第12話 異世界に塾を開く
楽しい遠足は、突然の咆哮で終わりを告げる。森全体が震え、強引に散らされた葉っぱが舞う。兎だろうか。落ち葉がひらひらと舞う中を、数匹の小動物が駆け抜けていく気配を感じる。
「気を付けろ、近いぞ」
囁きながら背後を振り返ると、強烈な光が俺の両目の視力を奪いにきた。
マリーさんの胸元にぶら下がっている危険察知石が放つ光だ。危険度が高いほど光が強くなる設定にしてあるとは言え、まさかこんな3000lm(ルーメン)以上の光量まで実現出来るとは……まさに、ファンタジー世界。
まて。今はそんなことはどうでもいいか。相手は今まで遭遇したことのないレベルだという認識に変更しろ!
『あっち』
フーが右斜め上方、丘を指差す。
「本当に大丈夫か……? 」
『うん、余裕』
『皆の力を併せれば勝てる! 』
『今晩はステーキね! 』
ポワン先生、マリーさん、リリィが即答する。
フーとフリーダは俺の腕にしがみ付いて震えている。
俺はと言うと、正直かなりびびっていた。だってさ、あの声は……俺が想像していた熊とは大違いなんだよ。別に、某アニメのマスコット系クマさんや、動物園の熊を思い浮かべていた訳ではないぞ。咆哮から推測するに、野生を通り越して恐竜レベルだと感じたからだ!
カッコ悪く震え続ける膝を殴って叱咤激励し、丘を巻く小道を進む。光を遮る広葉樹のせいで、まるで洞窟内を歩いているかのようだ。それでも、辛うじて確保出来た5m先までの視界を頼りに、俺たちは一路頂上を目指した。
体感で500mくらいは登っただろう。
目が慣れたのか、木漏れ日がとうとう天井に広がる緑の傘を貫いたのか、目を凝らすまでもなく次第に辺りの状況が見えるようになってきた。腰辺りから薙ぎ倒された幹、へし折られた太い枝が所々にある。嫌な予感しかしない。
祖父の頭頂部の禿げのように、丘の上に出たことで一気に開けた視界。その先に、案の定……奴が居た。
うん、世界が違えば“熊”の種も変わる。種と言うより、前提としての、定義そのものが違った。これは俺の中では熊なんかじゃない。もしもあっちの世界に持ち込めば世界を駆け巡る大ニュースになるであろう、“ビッグフット”だった。
全身毛むくじゃら、手にはごっつい棍棒を持っている。そして、直立二足歩行を見事に成し遂げ、身長は5mをゆうに超えていた。いや、見事な走法で、まっすぐこっちに向かってきやがる!
「下がれ! 」
皆を手で制し、盾を掲げて腰を下げる。正確には、脚が全く動かず、腰が抜けそうになって踏ん張っただけだが、一応は様になったようだ。5人は俺の後方に下がり、戦闘態勢を整える。こいつらを守りきれる自信はないが、せめて逃げないのが保護者としての泣け無しのプライドと言うもの。
彼我の距離は10mを切った!
大きく振りかぶる棍棒しか目に映らない。
武器を置き、両手で盾を持つ。そうせざるを得なかった。これが正解だろう。避ける自信は皆無、ましてや隙を突いて一撃入れるなんて、皆無皆無。
『ウグガァ!! 』
バキッ!!
ズゴンッ!!
『『ハルキ!! 』』
「マジかーー」
例えようのない衝撃が両手を襲った。その瞬間、トラックに跳ね飛ばされたかのように、後方の木に叩きつけられた俺。背中を強打したが、頭は運良くぶつけなかった。お陰で意識はある。それが却ってへし折られた両腕の激痛を脳裏に刻んでくれた。
俺の元に全員が集まる。
リリィとポワンは泣きながら治癒魔法を使ってくれた。フーは俺を結界で囲ってくれた。マリーさんは背中を必死に擦ってくれた。そんな皆をフリーダが最前線で盾を構えて守っている。
「ありがとう、俺を置いて逃げーー」
『戦う! 』
『糞熊絶対に許さない! 』
『うん、ボコボコにする』
『ボクは怒ったもん』
『ハルキさん、私たちが敵は討つからそこで休んでて! 』
さっきまで怯えていたフリーダを皮切りに、リリィはともかく、フーまでもが好戦的になっている。
こんなところで大切な命を無駄にしてほしくない!
