第19話 ナボルの死

 やっとナボルに追いついた。ヌナバはいったん家に戻ったためにかなり遅れをとった。もしかしたら見失ってしまったかと思ったが、なんとか見つけることができた。ナボルはヌナバが後をつけていることに気がついていないようだ。ナボルに声をかけて一緒に行こうとも考えたが一心不乱に歩みを進めているため、そのタイミングを逸してしまっている。遅れずについていくだけで精一杯だ。

(いったいどこに向かっているんだ?このまま林をまっすぐ歩けば原っぱに出るが、そこが目的地なのだろうか)


 彼の拳銃ばなしは続いていた。聞いているとただ単に自分が大好きな拳銃の話しがしたかっただけらしい。少しホッとしたがなぜそんなことをしてるのか理解できなかった。

(いったいトーマスはあたしのことをどう思っているんだろう)

 そう考えた彼女は禁忌を犯すことにした。ナボルから禁じられていた『心を覗く』ことを決意したのだ。

 彼の目を見つめながら、そっと彼の心の奥底を覗き込んだ。


 ……クヌガは突然、手を離した。手を離して膝を抱えた。そしてその膝に顔を埋めた。

 トーマスがその肩を掴んで

(どうしたの)

 と尋ねてもなんの反応もない。

(人間の女の子も魔法使いの女の子も自分が話したいことだけ話して、人の話しを聞こうともしない。勝手だな)

 肩から手を離したトーマスは心の中でそう思った。

(収穫祭で助けてくれたお礼に父親の拳銃を見せてあげようとせっかく持ち出してきたのに喜んでくれなかったら意味ないじゃないか)

 ガサッ。

 林の方から音が聞こえた。トーマスは音のした方角に向くとそこには巨大な男がいた。

 格好からすると魔法使いの様だが、とにかく容貌が恐ろしい。その巨大な魔法使いはこちらを見るとギョッとした表情をみせた。そして、やおらこちらに手を伸ばして近づいてきた。

「ファー……」

 クヌガが言った。何?ちらりとクヌガの方を振り向くとクヌガは男の方をじっと見てなにか語りかけていた。

 だが、そんなクヌガのことなど見向きもせずに巨大な魔法使いはずんずんと近づいてくる。近づく度に顔に影がかかり表情が見えなくなる。

 ……恐怖した。


 クヌガが手を伸ばしてトーマスの腕を掴もうとしたが、それより早くその震えている腕は持っている拳銃の引き金を引いていた。


 魔法使いの男の体が後ろに向かって倒れる。トーマスの手には硝煙の匂い立つ拳銃が握りしめられていた。その状況に現実感が持てない。

(僕が倒したの?なんで?こんなにあっさり?)

 じっと魔法使いを見ているととつぜん視界に影が被さった。トーマスはとっさに両腕をあげてその影の攻撃を防いだ。

 ガキッ!

 鈍い音が手に持った拳銃から発せられた。クヌガの刃化された腕が拳銃をしたたかに打ちつける。そのために斬撃が鈍った。クヌガの切っ先はトーマスの鼻先をわずかにかすめた。もし、拳銃で食い止められていなければトーマスの顔はばっくりと切り裂かれていただろう。拳銃は弾き飛ばされ沢の中に落ちていった。

(なに?どうしたのクヌガ)

 なぜ攻撃を受けたのかわからない。突然どうしたのか、さっぱり理解できない。

 トーマスは逃げた。原っぱから出て山道を駆け出した。だが、すぐにクヌガに追いつかれる。トーマスの足では麓まで逃げきれるものではない。

 クヌガは左手でトーマスの胸ぐらを掴んだ。右手はこちらを刺し貫こうと身構えられていた。

(殺される)

 トーマスは本気でそう思った。だが、予想外のことが起こった。クヌガの左手が離れそのまま手のひらがこちらに向いた。

「シュンチャ!」

 クヌガの口から呪文が呟かれるとその左手から衝撃が襲ってきた。

 あの石を飛ばした呪文。おそらく靴を飛ばしたであろう魔法。それがトーマスの体に向かって唱えられた。トーマスの体はあの時の石のように吹き飛んだ。

 山道の脇の崖下にその体が落ちるかと思われたが木がそれを邪魔した。背中からぶつかり血反吐を吐く。

「グホッ!」

 その衝撃に目眩が起こる。肋骨が折れたのか呼吸が苦しい。

 ぼんやりとしたクヌガがこちらに近づいているのがわかる。

 やがて止まったクヌガが右腕をあげた。

(こんどこそ本当に殺される)

 どうして殺されるのかわからないが、その向かえるであろう死は確実に理解できた。体は指一本まともに動かない。逃げる気力も体力もない。やがてトーマスの瞼が落ちる。

 クヌガの振り降ろす刃化された右腕の音が聞こえたと思った。


 ガーンッ!

