第3話 金の首飾り

 クヌガとクヌガの兄ヌナバは部族の集落にたどり着いた。集落といってもかなり広めにとってありそれぞれの家庭が様々な住居を作っている。木で建てた家屋がほとんどだが、中には布で作ったテントや洞窟を住まいにしているものもいる。

「ヌナバ。ちょっと来てくれないか」

 ヌナバと同い年のシュラムたちが広場に集まってなにかを話していた。ヌナバはクヌガに先に帰るように言ってシュラムたちの所に向かった。

「どうした?なにか用か」

 ヌナバが聞くとシュラムは持っていた革袋の中から握り拳ほどの大きさの布の玉を一つ取り出した。

「この間、ヌナバが石に『ホメロス』の呪文をかけた熱い石を投げて獲物を仕留めたことがあったよな」

 そのことはよく覚えている。狩りの準備をしていなかったのでまったくの手ぶらの状態で熊に出くわしたのだ。最初に熊に襲われた時に『ホメロス』の呪文で両の手から熱い熱を発して、その手を熊の顔面につけて引き離すことができた。しかし、熊は手負いになってさらに凶暴さが増してきた。逃げてもこのままでは追いつかれると思ったヌナバは手頃な石を二つ拾って一つずつ『ホメロス』で熱い焼け石に変えて投げつけた。

 一つ目は熊の胸に当たり、動きが止まった隙をついてもう一つを顔面に当てた。それでバランスを崩した熊は崖下に転落していった。

「あれは熊が落っこちてくれなかったらどうなっていたかわからなかった。運がよかったんだ」

 ヌナバはそう言った。それは謙遜ではなく狩りに使っても焼け石はとどめをさすための武器としては役に立たなかっただろう。

「だから、これを作ってみたんだ。こいつは動物の油をたっぷり染み込ませた布を何重にも固く重ねて包んでいるんだ。こいつを『ホムラダ』の呪文で火の玉にするのさ」

『ホムラダ』は魔法使いが触れたものを燃やす呪文である。これならば焼け石などよりよっぽど役に立つ武器に変わるだろうということだ。

「なるほどね。しかし、そんなにうまくいくものかな」

 ヌナバは懐疑的である。シュラムは自信満々に

「まあ、見てなって」

 と、右手に布玉を持つと

「ホムラダ」

 と唱えた。

 布玉からパチパチと音がして煙が上がったかと思うと、あっという間に布玉が炎に包まれ火の玉に変わった。もちろんシュラムの右手も炎が包み込んだ。

「アチチチチチチチッ」

 思わず火の玉を放り投げると玉は地面の草むらに落ち、その場の草に火をつけた。秋に入り、草も枯れかかっていたので燃えやすくなっていたようだ。

「ヤバいっ!」

 あわててシュラムの隣にいたニロブとヌナバは『フミラダ』を唱え草むらに手を突いて凍らせていった。

「そういうわけで知恵者のヌナバにこの玉を武器として使う方法を考えてほしいと思っていたんだ」

 鎮火しおえるとシュラムは罰の悪そうな顔をして言った。

 今思いついたんだろうという言葉を飲み込んでヌナバは、わかったと請け負った。

「なにかいい方法を考えてみるよ。少し時間をくれ」

 と言ってその場を後にした。


「クヌガ。待って」

 呼び止める声が聞こえたので振り向いた。あまり会いたい相手ではないが、狭い集落の中では顔を合わせないでいるのは難しい。

 クヌガより二つ年上のマシュリは十二歳とは思えないくらいの細い体の少年だ。背もクヌガと大差ない。狩りはおろか薪拾いも満足にできそうにない。できることは物の材質を変換する魔法くらいだ。火をおこすことも、体を硬化することも苦手だ。自然で生きるのも魔法使いとして生きるのも難しい少年である。

 そんなマシュリがなぜかクヌガのことがいたくお気に入りのようなのだ。なにかにつけてはクヌガに近づき、話しかけて来る。それがいつのころからか覚えていない。小さなころのうちは仲良くしてくれているから一緒になって遊んでいたが、成長してものの通りが少しはわかって来ると途端に嫌気がさすようになってきていた。

