無忌の怪物

 稲荷神社での依頼を達成し、学園に戻って来たミーリ達。

 生き残った人達の霊力が安定し、もうしばらくは悪魔に憑かれることはないだろう状態になったため、依頼達成として帰って来た。

 今は学生らしく、授業の真っただ中である。担当教師の自称優しい先生は、授業を受けている大半の生徒が寝ている中で、淡々と講座を進めていた。

 テストのとき、聞いていれば解ける。聞いてない奴の自業自得だと、そういうテストを作る人であるからだ。故に何人寝ていようと、関係はない。

「人間、身体能力の高い奴がいるのと同時、魂の力――霊力の強い人間がいる。これにもまた個人差があり、かの三柱である滅神者スレイヤー様のような、怪物級の持ち主もいる」

「あなたもその一人ね」

 ロンゴミアントが静かに呟く。隣でボーっと何も書かれていない黒板を見ていたミーリは、自身の軍を抜いた霊力の多さと質の良さも自覚してないのか、そぉお? とだけ返した。

「その魂を持つ者が死に、輪廻転生のために魂の輪と呼ばれる循環に入ると、ごく稀にだが、その魂の霊力がさらに増大し、神として転生するケースがある。これが族に魔神と呼ばれる神誕生のメカニズム……とされてる。未だこの説が確定だと断言はできてないが、最も有力な説だと憶えとけ」

 この授業に板書はない。故に先生の話の重要なところを自ら選び抜き、そこをノートに書くわけだ。その点で最も優れているのは、この教室ではロンゴミアントだろうとミーリは思う。

 何せいつもミーリの話を聞いてそれを他人に要約しているし、ノートが超綺麗だからだ。このノートのお陰で、ミーリはこれまで赤点を回避し続けている。高得点を取ってもいないが。

「転生の輪廻にかかる平均期間は、とある学者の計算ではおよそ一八年ほどだそうだが、魔神に転生する場合はかかる時間が大幅に違う。早くて二〇年。これまでの観測結果によると、死後三〇〇年後なんてケースもあったそうだ。だが事象には、何事にも例外が発生する。それが今回からやる、無忌の怪物だ」

 今までの授業でやることがなかった新しいワードに、生徒達は神経を尖らせる。寝ていた生徒の数人もその空気の変貌に気付き、恐ろしくいいタイミングで起きた。

「無忌とは、かつて中央大国キーナで名を馳せた政治家の名でもあるが……それとはまったく関係がないからな。あとで辞書とか引いても出て来ねぇから、注意しろよ?」

 教師は何かしらの術を使ったのだろうか。寝ていた生徒達が次々と起き出して、授業に集中し始めた。何せこの先生のテストは、かなりの難易度だからである。

 もっとも、難易度を上げているのは生徒達自身なのだが。

「無忌。魂とは、世界にとって次第に忌み嫌われるものとなるという。輪廻転生も、無限ループではないということだ。いずれその魂にも限界が来る。だが神の魂と、魔神となるそれは世界に愛され、より長い輪廻を約束されたものだ。故に無忌。忌み嫌われることのない、純粋な魂を差す。だがこれには、大きな問題が発生する」

 そう言って、教師はここに来て初めて板書する。無忌という言葉を改めて理解させるため、大きく無忌と書いた。

「忌み嫌われないということは愛されているという解釈ができる。しかしそれはただの解釈であり、現実は違う。半永久的輪廻を約束された魂は、輪廻転生を繰り返すごとに歪を抱き、穢れを持つようになる。その歪や穢れを持ったまま転生すると、その生物は精神が汚染された状態で生まれ、やがて世界にとって大きな災害となる」

