第22話 風の声

「失敗したんなら改めて成功して償えばいいんだ。気にすることはねえよ」

 シュラムはそうマシュリに言った。

 シュラムとニロブにシェスコ、それにマシュリを加えた四人は西の土地の人間たちが何かやっているというクヌガの言葉を確かめるために麓に下っている真っ最中だ。

 本来ならば暗い中の移動は体の一部を光らせて灯にする。しかし今回はすでに人間たちが山の中に入っていることを想定しているため出来る限り気づかれないようにしなくてはいけない。だから暗い道を走るためにそれぞれの目は魔法でふくろうのように闇夜でも見えるようにしている。

 麓まで一気に駆け下りた四人は目をしばらく休ませていた。闇のわずかな光を集める照膜を瞳の中に作ったので眼球にかなりの負担を強いてしまったからだ。

「なんかザワザワと音がするな」

 木の陰に隠れて休んでいるシュラムが他の三人に尋ねた。

「西の土地の言葉のようだな。なに言ってるかさっぱりわかんねえけど」

 一番耳のいいシェスコがそう答える。

「川の向こうにたくさん集まっているみたいだ。灯もつけずになにやってるんだか」

 一番に目が回復したニロブが報告する。

「橋は渡ってないのか」

 シュラムが確認を促す。

「誰一人として渡ってないな」

 ニロブが改めて報告する。

「あの橋ってだれが作ったんですか?」

 三人に後からくっついてきたマシュリがシュラムに尋ねる。

「元々は俺たちのじいさんのそのまたじいさんたちがまだあの土地に住んでいた時に作った橋があそこにあったんだ。例の侵略にあった時に橋を壊したんだが、奴らいつの間にか橋を作りやがったんだ」

「その時にどうして僕たちを襲わなかったんだろう?」

「襲ってきたさ。だけどその時は返り討ちにできた。あちらは山で迷ってバラバラになっていたからな、一人ひとり上から岩を落としたりして倒していった。さすがにそれ以上は進んでこなくて退散していったって話しだ」

「そんな話しはじめて知ったよ」

「うちの部族は英雄譚は好まないからな。その手の話しは御法度っぽい」

「なんで?」

「根本的に争うことが嫌いなんだろうな。そうでなければすぐに土地を手放して山になんか逃げ出したりしないって」

「……あいつらが山に入ってきたらどうするんだろう?」

 マシュリの問いに少し考えてシュラムは答えた。

「おそらく逃げるんじゃねえかな。どこに逃げられるかわかんねえけど」

 マシュリは考え込んでやがて発言した。

「あの橋が壊れたら奴ら山に入ってくるのを諦めるかな」

「それはわからんが少なくとも今日来ることはできないだろうな」

 その答えにマシュリは立ち上がった。

「おい、マシュリなにする気だお前?」

 橋は吊り橋で両岸に杭を立ててそこに紐で繋げているシンプルな構造だ。だったら二カ所の杭をどうにかすれば橋はこちらから崩れるはずだ。

 マシュリは橋めがけて走った。


「おい、あれ人じゃないか?」

 対岸でテオドゥロからの次の指示を待って集まっていた男の一人が側にいた男に声をかけた。

「みたいだな。なにやってんだ」

「……どうせ暇だし撃ってみないか」

「いいね。やってみよう」

 男は銃身に弾と火薬を詰めた。


「アーテュ・サ・ランザ」

 マシュリは呪文を唱えて吊り橋の杭に触れた。杭はみるみるうちに砂と化していった。吊り橋の紐が支えを失い川に落ちていく。

「まずは一本」

 もう一つまで全力で走った。

 ターンッ!

 マシュリの耳に音が聞こえたと同時に意識が飛んだ。


「マシュリ!」

 シュラムは吹き飛んだマシュリに向かって叫んだ。三人は一斉に立ち上がりマシュリの元に走った。

 シュラムが腰に結わえた袋から脂を浸した布玉を取り出した。ヌナバから渡された投石器を取り出して玉を乗せた。

「ホムラダ」

 布玉に火をつけて全力で対岸に向かって投げつけた。突然飛んできた火の玉に対岸の男たちは右往左往した。ニロブとシェスコがマシュリを抱えた。

「急げ!奴らが慌ててるうちに逃げるんだ」

 シュラムが二人に命じた。


「銃声だ。なにがあったんだろう」

 カールじいさんの小屋でアルフレッドの治療を受けていたトーマスの耳にも銃声が聞こえていた。

「お前が気にすることはない」

 アルフレッドはそう言いきった。

「先生どうするおつもりですか」

 ジェイコブの問いに

「しつこいな、君は。今はそれどころではない。これからケガ人が続出する。私たちはその対応に負われることになる」

「先生次第でそれを阻止できるかもしれないんです。無駄な人死には増やすべきではないでしょう」

「それは町が決めることだ」

 こうなったアルフレッドは翻意させることはできないとトーマスは悟っていた。

 元々は自分が撒いた種なのだから父親にどうにかしてもらうことは考えてはいなかった。だが、今の自分は幼くあまりにも無力だ。

(さっきの花火の真意にクヌガが気づいてくれてみんなを連れて逃げ出してくれていれば)

