第11話 トーマス
クヌガがトボトボと集落に戻ろうとした時、彼女に立ちふさがる影があった。
「マシュリ。……なにか用?」
マシュリはクヌガに問いかけた。
「あの男の子は誰?西の土地の子ども?」
「……だったらなんなの?」
「どうして、そんな子と一緒にいるの?なにがあったの?」
「あんたには関係ない」
クヌガはマシュリの脇を通り抜けようとした。
瞬間、マシュリの腕がクヌガの腕を掴んだかと思うとすっとその体を引き寄せギュッと抱きしめた。力任せの、ぎこちない抱擁。
彼の腕の中から彼女がやさしく声をかける。
「……マシュリ。離して」
その言葉に逆らうように彼の腕に力がこもる。
彼女は怒るでもなく、そっと右手で彼の背中をポンポンと叩いた。彼の腕から力が抜ける。クヌガはすっと彼から離れた。
「……さあ、帰ろう」
クヌガはなにごともなかったかのように家路に向かった。マシュリはただその背中を眺めるしかなかった。
夕方、トーマスは家に戻ってきた。しかし、どうやって自分の部屋に入るのかを考えてなかった。ジェイコブからも聞くのを忘れていた。
「どうしよう」
家から数メートル離れた場所で逡巡していたらトーマスの部屋の窓が開いた。見るとジェイコブが顔を出し、周囲を見まわしていた。きっとトーマスが帰って来るまで定期的にやっていたのだろう。トーマスは手を挙げてジェイコブに合図を送った。果たして彼は気づいた。
周囲に視線を送りこちらを見ている人がいないことを確認するとトーマスに手招きする。トーマスはダッシュで部屋の窓まで駆けだす。
その勢いで窓から部屋に入る。ジェイコブが急いで窓を閉める。
「ふう、焦ったあ」
部屋に入ってベッドに倒れ込んだトーマスは開口一番言った。
「トーマス、遅いぞ。いったいどうしたのかと心配したじゃないか」
ジェイコブは机の上の紙を差し出しながらそう言った。
「ええ!昨日と変わらない時間だよ。日が短くなってるんだよ。……なにそれ?」
「なにって今日、勉強したはずの内容だよ。簡単にまとめといたから大急ぎで覚えるんだ」
「そんなあ、少し休ませてよ。今、大急ぎで帰ってきたばっかりだよ」
トーマスの泣き言にジェイコブはピシャリと言った。
「なにを言ってる。ここまでやってはじめて完璧な計画なんだ。もう少しで夕食だからな。そこだと僕はなんのフォローもできない。それまでに覚えてもらわないと」
しぶしぶ紙を受け取るとトーマスは内容を覚えはじめた。中身は理解できないが時間のない今は丸暗記しかない。
「……デートは楽しかったかい、トーマス」
必死に覚えているトーマスに向かって手持ち無沙汰のジェイコブは声をかけた。
「楽しかったよ。また新しい魔法を見せてもらったし」
紙から目を離さずにトーマスは答えた。
「へえ、どんな魔法だい?」
ジェイコブの問いかけにトーマスはきっと顔を上げた。
「うるさいな!いま覚えてるんだから邪魔しないでよ」
「……ごめん」
ジェイコブは素直に謝った。
トーマスの必死の努力は徒労に終わった。夕食時、父親のアルフレッドはトーマスになんの質問もしなかったからだ。
トーマスはいつ今日の勉強のことを聞かれるかと気が気でなかったのでまったくの拍子抜けだった。夕食の味まで気が回らなかったくらいだったのに。
「これだったらあんなに一所懸命に覚えるんじゃなかったよ」
部屋に戻ったトーマスは後悔を口にした。部屋にやってきたジェイコブは
「必ず聞かれるわけじゃないけど、いつ聞かれるかわからないからな。手を抜かずにやっておかないとボロが出てからじゃ遅すぎるよ」
と言った。
「わかってるよ」
トーマスはその意見を認めた。そして、
「ねえジェイコブ。魔法使いってまるで銃を撃つみたいに石を飛ばせるんだよ。知ってた?」
とさきほどの話しの続きをはじめた。
「僕は魔法使いについてはなにも知らないよ。むしろ君からご教示ねがいたいね」
ジェイコブの言葉にトーマスは今日、クヌガから教わったことを伝えた。魔法使いは遠くの人と会話することもできないだけじゃなく触れたり、近づいたりしなければ魔法の効力は発揮されないということを。
「ふうん、そんな都合のいいものなんてやっぱりないんだな」
ジェイコブの言葉にトーマスは笑った。
「僕とおんなじこと言ってる」
トーマスはふと、
「クヌガたち、どうして山から降りられないんだろう」
と独り言を言った。
「なんだい?」
ジェイコブの問いかけにトーマスは
