イースタン

塚内 想

第1話 少年と少女と

 少年は拳銃を手にしていた。

 少年が乗っているのは大陸横断鉄道のコンパートメント客車。彼の父親は本国では名の通った医者である。その父は車掌に呼ばれ、腹痛で苦しんでいる乗客の診察のために二等客車に向かっていった。

 彼の母親は本国から数日の船旅を経て、さらに鉄道での旅の疲れが出たのか今は眠っている。少年はその隙に父親が自分の席に置いた拳銃を取り出した。父が本国から持ってきた数冊の本の上に置かれ、その上からハンカチーフで覆っただけでは少年の好奇心を抑えることはできなかったようだ。

 銃は護身用だが彼の手には余るほどの大きさでズシリと重い。鉄の光沢が目に映ると思わず笑みがこぼれる。少年の知識ではどうやって弾を込めるかすらわからないが、引き金の引き方くらいならば想像できる。自分がこの銃を撃って悪漢を倒す姿を想像するのはまだ十歳の男の子ならば無理もないだろう。

 母親を起こさないように「パンッ」と声をひそめて言ってみる。先込め式の銃だから一発ずつしか撃つことができないが彼の想像力は連射ができるように「パンッパン」とその銃身を個室の扉に向けていった。銃身の向こうには扉を開けた父親が立っていた。

 少年と父親が相対したのは、十秒もなかっただろう。両者とも目を見開いて驚いたが、現状を認識すると、まず父親から手を差し出した。少年は黙って拳銃を父親の手に置いた。銃をベストのポケットに無造作にしまうと父は黙ったままトランクの中からムチ棒を取り出した。

 その只事ならぬ様子に目を覚ました母親が父に尋ねた。

「あなた、お帰りなさい。どうなさったの?そんな怖い顔をして。患者さんの具合がひどかったの?」

「いや、患者はたいしたことがなかったよ。たいしたことがあったのはこの部屋のほうさ」

 父アルフレッド・トンプソンの言葉に母親のキャサリンは息子の顔をまじまじと見た。

「あなた、ごめんなさい。私がうっかり眠ってしまったものだから。トーマスがなにかイタズラをしてしまったのね」

「君のせいではないよ、キャサリン。トーマスももうやって良いことと悪いことの区別がきちんとついてなくてはいけない。いや、もうわかっているはずだね、トーマス」

 父親は少年=トーマス・トンプソンに向かって問いかけた。トーマスは

「はい」

 と返事をするしかなかった。

「ならば次にやるべきことはわかっているね」

 父親の言葉にトーマスは個室の扉を閉め、壁に向かいズボンを降ろした。


 少女は汽車を見ていた。

 少女は自分たちの部族が住んでいる山の麓に立って西の土地に向かっている汽車を眺めていた。汽車は少女が物心ついた時にはすでに線路が敷かれ、黒い煙を吐き出しながら走っていた。

 部族が住んでいた西の土地が奪われ、この山に追い立てられるように住みはじめた時の記憶は少女にはない。あるのはこの山で走り回ったこと。身につけた技。そして、ふと見える汽車や町の様子だけだった。

 あの汽車はいったいどこからやってきたのだろう。どこからあんなにたくさんの人を運んで来るのだろう。どうしてあんなにたくさんの人があの土地で暮らすのだろう。

 土地の人の数は年々増えていってる。それにひきかえ自分たちの部族は今の数を減らさないようにするのが精一杯だ。父親の努力で人死にを減らしているのと女たちが子を産んで育ててやっとだ。

 もし、このままあの土地の人が増え続けていったら、いつかはこの山も追われてしまうのだろうか。

「クヌガ!」

 そんなことを考えていると背後から名前を呼ばれた。兄のヌナバだ。

「早くしないと日が暮れてしまうぞ」

 ヌナバはそう言って薪を拾う。ヌナバはクヌガと八年の歳の差がある。本当はその間に二人、男の子と女の子がいたのだが流行り病に罹り絶命している。父の力をもってしても死を覆すことはできなかった。魔法使いも万能ではないのだ。

 クヌガは洗いざらしの民族特有の麻のワンピースをひるがえして、ヌナバの元に走った。

「土地の方ばかり見ていると族長たちがいい顔をしないぞ」

 そう言って兄は彼女をたしなめる。ヌナバには西の土地で暮らしていた記憶があるのにどうして平気なのだろうか。クヌガはいつも疑問に思っていた。この山が好きなのはクヌガも同じだ。だが、平地を思い切り汽車のように駆け抜けるのはどんなに気持ちがいいだろう。それを夢想するのは悪いことだろうか、……と。

 兄の気持ちが知りたくて、クヌガはそっとヌナバの腕に手を触れる。

「やめろ!」

 ヌナバは一喝した。

「そうやって人の心を覗こうとするのは良くないことだ。父さんファーがいつも言っているのを忘れたわけじゃないだろう」

 クヌガは手を引っ込めた。ヌナバはニコリと笑って

「さあ、この大枝を運びやすいように細かく切ってくれ」

 先日の大嵐の時に折れた大木の枝を指した。クヌガは

「うん」

 とうなずいて右手を前に突き出した。

 クヌガは左手を右上腕にそっと触れさせる。そして

「シュア」

 と静かに呪文を唱えながら、スッと右手まで左手を滑らせた。

 みるみるうちにクヌガの右腕は硬化されていく。クヌガの右腕から血の気がなくなり、腕が急速に冷えていくのを感じる。硬化された右腕には血液が通わなくなるので長い時間この魔法をかけておくことはできない。もし、反対呪文をかけずに放っておいたら、やがてその腕は壊疽を起こして腐れ落ちてしまうだろう。

 クヌガはさらに右の手刀に左手を添えて

「シュア・シヌミ」

 と唱えた。褐色の肌の腕が鈍く光る。手のひらにクヌガの顔がうっすらと浮かび上がる。彼女の手刀は鋭利に研ぎ澄まされ、まるで刃のように変わった。

 その刃化やいばかされた右手をおもむろに大枝に向かって振りおろした。

 クヌガの二倍はあった大枝があっという間に無数の木ぎれに変わっていく。

 魔法使いは人により得意な魔法がある。魔法使いの血を持つものは修練を積めばほぼすべての魔法を会得できるがそれでも得手不得手はある。

 クヌガは硬化の呪文を得意とする。刃化はクヌガのもっとも得意とする魔法だ。腕を刃にするだけでなく、身体全体を硬化させることすらできる。ただし、そうなると呪文を唱える口も固まってしまうので反対呪文で解くことができなくなってしまう。なにより、血液すら硬化してしまうので人によっては一瞬のうちに死を迎えてしまう。

「お見事!」

 ヌナバは賛辞の声をあげてクヌガの頭をクシャクシャとなでる。クヌガにとってはなによりのご褒美だ。

 クヌガはやっと笑顔になり

「へへっ」

 と胸を逸らした。

「リ・シュア」

 クヌガは反対呪文を唱えて腕を元に戻した。右腕にしびれが走る。血液が腕に戻っていく証拠だ。腕に温かさが戻って来るこの瞬間がクヌガは好きだ。

 ヌナバが解体された枝を集め束にする。二人分の手製の背負子しょいこに積み上げる。

 クヌガがよろけながら背負子を背負った時、西の土地から警笛の音が鳴った。駅に汽車が到着した。

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