 と思っていた。


「ヌナバ!マシュリが撃たれた」

 シュラムは集落に戻って真っ先にヌナバの家に駆け込んだ。

「どうしてマシュリが撃たれるんだ?」

「すまない、俺が連れ出した。あいつに汚名を雪ぐ機会を与えてやろうと思ったんだ。そうしたらあいつ橋を壊そうとしたんだ。その時に対岸の鉄砲使いがいきなり撃ってきやがった」

「容体は?」

「左肩を撃ち抜かれた。どうしていいかわからないから傷口を“ホムラダ”で焼いた」

「……いい判断だ」

 シュラムは子どもの頃に銃で撃たれた人対して傷口を焼いて止血しているのを見たことがあった。その時の光景を見よう見真似でマシュリに施した。これは焼灼止血法といって衛生的でない場所で行なうと感染症を引き起こす可能性が高い。しかし、今回のような緊急時にはやむを得ないだろう。あとはヌナバの処置にかかってくる。

「奴ら対岸で灯もつけずに鉄砲を持って集まっていやがった。何十人もだ」

「橋は壊せたのか」

 シュラムたちの報告を聞くために残っていたカナンが尋ねた。

「いや、杭を一本潰せただけだ。渡ろうと思えば渡れる。それに新しい杭があればすぐに修理することもできる」

 シュラムの言葉にカナンは考え込んだ。やがて、

「……山を捨てよう」

 そう告げた。

「捨てるって言ったってどこに行くんですか?このまま山を下りたら鉄砲使いたちと鉢合わせだ」

 居残っていたうちの誰かが言った。

「だから東の方に逃げるしかなかろう。あそこは斜面が急だし女子どもには大変かもしれんが今なら逃げきれる」

「山を下りることができてもあの森はどうするんですか?あのでっかい森は誰も入ったことはない。こんな真っ暗な中でどうやって抜けるんですか」

「それに森を抜けたあとのあてはあるんですか」

 矢継ぎ早に質問を浴びせられてもカナン自身つい先程まで山から出て行くことは考えてもいなかった。どうするかと問われてもなんとも返事のしようがない。

「行き場所はある」

 屋外でマシュリを治療しているヌナバが続けながらそう言った。

「ファーは僕たちがこの山から出て行かなくてはならないことを考えていました。東の森を抜けたら小さな平原があります。豊かな土地ではないから一年くらいしかいられないと言ってました。そこに逃げ込みましょう」

「ナボルはその土地のことを知っていたのかもしれないが、そのナボルはもう墓の下だ。いったい誰がそこまで先導してくれるんだ」

 その問いかけにヌナバは治療の手を止めてしまった。たしかに元々はナボルが先導するはずだった。“風の声”を聞けるナボルならはじめての場所でも問題なく着くことができるだろう。しかし、今は誰もいない。やみくもに山を下りても果たして目的地までたどり着くことができるのだろうか。

「……あたしがやる」

 ヌナバの家からクヌガが出てきて言った。

「あたしなら“風の声”が聞こえるからきっとたどり着くことができる。あたしが案内する」

 カナンがクヌガに近づいて尋ねた。

「やってくれるか、クヌガ」

「はい」

 クヌガは答えた。その言葉を聞いてカナンは集落に号令を出す。

「これから西の土地の者たちが鉄砲を持ってこの山にやってくる。わしらは今からこの山を捨てて東の土地に移る。クヌガを道案内にして数人の男たちが先導する。グズグズはできんぞ!奴らはすぐそこまで迫っておるかもしれん。荷物はほとんど捨てていけ」

 クヌガは鼓動を感じていた。正直、ナボルが撃たれる前から“風の声”は聞こえていない。今もだ。だが、そんなことを言うわけにはいかない。今はこの山から部族のみんなを無事に連れ出す事。そのためにも“風の声”をまた取り戻さなくてはいけない。

「クヌガ、おぬしは少し休んでおれ」

 カナンが声をかける。クヌガは頷いてマシュリの治療を続けているヌナバの元に向かう。

「マシュリの様子はどう」

「大丈夫だ。傷口も火傷の跡もわからないくらい完璧に治してやる。心配しないでお前は家の中で休んでいろ」

 ヌナバの言葉に麻の布を巻き付けた自分の右腕を見る。そして黙って家の中に戻った。


「どいつもこいつも勝手な事ばかりやりやがって」

 橋を壊されてテオドゥロはいらだっていた。

(花火を打ち上げたりイースタンを勝手に撃ったりとこれじゃ計画は台無しだ)

