第4話 呪われた王さま[前編]




 異世界が夢にあらわれたのは、正確には七年前。そして夢はただの夢でなく、異世界だと認識できたのは五年前。それまでは、ただの意味不明な夢としか思えなかった。

 星世弓月ほしよゆづきは齢十歳にしてはじめて不思議なファンタジー世界を目の当たりにしたわけだが、科学者の父やその部下たちに囲まれて育った弓月からすればこんな馬鹿げた世界など脳がつくりだしただけの虚像に過ぎず、考慮にも値しない世界だった。特別ゲームが好きなわけでは無かったので、一体自分の脳のどこでこんな映像が生産されているのか謎だった。


『またあの子、あんな夢見たって言ってるのよ。おかしいじゃないの』

『僕も心配だな。検査してもらえばいい』


 何度も繰り返される不気味さに、母と兄の言う通り自分は頭がおかしくなったのだと父に検査してもらったことさえあるのだ。


『夢っていうのはまだ解明されていない分野だからね。気になるなら精神的なケアでもするかい』

『いや、いいよ』


 どうせ夢だ、と父の申し出を一考もせずあっさり蹴るほど、弓月にとっては微々たる問題だった。

 少しだけ気になる点といえば、夢の世界に降り立つときに必ず側に同じ青年がいることだろうか。弓月はなんとなく眺めてみたり側を付いて回ったりしたが、彼のあまりの面白みの無い生活に数回目にして興味など失せた。


 だが二年後、その考えは覆されることとなる。


 ちらちらと降る雪が弓月をすり抜け何もかもを覆っていく。例の青年はうつむき、何かを見下ろしている。ひょいと覗き込むも静謐な横顔からはなんの表情も伺えなかった。


『………父上。母上……』


 先代王の亡骸の前で佇んでいた若き王を見ていて、不意に、弓月はやっと理解したのだ。

 この夢は虚像ではない。

 手紙を書き始めたのはその夢からだった。


 彼に自分の言葉が、いつか届くかもしれないと信じたくなったのだ。ただそれだけだった。




     ◆     ◆




「んー………? まぶし……」


 差し込む朝日の眩しさに戸惑い、のろのろと体を起こす。可愛らしい鳥の囀りまで聞こえ、なんだかやけに爽やかな朝だと首を傾げた。とりあえず布団をひっかぶり再度眠りの世界に入ろうとすると、


 ギョエエエエェエエエェエエ


「……………」


 弓月ゆづきは無言で掛布から這い出た。

 先ほどまでとは別人のようなきびきびした動きですぐ横の小さい窓まで到達し、ばぁんと勢い良く開け放つ。気持ちよい幻想的な風景が遥か彼方に広がっているが、弓月の当面の目的はそこではない。すぐ真下に位置する喧噪の中庭を黙って見下ろした。


「…………………あれか」


 ギョアアアアアアアアアアア!!!


 幾人もの甲冑の騎士に取り囲まれる中央で、鎖に繋がれ叫び狂う鳥。………鳥? 四足歩行の有翼動物は一体なんて呼べばいいんだ? ブサイクなペガスス?


「お前達ひるむな! 演練の段階でこれでどうする!」

「はっ」

「行くぞおおおお!」


 暴れ狂う(推定)鳥の周りに次々と魔法陣が出現し、さらに一拍後には炎やら氷やらが大盤振る舞いされた。CGよりCGらしい馬鹿げた光景に、弓月はそういやそうだったとため息をつく。


「異世界ってのは朝っぱらから元気だな……」


 流れ弾よろしく、鋭い風の刃が弓月の鼻先を掠めていき慌てて身を引く。

 連日死ぬのはごめんだからな。





『歓迎しよう』


 1ミリたりとも歓迎していない口調でシリウスが右手を差し出す。握手は全世界共通なんだなとどうでもいいことを思った。


『せいぜいあと四度、この国のために死ぬがいい』


 反射的に右手を重ねようとした弓月ゆづきは『は?』と顔を上げる。今なんと?

 あと四回死ね?