 マシュリは精一杯の笑顔でクヌガに近づいた。

「クヌガにこれをあげようと思って」

 そう言ってマシュリは小さな飾りのついた首飾りを差し出した。三日月のような形をして金色に光り輝いている。

「どうしたの、それ」

 クヌガが尋ねるとマシュリは自分で作ったと答えた。

「それはわかる。マシュリは『アーテュ』の呪文が得意だからね。そうじゃなくてこの飾りの石はどこで見つけたの」

 まさか一から作ったわけでもないだろう。そう思って聞いてみた。

「沢の側の崖に埋まっていたんだ。汚い石にくっついていたから外すのにずいぶん苦労したよ。それをこうやって月の形に変えたんだ。クヌガは月が好きだろう?」

 別に月が好きなわけではない。ただ木の上で夜空を見上げるのが習いになってるだけだ。だが、そんなことを言っても繊細なマシュリを落ち込ませるだけだ。

「ありがとう」

 そう言ってクヌガは手を差し出した。

「着けてあげるよ」

 マシュリはクヌガの首に飾りをかけようとした。

 その時、クヌガの目に三人の女の子たちが見えた。彼女たちの噂話の種を作るつもりはない。

「いい」

 クヌガはマシュリの手から強引に飾りを奪うと自分で首にかけた。女の子たちはこちらを見てはいない。つい最近、植物の成長を促す魔法が成功したばかりの彼女たちはあちらこちらの冬ごもりに入ろうとしている草花を芽吹かせている。

 しかし、彼女たちがこちらを見ていないわけはないのだ。娯楽の少ない集落の生活での一番の娯楽は他人の噂話に他ならない。彼女らの娯楽の対象に何度あったか数えきれない。それもマシュリを毛嫌いするようになった原因の一つかもしれない。

 クヌガはそのまま歩き出した。マシュリは何も言えずに黙ってその背を見つめていた。

 そこにヌナバが追いついてきた。

「なにかあったのか?クヌガ」

 後ろを見ながらクヌガに尋ねた。クヌガはなんでもないとだけ答えた。ヌナバは首飾りには気がついていない。


 家の前には母親が手持ち無沙汰気味に立っていた。

「どうしたの。お母さんムー

 クヌガは母、サラメに尋ねた。サラメは西の土地の人が父に病気を治して欲しいとやってきていると言った。

「土地の人たちは私たちを快く思っていないから。ほら、私がそばにいると治療に集中してもらえないかもしれないでしょう」

「バカバカしい。ここは僕たちの家じゃないかなんの遠慮がいるもんか。ムーは気を遣いすぎるよ」

 ヌナバは二人分の背負子を手に持ち家に入っていった。クヌガも後を追う。

 家の中ではたしかに父、ナボルが治療を行なっていた。治療と言っても土地の医者が行なうようなやり方ではない。人の治ろうとする力を利用しようと、ただひたすら患者に手をかざし続ける。治療を生業とする魔法使いが治癒師と呼ばれる所以だ。

 しかし、どんな病気か知らないが手をかざすよりも患者の手を取って魔法をかければもっと治りが早いのに。そうクヌガは思う。

 昔、クヌガが戯れに患者の体に触れた時、普段温厚なナボルが烈火のごとく怒った。「勝手に人の心を覗いてはいけない」と。クヌガはただ人と話をしたかっただけなのに。言葉が通じない彼らと会話をするためには、それしかないのだから。だが、ナボルから禁止されてしまえば行なうことは許されない。

 西の土地の人たちが魔法使いと肌を触れたがらないのは、その力に寄るところも大きい。触れられれば交流ができるのと引き換えにその心根がすべて露わになってしまう。それが怖いのだ。

 治療を受けているのはクヌガよりも小さな女の子だ。いったいどんな病気なのだろう。治ってくれればいいのに。患者が来る度にクヌガはそう思ってる。

 大粒の汗をかきながらナボルは懸命に呪文を小声で唱える。女の子は目をつぶりくつろいでいるようだ。緊張されていると治るものも治らなくなる。これはいい傾向だ。

 窯場かまばに薪を置いてきたヌナバが戻ってきた。

「あまりジロジロ見るな」

 小声で叱責された。女の子を連れてきた父親のような男がこちらを気にしているのだ。

 土地の人の治療にはヌナバは携われない。ナボル一人の仕事だ。ヌナバにはそれが面白くない。ナボルの跡を継ぐのは自分だとの思いがあるからだ。だからヌナバは土地の人を快く思っていない。だがそれでも治療が無事に終わればいいとは思ってる。