「おおい、橋の様子はどうだ」

 半分壊れかけた橋をなんとか渡り終えた男に向かってテオドゥロは声を上げた。

「杭を打ちつけて縄を張り直せば充分いけますよ。一人ずつ渡れば切れることもないでしょう」

 男の言葉に安堵するが一人ずつしか渡れないのは辛い。奇襲が無理なら圧倒的な人数で押し切るしかない。今はそれすら無理になってる。だが、できる方法でやり切るしかない。イースタンを逃せば山を確保できたとしてもまた取り戻されてしまうかもしれない。だったら徹底的に叩き潰した方がいい。そう考えていた。

「わかった。とりあえず大急ぎで修理してくれ。夜明け前にけりをつけたいからな」

 テオドゥロはネイサン・ハッチンソンとセバスチャン・ローラットを呼びつけた。

「お前さんたちに頼みがある。橋の修理が終わり次第、山に入ってくれ。ローラットさんが先頭に立って奴らの集落まで道案内をやってくれ。それで俺の訓練を受けたネイサンたちがその後についていく」

 その言葉にネイサンが反論した。

「俺たちだけで奴らの懐まで飛び込めって言うのか?」

「他の奴らじゃ奥まで行ってもたいして役にはたたねえ。だったら少数精鋭で行ったほうがいい。大丈夫だ、お前さんたちの腕なら奴らの魔法なんぞ十分蹴散らせる。俺も後からすぐに追っかける」

 テオドゥロのおだてにネイサンもそれもそうだなとその気になる。

「他の奴らにはお前さんたちが取りこぼしたイースタンの掃討と橋の守りをやってもらう。この橋が完璧に潰されたら町に帰れないからな」


 集落は大騒ぎだ。なにしろ族長から急に今までの生活を捨てると命令されたからだ。

 なにを持っていけてなにを捨てなくてはいけないかわからない。また山に戻ってこれるのか。これから先の不安と恐怖が人々を襲う。

 そんな中、クヌガのいる部屋は静かだ。さきほど治療が終わったマシュリも一緒の部屋で横になっている。時がくるまでここで二人して休んでいることになった。

(お願い、“声”を聞かせて)

 クヌガはしばらく前から“風の声”が聞こえなくなっている。聞こえないが故に様々な失敗を繰り返してしまっている。だが、今回は失敗するわけにはいかない。何としてでも“声”を聞けるようにしないと東の森を抜けるのが不可能になってしまう。

「どうしてこんなことに……」

 ナボルが撃たれて死んでしまったことが信じられない。撃たれた時にどうしてトーマスを襲ったのだろう。ナボルのところに駆け寄ったらもしかしたらまだ息があったかもしれない。

 ダメだ。自分は治癒師になるための能力をなに一つ身につけていない。あの時、ナボルの言う通りにして治癒師になることを決めていたら助けられたかもしれないのに。

 いつも判断を誤ってる。これからだってそうかもしれない。咄嗟に“風の声”が聞こえると嘘をついてしまった。その判断が部族を大変な目にあわせることになるんじゃないか。ずっと不安を抱えたまま横たわっている。

「どうしたの、クヌガ?」

 隣で寝ているマシュリが声をかけた。

「あたし“風の声”が聞こえないんだ」

 クヌガは正直に答えた。

「……どういうこと?」

「今まであたし“風”がいろいろ教えてくれたんだ。トーマスが山に来ているよ、とか。だけどファーが死んでから“風の声”がぱったりと聞こえなくなっちゃったんだ。どうしよう。これから東の森を抜けるのにあたしがファーの代わりに案内しなくちゃいけない。でも“風の声”が聞こえなくちゃ、そんなこと出来やしないよ」

 クヌガの言葉にやっと合点がいった。クヌガがトーマスが来る時がわかっていたのは“風の声”とやらに教わっていたからなのか。

「……大丈夫だよ、きっと」

 マシュリはクヌガを安心させるように穏やかな口調を意識して語り出した。

「どうしてそんなことが言えるの」

「だってクヌガはあの花火を見て西の土地でなにかあったってわかったじゃない。“風の声”が教えてくれたから気づいたんだよ」

「あれは前にトーマスと狼煙のことを話していたら花火に話が移ったことを覚えていたから。きっとトーマスもそれを覚えていたから花火を打って知らせてくれたんだと思ったのよ」

「彼はそう思って花火を打ったかもしれないけど、それをクヌガがすぐに理解できたのは“風の声”の助言があったからだよ。大丈夫、出発する時にはいつものように風が教えてくれるよ」

 口からでまかせだが、話しているうちにマシュリも意外とそうなんじゃないかと思えるようになった。

「そうかな」

 クヌガの不安げな声に

「そうだよ」

 と被せた。

「……ありがとう」

 クヌガのお礼の言葉に意を決したようにマシュリは言った。

「ねえ、クヌガ……」

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