『なんで?』


 至極真っ当な疑問のはずだが、シリウスは不満か、と目が細めてきた。逆にそんな不穏な条件にほいほい頷くバカがいるなら是非お目にかかりたい。


『四回も死ぬってどういうことだよ』

『死んだら蘇生すればいい』


 パンが無いならお菓子理論を持ち出され弓月は呻いた。もはやどう反論するかの糸口も見つからず、頭を抱えたその時だった。


――――――五度の生と死が許されたのです。


 脳裏に閃く声がある。

 そうだ。あちらでの死とこちらでの生の僅かな境目で、なにか告げられた言葉があった。


『………五度の、生?』

『知っているではないか』

『どういうことなんだよ』

『お前の持つ《呪い》の力だ』


 一瞬顔を歪めたシリウスは、すぐなんでもない顔をして『私は神殿からの宣託に則っただけだ』と続ける。伸ばされた白い指先が弓月の前髪を弄び、横に梳く。


『お前は私の片割れ、半身らしい』


 シリウスはそのまま手を下へと下げ弓月の目尻を拭うようにした。鼻先が触れ合うほどに顔を近づけられ、お互いの瞳がまっすぐにかち合う。

 黒、と囁く吐息を感じた。


『凶兆の黒色か………私の半身に丁度良いというわけだな』


 他人事のように呟くシリウスの黒髪は、弓月のものよりよほど美しかった。





「なんか壮大な話になってきたな……」


 そろそろ枯れてきた怪鳥の叫びを聞きつつ、弓月ゆづきは数度目のため息をついた。こちらとしてはちょっと夢に見ていただけの話だったが、なかなかの重要人物だったらしい。国王直々の召還の上、よりにもよってその王の片割れときた。

 黴臭い六畳一間の新マイルームにて、弓月はへっと鼻で笑った。


「結構な待遇じゃねーか」


 昨日の夜あてがわれた部屋で弓月がまずしたことは大掃除である。

 近づこうとしない兵士数人を無理矢理捕まえ水場の場所を聞き出し、落書きのようなものでしっちゃかめっちゃかに汚れていた壁や床を拭ききった直後、固いベッドに倒れ込んだ。タダ泊まりなので文句をつける気は無いが、せめて死んだ日くらいゆっくりさせて欲しいものだった。さらに本音を言うと昼頃まで寝ていたいところだった。迷惑度カンストのバカ鶏もどきさえいなければそれは実現しただろうに。

 まあ目が冴えてしまったものはしょうがない。一応脱いでいたブレザーの上着を羽織って扉を叩いた。


「なぁー! 兵士さーん!」


 応答は無い。昨日の夜はこのしみったれた部屋の前で兵士が二人ほど待機していたはずなのだが。どっか行ったのかなと思い軽い足取りで扉を開けると、いきなり首に剣が突きつけられた。


「うっお!! あぶねーぞバカ野郎!」

「貴様! 急に出てくるな!」

「部屋に戻れ!」

「居たなら返事くらいしろよ……」


 紛らわしいことはしないでほしい。危うく貴重な残機を一つ無駄にするところだった。こちとらあと四回しか死ねないんだぞ。十分すぎる気もするが。


「貴様が部屋から出ることは許可されていない」


 右の兵士が厳めしく告げ、左の兵士も怖い顔で頷く。彼らが身長体重も弓月を遥かに超えているだろうことはすぐにわかるし、何より………


(こいつらもエルフか)


 洗濯洗剤のCMに放り込みたいくらい真っ白な軍服を着こなす金髪美形2人組は、いかついゴリラみたいな兵士のイメージを真正面からぶち壊しにかかっている。

 昨日も周りの兵士や人間を見回したところ、オーラや体格、色彩に差はあるものの、わかる限りでは全員エルフだった。城中こんなのばっかりかと思うとやりにくいったらありゃしない。


「あーわかったわかった! 悪かったよ」


 正面突破はどう考えても無理があるため、素直に両手を挙げて肩を竦めると兵士はようやく鼻を鳴らし剣を下げた。弓月はそろそろ後に退がり、器用に足で扉を閉める。そのままベッドまで下がり、もう一度倒れ込んだ。


