第8話 逢瀬
翌日、学校にトーマスが来ていないことにドロシーは驚きもしたが、むしろホッとしてもいた。もし、トーマスが昨日のことを口にしたら何としてでも止めなくてはと思っていたからだ。
なにしろ二日前に妹が山に治療に行ったことすら一部の生徒にはバレている。学校全体にそれが波及するのは時間の問題だと思ってる。その上、トーマスに付いて行ったことまでバレてしまったら。
ドロシーは周囲の女の子からの評判が悪い。十歳という年齢にしては大人びていて上級生の男の子からは人気があるからだ。ドロシー自身もそこは自覚があって男の子に媚を売るような態度をついとってしまう。彼女は誰の評判が自分の利益になるか図った上なので同級の女の子から嫌われてもそこは気にはしていない。
しかし、妹のシャーロットがそのせいでいじめられるとなったら話は別だ。しかもシャーロット自身が山で治療を受けたとなったらみんなからどんな態度をとられるか。自分だって魔法使いのせいでいじめられる気はない。
だから学校に来ても上級生の教室に入り浸ることが多い。ここは彼女にとって安全圏だから。なにより年上の男の子との話の方が面白い。同い年の男の子なんて子どもっぽすぎると思ってる。
ふとトーマスのことが頭によぎる。子どもっぽすぎるといえば彼ほど子どもっぽい子もそうはいないだろう。普通ならもっともドロシーが嫌うタイプだ。実際、昨日の帰りは口も聞かなかった。なのにどうしてこんなに気になるのだろう。
(あたしがひと言も喋らないことを気にもしていなかった)
そんなことが彼女の自尊心を傷つける。そしてそんなことで傷ついてる自分に嫌気がさす。
「なにをぼうっとしてるんだい、ドロシー」
声をかけられハッとする。振り返ると上級生のリアン・スチュアートたちがこちらを見ていた。
「ううん、なんでもないわリアン」
ドロシーはとっさにごまかした。上級生のリーダー的存在であるリアンに気がつかれたら元も子もない。
「それならいいけど。……それよりも今から湖まで釣りに行くことになったんだけど君も行かないかい?」
普段なら喜んで付いていくところだが、二日続けて家の手伝いを放棄するのはまずい。
「ごめんなさい、リアン。今日は家の手伝いが忙しくて。……また誘ってくださるかしら」
「そうか、わかったよ」
ニッコリと笑うリアンたちの十メートルほど先に、とんでもないものを見つけてドロシーは声を失った。
「……ドロシー?やっぱり今日の君は変だよ?」
「そんなことないわ。……それよりもやっぱり行くわ釣りに。道具を取ってくるから先に行っててくれるかしら?」
突然の心変わりにビックリしたが、リアンたちは了承した。
「じゃあ、湖で」
ドロシーは急いでその場を走り去った。
「なにをやってるのよ、トーマス」
トーマスは声をかけられ振り返る。見ると息せき切って駆けつけてきたドロシーがいた。
「どうしたの?ドロシー」
「どうしたのじゃないわよ。あなたこそどうして今日は学校を休んだの?」
「お父様から三日間部屋から外に出ちゃいけないって言われたから」
「だったらどうして今、外にいるのよ」
「外に出ないと山に行けないじゃないか」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
「山に行っちゃいけないから部屋にいなさいってことじゃないの?どうしてそんな簡単に親の言いつけを破ることができるのよ、トーマス」
さっき親の言いつけを破ってリアンたちと釣りに行く約束を取り付けたことが頭の隅に浮かんだが無視することにした。
「今からならバレずに部屋に戻れるかもしれないわ。悪いことは言わないから早くお家に帰りなさい。また山に行ってバレたら謹慎くらいじゃ済まないかもしれないわ」
「うん……。でも、やっぱり山に行くよ。魔法使いと仲良くなれるなんて滅多にないもの。君も行かないかい、ドロシー?」
「いやよ、もうこりごりだから」
ドロシーは即答した。
「そうか、わかった。じゃあ、僕だけで行って来るから」
そう言い残してトーマスは山に向かって走り去った。
「ねえ、ドロシー。あいつは誰なの?」
声をかけられハッとする。振り返るとリアンたちがこちらを見ていた。
「……湖に行かなかったの?」
恐々と問い返す。さっきの話を聞かれたのか?それだけが気がかりだった。
「うん、君のことが気になったからね。それよりもあいつ誰なの?山がどうしたって?」
やっぱり聞かれてしまっていた。どうやってごまかすか。そう考えているとリアンの隣にいたアレクが
「たしか下級生クラスの転校生じゃないか?医者の息子だって話だったけど」
と代わりに答えた。
「そうなんだ。君、あいつと山に行ってたの?」
「そんなわけないじゃない、リアン」
「でも、君の妹はこの間、山の魔法使いのところで治療してもらったって聞いたけど」
もうリアンたちの耳にまで入っていたのかと絶望感に襲われる。
「ねえ、ドロシー。早く湖に行かないと釣りをする時間がなくなっちゃうよ」
リアンたちは顔を見合わせ口の端を上げて笑った。
「……そうね。でも釣り道具がないと」
「道具は僕らのを貸してあげるよ。さあ、早く」
もう手の打ちようがない。
「……うん、そうね」
ドロシーは後ろを振り返ってから、そう言った。
昨日と違って迷いながら進んでいるわけではないので、原っぱまではスムーズにたどり着くことができた。
「ドロシーもおかしなこと言うな。どうして“こりごり”なんだろう」
そう独り言ちながらトーマスは待った。別に約束をしたわけではないが、ここにいればあの魔法使いの少女に会えると確信していた。当てもなくこの広い山の中を探すことはないと思っていた。
実際、その通りになった。
クヌガは風に手を引かれるように原っぱにやってきた。まるで風が彼女に教えてくれたような気がした。こんなことは今までなかった。これが父の言った『風の声を聞く』ということなのだとやっとわかった。
だからトーマスが原っぱで待っていてくれていたことに驚きも安堵もなかった。ただ嬉しかった。
(あらためて僕はトーマス・トンプソン。よろしく)
(あたしはクヌガ)
彼と彼女は手を握り会い“心を繋げて”から、そう挨拶をした。
(クヌガ。……クヌガ、なに?)
