第2話 服を積む

 森茉莉はたぶん、『甘い蜜の部屋』と『贅沢貧乏』しか読んでいない。


 前者はどこかで古い文庫本を頂戴してきた。「なるほど、栗本薫みたいなタイプの秀才がこれを読むと『真夜中の天使』を書いちゃうんだな」と思った。ただ、父親に溺愛されたと公言する森茉莉と、親が弟にかかりきりで自分は見放されていたと暴露してしまう栗本薫では、にじみでてくるものが違うのはやむをえない。しかも森家の子ども達は全員「パッパに一番愛されていたのは自分」と言っていたときくので、森鴎外の「理想の父親度」というのは百点満点なのだろう。

 ただ、鴎外の本は文語で書かれているので、私はほとんど読んでいない。高校生の頃、受験対策として「石炭をば早や積み果てつ。」という冒頭の一文を覚えておきなさいと指導され、つまり「舞姫」だけは部分だけでも読んでいるはずだけれど、面白かったかというと「内容的にも娘の方が面白いだろ」であって、作家としての鴎外ってどうなの、という気持ちしかない。鴎外の代表作として『即興詩人』があげられたりするけれども、あれは翻訳……アンデルセンの若き日の自伝的小説なので読もうと思ったけれども、文語なのでやはり一ページめで挫折した。ある意味、アンデルセンの生涯を知りたければ、ひろく知られている「みにくいアヒルの子」「人魚姫」でこと足りると思われるので、読めない物を無理に読むこともなかろうという気持ちもあった。

 中井英夫は「みにくいアヒルの子は、水戸黄門式で好かない」という風に、品のなさを非難したが、アンデルセンの生い立ちを少しでもご存じの方はそうは思うまい。なにしろ彼は、デンマークの《キング・オブ・成り上がり》であって、絶対王政の時代に、田舎の最底辺層に生まれ、ヒョロヒョロした声の甲高い少年で、芝居や詩が大好きで、仕事場でも常に歌っていて、周囲にはいじめられ、大人になるまで生きられまいと思われていた典型的な同性愛者である。それが単身、都会へ乗り込み、貴族の家の門を叩きまわり、首尾良く養子にしてもらって、高等学校に通い、苦労の末に世界的な作家になったわけだから、「自分は本当は白鳥だったんです!」と高らかに宣言しても、さして図々しくもあるまい。いくらその後、アンシャンレジームが崩壊したからといっても、いろんな国で講演活動するまでに成り上がった彼を、成功者でないというのは無理な話だ(たとえ本国での評価はそう高くなかったとしても)。そして「人魚姫」――彼が終生片思いしていた養兄は、彼の恋心をガンとしてはねのけ、親しく呼ばせることすらしなかったというのも有名な話で(証拠の手紙が残っている)、そもそも、人魚という生殖から切り離されているモチーフは同性愛の象徴であって、つまり泡になってしまった可哀想な人魚姫はアンデルセン自身だ。それだけで必要十分な自伝ではないのか。女性への片思いもあったといわれるが(例として「ナイチンゲール」があげられる)、彼の周りには面倒を見てくれる女性がたくさんいたにもかかわらず、彼は一度も結婚しなかった。あと、なんの説明が必要だろう。


 とにかく、未読の作家を貶めるのはここらへんにしておこう。

 しかも私の「読んでいる」はあてにならない。

 読んだ端から忘れてしまって、あちこち捏造してしまう。

 読書感想文の宿題を提出するたび、親に「こんな内容じゃないでしょう」と叱られ、テレビ番組のあらすじを語ろうとすると、妹から「全然違う」とツッコミを入れられて育ってきた。作家の資質としては、無意識によりよい筋に変換しようとするのは望ましいかもしれないが、つまりはダメ人間である。ここで書いているものも、正確な引用でないことを、ご容赦いただきたい。


 で、話は後者、エッセイ『贅沢貧乏』である。


 森茉莉は二度の結婚生活をへて、子どもをなしてはいるものの、お嬢さん育ちで、料理の才能以外は生活能力のない人、とされている。というわけで彼女の書き物で「食事の時にジュースを飲むなんて信じられない」と怒られてしまうと「私が子どもの頃は、外食すると、大人のビールのかわりに子どもには自動的にバヤリースが出てきて拒否権がなかったんですよ」と抗議したくもなるが、お育ちがお育ちの人にそんな共感を求めてもしかたがないなと思える。


 それでは、いったい何に親近感を覚えるかというと、彼女は服を積むのである。


 一度服を着ると、しまえない人なのである。

 服は当然、広げっぱなしになる。

 そして、服は、少しずつ積み重ねられていく。

 いつか飽和状態になるわけだが、そうすると彼女は、夜中に港へ、こっそり捨てに行くのである。


 これを「だらしない」と笑うのは簡単だが、私も積む。

 服を一定のパターンで着回しているので、「この日はこのセット」と一式を積む。それを三日ぶんも四日ぶんも重ねたら、さて、どうなるか。


 ダメ人間である。


 前回もチラリと書いたが、昨年、交通事故で歯を折り、腕を骨折した。

 外出に制限がかかり、通販で変な服を沢山買うことになった。

 雑貨も通販で買った。

 それを繰り返すと、箱も積み重なっていく。

 本を積むのは仕方がないとしても(積んではいけない!)、それだけではすまない話になってきた。


 ある日、若い上司に「物が持てなくて、二階まで持って行けなくて困っているんです」と言ったら、「今は仕方がないんだから、他の人の部屋に、ちょっとだけ荷物を置かせておいてっていって、自分の部屋にしちゃえばいいんだよ」とあたたかな返事をもらった。「でも、それをやると、自分の部屋が三つぐらいになっちゃうんです」と私が言うと、さすがの彼も苦笑していた。


 ダメ人間である。


 怪我も治りつつあるので、箱の類いは少しずつ片付けていくつもりだけれども。


 たぶん、服は、これからも、積む。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る