第4話 やってらんねぇにゃあ(Escape From Hard Work)
「吉沢さん!! またトイレですか!? いい加減にしなさいっ!!」
「うるせーにゃあ! おトイレがちかいんだからしょうがねぇだろーがにゃあ! おとなしくがまんしてくれにゃあ!」
「あなたが我慢しなさい!! 早く仕事に戻って!!」
「うるせーにゃあああああああああ!!」
東京都ダイトー区・
バンド解散後、泌尿器科医を夢見て研修医としてアルバイトを始めた吉沢シャム(19)は、その勤務時間のほとんどをトイレの個室で過ごしていた。
――ジャアアアアアアアアアア……
仕事の主な内容は、受付の事務や尿検査のお手伝い。
淡白ではあるが非常にやりがいのある仕事だ。
(ふう……)
シャムは無遅刻無欠勤。毎日ちゃんと真面目に出勤してはいる。
しかしタイムカードを押した後は、ほとんど用を足している。
別に、仕事が嫌いなわけではない。
おトイレが近いだけなのだ。
「ただいま戻りましたにゃあ! おトイレットペーパーが切れかけていたので、補充しときみゃした!」
「いいから、早く仕事に戻りなさい!!!!」
「わかりましたにゃあ! ところで、今日のお仕事は、にゃんですか?」
「そこに置いてあるカルテの入力作業っ!! さっき言ったばっかりでしょ!?」
「ふにゃあ~、わかりやした~」
(う……また漏れそうににゃってきた……)
シャムはかつて、自身の欠点である失禁癖を克服し、きちんとトイレで用を足す習慣を身に付けたが、その膀胱の勢いが衰えることはなかった。
「トイレで用を足す」という当たり前の習慣がかえって仇となり、仕事をしている時間よりもトイレにこもっている時間のほうが遥かに長い。
もちろん、トイレにいる間も時給は発生している。給料はしっかりもらいます。
「班長! おトイレに行ってきますにゃあ!」
シャム、まだ午前中であるにもかかわらず、本日七度目の放尿宣言。
これではまったく仕事にならない。
「認めません!!!! 昼休憩まで我慢しなさい!!!!」
「そ、そんにゃあ!?」
「吉沢さん……あなた一日に何回トイレに行けば気が済むんですか???? ちゃんとお仕事してください! 今日はもう、トイレ禁止ですからね!!」
「なんでだよにゃあ!? おトイレがちかいんだからしょうがねぇだろーがにゃあ!?」
上司に口答えするシャム。
とめどない残尿感を怒りへと変える。
「だまりなさい!! ほら、午前のレセプト業務がまだ終わっていませんよ!? 早くやって!!!!」
「けっ……わかりましたにゃあ……」
上司に怒鳴り返され、しぶしぶ仕事を再開するシャム。
デスクに置かれた大量の紙束と向き合う。
(――好きなときにトイレに行けない人生なんて、果たして‶人生〟と呼べるのだろうか……)
資料をまとめながら、シャムは自問自答を始めた。
自由を犠牲にし、時間を貢いで対価を得ることが、かえって自分の人生を悪くしているのではないかと。
(結局のところ、出したいときにサッと漏らしたほうが、効率が良いのではにゃいのだろうか――?)
保険料をパソコンに打ち込みながら、まったく関係のない答えを弾き出すシャム。この調子では、また失禁を始めるのも時間の問題だ。
――でもそれでいい。
何も迷う必要はない。
ありのままの自分で、良いのです。
(そうだにゃ。ボクは何を悩んでいるんだ……?)
迷いを捨てなさい。
戸惑いを拭いなさい。
偽りは、身体に毒。
本来のあなたに戻るのです。
ためらないのない失禁こそが、あなたの個性なのだから。
――シャアアアアアアッ!!
