紅の瞳

 朝、荒野空虚あらやうつろは客間の襖を開ける。そこで寝ているはずのミーリの姿はなく、ユキナだけが寝息を立てていた。

 夜もまた、愛し合ったのだろうか。布団を掛けているユキナの格好が、とても薄着に見える。二人の事情は一応知ってはいるのだが、正直ここでするのはやめて欲しいと思わざるを得ない。

 何せここは、空虚の実家なのだから。

 稲荷大社での悪魔退治から早三日。ミーリ達一行は未だ和国にいた。

 悪魔退治は一度はらっても、またすぐに新たな悪魔が憑く可能性が高いからである。

 一度悪魔に憑かれれば、その人は憑かれやすくなってしまうのだ。

 故に今回悪魔に憑かれた人達の霊力が安定し、悪魔憑依に対しての抗体ができるまで待たなければならないわけなのだが、そのために三組は和国にある空虚の実家に泊まり、今回の騒動で取り憑かれ生き残った人達の様子を窺っているのだった。

「おぉ空虚、友達はまだ寝ているのか?」

 声をかけたのは、空虚の父である荒野まこと。和国に伝わる護身術を教える道場の師範をしている男だ。そのため四十代だというが、実に筋肉質な体である。

 ちなみに道場は、空虚の実家そのものだ。故にミーリとロンゴミアント、ユキナの他にも道場の教え子達を数人泊めているため、妻の美琴みことと共に三人の宿泊を快く迎えてくれた。

「一人出かけたみたいだ。多分、稲荷大社に様子を見に行ったんだろう」

「そうか……ところで空虚、あの気の良さそうな青い髪の青年。もしやおまえの思い人か?」

「っ、なっ、えぁ?!」

 思わず、変な声が出た。誠は腕を組み、そうかそうかと続ける。

「思い人にはすでに違う思い人、か……空虚よ、青春しているな。父親としてとても嬉しいぞ」

「ち、違っ! そうではありません! あの二人は――」

「よいよい、皆まで言うな。その気持ち、伝えづらかろう。だが諦めることはないぞ、空虚。私も母さんを当時の彼氏から見事奪って見せた! おまえも諦めず突進し、射止めてみせよ!」

「もう、父さん! 勝手に盛り上がらないでくれ!」

 年頃の娘の父親ならば、娘の彼氏など煮て焼いて食ってしまいたいほど憎いはず。

 しかし誠は周囲と比べれば過度と思われるほど寛大で、娘に彼氏ができることを心楽しみにしていた。

 実際ミーリが泊まりに来た際には、空虚の彼氏が来たと思って興奮していたくらいである。自ら男のそれに近い言葉を使う娘が、彼氏を連れて来たと思って嬉しかったらしい。

 その彼氏に間違われたミーリは、ロンゴミアントと共に稲荷神社を後にしていた。

 今回の騒動で悪魔に取り憑かれたものの、なんとか生き残った坊主や巫女の状態を見に来たのだ。といっても今回生き残ることができたのは、たったの三人だけだった。被害としては甚大だ。

 それでも全員が死ななかっただけマシだと、依頼者の住職は感謝の言葉を贈ってくれた。まったくもって申し訳ない限りである。まぁ、多くの人間が死んだのはミーリ達が来るよりまえのことなので、君達のせいではないと言われればそれまでなのだが。

「今回の結果に不服?」

 大社を後にして、立ち寄った和菓子屋。その店の名物だという水まんじゅうと水ようかんを個室で食べるが、あまり手が進まない。

 食べることが好きな主の手が止まっている理由など、パートナーにはお見通しだった。

「今回の事件これで、六五人が死んじゃった……」

「でもそれは、私達が駆けつけるより前に殺し合いがあったからでしょう? あなたがそこまで気に病む必要はないわ」

「そうなんだけど……」

「何か、気になってることでもあるの?」

「うん……あの牛角の悪魔さん、誰かに悪魔の選定を頼まれたって言ってた。でもその正体はわからない。今ラグナロクを襲ってるのも、正体不明のX。こじつけにしても苦しいけど、なんか関係があるのかもしれないと思うんだよねぇ」

