第2話 魔法使いの山
コンパートメントの客車からポーターが荷物を降ろす。続いてアルフレッド・トンプソン医師が降りた。アルフレッドは夫人の手を取り客車から降ろした。
「先生っ」
汽車の後方から助手のジェイコブが声をかけてきた。ジェイコブは汽車が走っている間、メイドのハンナと共に三等客車に乗っていたのだ。
「聞きましたよ先生。急患が出たそうじゃないですか。言ってくださればお手伝いに行きましたのに」
「そんな大げさなものではないよジェイコブ。薬を処方するだけですんだ」
アルフレッドは少し考えてからいたずら小僧のような顔をして付け加えた。
「それよりも個室に重体の患者がいて大変なんだ。行って降ろしてあげてくれないか」
そんな重体の患者がいたなんて聞いていないぞと思いながらも、「わかりました」と言ってジェイコブは客車に乗り込んだ。車掌からトンプソン一家が乗っていた個室を聞き出してその部屋の扉の前に立った。
自分の襟元を正し、被っていた鳥打ち帽をまっすぐに整えた。ノックをして中の反応を待つ。
……何の反応もない。どうやら、返事もできないほど重体らしい。
扉のノブを回しておもむろに開ける。
「失礼します。わたしはドクター・トンプソンの助手でジェ……」
ドクター・トンプソンの助手は部屋の中にある光景に絶句した。席には一人の少年が跪いてズボンを下ろし、お尻を出した状態でうつ伏せになっていた。そのお尻は真っ赤に腫れ上がっていた。
ジェイコブは
「その格好もずいぶん久しぶりに見るな。本国を出立した日以来じゃないかな」
ニヤニヤ笑いながらトーマスの元に近づいた。
「うるさい」
トーマスはそれだけ言うのが精一杯だった。
「いったいなにをやらかしたんだ、トーマス?旅行中はおとなしくしていたと思ってたんだがな」
トーマスは黙っていた。素直に罪を白状したら何を言われるかわかったものではない。
「まあいい。それよりもズボンを穿いてくれ。先生からお前さんを降ろすように言われてるんだ。尻丸出し男を汽車から連れ出したとなったら、どんな噂になるかわかったもんじゃない」
「穿けたらとっくに穿いてる」
トーマスは精一杯の憎まれ口を叩いた。だが、ジェイコブは意に介さない。
「何度も言うようだが、僕は先生の助手であって君の使用人じゃない。本来なら君の世話などする必要はないんだ。ああ、それなのに君が世話を焼かせるものだから、先生は僕にも君のお目付をお命じになる。これでも家に帰れば男爵家の三男坊という輝かしい地位の男なんだがな」
「爵位ならお父様も国王陛下からいただいてる」
ジェイコブは我が意を得たとばかりに
「その通り、つまり君も僕もりっぱな家族のりっぱな
そう言ってトーマスのズボンを一気にたくしあげた。
「いってぇ!」
痛みにおもわず叫んだ。
ジェイコブに引かれるようにして客車からやっとの思いでトーマスは降りることができた。駅のホームでは父親のアルフレッドが誰か見知らぬ男と談笑していた。
「あれは誰?」
トーマスはそばにいたジェイコブに尋ねた。
「たぶんこの町の町長じゃないかな。駅まで迎えにくると手紙に書いてあったそうだから」
「ふーん」
トーマスは町長の薄くなっている頭上を見ながら、本国で住んでいた時の市長も同じように頭が薄かったのを思い出した。市長とか町長なんて偉い人は禿げ頭じゃないとなれないという決まりでもあるのかな。
などと意地の悪い考えが頭をもたげて軽い自己嫌悪に陥った。身体が不調だとろくなことを考えない。
町長から視線をずらすと痩せぎすの長身の男が目に留まった。男はテンガロンハットをかぶって黒のチョッキにベージュのスカーフ、左胸には大きなバッジをつけていた。なにより気になるのは男の腰には拳銃が下げられていた。
「あの町長の隣の男ってもしかして?」
トーマスは興奮を隠せずにさらに聞いた。
「ああ、保安官だろうな」
ジェイコブは興味もなさそうに答えた。
