第2話 魔導王国


 事態とは本人の預かり知らぬところで進むものだ。弓月ゆづきがのんびりパーティの準備に取り掛かっている間、彼の命運を分ける話し合いが着実に進行していた。

 浮遊城の奥の奥、難しい顔をした国の重鎮が詮議の間に集められていた。


「今夜、『片割れ』を殺しに向かう」


 形良い唇がゆっくりと動き、なんてことないように言い放った。

 水を打ったように静まり返る空間に、彼はもう一度「殺す」と物騒にも繰り返す。


「でなくば私たちが滅ぶぞ」


 漆黒のエルフの主は、それだけ言うと気だるげに頬杖をつき瞳を閉じた。集められた数名のハイエルフ達は、まだ口を開かない。賢明な判断だ。下手に声を上げても、絶対零度の付け入る隙のない反論によって叩き潰されることは目に見えている。

 だが、あまりにも非情な判断に諸手を挙げて賛成もできなかった。

 玉座に位置する彼はまだ王と呼ばれるには年若い風貌のように思われるが、シリウス・サジタリウスはそんなことなど問題としないほどの威厳を持ち合わせていた。

 内面を裏切らない冷ややかな美貌に、陰鬱さを思わせる闇より深い漆黒の瞳と長髪。


『呪われた凶兆王シリウス』


 いつからか、そんな通り名が城内にてまことしやかに流れるようになり、恐れ、遠ざける城のものたちの態度に王もますます頑なになったのは必然と言えよう。

 さらに幸か不幸か、シリウス王は暴君でも無能でもなくむしろ賢君であった。

 容赦無い手腕で国を支える彼を、今、傾きつつあるこの王国から追い出してしまうなんてことはあってはならないと、皆口にはしないが感じていた。凶兆の黒を纏う冷徹な国王に、誰もかれもが怯えながらも膝をついていた。


「………反論は無いな。では今夜、私は『召還』にてあちらへ向かう。そこで片割れは殺し、こちらへ連れてくる」

「………それは、兄上直々に、ということでしょうか」

「そうだ」


 一瞥された王弟は、ぽつりと続けた。


「ご自身の手で、兄上の片割れを殺すと?」

「その通りだ。異界の者を召還するには、対象は一度死ななければならない」


 宣託にあった『片割れ』の年齢は17と聞いていた。あと七十年余り、その片割れの寿命を呑気に待っていれば、そのうちにこの国は滅びるだろう。であるならば、死は、人為的にでももたらされなければならない。片割れだと言う少年の意志を考慮に入れるものはいなかった。

 仕方が無いと誰もがわかっていた。でなければ、この国は本当に滅びてしまうかもしれないのだ。

 大陸には東西南北四つの国が存在する。

山脈や大河により分断された四国同士は現在では比較的友好的な関係にあり、同じ神を信仰する大陸内、持ちつ持たれつで関係を保っている。

 ここは北部に位置する「魔導王国」だ。

 文字通り、四つの国の中で最も魔法に優れた国であるが、それも当然。この国を治めるのは精霊に愛され魔を操る神秘の種族、エルフ族なのだから。

 そしてそんな魔導国家らしく、この国の権力は神殿にも十分割かれていた。


 ―――――国が波乱に向かったいま、王の『片割れ』を探しなさい。

 『片割れ』と王が愛を誓い合ったその時、国に降り掛かる闇は全て晴れるのです。


 当代の大神官から言い渡された宣託が、シリウスの眉間の皺をさらに深くさせる。


(馬鹿馬鹿しい)


 思わず苛立ったため息を吐いてしまった。

 その『片割れ』とやらがこの傾いた国政を立て直せるだけの器たるならば、王たる自身直々に草の根を分けてでも探し出してやる所存だ。ただ、そんな不確定な存在がそうある人物である保証などどこにも無い。

 さらに面倒なことがもう一つ。


―――――『片割れ』はここにはおりません。この世界のどこにもおりません。異界から『召還』するしか、方法は無いのです。


(まったく面倒な宣託を寄越してくれたものだ)


 そうはねのけてやりたい。が、無能な割に小うるさい神殿からの直々な訴えとなれば無視はできない。全くもって、実に面倒だが、その『片割れ』とやらを迎えないわけにはいかなくなった。

 神殿はやれ神託だやれ伝承だとことあるごとに言い募るが、そんな訳の分からない存在を迎えてこの国は本当に救われるのかどうか。そもそも、番という概念ならエルフにも存在するが、片割れがどうのなんて聞いたことも無い。