(ただのクヌガだよ)
魔法使いたちは苗字を持っていない。一人ひとりがただ自分の名前だけを持っている。部族の中だけで生きているので『家族の名前』をもつ必要性がなかった。
二人は大岩に並んで腰を落ち着かせてから語り合った。
(こんな風に手を握っただけで話ができるなんてすごいね。これだったら『言葉』なんていらないね)
彼は目を輝かせてそう言った。彼女は応える。
(『言葉』は大事だよ。『言葉』があるから呪文が唱えられる。話すことも『言葉』を使った方がとても早い。それに……)
(……それに?)
彼の問いかけに黙った彼女は、そっと心を覗く力を抑えた。
(あなたはどこから来たの?ずっと西の土地に住んでいたの?)
彼女の問いかけに彼は自分が大陸の向こう側のさらに海を隔てた向こうの小さな島国からやってきたことを伝えた。
(海?)
(この世界はね、地面だけじゃなくて『海』もあるんだ。湖なんかよりずっと広くて深いんだよ)
彼の心の中に『海』が広がる。彼女はその『海』を感じてただ驚く。
(すごいね!あたし、はじめて知ったよトーマス)
(クヌガは海を見たことないの?)
(あたしは山から出たことがないから)
山からどこを見まわしても『海』を見ることはできない。
ものごころ付く前に西の土地から追い出されて部族ともども山に逃げ込んでからは、誰も山から出ていない。彼女の一族で『海』を知っているものは誰もいないだろう。彼らにとってこの山とその周辺の土地だけが『世界』であり人生のすべてだった。彼女もこの山で子供を生み育て、やがて年老いて死ぬ。そのことになんの疑問も持たなかった。それ以外の世界があるなどと考えたこともなかった。
(世の中って広いんだね)
彼女はため息をこぼす。
(僕だって世の中なんてほとんど見ていないよ。まだ北極も赤道が通る国も行ったことないもの)
彼の言うことはとても新鮮だった。いつまでも感じていたい。
グーッ……。
彼女の感動を破る音が聞こえた。彼のお腹が鳴ったのだ。そう言えば朝ご飯を食べてから、何も食べていない。もうお昼はとっくに過ぎているのに。
彼女は笑いながら
(待ってて)
と言って手を離した。
クヌガは大岩から降りて林の中に入っていった。
「クヌガ?」
トーマスはクヌガを追って林の中に入る。やがてクヌガは一つの木を見つけるとスルスルと昇って行った。
「どうしたの?」
言葉で尋ねるがもちろん返事はない。自分も昇ろうかとシャツの袖をまくるとクヌガがストンと落ちてきた。
クヌガは大きな果物を二つ持っていた。その果物をトーマスに渡すと人指し指をぴょこんと立てた。
「シュア・シヌミ」
左手の親指を立てた人指し指に滑らせて呪文を唱えた。するとその立てた人指し指がみるみる刃に変わっていった。
トーマスの手から果物を一つとるとその刃化した人指し指を入れた。花落ちからへたに向かってすっと刃を走らせる。
左手の人指し指と親指で花落ちの皮をすっと持ち上げぺろんと剥く。まるで六枚の花弁のように。
「おお!」
トーマスが純粋に驚いてくれて少し鼻が高い。トーマスに剥いた果物を渡してもう一つも同じように剥いた。
そしてクヌガは果物にかぶりついた。トーマスも見様見真似でかぶりつく。
「あまあい!美味しいねクヌガ」
目を見開き感嘆の声を上げるトーマス。クヌガにはなにを言っているかわかっていないがその表情を見て嬉しく思った。もっと喜ばせてあげたいな。
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