俺のそんな悲痛な叫びは、まさに徒労だった……。
三度(みたび)咆哮を上げる巨大熊――ただし、5人は全く動じない。
上段から押し潰すように振るわれた棍棒を前進しながら躱すポワン先生……間髪入れずに放たれたカウンター、下からの突き上げで熊の手首が粉砕される。水魔法と火魔法が熊の顔面を襲う。フーとリリィだ。それを見たフリーダとマリーさんが、熊の脚を木刀で殴り続ける。
もはや逃げることすら叶わず、頭を抱えて蹲る熊。
一方的な蹂躙が5分を超えたとき、流石に憐憫の情が涌いてきた。
「もうその辺でーー」
『グギャァ! 』
俺の一言は熊の断末魔でかき消された。
止めを刺したのは、普段は温和なフーだった。浮遊魔法で舞い上がり、急降下した勢いで背中に杖を突き立てている。ポワン先生の槍先が正面から心臓を貫いたのも、ほぼ同時だったかもしれない……。
俺は泣いていた。
何故だろう。
皆が無事だったからという気持ちもないことはない。だけど、それ以上に俺の心を占めていたのは、たとえ獰猛な動物であろうとも、命を奪う必要があったのかという疑念、そして、いつもの他愛のない笑顔と今の皆のギャップだった。一撃で戦線離脱した俺自身を棚に上げてもっと言えば、この世界での命の軽さーーいや、違うな。この世界を生きる者の、真の、心の強さが耐え難いほどに俺の心を抉ったから出た涙だったのだろう。
再び俺の元に集まった皆を、俺はただひたすら強く抱きしめた。一人ひとり。誇らしげに微笑む子、一緒に泣いてくれる子、恥ずかしさと戸惑いで赤面する子、力強く抱きしめ返してくれる子。反応は様々。ただ、俺の涙の理由を理解し得た子は一人もいないだろうと思いながら、何分間もそうしていた。
巨大熊の亡骸をアイテムボックスに収納し(収納できた事実に驚いたが)、周囲を捜索して異常がないことを確認したあと、帰路につく。
木の洞で静かに佇む小熊に気付いたのは俺だけではなかっただろうが、皆、何も言わなかった。
親を失った子の辛さを理解しているのか、単に無害だと判断したからなのか……皆の心が分からなくなってきた。今までは分かっていたはず……それも単なる自意識過剰による思い込みだったのだろう。今の俺自身にとって、皆は、信頼すべき仲間ではなく、高い敷居を挟んだ異世界住人に成り下がってしまった。考えるべき価値観の相違を今まで棚上げしてきたことへの報いだと思う。
そんな俺の沈黙に不安を抱いた子がいた。
『ハルキ、ごめんなさい。命……命まで奪う必要はなかったよね』
ステーキ発言をしたリリィだった。
彼女の一言が俺を地獄のどん底から救い上げてくれた。
目を見開いて驚く俺を、次々と温かい声が包んだ。
『そう。腕一本くらいで許すつもりだった。それで村も襲われなくなるだろうし。小熊を見た時、すごく後悔した……涙が止まらない』
止めを刺したフーが、むせ返りながらも珍しく饒舌に話してくれた。
『うん。ボク……初めて動物を殺した。彼女が最後、子どもだけは見逃してくれって言ったとき、意味が分からなかった。馬鹿なボク、大嫌い。せめてあの小熊を育ててあげたい』
狐人族のポワン先生、熊語が分かったのか。そうだね、でも、君がいなければこちらが全員殺されていたと思うよ。
『ハルキさん、怒ってますよね……。私は実家で、畑を荒らすイノシシを退治する父を見てました。生きていくうえでの命の奪い合いは仕方がないと思います。でも、さっきのは……間違いでした。追い払うだけで良かった。ハルキさんが襲われて自分を見失ってしまいました』
マリーさんは悪くない。俺を守るために命を張ってくれたんだから。ボーっと見ていた俺が一番悪いだろ。
『……私、強くなりたいです。皆を守れるように、殺さずに解決出来るように。そして……熊さんの分まで、命を背負って生きられるように。小熊を育てることに賛成です! 』
フリーダらしいな、この頑張り屋さんなところが特に。この子はきっと強くなる気がする。俺なんかよりずっと、ね。
全員の意見を酌んで、俺たちは再び丘の上を目指して行った。今度は足取りも軽く、皆の表情も明るかった。
ギルドで報告を済ませて報酬を受け取った頃には、既に日は傾き始めていた。
屋敷に戻ってカイ少年と合流した後、家族会議で小熊の名前が“シルフィード”、通称シルフィと決まった。いや、そう言うと語弊があるだろうな。俺たちが決めたのではなく、あの巨大熊(母熊)が決めた名前だと、ポワン先生が聞き出してくれた。由来は、風のように速く走るからだそうだ。風のように速く走る直立二足歩行の熊なんて想像出来ない。しかも、12歳の雌らしい……。
そして、最も心配していたこと……それは杞憂だった。シルフィは、俺たちが母を殺したことに気付いてはいたが、責任を取って育ててくれることに感謝し、家族となることを誓ってくれた。この辺は動物なりの価値観なのだろう。とは言っても、コミュニケーションを取れるのはポワン先生だけなので、俺にはよく分からないままだ……。
★☆★
DクエとEクエを毎日コツコツこなす日々が約2週間続いた6月20日、ようやく俺たちはランクDへと昇格した。勿論、人一倍頑張って追いついたポワン先生も一緒だ(因みに先生は既に奴隷の身分ではない)。カイ少年も、当初見られたような“なよなよ”した言動はなくなった。それもそのはず、既にEランク冒険者として自信を付けているのだから。
Dランク昇格と同時に、ヘルゼ当局によって念願の学習塾が認可された。
屋敷が本来の機能を取り戻す。
冒険者稼業をする傍ら、増改築を繰り返した1階部分には、受付・事務スペース及び仕切られた2部屋が、そして庭には威風堂々と佇む道場(武術や魔法の実技訓練用施設)が完成している。
開校記念日は7月1日にした。
明日からは、生徒募集を開始すると共に、優秀だが頼りない講師たちを教育しなければならない。
そう、今いるメンバー全てが俺の塾のスタッフになるのだ。魔法科のフマユーン先生、地歴科のリリィ先生、算術科のフリーダ先生、武術科のポワン先生、副塾長兼国語科のマリー先生、そして事務員のカイ(先生)と、警備員のシルフィ。俺自身は、理科を教える一方、塾長として全体をまとめる予定だ。
授業は1日3教科を3限に分けて行う。詳細は以下の通り。
月水金……国語、地歴、武術
火木土……算術、魔法、理科
日……休日
1限……09:00~11:00
2限……13:00~15:00
3限……17:00~19:00
勿論、冒険者稼業も継続する。
月~土曜日は、授業がない3ないし4人で迷宮(ダンジョン)に挑戦する。日曜日は、シルフィを含めた全員で挑むか、例の雑貨屋さん捜索を行う予定だ。その辺の詳しい相談はこれからになるだろうが、これからはもっともっと楽しくなりそうだ!
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