「過去の例だと……あまり今この名前を出したくはないが、斬り裂きジャックが主だな」

 その名前に、周囲が一瞬ゾワッとなる。今この学園を襲う通り魔も、斬り裂きジャックと呼ばれているからだ。今この名前を出せば、ラグナロクの生徒達は過敏に反応する。

「他にも様々な例が過去にある。それらを神の愛玩として愛された魂の持ち主達。無忌の怪物と呼ぶ。生憎と純粋な神にはこの傾向は見られないが、悪魔、天使、魔神などの類には見られる傾向があり、邪神や悪神よりも凶悪で残忍だと脅しておこう」

 授業終了の鐘が鳴る。

 ラグナロクの授業は朝が早いが、しかし午前中だけですべて終わるので、午後は皆自由時間である。この時間に討伐依頼を受けたりその準備をしたりと、神々と戦う備えをするわけだ。

 しかしそれらをしない人間にとっては、ただの休みである。故に何も予定のない人間は、鐘が鳴れば勝利のガッツポーズを決める。何に勝利したかは、想像に任せるところだが。

「では今日はここまで。ウートガルド、リースフィルト、ご指名だ。食事を済ませたら、俺のところに来い。職員室にいる」

「はぁぁい」

(といっても、ユキナは今日いないんだけどね……)

 ユキナは今日、学校に来ていない。体調不良らしいのだが、しかしどこが悪いのかはわからなかった。本人は今朝、頭痛が痛いと言っていたが、完全に嘘である。

「七騎が二人も揃って指名ね……」

 厚いパンに挟まれたガーリックチキンが噴き出す油を受け止めて、わずかに熱を持つ冷えたレタスとトマト。それらを一気に口に入れたミーリが咀嚼する前で、ロンゴミアントはコーヒーに口を付けた。

 神霊武装ティア・フォリマには食事の必要がない。食事をすれば取った栄養をすべて霊力に変えられるのだが、それ以上のことはない。

 人間は生きるために栄養が必要だが、神霊武装や神々の類が必要なのは霊力だ。それは食事によって得られる力ではない。純粋に魂の持つ力。故に、魂という生物には計れない部分が鍵となる。

 故に食事の必要性など皆無なのだが、ロンゴミアントは毎日三食食べている。ミーリがそうして欲しいからだ。人の姿をしている子には、ちゃんと食べてて欲しいらしい。

 金銭面に関しても、親から毎月仕送りがあるので問題はない。それに食べれば、体力は回復しないが気力はする。別段断る理由もなく、ロンゴミアントは言葉に甘えていた。

 故に彼女が食べていると、周囲から不思議がられるのだが、ラグナロクではもう見慣れた光景。誰も何も言わなかった。

 そんなロンゴミアントは、小さな口でサンドウィッチを食べる。食事をし始めておよそ半年。未だロンゴミアントは、慣れずにいた。

「普通なら、驚くことなのでしょうけど……あなたとユキナの二人だと、もうなんの驚きもないわね。周りが静かだわ」

「そだね……とにかく、ユキナにも教えないと。今大丈夫かな……」

 通話やメール、そしてゲームまでできるラグナロクの生徒証。生徒証というよりは、携帯機器と言った方が近いそれで、ミーリは連絡する。

 しかしいつもなら掛かって三秒以内には出るユキナが、留守のメッセージを促させるまで出ず、ついに出なかった。

「おかしいな……ユキナ、どうしたんだろ」

「じゃあ私、寮に戻って様子を見てくるわ。あなたは先生のところに行って来て?」

「そぉ? じゃあロン、見て来てくれる?」

「えぇ」

 ナプキンで口を拭き、立ち上がって向かい合っているロンゴミアントの額に口づけをする。そしてそのまま容器を乗せたトレイを持ち、颯爽と上着を揺らしながら食堂を後にした。

