第15話 花火
「早くして!どうしたの」
クヌガがマシュリに問いかける。
「ごめん、履ものがぶかぶかでうまく走れないんだ」
(まったく、だから履ものなんて好きになれないんだ)
クヌガは思った。
そして、クヌガたちがトーマスに追いつこうとした時、なにか起こったらしい。言葉が通じないからなにが起こったのかわからない。トーマスたちと顔見知りのようだがあまりいい雰囲気ではなさそうだ。
やがてその場にいた男たちが林の中に行くのがわかった。女の人は走って行ってしまった。
それで終わるのかと思いきや、トーマスはその男たちを追って林の中に入っていってしまった。トーマスの友達らしき二人の男の子は逡巡していたが結局祭りの喧騒のほうに行ってしまった。
クヌガは迷うことなく林のほうに向かった。
「なにがあったんだろう?」
マシュリは当然の疑問を口にする。
(なにがあったかは関係ない。これからトーマスの身に起こるなにかを止めないと)
彼女はそう心の中で彼に伝えて手を離した。それから林の中に小走りに向かう。
マシュリもクヌガの後を追う。土地の人間同士のトラブルに巻きこまれて魔法を使う羽目になってしまったらまずい。なんとしてもクヌガを止めないと。
林の中に入ると数人の男たちが一人の男を殴っているのが見えた。
「やめろ!」
トーマスは男たちに向かって怒鳴った。ジェイコブを一方的に殴っていた男たちはその声の方を向いた。
「なんだ?」
ネイサンがトーマスに向かって問いかけた。
「一人に大勢で卑怯じゃないか」
トーマスは言った。ジェイコブは
「トーマス、やめろ。君は家に帰れ」
とトーマスに向かって怒鳴った。ジェイコブを殴るほうに参加していなかったネイサンは
「彼はああ言ってるよ。俺も奴の意見に賛成だ。おとなしくこのまま帰るのなら見逃してやる。そうでないなら」
と言ってトーマスの腹に蹴りをいれた。
「……容赦はしない」
他の男たちはへらへらと笑いながらうずくまっているトーマスを見ている。
「やめろ!その子は関係ないだろう」
ジェイコブはネイサンに向かって怒鳴った。
クヌガが駆けだしそうになるのをマシュリは寸前で止めることができた。すでにクヌガの右腕は刃化されていた。
(クヌガ、待って!)
彼はそう告げた。彼女は
(離して!トーマスを助けないと)
と彼を睨みつけた。彼は怯まず
(まず君が落ち着いて。右腕を元に戻して!ここで僕らが魔法使いだってバレることのほうが彼に迷惑をかけることになる)
彼女の右腕を軽く叩いて魔法を解くよう促した。
クヌガならあそこでトーマスたちを殴っている男たちなど軽く蹴散らすだろう。その時は男たちの死体の山ができ上がってるはずだ。だが、それは西の土地と山の人間たちとの争いに繋がる。
(でも……)
彼女は右腕を元に戻すが、なおも殴られているトーマスたちを見ていた。
マシュリは必死になって考えた。魔法を使わずにこの場を治めることは自分たちには無理だろう。だが、
(考えろ、なにかあるはずだ)
『シュンチャ』を使って奴らに石を飛ばすか。あれならただ石を投げたとしか思われないかもしれない。だが、そう思っても手頃な石が見当たらない。小さすぎると衝撃波に耐えきれずに粉砕してしまうし、大きすぎると彼らの体に穴を空けてしまう。
その時、彼らの後ろでハッと息をのむ声が聞こえた。振り返ると数人の男の子たちと一人の女の子が林の中に入ってきていた。
「トーマス!」
その中の女の子がそう声を出した。クヌガは覚えている。
(トーマスがあたしを助けてくれた時にそばにいた女の子だ)
「まずいな。人気がないからここに来たのにまさか見物人が六人もいるとはな」
ネイサンはニヤニヤしながらそう言った。