「吉沢さん!?!?!?!?」
「――――」
シャム、失禁する。
実に三年ぶりの――――失禁。
華麗なる表情。
堂々たる態度。
その瞳に反省の色はなく、己の意志で、やらかした。
「ボクの名前は吉沢シャム。ロケンロール」
シャムは復活した。
一度は克服したはずの失禁癖を、自らの個性として再び受け入れたのだ。
(そう。漏らすことは、甘えじゃにゃい――)
そう。
漏らすことは、甘えじゃない。
(漏らしたいときには、素直に漏らせばいい――)
やりたいときには、やればいい。
思うがままに、生きればいい。
(答えは常に、シンプルだ)
生きるということは、漏らすということ。
漏らすということが、生きるということ。
(そうにゃのだ)
短い自問自答の末、シャムは人類の
「……吉沢さん、帰りなさい。明日からは、もう来なくて結構です」
「お世話ににゃりました」
シャム、退職する。
☆☆☆☆☆
東京都・隅田川の河川敷。
煌めく川のほとりを、とぼとぼと歩く白衣の少女の姿があった。
「やっちまったにゃあ……」
勤務中に失禁したことで、アルバイトをクビになってしまったシャム。
高校卒業後に格安アパートで一人暮らしを始めた。生活費は少ない給料でなんとかやりくりしていたが、来月からは家賃を払うことが難しくなる。トイレがちかいという特性がある限り、他の職場でも長続きはしないだろう。
「ぜんぜん楽しくないにゃあ……」
川向いのビル群を見つめ、黄昏るシャム。
一人暮らしは楽しいものだと思っていたが、実際は寂しいだけの日々だった。
ふと顔を落とし、楽しかった時のことを思い出す。
川に映った自分の顔が、何かを言いたそうにしている。
(ボクは……)
白衣のポケットからマイリコーダーを取り出し、煙草のように口に咥える。
寂しくなると、ついつい吹いてしまう。
(またバンドがやりたいにゃあ……)
――ピュイイイインッ。
――ガサガサッ!
「シャム、探したぞ」
シャムが高らかに笛を吹くと、その音に呼び寄せられるかの如く、草むらから一匹の
「にゃあっ!?」
聞き覚えのある声に反応し、振り返るシャム。
シャムの背後に立っていたのは、汚いサングラスをかけたホームレス風の中年男性――――
「シャム、久しぶりだな」
そのオヤジの名は、JDB58(ジェイディビーフィフティエイト)――。
かつてシャムのバンドの雑用を務めていた、ロックを愛する音楽プロデューサーである。
「おやじ……!! 生きていたのかにゃあ!?」
「ああ。――だがそんなことはどうでもいい。俺が伝えたいのは、たったの一言だけだからな」
「はにゃ……?」
「奈緒が日本に帰国した。いますぐナリターン空港に向かうぞ。付いてこい」
「にゃおが!?」
三年ぶりの再会であるにもかかわらず、オヤジはたったそれだけを言い放って静かに背を向けた。
(セリフ、ミスっちまったな……)
本来ならば、奈緒の居場所のみを告げて『このあとどうするかはお前次第だ』というような雰囲気を作り出したかったが、ついつい『付いてこい』と口走ってしまった手前、どうしようもなくそのまま駅へと向かって走り出した。
(ちくしょう!)
(にゃお……!!)
シャムもたまらず走り出した。
ギターで自害したはずの奈緒が日本に帰国した――状況はまったく飲み込めないが、そんなことはどうだっていい。
(そう。にゃおはいつだって自由だ――)
彼女を想い、シャムは走った。
小柄な身体を振り乱し、ただ前だけを見つめる。表情は輝きに満ちている。
衣服は、大きめの白衣を一枚羽織っているだけだ。
パンツもブラもしていないが、全身がしっかりと隠れているので問題はない。
(そう。ボクもいつだって、自由にゃんだ!)
窮屈な日常から逃げ出し、目的地へとひた走るシャム。
――向かう先は、再会の地・千葉県『ナリターン空港』。
『吉沢シャム』(リコーダー)
年齢:19歳
前職:フリーター
好きな食べ物:ヨーグルト
使用楽器:バロックアイドル(縦笛)、ドラゴンフォルテ(横笛)
『JDB58』(オヤジ)
本名:中谷勝成
年齢:58歳
前職:ホームレス
前科:脱税、犯罪者ほう助
好きな食肉:アルトバイエルン(伊藤ハム)、シャウエッセン(日本ハム)
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