「なんでもない」
そうはぐらかした。
その疑問をトーマスはクラスメートのアーロン・ハッチンソンにぶつけてみた。彼は土地の人間が山に近づいてはいけないと教えてくれた。だったら山の魔法使いたちが山を降りられないという理由も知っているのではないか。そう思ったからだ。トーマスは自分が山に通っていることはふせてアーロンに尋ねてみた。
しかし、アーロンの反応は冷淡だった。
「そんなことにかかわらない方がいいよ、トーマス。イースタンたちに目をつけられたらなにをされるかわかったもんじゃないんだから」
「でも、そんなにイースタンたちが怖いならどうしてこんな山の近くで僕らは暮らしていられるんだい?」
その言葉にアーロンはむきになった。
「イースタンなんて怖くはないよ。子どもだったらともかく大人たちには銃があるもの。さすがの魔法使いも銃には敵わないよ」
「どうして魔法使いは銃に勝てないのさ?」
「だってあいつらの魔法は近づかなければなんの役にもたたないもの。あいつらがこの土地から出ていったのも僕たちの銃に恐れをなしたからさ」
たしかにクヌガもアーロンと同じことを言っていた。でも、昨日の『石を飛ばす魔法』のようにやり方次第では銃に対抗できるんじゃないか。
「だったらさ。僕らも銃を持っていけばイースタンの山に入っていってもいいんじゃないの?」
そのトーマスの言葉にアーロンは呆気にとられた。
「子どもが銃を持つこと自体ダメじゃないか。それとも君の親は君に銃を持たせているのかい?」
「いや、さすがにそれはないけど」
そんなことをすれば尻叩きや謹慎なんかでは済まないに違いない。
(結局、土地の人間も山の魔法使いもお互いがお互いを怖がっているだけなんじゃないのかな。お互いがわかりあって仲良くなればいいのに。僕たちみたいに)
そう思った。
アーロンからの遊びの誘いを断ってトーマスはまた山に向かった。
途中、ドロシーと出会ったが上級生らしき子たちと一緒にいるので声をかけられなかった。あれから話しをしていないけどどうしちゃったんだろう。
いつもの原っぱに行くと、すでにクヌガは待っていた。
クヌガはいつ来るかわかっているようにこちらを見て手を振った。状況が状況だけに必ず来られるか約束できていないにもかかわらずクヌガは原っぱにやってきて、やってくるタイミングがわかっているようにこちらを見つけた。昨日なんて驚かそうと別の道からやってきたのにすんなりと見つけられてしまった。だから、魔法使いが遠くの人と交信できないというクヌガの言葉をいまだに信じられないでいる。
(君たちって昔は僕らが住んでいた土地に住んでいたんだって?)
彼はアーロンから聞いたことを率直にぶつけた。
(……知らなかったの?)
彼女にしてみればそちらの方が驚きである。土地の人たちは子どもたちになにも教えずにいたのか?
(土地の人たちに銃で脅されて山に逃げてきたって聞いたんだけど)
その彼の言葉にカチンと来た。
(逃げたわけじゃない!あたしたちは無駄な争いを望まなかっただけ)
むきになって反論した。
(銃を怖がっているからって、魔法は遠くからの攻撃に対処できないってクヌガも言ってたじゃないか)
(怖がってない!たしかに魔法は遠く離れた敵を倒すことはできないけど、やり方次第で戦える)
それは彼の考えと一緒だ。だから彼女がむきになっている気持ちが理解できない。
(そんなに怒ることないじゃない。わからないから聞いてみただけだよ)
彼女にだってそんなことはわかってる。彼に悪気がないことも。ただ大人たちから正しいことを教えられていないだけなんだと。でも、この怒りをぶつけないわけにはいかない。そして、こんなことで気持ちがかき乱される自分自身にも腹が立つ。
(ごめん、今日は帰る)
彼女は彼から手を離した。これ以上ここにいてケンカなんてしたくない。
(あたしはファーの娘だから無駄な争いを好まない)
だが、そんなクヌガの思いを気づかずにトーマスは彼女の手を取った。
(来週から収穫祭がはじまるんだ。迎えに来るから一緒に行こうよ)
純真さは残酷だと彼女は思った。悪気がなければなにを言ってもいいわけじゃない。
彼女は黙って彼の手を振り払い、足早に原っぱから立ち去った。まだだ。まだ泣けない。泣けばトーマスの耳に入る。崖から落ちたクヌガの声を聞き分けた耳に。
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