「………正直なめてたわ」


 現代人の知恵をもってすれば中世なんてどうとでもできるだろとかなめたことを考えてた、が、甘すぎた。そうだよな、エルフだし。魔法使えるし。

 現代人弓月といえば、装備、血塗れ学生服。道具、携帯端末。

 以上。


「どうにか使えねぇかなー」


 立体映像技術は街中に張り巡らされた対応機器が無いと起動しないし、通信なんてもっての他。自動起動の保護プログラムもこの様子じゃ役に立たないだろう。

 ダメだ。目立てる機能は全て詰みだ。

 唯一データ記録機能は残っているので、竜だのなんだの現れたら写真に残すことに決めた。披露の機会があるかは知る余地も無いが、それはとりあえず置いておく。

 弓月が知らなければならないことはもっと別にあるのだ。


「………結局俺はなんで呼ばれたわけ?」


 呼ぶだけ呼んで放置プレイをくらわせている国王を思い浮かべた。

 白い部屋にいた白い男は救えだのなんだの言っていたが、救うって何を? まさかマジで国を救えとか言わないだろうな、そんなもん大臣とかに頼め。子供に頼むな。


「でも王さまも片割れがどうとか言ってたよな……あーなんだっけ」


 色々わからないことが多すぎる。なんで殺したんだ、呪いってなんだ、自分はなんでこの世界に………。


「……面倒くせ。やっぱ本人に聞くしかないか」


 会ってみたいと願っていた人が、すぐ手の届くところにいる。それがまだ実感できていない。でも、実感できないなら会えばいい。今自分がここに存在することはいいことなのか悪いことなのか、それを決めるのは情報が揃ってからだ。

 例の夢手紙の文面が思い出される。もしよろしければ、俺とお話しませんか、だったか。滅多なことは書くもんじゃない。会ってみたいとは思っていたがまさかこうも面倒な渦中に放り込まれるとは。ひしひしと実感じつつ、再度扉を開け放つ。

 殺気をこめて振り返る兵士二人に、思いっきり息を吸い込み、言い放った。




     ◆     ◆




「の、呪われるぞ!」

「みな退け! 騎士団を呼べ!!」

「誰かあの男を止めろー!」


 うららかな昼下がり、天の光を浴びる浮遊城内は騒乱を極めていた。原因は怪鳥でも兵士でもない。


「そこをどけー呪ってやるぞおおおお!」


 赤黒く変色したブレザーを振り回し城内を爆走する弓月ゆづきに他ならなかった。なるべくおどろおどろしい声を出しつつ俊敏にということを心がけ、少年はひたすら走り続けた。黒髪黒目の不吉な見た目なうえに、いかんせん動きが気持ち悪すぎて誰も近寄ろうとしない。いかな精霊に愛されたエルフ族の力をもってしても、この意味不明すぎる彼を捕まえることは不可能だった。


(やべぇ思ったより効果がある)


 ちょっと脅かせばいいかなと思って敢行した捨て鉢作戦が案外効いて、弓月自身も驚きである。あとで処刑とかされたりしないよな?


「そこの兵士ー国王の部屋はどこだー呪うぞ!」

「ひいいぃいぃい! かっ角を右に曲がった大廊下の奥だよぉお」

「ありがとな! お前は呪わない!」


 数十分の変態ランニングもやっと終わりだ。ブレザーの上着をはためかせつつ右折し、豪奢な扉に向かってラストスパートをかける。何故かシリウスの部屋の前にだけは護衛が一人もいなかった。


(しかもやけに暗い場所だよな………)


 正直昨日退室したときも思ったのだが、一国の主が住まう場所とは思えないじめっとした雰囲気に気が滅入りそうだ。こんなナメクジ御用達みたいなとこにいるからあんな辛気臭い顔になってしまったのだろうか。そうに違いない。お日様の光浴びると灰になりそうな面だもんな。


(あ、それは吸血鬼か)


 まあそれはどうでもいい。弓月は半ば突っ込むようにして、勢いよく扉を開け放った。


「こんにちはー!」

「うわっ」

「えっ」


 部屋には先客がいた。

 見覚えのある大きな執務机の前に、ブロンドを肩まで伸ばした美青年と、銀の髪を揺らし肩を跳ねさせた美少女。当然耳は尖っている。

 一瞬警戒しかけた彼らだが、黒髪を認め、すぐに不審者の正体を悟ったようだ。嫌悪や侮蔑の表情は出さずとも、やはり驚愕は隠し切れないのか呆然としたまま固まってしまう。


「突然すいません、ちょっと失礼しますねー」


 そんな凍った空気の中、ミリ単位で瞳を見開いた部屋の主に「よ」と片手を挙げる。数秒沈黙という名の非難を存分に浴びせられたが、ややあって、シリウスは長い長い溜息をついた。


「なんなんだ、一体」

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