 その音にトーマスは目を開けた。クヌガの体がゆっくりと後ろに倒れる。さっきの男と同じように。


「手ごたえはあった」

 テオドゥロは確信した。事情はさっぱりわからないが、あの木にもたれているのはトンプソン医師の息子のはずだ。

 その子に向かって鈍く光る剣のようなものが振り降ろされそうにみえた。とっさに腰につけていた回転式拳銃を抜き照準を定める暇もないまま撃った。

 その視界から剣のようなものは消えた。弾は剣に当たっただけだろう。剣の持ち主はまだ生きてるはずだ。これで諦めてくれればいいが、ここから崖の上に上がるまでに奴が殺されないとも限らない。だが、ここで手をこまねいていてはその死は確実だ。こんなことなら小銃を持ってくればよかった。だが、今はなんとか崖の上にあがる道を見つけなければ。

 その時、崖の上から何かが放物線を描いて飛んできた。火の玉だ。

「火の玉だあ?」

 予想外の状況にテオドゥロは戸惑う。だが、火の玉は一つ二つと飛んでくる。ゆっくりと飛んでくるため避けるのは造作無い。だが、その玉から発せられる火が周囲の草木に燃え移ると面倒なことになる。テオドゥロは落ちてきた火の玉を片っ端から近くの沢に蹴落とす。その間はどうしても崖の上にあがることができない。


 ヌナバは三発目の火の玉を投石器を使って“鉄砲使い”に投げつけた。あの男がここに登ってくる時間を少しでも遅くしなくてはいけない。

 傍らをちらりとみる。クヌガ倒れている。そして西の土地の子どもが木にもたれかかるようにうなだれている。原っぱでは父親がこと切れていた。おそらく最初の銃声で撃たれたのだろう。原っぱに行くのは予想できたがそれでもナボルの足に追いつけなかったのが悔やまれる。


 ヌナバが最初の銃声を聞き、やっと原っぱに入った時、そこには倒れているナボルの姿があった。

「……いったいなにがあったんだ?」

 一番知りたい事柄を教えてくれるものはいない。その時、山道の方からなにか鈍い音が聞こえた。なにかが木か何かにぶつかったような音だ。とにかくそこに向かうことにした。

 そこでは信じられないことが起きていた。クヌガが右腕を刃化して西の土地の子どもを斬りつけようとしていた。

 止めなくては。そう思い腰に結わえた袋からシュラムが作った動物の脂ひたして作った布玉を取り出した。

「ホムラダ」

 呪文を唱えて火をつけ、それを投石器に乗せた。

 これをクヌガに当ててはダメだ。とにかくその側に落とすように投げつけ戦意を削がなければいけない。状況を把握するのはその後だ。だがまたもや予想外のことが起こる。また銃声が聞こえ今度はクヌガが倒れるのがみえた。

(撃たれた?)

 とっさにそう思ったヌナバは銃声が聞こえた崖下を覗き込む。そこにはつばの広い帽子と黒いチョッキをつけた“鉄砲使い”がいた。

(これでもくらえ!)

 火のついた布玉を投石器を使って“鉄砲使い”に向かって投げつけた。それを三発放った後、西の土地の子どもを尻目にヌナバはクヌガの元に駆け寄った。

 クヌガの左手は紫色に腫れ、刃化した右手は小指から薬指にかけて半分ほどが砕けていた。

(今、元に戻すわけにはいかない)

 もし、ここで右腕を元に戻したらあっという間に右腕に血液も流れ込んでしまう。そうすれば砕けた右手から血が吹き出してしまう。刃化されているからこそ止血できているのだ。

「クヌガ!聞こえるか。聞こえているなら決して右腕を元に戻すな。きちんと止血するまでそのままでいろ。僕が……必ず元に戻してやるからな」

 右腕を刃化した状態でいるわけにはいかない。そのままでいると腕がいずれ壊疽をおこして腐れ落ちてしまう。だが、ここで治療をするわけにはいかない。足止めしたとはいえすぐにでもあの“鉄砲使い”がやってくるに決まってる。

 ヌナバはクヌガを右腕で担ぎ上げた。西の土地の子など知ったことではない。奴はいずれやってくる“鉄砲使い”がなんとかするだろう。うまくいけばそれが足止めの効果を発揮するかもしれない。

 問題はナボルだ。ナボルの体はあまりにも大きい。ヌナバの空いた左腕で担ぐのは無理だ。残念だがここに置いていくしかない。いずれ幾人かの男たちと共に遺体を取りに来よう。

(すみません、ファー)

 ヌナバはそう心の中で父親に詫びた。

 そうとなれば急がなくてはいけない。クヌガを担いだまま全力で原っぱに向けて駆け出した。

「待ってヌナバ。ファーを連れて行かないと」

 目を覚ましているクヌガがそう言った。だが、そんなことはできない。ヌナバは黙ったまま走る。

「待って。ファー!ファー!ファー!」

 クヌガは原っぱに横になっているナボルに向かって叫び続けた。その叫びは林の中に入った後も響き続けた。

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