第3話 出会い

 あちらの世界で少年は死に、こちらの世界で再び息を吹き返した。

 彼の呪いは《眠りの呪い》。



 昔々、とある王国に王女が生まれた。王も王妃も国民もみな喜び、国中の魔法使いは喜んで贈り物を捧げた。

 だが、招待を受けなかった意地悪な魔女は、腹いせに王女へ《呪い》をかけた。

 ――――16の誕生日、糸車の針に刺されて、お前は死ぬ。

 国中嘆き悲しんだ。きっかり16年後、王女は死を迎えることとなる。だが、優しい魔女の機転で、王女は死ではなく、長い眠りにつくこととなった。

 いつか王女を真に愛するものの口づけで、彼女はきっと目を覚ますと。

 実に三百年の時が過ぎ、王子からの口づけを受けて王女はぱちりと目を覚ました。城を覆う茨は消え、国中大喜びで二人を祝福した。


 だが呪いは消えたわけでは無かった。

 黒く澱み、闇を纏って、影にじっと潜んでいた。



 その呪いは今も生きている。

 たくさんの呪いがこの国で今も生きている。


 黒を持つものは、呪いを身に宿している。





『これからはあの世界で――――あなたを殺した国王のために、力を尽くすのです』


 そして少年は最後に大神官に告げられた。


 ――――あなたの呪いは《眠りの呪い》。

 五度の生と死が許されたのです。

 それを無駄死にとするか名誉ある死をするかはあなた次第。

 蘇生方法はただ一つ。あなたと同じ《黒の呪い》をかけられた者からの口づけのみ。


 健闘を祈ります。




     ◆     ◆




(…………? あれ……俺……)


 頭が痛い。脳みそが引っ掻き回されたかのような不快感に眉を顰める。

 体の背面に冷たく固い感触があり、どこかに仰向けで寝かされているのか、とそれだけ知覚できた。

 なんでまた、と考えた瞬間―――――思い出した。口に溢れる血の臭いがまざまざと思い起こされる。その後―――そうだ。呪いと死、だったか? 眠りがなんだっけか。ああ、頭が割れそうだ。それで結局、たしか――――


「………異世界だっけか?」


なんとか最後の記憶を辿った、その時だった。


「話が早いな」


 朗々とした声が上から響いた。

 胸ぐらをつかまれやけに軽く持ち上げられ、そのまま物のように情け容赦なくがくがくと揺さぶられた。「起きろ」と反抗を許さない声で命じられ、弓月ゆづきは驚愕に慌てて瞼を押し上げる。


(この声……)


 目を開いた先に彼がいても、しばらく信じられない気持ちでその美貌を見つめていた。


(ありえない)


「王さま……?」


 言葉通り人間離れした美しさを持つエルフ。雪に溶けそうな白磁の頬に、それとは対照的な漆黒の睫毛に縁取られた切れ長の瞳。

 氷像のごとく冷たい威圧を放つ彼は名を呼ばれてもなお髪の毛一筋分も空気を揺らすこと無く、深い深い闇色の瞳で、弓月に無慈悲に告げた。


「お前は先ほど死んだんだ」


 ぼんやりした頭のままに頷きそうになるが、慌てて「違う違う違うだろうが」と訂正を入れる。なんで他人事なんだ。この男は。


「……えっ、お前が殺したんじゃなかった?」

「必要に駆られてのことだ」

「はい?」

「あれを見ろ」


 彼がすっと指差す先へと弓月は素直に顔を向ける。

 そこには、血塗れの己の下半身が放り出されていた。





「何だあれ!!?」


 条件反射で叫んだ。

 シリウスがうるさいとばかりに眉を寄せる、が、そんなことはどうでもいい。弓月はホラーもグロも耐性が無いわけではないが、そういう次元ではないだろう。なんせあれは。


「俺のあしじゃん」


 驚くなという方が無理だ。いやに冷静な頭で体をぺたぺた探ると、腹から下が妙に寂しくなっていた。恐る恐る目線を向けると、もう元の色の判別のつかない赤黒い布が雑に巻かれているだけの旧石器時代も驚きの処置方法にお目見えした。


「おかしいマジで何もかもおかしい」

「蘇生が完璧で無かったようだな。口づけで魂は引き戻せるが傷は癒えないというわけか………なるほど」

「どうにかなるよな? なるよな?」

「あまり動くな。出てくるぞ」


 ………何が? いや十中八九モツだろうけど、どこの部位かはあえて考えないことにした。色々聞きたいことはあるがぐっと飲み込んで数回深呼吸をし、「あのさ」と切り出した。