(ヌナバだって遠慮してるんじゃない)

 心でそう思ったが口には出さなかった。

 ナボルの手が止まった。女の子の父親に向かってそのいかつい顔でニッコリと笑ってみせた。うまくいったようだ。女の子の父親がホッとした顔を見せ、その場で崩折れた。ずいぶん気を張っていたのだろう。ナボルと同じくらいの偉丈夫なのに気が小さいのか。

 ナボルがこちらにはじめて気がついた。立ち上がるとクヌガの二倍を超える大男だ。全身が毛むくじゃらでまるで熊のようだ。以前、たまたまヌナバが熊を退治した時に

「親子喧嘩でヌナバが勝ったのか?」

 とからかわれた事がある。だが、そんな見てくれと違いナボルは心優しい。

「あたしと大違いだ」

 クヌガはそう思っている。だから自分は治癒師にはなれない。ナボルだから治癒師をやれるのだ。他人がやっていることにイライラしたり話をしても喧嘩腰になったり。

「おかえり」

 ナボルはそう言ってクヌガの頭をクシャクシャと撫でた。

「うまくいったんだね。お疲れ様」

 ナボルを見上げてクヌガはねぎらった。実際、治療は神経も魔法もたくさん使う。疲労は他の魔法とは段違いだろう。ナボルのように頑健でなければ倒れてしまう。たとえ大きな体でもあの女の子の父親のように神経が細い人には無理かもしれない。もっともあの人は魔法使いではないが。

 その父親は風にでも当たってくるのか、フラフラと外に出ていった。

「私も少し休んでこよう。しばらくここを見ていてくれ、クヌガ」

 そう言ってナボルも部屋から出ていった。部屋にはクヌガと女の子だけになった。

(ここで何を見なくちゃいけないんだろう)

 そんなことを思った時、女の子が目を開けた。見開いた目に少しの怯えがみえた。無理もない。いきなり言葉もわからない所に運び込まれてナボルのような毛むくじゃらの大男に手をかざされたのだ。クヌガにとっては優しい父だが、はじめてみる子どもにしてみればこわいおじさん以外のなにものでもない。

 その上、眠らされて気がついたらまた見知らぬ少女が現れたのだ。何が何やらだろう。

 クヌガはニッコリと笑顔を作った。笑うのは苦手だが、少しでも女の子の気持ちが和らげればと思った。

 女の子は、そんなクヌガの思いに気づかないのか別の所を見ていた。その視線をたどると胸元の首飾りを見ているようだった

(これが気に入ったのかな?)

 少し逡巡したが、すぐに首から飾りを抜いて女の子の首にかけてあげた。女の子は驚いた顔をしたが、やっと笑った。

 クヌガの後ろで音がした。振り返ると女の子の父親がこちらを見ていた。クヌガを突き飛ばし女の子のそばに駆け寄った。何を言っているのかわからない。女の子は首飾りを見せながら何か説明している。

(この人はこんな大きな体をしているのに、何をそんなに怯えているんだろう)

 とクヌガは思った。女の子の方がよっぽどしっかりしている。

 音が聞こえたのかナボルが部屋に入ってきた。女の子を抱き抱えて出て行こうとする父親を止めようとしている。治療が終わったばかりの女の子をたいして休ませないで山を下りるのは無謀だ。だが、父親は一刻も早く集落から出て行きたいようだ。おそらく山を登る時に女の子を運んできた背負子に、女の子を座らせてしっかり縛ってから担いだ。

 ここまで来たら思い止まらせるのは無理だ。あとは無事に下山してくれるのを祈るのみだ。

 女の子は家から出て行く時、クヌガに向かって首飾りを見せながら手を振った。クヌガも倣って手を振った。

「なにがあったんだい、クヌガ」

 ナボルが尋ねた。なにと言われても何もない。クヌガはありのままに話した。ナボルはうなずいて

「お前のせいだとは思っていないよ。ムーが夕食の支度をしているから手伝ってきなさい」

 そう言って笑った。


「山の人たちっていい人だったね、お父さん」

 女の子は首飾りをいじりながら背中越しに父親に話しかけた。

「……そうだな。舌を噛むからあまり話すな、シャーロット」

 父親はそう言ったきり、黙々と山を下りた。

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