「まぁ、これだけ正体不明の何かが出てくれば誰でもそう思うわ。気にしすぎかもしれないけど、可能性がゼロとは言い切れないものね」

「そこが俺を悩ませるんだよねぇ……」

 水まんじゅうと水ようかんをいつもより少し時間をかけて食べたミーリとロンゴミアント。二人の脚は、空虚の家ではなくその真逆の方へと向く。

 ユキナがミーリの婚約者であるために、二人がパートナーというイメージが大きいが、実際のパートナーはこの二人。普段はユキナがいてできない二人だけの時間を、二人は歩くことに費やした。

 二人でそろって、ちょっと近いくらいの距離で歩く。その間、二人が言葉を交わすことはない。ただミーリは今回の事件について思考をまとめ、ロンゴミアントはそれを邪魔しないよう側で見守る。それだけだ。

 だがそれでも、二人だけの時間なのは変わりない。ロンゴミアントは無欲にも、ただ二人きりでいられるだけで満足していた。ミーリとユキナが普段一緒にいる時間は、そんなにも長いということだ。

 桜並木によって染められた道をまっすぐ歩き、真っ赤に彩られた木の橋を渡る。人の多い道から、徐々に少ない道へと進んでいき、静けさが増していく。

 人気ひとけもなくなり、ついには街の中で一番大きな廃寺へと辿り着く。火事でもあったのか、ところどころが焼け落ちたままだった。人が寄りつかないのは、そのせいだろう。物思いにふけるには、最適な場所だった。

 かつては薪として使われていたのだろう切られた木々が置かれている場所をベンチ代わりに、並んで座る。

 普段はユキナが取っているミーリの隣に座ったロンゴミアントは、久し振りにミーリの肩に頭を置く。その髪を梳くように指を通し、頭を撫でてくれるミーリの手に甘え、頬を擦りつけた。

 無数あると言われる神霊武装ティア・フォリマの中でも、高位クラスの能力を持つ死後流血ロンギヌスの槍である彼女は、学園では人間からも神霊武装ティア・フォリマからも慕われ、頼られるお姉さん的存在だ。

 だがミーリは、彼女の本質を知っている。彼女は本当は、とても甘えたがりな性格なのだ。好意を持つ相手に対しては、弱点を見せたいと思っている。人から頼られることは慣れているものの、酷く疲れてしまうのだ。

 故に、ミーリは二人きりのときはうんとロンゴミアントを甘えさせ、ロンゴミアントもまたミーリに甘える。ユキナという半ストーカーがいるのであまり時間はないが、ないが故に掛け替えのない時間となっていた。

「正体不明の敵、暗殺者、従えてるかもしれない悪魔、考えることは山積みね……」

「そだね。でも、無理難題じゃない。俺と君なら、絶対に勝てるさ」

「えぇ、もちろん」

 隣り合う二人は手を重ね、互いが互いのを握り締める。一見、ただイチャついているだけのように見えるが、実際そうでないのが怖いところである。

 今回の出来事の関連性を考えるミーリの隣で、周囲の気配と霊力反応を絶えず感知しているロンゴミアント。二人の間に隙はなく、敵は影撃ちなどできるはずもない。

 故に敵が来るとすれば、それは正面から来るしかなかったのだ。

「ミーリ」

「タイミングが悪いなぁ……」

 ミーリはよく、喜怒哀楽が若干欠けているなどと言われることがある。

 普段はヘラヘラナヨナヨしていて、まるで頼りがいはない。初見の人間は、まず頼ろうなどとは考えないだろう。

 それにほとんど怒らない。膨れてみたりちょっと強い言葉を使ったり、その程度ならするのだが、いわゆる激怒というのがまるでなく、怒りに満ちた姿を人に見せたことがないのだ。