 魔導の国の王にしてはあるまじきことに、シリウスは神をあまり信用していなかった。

 何故って、もし神が本当に信頼に足る存在なら、王たる自分の髪と瞳をこんな色に染め上げるはずがないからだ。悪戯好きか、ただの馬鹿か、そんな罰当たりな印象しか無い。


「………兄上!」


 ついに声を荒げた王弟に、一度思考を止め振り返る。


「アルタイル、どうした」

「どうしたもこうしたも………正気ですか」

「当然だ」

「何度も申し上げている通り、兄上の片割れですよ!? そのような方をその手で殺すと!?」

「無駄な死ではない。それに、宣託が本当ならあちらで死んでもこちらで生き返る」


 そして、と静かに続けた。


「どうせ呪い持ちの私だ。今更誰を殺そうと、変わりあるまい」


 アルタイルは悔しそうに唇を噛んだ。

 エルフ王族サジタリウス王家によく見られるブロンドが光を弾き、きらめいている。同色の睫毛に彩られた、いつもは快活に輝く青い瞳は、鬱々と深い色に沈んでいた。


「それでも………罪の無いものを殺すのは、反対です」

「そうか」

「兄上の片割れなら、きっと凶兆など関係なしに愛してくれるはずでしょう」

「そうか。話は終わりか?」


 シリウスは長髪を翻し、護衛も連れずに席を立った。集められた重鎮たちは、各々微妙な表情で黙りこくり王の背を見送る。アルタイルも、悲しそうに見つめるだけでもう何も言おうとはしなかった。

 シリウスが呪いを受ける前であれば、異母ながらよく似た仲睦まじい兄弟だと周りから見守られるのが常だった。『いつか兄上の右腕になります!』ときらきらした瞳で夢を語る弟に、先代王や正妃が『この国は安泰だ』と微笑ましく、幸せそうに頷いていた。この幸せは永遠だとシリウスは疑ってもいなかったのだ。

 愚かな少年時代だった。


(………あの日まではな)


 実に忌々しいが、シリウスは呪いに感謝もしていた。

 愚かにも、この髪と瞳のおかげでやっと知りえたのだ。


 真実の愛などどこにも存在しないと。




◆     ◆




「―――――王さま!」


――――――この男か………。


 珍しく、シリウスは少しだけ驚いていた。


 威嚇のつもりが思ったより吹き荒れる精霊に混乱に騒ぐ人々の中、『片割れ』はすぐ見つかった。目を凝らさなくてもわかる。あれが、神の選んだ片割れだと。だがそれ以上の興味は湧かず、とっとと終らせようとそちらへ歩みを進めた。首を刎ねるか、体ごと吹き飛ばすか。なんにせよ命を奪えればいい。

 何故だか一心不乱にこちらへ駆けてくる少年に無言で片手を差し伸べた。風の刃でも出そうかと考えたのだ。人は脆い。すぐに死ぬ。

 だが飛び込んで来た少年に思いっきり突き飛ばされ、一瞬反応が遅れた。非力ながら、不意打ちに後へよろける。危ないと叫ばれ、上からやけに豪奢な燭台が落下していることに気がつく。


「…………っ」


 国王という地位に就いている以上こうして身を挺して庇われることは慣れている。が、これから殺そうとしている相手に庇われるとは全く予想していなかった。


(これが私の………)


 新鮮な驚きを感じつつ、シリウスは努めて冷静に問いただす。


「お前が『片割れ』か」

「や、え、これ………」

「これか? 時間を止めた」


 驚愕に見開かれる瞳を、シリウスはじっと見つめる。

 黒だった。

 己と同じ黒髪黒眼。シリウスと同じ凶兆の《呪い》は大陸においては非常に珍しい。しばらく飽きずに眺めていた。


(………なるほど)


 なぜ自分のような人間に浮ついた宣託がなされたのか疑問だったが、そういうことか。呪い持ちの片割れは、呪い持ち。そういうわけか。

 シリウスは今さら傷つかない。むしろ都合がいいと、そう思った。


―――――――いつか私は、立派な王になりたいんだ。


 これは必要な殺人だ。躊躇う必要はどこにもない。立派でなくても清廉でなくても国は回り、逆を言えば、たとえ立派で清廉な愛情深い国王でも、国は傾く。

 先ほど身を呈して自分を救った少年の前に音も無く立つ。


(選択を躊躇うな)