保安官!噂には聞いていたが本物ははじめて見た。本国では警官はいるが保安官はいない。彼らは腕っぷしの強さを見込まれて町の治安を守るために雇われたスペシャリストだ。本当に開拓地に来たのだとトーマスは実感した。
「やあやっと来たな。町長、これは私どもの息子のトーマスです」
アルフレッドはトーマスを呼び寄せ町長たちに紹介した。
「はじめまして、トーマス・トンプソンです」
トーマスは如才なく挨拶した。だが、トーマスの意識は保安官と保安官の下げている拳銃に集中していた。生まれてはじめて見る回転式拳銃。父親が持っている護身用のちゃちな造りの拳銃とはわけが違う。一度でいいから触ってみたい。
「こんなところで奥様やお子さんを立たせっぱなしというのもよくありませんな。これから新しいご自宅に案内しましょう。きっと気に入ると思いますよ」
町長は先頭に立って歩き出した。次いでアルフレッド、キャサリン、トーマスにジェイコブ、さらにその後にメイドのハンナが続いた。保安官はひと言も発しないまま最後尾について一行は駅を出た。
駅には幌馬車が二台待っていた。本国でも見たような馬車に幌をかけたような小さなもので、その先頭の馬車に町長とトンプソン一家が、後の方にジェイコブにハンナ、そして保安官が乗り込んだ。トーマスは二台目に乗りたいと思った。馬車は新しい家に向かって走り出した。
馬車が走り出した後も二台目に乗りたいという思いは強くなる一方だった。町長の話がとにかく長い。長い上にトーマスにとっては退屈きわまりない話ばかりだからだ。
「この町はどんどん大きくなってきていますぞ。なにしろあちこちの金鉱でたくさんの量の金が連日掘り返されてますからな。砂金などというちゃちなものではありません。この金鉱目当てにたくさんの人々が毎年この町に押しかけていますからな。爆発的に人口が増えているのに今まで医者がいなかったのが不思議なくらいです。そのような中で、ドクターのような名医がいらしてくださって大変心強い」
「今までは病人やケガ人はどうしていたのですか。町長」
「そのご質問はもっともですぞ、ドクター。実は教会の神父様が多少心得がありましてな。採鉱夫のおこすケガなどはたいてい教会に持ち込まれておりました。しかし、神父様でも手に余る事例もたくさんありましてな」
町長はそう言うと肩をすくめた。
「残念ながらそういうものはイースタンの集落に病人を運んでおります。そこに住んでいるまじない師のようなものにすがっておるようなのです」
「イースタン?まじない師?町長、なんですかそれは」
「東の山に住んでいる蛮族を私どもはそう呼んどります。なんでも一族すべてが魔法を使う民族なのだとか」
……魔法使い?トーマスの耳にやっと興味のある単語が飛び込んできた。小さな頃に読んだ絵本の中に出てきた魔法使いがこの開拓地に住んでいる?
「いや、そのような非科学的なもの私は信じておりませんぞ。しかし、一部では拳銃や小銃が作られたのはこの魔法使いを退治するためだとか言われてましてな。それにその蛮族のもとに連れていった病人の幾人かは治っておるようなのです。そういう事実があるので私どもが止めておるにもかかわらず、隠れて病人を山に運ぶものが後を絶たんのです」
「そんな民族がいるのですか。おそらくそれは魔法の儀式を利用してよくなったと錯覚させているのでしょう。本当に治療できているわけではないのでしょうね」
「まさしくドクターの仰る通りです。実は今朝も自分の娘を山に運んだ採鉱夫がおりましてな。けしからん話です。まさかドクターがお越しになるその日に蛮族の治療……いや、そう信じておるものの話ですが……を受けに行くなどとは言語道断です」
トーマスは町長の話を聞き流しながら東の山を馬車の隙間から見ていた。あの山に魔法使いが住んでいるのか。病気を治すことしかできないのかな。もしそうならお父様がやってきたら困ることになるんじゃないだろうか。
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