第6話 出会い

「クヌガってマシュリと結婚するの?」

 リーダー格のアラルトが口火を切った。またはじまった。娯楽の少ない集落の生活だからといってよくもそんなくだらない噂話をばらまけるものだ。その大きな吊り眼でいったい何を見ているのか。アラルトの顔を見ながらそんなことを考えていた。

 クヌガが黙っているとアラルトの腰巾着の太っちょのペイが

「昨日、マシュリからなにかもらっていたよね」

 と言ってきた。やっぱり見られていたのか。

「あれって首飾りだよね。もしかして族長から禁止されてる石を使ってたのかな?」

「気のせいじゃないかな、ペイ。だってクヌガは今はなにも首にさげてないよ」

 アラルトはにやにや笑いながらクヌガの胸元を見る。

(いったいなにが言いたいのか、さっぱりわからない)

 クヌガはイライラを隠そうとしないもしない。

「そこをどいてくれないかな、アラルト。仕事があるんだけど」

 クヌガは心のイライラを表に出さないように穏やかな口調で話しかけた。ここでケンカになっても誰の得にもならない。

「ああ、ごめんねクヌガ。でも、なんの仕事があるの?まさか土地の人を治療しに行くのかしら?」

「ダメだよアラルト。クヌガが治療したら土地の人を死なせちゃうよ。そしたら、西の土地と戦になっちゃうから」

「そんなこと言ったらいけないよ、ルルン。クヌガだってわざと死なせたりしないよ」

 アラルトが別の腰巾着でそばかす顔のルルンを笑いながらたしなめた。

(いけないとか言っているけど自分が言わせてるんでしょう。こんな治癒師をバカにするような奴が本当に治癒師に向いているって言うの、ファー?)

 アラルトたちへの怒りがやがてナボルへの不満に転嫁していった。

「あたしがどんな仕事をしようとあなたたちに関係ないでしょう。さっさとどいて。そうしないと……」

 クヌガは右腕を立てて左手を添えた。数年前にはじめて右手を刃化したのは今日のようにアラルトたちからからかわれた時だったか。あの時、キレて刃化した右腕を振り回して彼女たちを追いかけ回した。大人が数人がかりでクヌガを取り押さえたが、大人たちの何人かはかなりの重症を負った。

 その時の記憶が残っているのかアラルトたちは一瞬怯んだ。あの時よりもクヌガの運動能力が格段に上昇しているのは彼女たちも知っている。逆に自分たちが山育ちのくせに運動が得意ではないことも。

 アラルトたちはクヌガに道をゆずった。その目には“不服”の文字が色濃く映し出されていた。その目を気にせず、クヌガは山菜を積むための籠を持って彼女たちの真ん中を突っ切った。暴力をひけらかした相手に恐れをなすくらいなら最初からからかわなければいいのに、と思いながら。


 歩きながらクヌガは思った。ルルンが笑い話として言ったことは腹立たしいが、あながち間違ってはいない。ナボルは今まで土地の人の治療を拒んだことはない。そして、その治療が失敗したことも。それはナボルが治癒師として優秀であることの証明ではあるが、そのナボルも万能ではない。自分の子どもを流行病で二人亡くしているのだから。もし土地の人を治療中に死なせることになったらどんなことになるか。

 クヌガはかぶりを振ってその考えを頭から追い払った。ものごとを悲観的に考える癖がついているクヌガでも考えたくないことはあるのだ。

(大丈夫、ファーは決して誰も死なせない)

 そう信じてる。


 森を超えると広い原っぱに出た。クヌガはそこがお気に入りだった。春になればそこは色とりどりの花が咲き乱れ多種多様な香りが一面を覆った。

 だが、秋が終わろうとしている今は殺風景な原っぱでしかない。

 原っぱの西側、麓寄りに大きな岩が埋まってる。そこに腰掛け、風を感じるのが好きだ。だが、今日は先客がいるようだ。野生の鳩が二羽、並んで休んでいる。クヌガは小さくため息をついたが、その姿を見るのは悪い気分ではない。

 クヌガは鳩を邪魔しないように離れた場所で寝ころがった。

(空が高いなあ)

 心地よい風に吹かれ、まどろみながら眠りに入った。


 登るほど風がキツくなった。でも、トーマスはペースを崩さない。

(たしか、本国では都会で暮らしていたお医者さんの子どもじゃなかったかしら。そんな都会育ちの子がどうして町生まれのあたしよりも山の中を元気に歩き回れるの)

 ドロシーは山の中ははじめてだった。他の家庭と同じようにイースタンが暮らすこの山には近づいてはいけないと教えられたからだ。

 なのに、トーマスが山に行きたくて困っているのを助けずにはいられないと思った。

 自分は行ってはいないが、昨日イースタンの医者に診てもらうために五歳離れた妹を父親が背負って連れて行ったばかりだった。それは学校の誰にも伝えていない。そんなことをすれば周囲から仲間外れにされるのは目に見えている。

