第10話 クヌガ
ナボルは集落の東の外れにある丘にいた。そこから山の麓の東の森とその奥を見下ろしていた。
ヌナバがやってきて声をかけた。
「ファー、ここにいたんですか。探しましたよ」
その声に振り返って
「なにかあったのか」
と尋ねた。
「いえ、リヒトばあさんの診療に行ったにしては帰りが遅いので様子を見に行ったら、おそらくここだろうと」
「そうか、それは心配をかけたな。そのリヒトさんから診療の礼だ」
ナボルはそう言って鹿の足の肉を掲げた。
「あいかわらず息子のジノアさんは猟の名人ですね」
ヌナバは肉を受取りながら言った。そして
「なにを見ていたんですか?ファー」
と聞いた。ナボルは少し考えてから麓の森を指さした。
「あの森が見えるかい、ヌナバ。ここからだと見えないが、あの森を超えたところに小さい平原がある」
ヌナバも森を見たが、ナボルがなにを言おうとしているのか話は見えなかった。
「そこならば一年かそこらは私たちが移住しても暮らしていくことができる。一年経ったらまたさらに遠くの土地へ移住することになるだろう」
「……移住?いったいなんの話しをしているんですか?」
ヌナバの疑問にナボルはうなずきながら
「もしかしたらこの山から出て行かなければならなくなるかもしれない。その計画を話しているんだ」
と答えた。ナボルは二日前に族長カナンが言った言葉を思い出していた。
「女たちの間で噂になっておる。おぬしの娘クヌガが金の飾りの付いた首飾りを身につけていたと」
ナボルは一笑に付した。あのクヌガがそんな普通の女のように装飾品を身につけるようなことをするなんて想像もできなかった。
「あの子が自分からそのようなものをつけたわけではなさそうじゃ。実際、すぐに外してどこかにやってしまったらしいからの。じゃが、もし今日来た土地の者がそれを見ていたら、ここに金の石があるとわかってしまうやもしれぬ」
ナボルは黙った。そして今日、患者の女の子が帰り際、首飾りをつけていたのを思い出した。たしか、診療中には身につけていなかったはずだ。もしかしたら……。
「今日明日中に土地の“鉄砲使いたち”が大挙して押し寄せるわけではないじゃろうが、彼らがその為の準備を進めていても不思議ではない。わしらは今からなにか対策を講じておく必要があるかもしれん」
「“鉄砲使い”が襲ってきたら私たちはひとたまりもないだろう。戦って負けて山を手放すくらいなら、戦わずに手放した方がマシだからな」
「西の土地を奪われた時のようにですか」
ナボルの言葉にヌナバはそう応えた。ナボルはコクンとうなずいた。
「あの時、僕は小さかったですが、かなり大変でした。大人たちも悔しそうな顔をしてこの山に逃げ込んだのをうっすら覚えています」
「あの時も戦わずに逃げることを選んだからな」
徹底抗戦を主張するものもいたが、結局は戦っても勝ち目がないというナボルの意見が通った。実際に勝てなかった。戦おうと主張したものの中の幾人かはそのまま帰らぬ者となった。小銃や拳銃の前にはなす術がなかった。逃げる以外の選択肢は最初からなかったのだ。
「だから今のうちに逃げる算段をたてておく必要がある。森の奥の土地もそんなに豊かな土地ではないから根を下ろすわけにはいかないだろう。それでも部族の滅亡よりははるかにいい」
「彼らは本当に襲ってくるのでしょうか、ファー」
「わからん、族長はそう考えているようだが……。私もそうなった時のことを考えておくことは悪いことではないと思ってるよ」
「でも、あの森を抜けるのは難しくはないですか?あそこに行ったものは誰もいないと思いますが」
そうヌナバが言うとナボルはうなずきながら答えた。
「私が先導しよう。私もあそこには行ったことはないが“風”が森の様子をつぶさに教えてくれたからな。道案内くらいはできるだろう」
その言葉にヌナバはホッとした。こんなことを自分に話すからにはその先導役も自分がやらなくてはいけないのかと思ったからだ。自分には“風の声”は聞こえない。
「でも、どうして僕にこんな話しをするのですか」
ヌナバは疑問を率直にナボルにぶつけた。
「うん……。前にクヌガに治癒師になることを勧めたことがあったな。あの時、お前は『自分は一人前の治癒師になれないのか』と聞いてきたな」
「……はい」
ヌナバは首肯した。
「正直にいえば治癒師としての素質はクヌガほどにはない。だがなお前には人を導く力があると私は見てる。若い者たちがお前を慕っているのがなによりの証拠だ」
ショックだった。敬愛する父親から素質がないと面と向かって言われるなどと思ってもみなかった。『人を導く力』があるなどとおだてられても素直には喜べない。今までの努力が全否定された気になる。
「だからいざとなった時、お前のその力が一族の役に立つ。その為にもこの計画は知っておいた方がいい」
「……族長はこの計画のことはご存じなのですか?」
