第5話 山へ

 新しい家は広かった。質素倹約を旨とするアルフレッドにしてみればこのように広い家は必要ないと考えていた。しかし、町長は

「医者の家は自宅の部分も診療所として使う必要があります。ですから、いずれこれくらいの広さでも手狭に感じますよ」

 として取り合わなかった。アルフレッドはそういうものかと納得したが本国でもそんな状況になったことがないのて懐疑的だった。

 キャサリンやハンナは広い家をもてあますのではないかと心配しているし、アルフレッドとジェイコブは自宅の隣に建ててある診療所でそこをこれからどうやって使うべきかを検討していた。

 トーマスは単純に広い家になって喜んだ。いままでのベッドを置けば部屋の半分を占拠されてしまうような狭い部屋とは比べ物にならない。これだけでも開拓地での新生活に期待が持てる。

 町長が下の息子を明日の朝、迎えによこすと言っていた。明日から学校に通うように言われた。手続きなどは後回しにして早く子ども同士が仲良くなったほうがいいだろうと配慮したと押しつけがましく言っていた。

 本当は明日、魔法使いが住んでいるという山に行ってみようとしていたので余計なお世話と思ったが、そこは如才なく礼を言った。

 夜、バタバタしていたがキャサリンとハンナがなんとかこしらえた夕食を囲むことができた。

「まったく本国から送った荷物の半分以上が行方不明だ。これでは満足いく診療ができるまで時間がかかってしまう。薬や器具もおいそれと手に入るところではないのに」

 食事がはじまってさっそくアルフレッドの愚痴がはじまった。診療の道具だけではなく、家財道具やトーマスの本やおもちゃなども大半がまだ届いていない。いつ届くのか本当に届くのか見当もつかないらしい。キャサリンも

「わたくしやハンナだけではこの家は広すぎます。他にメイドを雇うことはできませんか」

 とアルフレッドにお願いをしていた。なんとかしてみよう、町長に聞けば職を求めている婦人が見つかるだろうと答えていた。

 トーマスは両親の会話の横で

(それなら魔法使いの仕事もしばらくは安泰かもしれない)

 などと父親が聞いたら激怒しそうなことを考えていた。いきなり父のような名医がやってきて患者を根こそぎ持っていったら、たとえ魔法使いといえども 可哀相だと考えたからだ。

 だからこそ父が診療を本格的にはじめる前に山に行きたいのに町長がよけいなことしてくれるから。学校なんてしばらく行かなくてもそんなに簡単に頭が悪くなるわけじゃないんだから。

 こうなったら明日は仮病を使って、こっそり抜け出して山に行こう。ちゃんと医者の息子として魔法使いの医者に挨拶をしておかなくては。そんなことを考えながらは鶏肉のスープをすすった。


 ……一発でバレた。

 今まで仮病を使って学校をサボろうなどと考えたことがなかったから気がつかなかったが、父親が医者だと仮病を使うことは無意味だ。

「そんなに苦しいのならいい薬がある」

 と言ってムチ棒を取り出すとトーマスは飛び起きて井戸まで一目散に走った。顔を洗いながら学校が終わって山に向かうことができるかしらと考えた。

 こうなっては学校に行くのは仕方がない。もしかしたら学校で魔法使いの住処を知っている子がいるかもしれない。それならば返って学校に行く方が好都合か。その子を案内役にすれば効率良く魔法使いに会えるかもしれない。

 そうと決まれば善は急げだ。顔洗いもそこそこに朝食を食べ、ノートと鉛筆を持って外に飛び出した。いざ学校へ!


 ……どこへ向かえばいいかわからない。まだ町長の下の息子とやらが来ていない。約束の時間まで三十分はある。すごすごと家の中に戻る。

 結局、町長の息子がやってきたのはそれから一時間後だった。寝坊した上に町長の家では誰もその子が起きていないことに気がつかなかったらしい。なんでも七人兄弟の一番下で家族の中ではその子を構う余裕が全然ないらしくかなり自由奔放に育てられているそうだ。そんなことを学校へ走りながら町長の息子アーロンは教えてくれた。


 なんとか間に合ったトーマスはコリンズ先生に引き入れられて教室に入った。コリンズ先生が教室のみんなに

「今日からみなさんと一緒に勉強をするトーマス・トンプソン君です。彼のお父様は本国では大変有名なお医者様でいらっしゃいます。みなさん仲良くしてあげてください」

 そう言ってトーマスに挨拶するように促した。

「トーマス・トンプソンです。よろしくお願いします」

 ここでも如才ない挨拶を心がけた。

 教室内をざっと見渡すと様々な年齢の子どもがいた。子どもの数が少ないので全校生徒が二つの教室でまかなえる。トーマスが編入したのは四年生までの低学年クラスだ。彼は四年なのでこのクラスでは上の年齢になる。