リアンたちと林の中に入ってきたドロシーはうずくまってるトーマスを見ていた。そして
「ねえリアン、助けてあげて」
と、リアンに向かって懇願した。しかし、リアンは呆れたように返した。
「はあ?冗談じゃないよ。なんであんなよそ者を助けなくちゃなんないんだ」
他の二人もリアンに賛成した。
「そうだな、その方が懸命だ。正義感が熱いとろくなことにならないからな」
そう言いながらネイサンはまた、うずくまってるトーマスの体を蹴飛ばした。
「やめろ!お前たちの相手は僕のはずだ。関係のない子どもたちには手を……」
そんなジェイコブの言葉は新たな拳で遮られた。
マシュリはつかんでいるクヌガの体が押さえつけられないほどいきり立っているのがわかった。このままでは奴らの中に飛び込んで大変な騒ぎになるだろう。クヌガがもっと小さかった時ですら、キレたクヌガを抑えるのにたくさんの大人が大ケガをしたのだ。自分一人で彼女の矛を収める自信はない。
「じゃあ、俺たちは行きますから。別にここでなにかあったなんて言うつもりないですから」
リアンは男たちにそう言って立ち去ろうとした。
「おい、なにやってんだよ、行こうぜドロシー」
「う、うん……でも」
ドロシーは立ち去り難そうだった。目はまだうずくまってるトーマスを見ていた。
「勝手にしろよ」
リアンたちは逡巡するドロシーを見捨てて行ってしまった。
「お嬢ちゃんはいかないのかい。それとも俺たちと一緒にこの生意気な坊主を退治するかい」
ネイサンはそう言って笑いながらドロシーの隣にいるもう一組の男女の子どもを見た。
(見たことない奴らだ。よその町の子どもか?金髪を二つ結いにした女の子はものすごく怒っているみたいだが、ふとっちょの男の子が押さえつけてる。よく見るとヘンな服を着てやがる)
「おい、お前らもさっさと行っちまえよ。ここで見たことを言うんじゃないぞ」
そう言ってみるが反応はない。
(まあいい、邪魔もできないだろう)
ネイサンは仲間たちの方を向いた。その仲間たちはジェイコブたちを痛めつけるのに必死でクヌガたちの方を見ようともしていない。
(今だ)
マシュリは隣で戸惑っているドロシーの額に手を当てた。ドロシーは驚くまもなくマシュリの術中に落ちた。
(なにやってるの?)
クヌガはマシュリに聞いた。マシュリは答えずにしばらくドロシーに向かって念じ続けた。
やがてドロシーは踵を返すと一目散に駆け出した。
(あの子に大人を呼びに行かせた)
(呼びに行かせたってどうやって?)
(心の中を直接動かした。やったことなかったけどうまくいったみたいだ)
彼女は目を丸くした。心を直接動かすなんて聞いたこともなかった。いったい彼はどれだけのことができるんだろう。
(これでうまく治まってくれればいいんだけど)
あの女の子が連れてきた大人がなんとかしてくれればいいが、下手をすればここから逃れることができないかもしれない。
「グアッ!」
トーマスの声で二人は振り返った。さらに男たちはジェイコブたちを痛めつけることに熱中していた。
「いいかげんに謝れよ。そうしたら許してやるからよ」
男たちも観念しない二人に嫌気がさしてきた。
「……僕らが……謝らなくちゃいけない理由は……ない」
トーマスは頑固になっていた。ここで自分たちが間違っていたと言うわけにはいかない。それなら死んだ方がマシだ。
「しょうがねえなあ」
男の一人が周囲を見まわして大きな石を見つけた。それで殴るつもりか。男がその石を両手で持って振りかざした。
(まずい!)
マシュリは思わず乗り出した。その時、ネイサンにぶつかった。
「おい、それ以上近づくなよ」
ネイサンが邪魔をした。だが、その傍らを一つの影がすり抜けた。その影が一直線にトーマスの元に辿りついた。
(しまった!)