「いや、知らん。いずれ話すことがあると思うが」
「一族を導くのは族長の仕事です。僕などよりも族長が知るべき事柄ではありませんか」
ナボルが族長カナンことを信頼していないのはヌナバも知っている。ナボルは土地の人間たちと共存することができると言っているし、カナンは土地の人間が山の中に入って来るのを快く思っていない。表面化はしていないが部族がカナン派とナボル派に自然と別れている。
「……彼はこの山から出て行くことは考えていないだろう」
「では、族長はどう考えているのですか」
ナボルは少し考えて
「わからん」
とだけ答えた。そして、
「ところでクヌガはどうした」
と聞いてきた。
「わかりません。あいつここのところ家の仕事もきちんとやらないでいます。今もどこにいるのやら。ファーは聞いていないのですか」
「うん……」
ナボルは空を見上げて言った
「“風”があの子のことについては教えてくれんのだ。“風”はあの子の味方だからな」
その頃クヌガはいつもの原っぱにいた。
町から無事に抜け出したトーマスに果実を持たせて立たせていた。そして大岩の上に握り拳ほどの石を乗せて右手を添えた。クヌガは慎重に石と果実との照準を合わせていた。
トーマスは訝しみながらも黙って果実を乗せた右手を水平にあげたまま立っていた。
やがて狙いを定めたクヌガが
「シュンチャ」
と唱えた。するとクヌガの右手からギュンという音が発したかと思うと大岩の上に乗っていた石がはじけるようにトーマスに向かって飛んできた。
バシッ!一瞬のうちにトーマスの右手にあった果実に石が当たり、粉々に砕けちった。
「……すげえ!」
最初、なにごとかわからなかったトーマスは事態を把握すると感嘆の声を上げた。
「へへっ」
クヌガは左手で鼻の下をこすりながら胸を反らせた。トーマスが銃に興味があることをクヌガは知っていた。トーマスと“心”を通わせるうちに気がついたのだ。これならば彼も喜んでくれると思ってやってみた。喜んでくれてとても嬉しい。衝撃波で紫に腫れている右手をそっと後ろに回す。
大岩の上でいつものように手を繋いで語り合った。
(のろし?)
彼は聞いたことない単語に驚いていた。そんなに驚くことかな。
(だって、遠くの人と話をするなんて無理じゃない。どうしても必要な時は狼煙でも焚いて知らせるしかないよ)
(魔法で交信するとかじゃないの?だって僕たちはこうやって言葉を使わなくても魔法で話ができるじゃない)
(でも、こうやって手を繋がないと無理よ、トーマス。遠くの人とどうやって手を繋げるの?)
彼女は首を傾げている彼に丁寧に説明してみる。
(あたしたちの魔法はそんなに便利なものじゃないよ。こうやって手を触れたり、せめて近づけたりしないと効力なんて発揮されないのよ)
(でもクヌガ。さっきは僕が持ってた果物を潰したじゃない)
彼女はクスクス笑った。
(よく考えて、さっきのは石を飛ばして果実にぶつけたのよ。石を飛ばしたのはたしかに魔法だけど果実が潰れたのは魔法じゃないわ)
彼は納得がいったように
(そうかあ。そんなに都合のいいものなんてないんだね)
と考えた。彼女は不安を抱いた。
(ガッカリした?)
彼はかぶりを振った。
(ガッカリなんてしないよ。知らないことを知ることができて嬉しいくらいだよ。でも、狼煙ってどんなもんなんだろう?)
実は彼女も狼煙を見たことはない。一族の生活圏内は狭い山の中なのでわざわざ狼煙を焚く必要がなかったのだ。必然的に子どもたちは狼煙を焚く技術を覚える機会を逸していた。
(たぶんこんな感じだと思うよ)
そう言って彼女が頭に思い描いたのは花火だった。毎年、西の土地からこの時期に上がる花火。山の魔法使いたちもこの花火が上がるのを楽しみにしている。山の麓付近から上がるので風向きによっては山火事になりかねないのだが、それでも山からの迫力ある大輪はいつ見ても圧巻だ。
そんな花火を思い描いていると彼にもそれは伝わった。
(花火だね。そうか収穫祭の花火がここからも見えるんだね)
(収穫祭?)
彼女の疑問に彼は答えた。
(うん、毎年冬になる前に今年の収穫の感謝と来年の豊穣を祈るお祭りをやってるらしいよ。僕ははじめて見るけどきっとすごいんだろうね)
そんな意味があったなんてはじめて知った。
(そうだ、クヌガ。君も今年の収穫祭を見に来なよ。花火だけじゃなくて飲んだり食べたり踊ったりして楽しいらしいよ)
彼の無邪気な言葉に彼女はかぶりを振った。
(あたしたちは山を降りられないよ。西の土地の人たちはあたしたちが山から出るのを怖がってるもの)
(どうして?)
彼は問いかけた。
(それは……)
クヌガはそっと手を離した。
「あたしだって知りたいよ」
そう一人、呟いた。
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