 例えば婚約者ユキナを侮辱されたって、ミーリは笑み一つ崩すことなく静かに怒る。笑いながら怒るなんて不器用なのか器用なのかわからない芸当を、ミーリはつい三日前にやってのけた。

 そして、哀の感情。ミーリは他人の前で絶対に泣かない。哀しいと思うことがないわけではない。しかしその哀しさ虚しさを、涙で晴らすことができない。さらに言えば、哀しいと簡単に感じなくなってしまった。

 これは主に最高位貴族として家にいた幼少期、父親と祖父から与えられた心体への傷が原因なのだが――生憎と、それは誰も知らないことである。

 そして楽。隣にいるロンゴミアントからしてみれば、ミーリにもっとも欠落してしまった感情と言える。

 楽と言えば、いくつか言葉がある。純粋に楽。気楽、快楽、極楽、長楽など、どれも心体共に楽な状態であることを意味している。

 しかしながら、ミーリにはこれがもっとも欠けていると、一番近くで接しているロンゴミアントは感じている。

 ヘラヘラしているのは表だけで、裏は常に緊張が張り巡らされた状態。表のそれは、悟らせないための自己を含めた暗示に過ぎない。

 心に絶えず余裕がなく、楽をしない。する余裕すら、ミーリにはない。それもまた、父と祖父の虐待に近いしつけの弊害と言える。

 そのせいで、ミーリは実際目の奥が笑っていないような笑みになってしまうのだが、これは才能と言うべきか、ミーリはその目の奥の張り詰めた緊張感すらも隠し通せるほど自然に笑ってしまうのだ。

 故にこのミーリの闇を、誰も気付けないでいる。誰にも自身の闇を悟らせず、また語らない。それがミーリ・ウートガルドだという人格だ。

 故にこのときも、ミーリは笑みすら浮かべていたのだが、実際笑っていないことは明らかで、しかしそれが苛立っているのか怒っているのか、それはまだロンゴミアントにも理解しがたいところだった。

「君、誰?」

 濃い藍色の長髪を二つに結び、スラっと高い背は全体的に細い。和国ならではの和装を手本としたのだろう独特の紫の着物を着ていた。そしてその美しく整った顔の中で光るのは、紅色の双眸である。

「対神学園・ラグナロク、ミーリ・ウートガルドくんですね」

「そおゆう自分の名前もう知られてる系はかなり警戒心上げるからさぁ、やめといた方がいいと思うよぉ、お姉さん?」

「そうですか? いえ、そうなのですね。人間のあなたが言うのですから、そうなのでしょう。生憎と、そちら側の俗世には疎いものですから」

「やっぱり神様――いや、どっちかと言うと悪魔よりかな? 君」

「えぇ、お察しの通り私は神というよりも悪魔に近い存在にございます。人間より神に転生した魔神とも言い難く、なかなか不安定な存在です」

「なるほどぉ? で、そんな君がなんの用? まさか、俺のこと知ってるのに、俺と戦いに来たとか? なら止めた方がいいよぉ? 君、俺の敵じゃないから」

 ミーリは基本、余裕がない。言動はすべて余裕を込めているが、それはほとんど空だ。だが何故か、ミーリの言葉はいつも強い。ただ強い言葉を使っているのではなく、何か芯から感じられるものがあるのだ。

 その正体は、ロンゴミアントも知らないところである。

 その気迫に押されたのかそれともただからかっているのか、女性は不適に笑みを浮かべ、首を横に振った。

「私などという低位悪魔が、ラグナロク最強と呼び声高いあなたに勝てるとは思っておりません。私はあなたに、ご提案をしに参った次第です」

「提案?」

「ラグナロクを襲う連続通り魔の正体……私と共に追ってはいただけませんか? 私、その正体に用があるのです」

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