第4話 金山(きんざん)

 夕食のために囲炉裏で車座になる。豆と野菜と少しの鹿の肉を煮込んだ料理だけだ。これから冬のために食料を少しずつ蓄えておかなくてはならないからどうしても食事が質素になる。春になればもう少しいいものが食べられるだろう。

「なあ、クヌガ。お前も治療の魔法を覚えてみる気はないか」

 夕食の席でナボルが言った。クヌガは驚いてナボルを見た。

「あたしには無理だよ」

 そんなことはナボルが一番わかっていることだと思っていた。今まで一度たりとも言われた事はなかったからだ。サラメやヌナバもナボルの提案に驚いている。

「そんなことはないだろう。お前も私の子なのだから」

「どうしてあたしにもできると思うの、ファー」

「さっきお前はあの女の子をいたわってあげていたじゃないか。そういう労りの気持ちは治療には必要なんだ」

「たいしたことはやってない」

 ただ、首飾りをあげて見よう見まねで手を振っただけだ。ナボルのように長い時間、手をかざし続ける事などできるとは思えない。

「あの子が笑顔でこの山を下りる事ができたのはお前のおかげだよ」

「違うよ。ファーが病気を治したからだ」

「……クヌガ。治癒師を継ぎたくない理由でもあるのかい?」

(治癒師を……継ぐ?継ぐのは長子のヌナバじゃないの?あたしにそんなことできるわけないじゃない)

「理由なんて……ない。無理なものは無理だから」

 ナボルはため息をついて言った。

「元々、治癒師は女の方が向いているんだ。花を咲かせたり木に実をつけさせたりする『シャリアナ』の呪文なんかは女の方が得意だろう」

 クヌガは皿を叩きつけるように床に置いた。

「だったら!……だったら、アラルトたちにでも教えたらいいでしょう。あたしは『シャリアナ』なんてできないし、使えるようになりたいとも思わない」

 そう叫ぶと外に飛び出して行った。

 アラルトはクヌガをいじめている女の子のリーダーの名前だ。

 追いかけようと立ち上がったナボルにヌナバが声をかけた。

「ファー。……僕では無理ですか。僕は一人前の治癒師にはなれませんか」

 ナボルはヌナバを見ながら

「そうではない。そうではないのだヌナバ」

 そう呟いた。


 家を飛び出したクヌガはいつもの木の上によじ登っていた。毎晩こっそり抜け出して星や月を眺めるのが日課になっていた。今日のようにみんなのいる前で出て行ったのははじめてだ。

「『シャリアナ』と治療の魔法にどんな関係があるっていうのよ」

 人と植物は全然違う。草花に効果的な呪文が人に役立つとは思えない。なにより、アラルトたちが治癒師になれるなんて想像もできない。

 クヌガの目の前に冬木の芽が見える。このまま冬を越して春になればここから新芽が顔を出し枝葉を伸ばすはずだ。『シャリアナ』はその成長を早める力がある。クヌガはその芽に手をかざし、

「シャリアナ」

 と、呪文を呟いた。

 なんの変化もない。当たり前だ。ただ呪文を唱えれば魔法が使えるわけじゃない。呪文にはそれぞれコツがある。そのコツを身につけるのは何度も練習を繰り返すしかない。

 それに『シャリアナ』を使えるようになりたくないと言った気持ちは本当だ。春になれば木の芽は思う存分芽吹く。花も自力で咲き、秋になれば実をつける。待てば自然に行なえることを魔法で早めてどうするのか。できるからといってやる必要はどこにもない。自然は自然のままの方が一番いい。

「クヌガ」

 木の下から声をかけられた。一瞬、ナボルかと思ったがはるかに幼い声だ。

「どうしたの?こんなに早く木に登るなんて珍しいじゃない」

 マシュリはこちらを見上げながら手を振っていた。最悪だ。

 その最悪がさらに追い打ちをかける。まさか、マシュリが木に登ってくるとは思ってもみなかった。軽々とよじ登るマシュリはあっという間にクヌガのいる枝までたどり着いた。

「うわあ!ここまで登ったのははじめてだ。クヌガはいつもこんな景色を見てたんだね」

 登ってきたマシュリは感嘆の声を上げた。

「いつもはこんなに明るくない」

 いつもは星空だが今日は夕焼けだ。西の土地の向こう側の地平線に沈む夕日を眺めながら、

(こんな時間に登るのも悪くないかも)

 と思った。

「クヌガが昼間に働いていたり、林の方に遊びに行ったりしている時にこっそりこの木で木登りの練習をしていたんだ」

 マシュリは聞かれてもいないのにペラペラと喋り出した。

 マシュリが気がつかなければいいのにと気を揉んでいた。だが、やがて

「首飾り着けてないんだね」

 なにげなくマシュリが言った。ついに来た。もらったものなのだから、構わないと思うのだが、それにして貰ってすぐというのは罪悪感だ。だが、下手に嘘をついても仕方がない。正直に話した。

「……そうなんだ。それはよかった。その子は喜んでくれた?」

 一瞬の絶句の後、マシュリはそう応えた。

(どうして、そんなにものわかりがいいの?あたしの方がひどい事をしてるんだから怒ればいいじゃない。ファーもマシュリもなにやってるの!)