「………くっつけてくれない?」

「お前をか?」


 この状況で他に何をくっつけるんだ。

 めげずに弓月が己の片割れ(物理)に熱い視線を向けていると、シリウスはやはり無表情で顎を引き、僅かに片手を上げた。


「処置を」


 その命令で動いたいくつもの気配で、弓月は何人もの人間が周りに控えていたことを知った。半径数メートルはあろうかという奇怪な模様の円の外から恐る恐るといった感じで兵士が足を踏み入れ、マネキンの成れの果てのようなハーフ弓月を数人がかりで持ち上げていた。お互い触れるのも嫌そうに重みを押しつけあっているのがよくわかる。


「それを横たえろ」


 17年間言葉通り弓月を支え続けた足をそれ呼ばわりし、シリウスは無造作に弓月の上半身を下半身にくっつけるように巨大な魔法陣の中央に置く。おい、レゴブロックじゃないんだぞ。


「目は閉じろ。眩しくなる」

「ああ、うん。へぇ」

「痛覚は?」

「無いけど」

「なら良い」


 良くない。

 元通りになるのかという疑問はシリウスにぶつけなかった。知らんといわれればもうどうすればいいのかわからない。


闇精霊シェイド


 不意にシリウスが虚空へ手を差し出した。その声に呼応するように魔法陣が輝きだし、体の全てに光の糸が巻き付き、絡まる。


(なんだこれ?)


 あまりの現実味の無い進行に頭が追いつかない。光に引き摺り込まれるように飲み込まれ「王さま」と手を伸ばすも、身じろぐ様子すら見せずにガラスのような平坦な瞳をじっとこちらに向けていた。


(これ、現実?)


 自分は夢を見ているんじゃないのか? 夢世界にいつもみたいに迷い込んでいて、目が覚めたら病院かそこらのベッドにいるのでは? 体が分割された上意味不明ななにかに飲み込まれるなんて、あっていいことなのか?

 そこで体が軽くなり、弓月は再度覚醒した。


「付いたぞ」


 興味無さそうに腰の辺りを指差され、シリウスの言葉通り「付いた」体を視認する。種も仕掛けもどうなってんだ人体接着ショーは成功らしい。数度体の感触を確かめ、弓月は勢い良く立ち上がった。家族の顔と真っ白い研究施設がごちゃまぜになって脳裏を駆け巡り、消えた。


(あの白い男と黒い王さまの言うことが本当なら……)


 驚いて引いていく兵士たちの間をすりぬけ、部屋の奥のガラス扉を目指す。その視界を横切る殺風景な部屋に、弓月の疑念は確信に変わった。

 書類まみれのつやつやした執務机。絨毯の無い冷ややかな石の床。黒のカーテン。自分はここを知っている。間違いない。

 シリウスの追う声を無視して弓月はテラスへの扉を勢い良く開け放ち、ぶわりと髪を攫う風に構わず、鋸壁から思いっきり身を乗り出し、息を呑んだ。

 空に浮かぶ浮遊城。

 遥か下の王都の賑やかさも、目にしみる空の青さも、彼方の壮大な景色も、数時間前の夢と全く同じだ。


「おい。また死ぬ気か」


 そして、後から呆れたように呟く黒エルフの陛下も。


「…………夢と同じだ」

「違う。夢ではない。ここは現実だ」


 それこそ違う。弓月のいた現実はあちらだ。だが今はこちらが現実。


 ――――――夢世界じゃない。異世界。


「歓迎しよう。異世界からの来訪者。せいぜいあと四度……この国のために死ぬがいい」




     ◆     ◆




 3日前、王の『片割れ』召還の知らせはその日中に浮遊城全体に知れ渡った。

 本来喜ばしいニュースのはずが、城が歓喜に湧くことは無かった。召還された王の片割れは黒髪黒眼、人差し指に禍々しい《呪紋》を持つ呪い持ちであったからだ。救世主として期待された『片割れ』への評価は一変、シリウス国王に次ぐ呪われた子として城中はますます怯えた。

 シリウス王は召還からこの日まで何か弁解することも無く、今日のお披露目にも淡々と片割れの少年を皆に見せた。


 少年はそこでもう一度王に殺された。

 彼に残された生は、あと三度。


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