マシュリが気をそらした隙にクヌガはトーマスを庇うように石を振りかざした男の前に立ちふさがった。
「なんだ、あいつは?おい、あれはお前の仲間か?」
ネイサンはマシュリに聞いたが、言葉がわからないので黙るしかなかった。
「おい、ケガしたくなかったらどけよ」
男は振りかざした腕をおろすことなく言った。クヌガは微動だにせずに男を睨みつけていた。その目がカンに触る。
「おい!どけって言ってんだろ!」
男の左足がクヌガの脚を蹴飛ばすがなおもクヌガは動かない。
「……クヌガ?」
トーマスはクヌガに声をかけた。
クヌガの目がはじめて動揺した。土地の人間の言葉はわかなくても自分の名を問われたのはわかる。
(どうして?)
その一瞬の隙を男はついた。振りかざした腕をさらに上に挙げた。
(振り下ろすつもりか!)
マシュリはこれみよがしに足を進めた。
「動くなって言ってんだろ!」
ネイサンがマシュリの体を軽く押した。その動きに合わせてマシュリは後ろに体を倒れさせた。尻餅をつき背中が地面についた。それによって両の足が宙に浮いた。急ごしらえで作ったぶかぶかの靴を履いた足が宙に浮いた。
「シュンチャ」
小声で呪文を唱えた。
両足に衝撃波が走る。ぶかぶかの靴は足から飛び出し地面すれすれを猛スピードで飛んでいく。靴は加速を続けながら一直線に石を持った男に向かって滑るように向かっていった。
男の両足に靴が命中する。なにごとかわからないまま男はひっくり返った。
石を持っていたせいで受け身をとることもできないまま地面に倒れ込んだ。悲鳴も上がらなかった。
マシュリの両足は紫色に腫れている。今は痛みで立ち上がることもできそうにない。マシュリの頭上で声が聞こえた。女の子の声のようだ。どうやらあの子が誰か大人を連れてきたみたいだ。マシュリはそちらを見た。
ドロシーに連れてこられたテオドゥロは
「おい、お前ら動くな!」
と叫んだ。
(よりにもよって“鉄砲使い”を連れてきたのか)
男の腰にぶら下がっているものをマシュリははじめて見たがあれがみんなが噂していた“鉄砲”と確信した。このまま居続けたらやっかいなことになるかもしれない。だが、今は立ち上がることもましてや歩くこともできない。せめてクヌガだけでも逃がさないと、そう思った。
だが、そのクヌガは機敏に動いた。靴を脱ぎトーマスに向かって放り投げたと思ったら脱兎のごとくマシュリに向かって駆け出した。
「動くなつってんだろ!」
テオドゥロは腰に手を当てた。
「動かしちゃダメだ!」
トーマスは叫んだ。その声にテオドゥロの手が止まる。トーマスは倒れた男の方を見ていた。倒れて声も立てていない男をかかえようとしたネイサンに向かって言った。
「もしかしたら……脳しんとうを起こしてるかもしれない。動かしちゃいけない」
トーマスに医療の知識はほとんどない。脳しんとうも口からでまかせにすぎない。だが、今はみんなの意識をクヌガから離さないといけない。
クヌガはマシュリの元に走り込むとそのまま足を止めずにマシュリを背負った。今のマシュリの体は太っているがあくまでも魔法でそう見せかけているだけにすぎない。本来のマシュリの体はクヌガとそう大差ない体つきだ。案の定、クヌガの力でも十分背負えた。
クヌガはマシュリを背負ったままその場を全力で離れた。
「クヌガ、降ろして。君ひとりで逃げて」
マシュリは自分が足手まといになりたくなかった。だが、彼女は
(黙って。舌噛むよ)
と言ったまま後は走ることに集中していた。マシュリを乗せたクヌガはあっという間に林の中を駆け抜けた。
「手を離せよ」
掴んでいる男の腕を外しながらヨロヨロとジェイコブが立ち上がる。そして、倒れた男のところに行く。
「おい、聞こえるか」
ジェイコブは倒れている男に声をかける。
「……うーん」
返事らしき声が聞こえた。続いて
「よし、目は開けられるか」
と聞いてきた。男は目をゆっくりと開けた。
「いいぞ、僕の顔が見えるか」
ジェイコブの問いかけに男は頷いた。
一連のジェイコブの言動にテオドゥロは座っているトーマスに問いかけた。
