならないほど禍々しく、痛々しかった。


「一つ、この大陸に伝わる迷信を教えようか」



 昔々、とある村に可哀想な少女がいた。母を亡くし、父まで喪った彼女は、綺麗な服を取り上げられて汚い使用人のお仕着せを着せられた。毎日義母と義姉にいじめられ、家事をさせられ、彼女は泣いて暮らした。

 舞踏会の夜、やはり留守番させられた彼女が家で泣いていると、優しい魔女があらわれ彼女に美しいドレスとガラスの靴を差し出した。

 舞踏会にあらわれた彼女に、王子は一目で恋に落ちた。

 十二の鐘が鳴り、ガラスの靴を残して消えた彼女を王子は賢明に探した。ようやくガラスの靴がぴったりな少女に巡り会い、二人はやっと結ばれた。


 だが、報いを受け小鳥たちに目を潰された義母と義姉は王妃となった彼女を恨み、憎み、呪った。



「その呪いがこれだ」


 冷静に己の体を指し示すシリウスに、弓月は深い深いため息をつく。どうやら王の呪紋は足首より下を除き、体全てに刻み込まれているらしい。


「別に呪紋の大きさで力の有無は決まりはしない。どんな呪いか見極める指標となるのだ」

「はーなるほどね………」


 で、シリウスが《時の呪い》。弓月は《眠りの呪い》。そうやってリストアップされ文献に記録があるということは、この《呪い》たちはかなり前から何代も息づいていたに違いない。


「勘がいいな。その通り。私は当代の《時の呪い》保持者となる」

「次代に放り投げたい場合は……?」

「無い。呪われた者が死んだ翌日か、数百年後か、また呪いはあらわれる。………まったくの偶然にな」


 そこだけ忌々しそうに呟くシリウスにこれ以上の言及は止めることにした。弓月は、この世界についてはまったくの無知と言えるが、シリウスに関することはこの数年間見てきただけあって多少は知ることもある。


「文献と宣託によれば、お前の呪いはかなり特殊だ。言うなれば不死身、だな」

「不死身ぃ?」

「五回まで生き返ることが可能だ。ああ、もう一回死んだからあと四回だが」

「だから他人事にすんなよ」

「蘇生方法は、《呪い》保持者からの口づけのみ」

「は? え、うそ」


 ただでさえ扱いにくい能力な上になんだその制約。罰ゲーム重ね掛けか。


(あー………だから王さまは死体にキスしてたんか)


 蘇生してくれてありがとう? でも殺したの王さまじゃん。複雑な心境だ。


「……それにしても、呪いで脅して走り回るのは悪趣味だ」

「一番手っ取り早かったんだよ」

「これ以上うとまれるとは考えられなかったのか?」

「考えたし実感したけど」


 そしてもちろん「うとまれ」ないのが一番いいのは理解しているけれど。


「俺はこの髪と目でものすごく遠巻きにされてるだろ?」

「そうだな」

「んーなんかうまく言えないな。別に嫌われたいわけじゃないけど、それが多分正しいんだけど………」


 むぐむぐと口を動かして答えを探す。シリウスはじっと弓月の答えを待っていて、それが居心地の悪さを倍増させた。


「……好かれるために頑張る努力は、今は別のところで当てたい」

「…………なんだそれは」

「……………なんだろうな」


 言葉にして思った。これは多分正解じゃない。でもこれ以上うまく言い表せなくて、弓月は乱雑に結論を投げた。


「とりあえず、今は好感度らへんは優先度低いの! そういうことだよ!」


 どういうことだよと言いたげな目線で訴えられたが華麗に無視した。こういう慣れていない話題は、たとえちょっと話すだけでもものすごく居心地が悪くなるのだ。ああ、正統派オーソドックスヒロインならばきっとここでうまいことを言って、この冷徹王の好感度も順調に上げたりするのだろうに。出会って一日で兵士を追いかけまわす異端派ヘテロドックスヒロイン……ヒロイン? にはご縁が無い展開だ。

 そんな我が道を行く異端派っ子は、「それより!」と無理矢理別の話題に転換させる。


「えーっと、本当の本当に最後の質問。俺はこれからどうすればいい?」

「お前、私に従う気か」

「保証は出来かねるけど。聞くだけ聞くわ」


 それに、出会い頭命を奪ってきた強引男に選択権を迫るつもりは無い。どうせちっぽけな人間が何を言おうとエルフの王が黒と言えば白でも黒なのだ。とりあえず彼が弓月にどう出るのかだけでも知っておきたい。

 シリウスは本気で考えていなかったようで,しばらく顎に手をやっていた。


「………お前のことは、神殿がやかましいから召還した、それだけだったんだがな」

「殺しといてそりゃ無いだろ。責任持て、つーか取れ」

「しかしこうして話しているとなかなか頭は悪くないらしい。学者の出か?」


 まさに科学者一家の一員である弓月は肩を竦めた。たしかに、あの家は自分の性格形成に多大な影響をもたらしただろう。良くも悪くも。

 とても褒めているとは言い難い言葉をシリウスは続ける。


「なるほど…………思ったよりも利用価値はありそうだな」


 腹に突っ込まれた手を思い出させる冷えた口調だ。


「混乱を招くくらいなら、と思ったが………いや、それもいいか」


 二日後だ。シリウスはそう言い放った。


「二日後、お前を玉座の間にて皆に見せる」

「俺を?」


 思わずぱちぱちと瞬いた。呪い持ちを召還させたなんて醜聞でしかないだろうに。ただでさえ低そうなシリウス王権に止めを刺しかねないのでは。


「…………お前は本当に遠慮なくものを言うな」

「あれ、意外と気にしてた? 悪い」

「別に構わないが」


 何か考えでもあるのか、シリウスはそのまま黙ってしまう。結局よくわからないが、弓月としても聞いた以上はとりあえず従うことにした。自分だけで動くには、やはりまだ情報が圧倒的に足りない。


「まあいいか。わかった。とりあえずそれ出るわ」


 二日後の惨劇など夢にも見ずに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る