 もう一度念じ、片手に魔力を集める。高密度な力に呼応し、全身にかけられた《呪い》がざわめくのを感じた。


「私の世界のために、死んでくれ」


 『片割れ』からの応えは無かった。




◆◆



「…………嘘、だろ」


 弓月ゆづきは信じられない気持ちで自身の体の倍以上はあるだろう鏡を覗き込んでいた。後から、そんな弓月を労るでも慰めるでもない、淡々とした玲瓏な声が投げかけられる。


「ご愁傷さまでした。………17歳、ですか。それはそれは、随分とお若かったのですね」


 ええ、ともはい、とも答えられず、弓月は黙って鏡の世界を見つめ続ける。鏡面についた手は、半透明でひどく頼りない有様だった。

覗き込んだ鏡は、おびただしい血を垂れ流し絶命している弓月の肉体・・と、返り血を浴びてなお凄みを増した黒尽くめの男が佇む映像が揺らめいている。見覚えのありすぎる男の顔に、呆然としていいのか激高すればいいのかわからない。


(え、なんで殺した!?)


 さっきまでいたはずのパーティ会場とは程遠い、どこか古びた部屋のひんやりした空気がこちらにまで伝わってきそうだ。

なんて状況だ。


(じゃあ俺は、やっぱり)


「……………さっきのアレは、マジだったのか?」


 数分……いや、数十秒前、自身の腹に異物が突き立てられた感触が生々しく思い出され顔をしかめた。

 そんな弓月の疑念を肯定するかのごとく、即座に「残念ですが」と切り出された。


「あなたは死にました。死んで、呪われたのです」

「……人助けしたのに?」

「もともとあなたを殺すことは規定事項でしたから」

「いやいやいや」

「神殿の助言と、王の判断で決まったことです」


 死んだ上に呪いだと。

 そう、呪い、と告げられた時、人差し指に刻まれた奇妙な紋様が僅かに疼く。

5本の紐………いや、蛇を模した真っ黒なタトゥーのようなそれは、さっきまで―――生前は無かった代物だった。どちらかといえば模範的に属する一介の高校生の自分には、こんな禍々しものなど縁遠い。

はずだった。


「それが呪いの証ですよ。人差し指ならば………《眠りの呪い》ですね」


 それなのに、どうしてこんなことになったのか。


「待て、じゃああの鏡の向こうはもしかして」

「ええ。死体です。あなたの」

「………ここは死後の世界で、あんたが神さま?」

「似たようなものですね。まあ、似て非なるものですが。安心してください、すぐに生き返りますよ・・・・・・・


 笑えない冗談だ。鏡の向こうでぴくりとも動かない自分は、医療従事者でなくてもすぐにわかる「致命傷」を負わされて濁った黒い瞳を虚空に向けている。

 あれが17年間付き合ってきた自分の肉体だと言われても実感が湧かず、出来の良い立体映像とでも言われた方がまだ納得できた。

 それでもこれが現実だと突きつけてくるやつがいる。


「ですが悲観することはありません。あなたには使命がある」


 勝手なことをぬかしやがって。

 鏡の向こうでは、真っ黒な男がガーゴイルのように、死体の自分を何の感情も湧かぬ瞳で見下ろしていた。生気の感じられない己の瞳と大差ない、闇色の瞳だ。

 不意に彼がかがみこむ。

 一切の躊躇が無かった。


 鏡の中で、先ほど自分を殺した男が、その死体に何のためらいもなく唇をよせた。


 趣味の悪さにドン引く間も無く人差し指の覚えの無いタトゥーがうごめいた。五本のうちの一本が、あくまで黒く、だが眩しく輝きだす。悪い予感しかしないエフェクトだと顔を引きつらせた。

明らかにこの原因と考えられる真っ黒男は未だ死体の冷たいだろう唇に吸い付いていた。無表情で。

 勘弁してくれ。


「さて、彼はこの魔導王国の国王です」

「知ってるよ。何してくれてんだあいつ」

「国王ですから」

「そうじゃねぇ」


 国王だろうがなんだろうが持ち主の許可なく落とし物を好き勝手するのは犯罪に決まってる。謝礼の一割なんぞ変態行為で当然チャラだ。

頭を抱える弓月に、純白に身を包んだ青年は陶器のような真っ白い指を突き付ける。体に巻き付く黒い光が威力を増し目を開けていることさえ叶わなくなり、まばゆく瞳を射抜かれる不快さに顔を歪める。


「さあ。《眠りの呪い》の少年。光より深い闇夜を連れ、永遠の眠りを甦らせよ」


 足元に突如穴が空いた。

 ありえない。何度目かの言葉を往生際悪く呟く。


−−−−−−−ああ、王さま。アンタ一体なにしてくれたんだ。

 

「これからはあの世界で――――あなたを殺した国王のために、力を尽くすのです」

 

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