「あいつはいったいなにをやってるんだ」
「……たぶん、頭を打った影響がないか調べているんだと思う」
トーマスの答えに納得したテオドゥロはさらにトーマスに聞いた。
「あの男はどうして倒れたんだ?坊主は見てたんだろ」
町長の息子のアーロンが側にいないとさきほどの“坊ちゃん”は使う気もないとみえる。しかし、トーマスはそこには気づかずに質問に答えた。
「……さっきの女の子が隙を見て足を引っかけたんだ。面白いようにスッ転んだよ」
嘘をついた。トーマスだけは靴が滑るように飛んできて男の両足にあたったところが見えていた。しかし、それを言うわけにはいかない。トーマスはそっと二足の靴を自分の背に隠していた。
「今の子どもたちは知ってるのか?お前さんの知り合いか」
さらに聞いてきた。トーマスは
「知らない」
と即答した。
「トーマス!」
ジェイコブがトーマスに声をかけた。
「君は大丈夫か?もし大丈夫なら先生を呼んできてくれ。自宅にいらっしゃるはずだ。その時に患者は『頭を強く打っている。ちゃんと受け答えはできているが手足にしびれがある』と言っていると伝えてくれ。君はそのままハンナに頼んでケガの治療してもらってくれ」
トーマスはヨロヨロと立ち上がって歩き出した。さっきの靴を持って。またお父様に怒られるなと考えながら家路に向かった。
(クヌガ、止まって。どうやら追いかけてこないみたいだ)
マシュリの言葉にクヌガはやっと足を止めた。小一時間全力でマシュリを担いで走り続けていた。もう山まで目と鼻の先だ。
マシュリを川沿いの岩に腰掛けさせる。
「足の腫れは引いた?」
クヌガはマシュリに尋ねた。マシュリは
「まだ引いてないけど時間の問題だよ」
と笑って答えた。クヌガはマシュリの横に腰掛けた。
「マシュリはすごいね。こうやって姿を変えたり、人の心を動かしたり。そんな魔法があるなんてこと、あたしは知らなかったよ。それに『シュンチャ』をあんな風に使うなんて考えたこともなかったよ」
ここ数日のマシュリの行動はクヌガにとっては驚きの連続だ。物質を変化させる魔法以外、ダメな魔法使いだと思っていた幼なじみの意外な面に正直にビックリしていた。
「……ずっと練習してたから」
マシュリは木登りをはじめ、クヌガの得意とする魔法は出来る限りできるようになりたいと昼夜を問わず一人で練習してきた。
「姿を変えたり、心を動かしたりするのは昔からできてたんだ」
マシュリは亡くなった祖父からその秘術を教わっていた。祖父はけっして人前でその力を使わないように念を押していた。使えばたとえ魔法使いの間でも疑いが生まれるからと。
「その力であたしの心を動かそうと考えなかったの」
「あんなの一時的な力だよ。さっきの女の子ももう魔法は解けてるよ。だからそんな力を使っていっとき心を変えてもクヌガはもっと僕のことを嫌いになっちゃうだろう?」
マシュリは誠実に答えた。その誘惑に駆られなかったと言えば嘘になる。でもそれだけはやってはいけないとかたく戒めていた。
「ありがとう……」
クヌガは今日、何度目かの感謝を告げた。
「マシュリのことを好きになれれば良かったのにね。そうしたら、きっとあたしは大切にしてもらえると思う。でも……」
マシュリにとってその言葉だけで充分だった。できればその後の言葉は聞きたくなかった。
ドンッ!
数メートル先から音が聞こえて
シュルルルルルッ!
という音がその後に続いた。
「花火?」
二人で呟いた時、
パーンッ!
音が頭上で鳴った。
真上を見るとたしかに花火が広がっていた。ヒュルルル。パーンッ。音が鳴った方をみるとすぐ先の小屋の側から花火が上がっていた。こんな近くから上がっていたなんて二人は今日、はじめて知った。
「こんなに顔を上げて見ないといけないんだったら山で見た方が良かったね」
「本当だね」
二人は川沿いの岩に腰掛けて花火を真下から見上げ続けていた。
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