 授業は個別指導で行なう。スペリングやリーディングなどを各自で行ない、先生がそれぞれに指導する。トーマスも勇んでノートを取り出したがそんなものを持っているのは彼だけだった。他の生徒は石板にろう石で書いては消し、書いては消しを繰り返している。

 午前中で授業が終わり、帰り支度をはじめる光景にトーマスは唖然とする。

「家の手伝いがある子たちがほとんどだから午前中で終わる日もあるの」

 隣の席のドロシー・ローラットが教えてくれた。彼女の父親は採鉱夫で母親は雑貨屋を営んでいるそうだ。

 このまま帰れるのなら好都合だ。

 家まで迎えに来てくれたアーロン・ハッチンソンが一緒に帰ろうと誘ってきたが断った。

「それよりも魔法使いの山に行きたいんだ。一緒に行かないか」

 と反対に誘った。

「それはダメだよ。山には近づくなって父さんからきつく言われてるんだ。もし行ってバレたら夕食抜きぐらいじゃすまないよ」

「夕食ぐらいうちでご馳走するよ、アーロン。僕は来たばかりで山へ行く道順もわからないんだ。助けると思って連れて行ってくれよ」

 アーロンはなおも首を横に振る。肉付きのいい頬がぷるぷると揺れる。

「トーマスは気楽に考えすぎだ。イースタンに捕まったら何をされるかわからないよ。もしかしたら悪魔のいけにえに捧げられるかもしれないんだぜ」

「だったら悪魔ごと退治すればいい。それに病気を治したりする魔法使いならそんな悪いことはしないんじゃないか?」

「とにかく僕はお断りだ。僕だけじゃなく他の子もイースタンの山への道案内なんかしないよ。おとなしくうちに帰った方がいいよ。警告したからね」

 そう言ってアーロンは教室から出て行った。新天地に着いて最初の友達から見捨てられてトーマスは途方に暮れた。今日は諦めた方がいいのかな。そんなことを考えていた時、ドロシーが声をかけてきた。


 三十分後、声をかけたことをドロシーは後悔していた。トーマスは案内人の彼女よりも先を歩いている。

「ねえ、トーマス待ってよ。このまま歩いて行くの?山まで大人の足で一時間はかかるわよ」

「だったら子どもの足で二時間歩けばいいよ」

(そういうことを言ってるんじゃないわよ)

「山に着いてもイースタンの集落までけっこうな距離を登らないといけないの。お昼ご飯も食べずに来たのに帰る頃には夕食時になっちゃうわ」

「だったら少し早く歩こう」

 そう言ってさらにペースをあげる。

(どうして男の子って人の話を聞かないのかしら)

 ドロシーが心の中で文句を言っているとトーマスがその足を止めていることに気づいた。その視線は畑の方を向いているようだった。

「どうしたの?」

 問いただすとトーマスは

「ちょっと待ってて」

 そう言って畑の方に走っていった。

「ちょっと。トーマス?」

(なによ。山に行くんじゃなかったの?)

 トーマスは畑仕事をしているおじさんに挨拶をしてなにやら親しげに話しかけてる。昨日、町についたばかりだから畑仕事をしている偏屈なカールさんと顔見知りだとは思えない。

 実際、カールさんは面白くもなさそうにトーマスの話を聞いていた。やがて腰に結わえている袋からなにかを取り出してトーマスに渡していた。

 トーマスはお礼を言って、ドロシーの元に戻ってきた。

「干し肉をもらってきたよ」

 ニコニコ笑いながら報告してきた。

「……トーマス、カールさんと知り合いだったの?」

「カールさん?あの人、そんな名前なんだ。ううんはじめて会ったよ」

「だって、そのお肉あの人のお弁当なんじゃないの?」

「うん、お腹が空いて困っているって言ったらくれたんだ。君の分ももらってるよ」

 そう言って干し肉を一片、ドロシーに渡した。受け取らずにボーッとしてると

「干し肉嫌いだった?」

 トーマスはそう尋ねた。

 ドロシーは首を横に振った。肩より少し長く伸ばした、きれいな金髪がふわりと揺れる。トーマスの手から干し肉を受け取った。

「さあ、先を急ごう」

 トーマスは干し肉をかじりながら、また歩き出した。

 ドロシーは不思議なものを見るようにトーマスの後ろ姿を眺めていた。

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