第10話 目を背ける


 26歳の時、一人のトリックスターを産み落とした。

 自分の中にそんなものがいるとは知らなかったが、ある日突然、下書き用のノートからヌッと姿を表して、「僕を書け」と命令してきたのだ。その時私は、彼の手の幻すら見た。

「おまえ、学生時代に考えた便宜上の敵役だよね。すっかり存在を忘れてたけど、いったい何を書いて欲しいんだよ?」

 本当にテクニカルにつくった名前と概念だけの存在に、どういうわけか血が通っていた。彼は初の連作物の主人公となり、600枚を超える長編を書かせ、シリーズは最終的に三巻本になった。読者の反応もよかった。しかし私にとって、彼はやりすぎの疫病神でしかなかった。その息の根をとめたくてたまらなかった。しかし殺すことは道義上できず、安易な解決方法ではあるが、擬似的な家族を与えてシリーズをしめくくった。「いいか、もう幸せにしてやったんだから、もう私をわずらわせないでくれよ」と。


 次のシリーズ物にメドがついて、新しい作品を書こうと、資料を読みながらキャラクターメイキングをしている時、メインキャラクターに自分の属性を割り振っていくと、新たなトリックスターが降臨した。

「またかよ。まだいるのかよ、そこに」

「僕を書け」とは、彼は言わなかった。最初は登場すらしなかった。続編の冒頭から登場し、そして初代をしのぐ勢いで暴れた。ほぼ純粋な悪役として登場したので、彼の目論見は、ほぼすべて叩きつぶされて、無事シリーズは終わった。


 はずだった。


 はずだったんですが。


 依頼原稿の話がきて、シリーズ物のスピンオフでもいいですよ、といわれた時、私の中に復活したのは、当然のように彼だった。そして、その時だけの再登場のはずだったのに、スピンオフのスタイルでシリーズは続き、今もまだ書いている。


 なんなんだこれは。


 彼が私の中にあるものだということは、もう、嫌と言うほどわかっている。

 エゴグラムをやると、父性が突出する。私の本質は支配的で冷酷で嫌な奴なのだ。

 Leverage Your Personality Typeだと、「架空の悪役(または誤解されたヒーロー)の多くが、建築家型の人達をモデルにしている」と診断される。

 それが、親から受けた影響と、そこから生まれた歪みであることも、もうわかっている。


 が。


 私はそれを認めたくないのだ。

 私の外にいる限り、トリックスターは好きだ。

 大好物といってもいいぐらいだ。

 でも、自分の中にいるのは嫌で、いつでも殺したいのだ。


 ある日、昔からの知人と食事をしていて、創作の話になった時、彼女はさらりといった。

「もう、それは自分の中にあるものなんだから、認めてあげればいいんじゃない?」

 それはわかってる。

 わかってはいるんだけれども――。


 とりあえず、認めてみることにした。

 短い番外編を書いてみた。

 すると彼は、ずいぶんおとなしくなったのである。

 幸せにしてやるというノウハウは、相変わらず有効なのだった。


 なるほど。苦しいのは、目を背け続けているせいなのか。



 以上は個人的な話だけれど、ネット上をうずまく怨嗟(たとえばネトウヨの叩きなりなんなり)、あれは、認めたくない自分を罵っているんだな、と思う。自分にお金がないこと、いい仕事も、いい仲間も、いい伴侶もないこと、なんの力もないこと、それを認めたくなければ、「俺の方がつらい」「俺は間違ってない」と威張り散らすしかないのだ。自分を虐げている社会構造を、そうだと認めてしまえば、敗者であることを自覚するしかないわけだから、「日本は常に正しい、恥ずかしい歴史なんてなかった、今の政治は素晴らしい」と面の皮を厚くして、言いつのるしかない。気の毒なメンタルだと思うが、それでは事態は悪化の一途で、あなたの人生は絶対に幸せにならない。


 のに、目を背けないといられないのだ。


 個人的な話ではあるけど、これは社会的にはずいぶんな大事なのだけれども、なあ――。




 





 


 


 

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