 だが、父に頼めばトーマスを連れて行ってまた山に入ってくれるのではないか。そんなことを思って声をかけた。しかし、どこをどう間違ったのか、まさか自分が道案内をする羽目になるとは……。山に近づいたこともないのに。

 トーマスは手頃な枯れ枝を振り回しながら尚も道なき道を登っていく。こちらを振り返ろうともしない。これじゃどっちが道案内だかわからない。

 登れば登るほどドロシーは不安が募っていく。父と妹のシャーロットは無事に下山した。しかもあんなに苦しがっていたシャーロットはそれが嘘だったように元気になっていた。今日は大事をとって一日家で寝ているはずだが、もしかしたら今ごろは元気に外を走り回っているかもしれない。でも、それは父親が付いていたからだ。さすがのイースタンも父には敵わないとみて手を出さなかったのかも。

(だって父さんは大きくて強いもの。だけど、子どもだけのあたしたちはイースタンに出くわしたらどうすればいいのだろう。アーロンが言ったようにいけにえにされたら……。もしかしたら出会ったとたん呪い殺されてしまうかも)

 どうしてこんなところに来たのだろうと、ますます後悔の念に駆られた。都会から来た医者の息子にいい顔をしたい。困っているのを助けたら少しはいいことがあるんじゃないか。そんな打算がなかったとはいえない。

 ふと見上げるとトーマスが止まってこちらを見ていた。

「どうしたの?」

 トーマスは山の上を指さし、

「どっちに向かったらいいのかな」

 と聞いてきた。見ると小さな道が二手に別れていた。

(えっ?一本道だと思っていたのに。父さんはどっちの道を行ったのかしら?)

 トーマスがこちらを見ている。

(やっぱり道を知らないって気がついたかな。だってあたしが案内をするなんて思ってなかったもの)

 そんなことを思っているとトーマスが左の道を向いて一目散に駆けだした。

 ドロシーもなにがなんだかわからずに後を追いかけた。ここで離ればなれになったら本当に迷子になってしまう。そんな不安が今のドロシーの走る原動力になっていた。

 見るとトーマスは立ち止まっていた。良かった、見失わなかった。ホッとしたドロシーの鼻に微かな春の香りが漂った。


 クヌガは春の夢を見ていた。春になって色とりどりの花がこの原っぱ一面に咲き誇っていた。香りも、風が吹き抜ける音も、まるで夢ではないかのようにクヌガの鼻や耳に突き刺さっていた。クヌガは起き上がり、寝ぼけまなこで周囲の花々を見た。


 トーマスは春の匂いに誘われてここまで来た。拾った棒もいつの間にかどこかに放り出していた。今、感じるはずのない匂いがたしかに鼻をくすぐった。その正体を知るためにトーマスは走り出しここまでたどり着いた。

 トーマスは見た。赤や黄色、ピンクの色とりどりの花々が一面に咲き誇っている原っぱにポツンと座っている女の子を。

 薄汚れた麻の服に、腰まである長い黒髪を後ろで一本に束ねた、褐色の肌の女の子が大きな岩の側で座っているのを。

 そして、信じられないことに今まで咲いていた花々がまるで時間が逆に流れるかのようにつぼみになり、芽になり、そして地面に戻っていった。


 クヌガは驚いた。ここに人がいることが。自分たちの部族の人ではなく西の土地の子どもがいることに驚いていた。

 目の前にいる白い肌の男の子と女の子も驚いているようだった。どうしたんだろう?あたしの格好は彼らから見たら変なのかな?

 もう、クヌガははっきりと目が覚めていた。目が覚めているから周囲に花が咲いていないことを不思議に思っていなかった。クヌガの意識はこちらをジッと見ている二人に向いていた。

 やがて、短く髪を刈り上げた男の子がこちらに駆け寄ってきた。逃げなくちゃ。だが急には立ち上がれない。そして男の子はクヌガの右手を両手で包むように掴んだ。


「はじめまして!僕、トーマス・トンプソンです!……君は魔法使いですか?」


 西の土地の男の子がなにを言っているのかクヌガにはわからなかった。しかし、彼がなにを感じているかはその手からはっきりと読み取れた。

 そして、そのことにクヌガも驚いている。彼が見た光景が事実とはとても信じられなかった。もしかしたらこの男の子もあたしと同じ夢を見ていたのか?そんな思いにもとらわれた。

 クヌガはトーマスの手を振りほどいた。そして一目散に駆け出した。自分でもわからないが顔がカッと燃えるのを感じていた。


 クヌガに手を振りほどかれた状態でトーマスは呆然としていた。佇んでいるトーマスの後ろで声が聞こえた。

「あれ、なんだったの?」

 振り返るとドロシーも逃げていくクヌガの姿を見ながら呆然としていた。

「……魔法だよ。きっと」

 トーマスはやっとそれだけ言うことができた。そして、あの魔法使いの子の忘れ物に気がついた。

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