 そしてその頃、ユキナは一人誰もいない暗い路地裏で立ち尽くしていた。

 いつも明るく、前と上しか見てない彼女が、ずっと俯いたまま動かない。そして唇を噛み締めて、静かに泣き出した。

 きっかけは、先ほど行った病院で医師に言われた一言だった。産婦人科である。

――ご要望通り、あなたの子宮と胎盤、それに卵子について調べました。結果なんだけど、落ち着いて聞いてほしいの

 女性の医師は、言葉を重くして言う。ユキナが来たのは彼女の要望通り、子宮や胎盤、さらに卵子に至るまで、子供を授かるに必要な機能をすべて調べてもらうためだった。

 その理由を正直に述べたところで理解はされないと思い、個人的に違和感を感じるという苦しい嘘をついたが、医師は快く調べてくれた。

 だが先ほどまでとても優しい笑顔だったのに、それが嘘だったかのように重く暗い表情である。

――調べた結果、子宮や胎盤などの器官に異常はなかったのだけれど、卵子に問題があったの

――卵子、に?

――まずあなたのDNA情報が大きく欠落しているの。簡単に言えば、子供ができにくいということ

――でもできないわけじゃない、ってこと?

 ほんのわずかな希望。それにすがろうとしたユキナだったが、医師はその希望を打ち砕く。皮肉だが、彼女の今の仕事は、その希望を打ち砕くことだった。

――確率はかなり低いわね。それにもし仮にできたとしても、あなたのDNA情報が大幅に欠けているから、不随の子になってしまうでしょう

 ユキナは泣いた。静かに、声を押し殺して。

 愛するミーリとの子供が、不随の子。それも病気ではなく、自分のせいで。そうなってしまう我が子に申し訳なく、そして何よりミーリに申し訳なかった。

 なんて言えばいいのかわからない。もはや絶望過ぎて、自殺してしまいそう。生憎と死ねないが、それでも自殺してしまいたい。

 思ってしまう。自分がミーリと一緒じゃなければいいんじゃないかと。ミーリは最高の男性なのに、その遺伝子を健全な形で遺せない自分は、価値がないと。

 でも別れたくはない。別れるなんて、それこそ死んだ方がマシだ。ミーリと別れて、それで新しい人と恋なんてできない。

 自分の愛する人間は他の誰でもなくミーリだけであり、自分を愛してくれる人はやっぱりミーリなのだから。他の人なんて考えられない。

 でもだからこそ、だからこそ悔む。そんな愛する人との子供が、優れた状態で生まれない。それが決定されているだなんて。信じたくない。信じられない。

 だって、だってミーリは――

 そこまで来て、ユキナは泣き止んだ。泣き止まざるを得ない状況になったからである。誰も来ないと踏んでいた路地裏に、小さな男の子がやって来たのだ。

「こら僕。女の人が泣いてるときはね、そっとしておくか熱く抱き締めるかするものよ。そして今の私は前者を求めるわ。だからさっさと消えて頂戴」

「……わかった。じゃあ――」


?」

「え――?」

 一瞬で視界を奪った暗闇が、また一瞬で晴れていく。男の子の姿はなく、自分は誰かに抱き締められて倒れていた。抱き締めているのは、今学園にいるはずのミーリだった。

 そしてそのすぐあとに、ロンゴミアントが駆けつけてくる。

「ミーリ! やっと見つけた……急に飛び出すからびっくりして追いかけちゃったじゃないの、もう……ミー、リ……?」

 ロンゴミアントの顔が、一気に青ざめていくのを見たユキナは、次第に自分の腹部が濡れていることに気付く。手に付けて見てみれば、それは紛れもないミーリの血だった。

 すぐさま抜け出して、状況を確認する。見ればミーリの背中にはサバイバルナイフが刺さっていて、それが腹部まで貫通していた。

「ミーリ……ミーリ!」

 強く揺する。しかしミーリは呻くばかりで応えない。ロンゴミアントがすぐにその場から駆け出し、助けを呼びに行く。

「ミーリ! ミーリ! ミーリ!」

 再び流れ出す大粒の涙。それを止めることは叶わず、目の前の苦しむミーリの姿が、滲んでいくばかりだった。

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