 クヌガのそんな理不尽な思いが爆発した。

 彼女はマシュリの腕を掴んだ。彼は驚いて顔を赤らめた。その顔を見て彼女も赤くなった。そして……。


 数秒の沈黙の後、パッと彼女は腕から手を離した。

「帰って!」

 強い口調で彼女は命令した。彼は黙って木の上から降りようとした時、ナボルの姿を見た。酒の革袋を持って歩いている。あの向こうは族長の家だ。マシュリはクヌガの顔を見た。だがクヌガは何の感心もなさそうにそっぽを向いた。


 ナボルが族長の家に入ると族長のカナンは歓迎してくれた。傍らに座っていた女に席を外すように言って自身で湯飲みを持ってきた。

「邪魔ではなかったのか、カナン」

「なに気にせんでいい。それよりも今日は大仕事だったみたいだな。むしろこちらの方が酒を持っていかなくてはいけなかったくらいだ」

 カナンはしわくちゃの顔をほころばせながら笑った。白髪だらけの頭だがナボルと年は三年ほどしか違わない。だが、見た目は二十は違うようだ。ナボルも年相応には見られないが。

「……クヌガに話をした」

 ナボルがそう話すとカナンの湯飲みを持つ手が止まった。

「それで?」

「継ぐ意志はないと言われた」

「まあ、そうだろうな。それで諦めるのか」

「わからん」

 ナボルはそう言ってクイッと酒をあおった。

「あの子が治癒師に向いているとはわしには思えんがな」

 カナンも酒を飲みながら言った。

「あの子は……」

 ナボルは湯飲みを置いて

「自然を好いてる。自然もあの子を好いてる。これは治癒師にとって大事な資質だ。こう言ってはなんだがヌナバや他の家の子にはこの資質が徹底的に欠けてる」

「おぬしも自然を好いておるのか?」

「私は……」

 ナボルは言葉を選びながら

「大地を愛している。あの子のように自然と一体になれるほどの愛情があるわけではないが、それでも大地に根を下ろし大地と共に生きたいと願っていた」

 そう答えた。

「ならば……」

 カナンも湯飲みを置いた。

「なぜ、西の土地の者たちの治療をするのだ。あの者たちはおぬしの愛する大地を奪った張本人ではないか」

「命は命だ」

 ナボルは簡潔に答えた。

「彼らの行なった事がどうであれ苦しんで死んでいいという理由にはならん。私は天から授かった力を出し惜しみするつもりはない」

 カナンはナボルの言葉を聞いてため息をついた。そして、やおら立ち上がり奥の部屋から鈍く輝く石を持ってきた。

「おぬしとわしは本当に意見が合わんな。表立ってはわしを立ててくれるがな」

 持ってきた石を見せて

「これがなにかわかるか」

 と聞いてきた。

 ナボルは首をひねり、

「ただの石ではないのか」

 と答えた。

「ただではなかろう。これはおそらく西の土地の者たちが喉から手が出るほどほしがっている石じゃ」

「西の土地の……。いったいなんだ、これは?」

「金じゃ」

「……金?」

「正しくは金も混じっている石、になるかの。今、西の土地の者たちはこの石を掘り出すことに熱中しておる。おぬしは覚えておろう。まだ土地に暮らしていた時、集落の女どもがにぶく輝く装飾品を身に着けていたことを」

 ナボルは少し考えて

「たしかに。だがもっと輝いていた石だったと思うが」

「あれは女たちが石から金を抜き取って形を変え、磨いていたからじゃ。今はこの金で西の土地の者たちは潤っておるらしい」

「そうなのか。しかし話が見えんが何が言いたい」

 カナンは石を持ち上げ、

「この石はな、この山で見つかった石じゃ。しかもかなり大量に見つかっておる。もし、土地の者たちがここに金があると知ったら大挙して押し寄せて来るじゃろう。だから、女たちにはここで見つかった石で装飾品を作ってはならぬと言い含めておる」

「ああ、妻が飾りの事で何か言っていたが、それはそういうことだったのか。しかし、なぜ飾りを作ってはならんのだ」

「その飾りを誰が見るかわからんじゃろう。なにしろこの集落には土地の者がやってくるからの。例えば今日のように」

 なるほど、族長が言いたいのは西の土地の人たちの治療をするなと言う事か。ただ単に土地を奪ったというだけでなく、いつか金を求めて、この山まで奪いにくるかもしれない。それを恐れているのか。

「カナン。いや、族長」

 ナボルは姿勢を正して言った。

「私は私の力を求めて来る者がいれば、それを退けるつもりはない。それは土地に根を下ろす前から先代のそのまた先代、いやもっと前からの治癒師が受け継いできた意志だ。もちろん、私の跡を継ぐものも同じように誰でも癒し、治療をするだろう」

「……わしらの部族が滅びるかもしれんぞ」

「そんなことはさせない」

「なんの根拠があって」

 カナンは自分の湯飲みに酒を注いで一気に飲み干した。

「ナボル、わしらは魔法を持っておるが戦う力としてはあまりにもお粗末じゃ。わしらが奴らの懐に飛び込んで一矢むくいようとする前に、あの鉄砲とかいう武器に撃たれてしまう。わしらの魔法はこの手が触れなければなんの役にも立たんのじゃからな」

 ナボルも酒を飲み干した。

「なにも戦うだけが部族を守る事ではないだろう」

「どういうことじゃ」

「私の力、それだけではない。この集落の魔法使いの力を土地の者たちが理解すればおのずと争いの火種は減っていくのではないか。彼らがこの山の金を欲しているのであればくれてやってもよいではないか」

 カナンは嘆息して

「おぬしの理想は根拠がなさ過ぎる。奴らがわしらの力を必要とするとは思えん。火が欲しければ火打ち石を使うだろう。食べ物を冷やしたければ氷を持って来ればいい。それにいずれ治療も自分たちでやってしまうじゃろう。この山まであくせく登って治療することもなくなるかもしれん」

 そう言った。

「そうだとしたら、なおさら私たちの安全は保たれるではないか。この山に土地の人たちが来なければ、金の石のこともわかるわけはないのだからな」

 ナボルの言葉にカナンは

「……うむ、すでに遅くなければじゃがな」

 と呟いた。

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