第11話 人は死ぬ
「自分を愛してくれた人が亡くなると、自分の一部も死んじゃう気がするよね」
というのは自作の台詞ですが(正確かどうかわからないうえに、何度かこういう台詞を書いている気がしますが)、割と実感としてあるもので、いや私に限らず、大事な人が亡くなる・別れて二度と会えなくなるというのは、あらゆる意味で大ダメージなんじゃないでしょうか。喪失の痛み、なんて簡単に片付けちゃいけない、何か。
幼なじみの病気、というモチーフを私は何度も書いているんですが、すぐ死ぬ病気でなければ、まだマシなんじゃないかと思っていて。時間があれば、ある程度の覚悟はできるじゃないですか。それに、病気でつらいのは当人であって、つらいのに生活しなきゃいけないわけで、見ている側のこっちは身体はつらくないわけですよ。それを考えるとギリギリ我慢はできる。よく「鉛をのんだような気持ち」「傷口をひやひやと冷水で洗うような気持ち」とか表現してますが、生きててくれれば、まあ、のんでても、つめたくとも、こっちも生きられるわけです。
お涙頂戴の難病物は大嫌いですが、十代の頃、中井英夫の『月蝕領崩壊』を読んで、「これが中井の最大傑作だ」と思った人間ですので(長年同棲したパートナーを食道癌で失った時の日記です。病人と病人に面倒を見てもらってきた側のコミュニケーションについて赤裸々に描かれています)、まあ、そういう属性持ちなんだとお考え下さい(『水晶の舟』という病人の女の子を拾って同棲する話まで書いてますからね……幼い頃からの根深い趣味です)。
ただ、相手が突然、失われた時は。
備えができていないので、受ける衝撃がすごく強い。
内臓の一部をもぎとられるレベル。
私の中にいるトリックスターのイメージを演じてくれていた役者さんが、先日、脳梗塞で、突然亡くなりました。
ものすごく好きだったかというと(いや好きですよ)、そこまででなかったと思うのですが、ニュースを聞いた瞬間、トリックスターが死亡しました。
それまで私の中でうごめいて、くだらない甘えをはきちらかしていたのに。
今はぴたりと黙って、呼びかけても返事をしません。
ようやく飼い慣らせたかな、と思ったのに。
もしかして、時間が経てば復活してくるかもしれませんが、私の好む形でなく、ただの歪みとして戻ってこられたら困るな、と思っています。
ああ。
あんなに殺したいと思っていたのに、殺さなくても死んでしまうとは――。
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