第10話 Side―B 第四章 院内デート

「こんにちは、舞。」

その日の翔太は、大学の講義が午前中で終わ

ったため、午後の早い時間帯に、舞のもとへ

お見舞いに来ていた。

「…こんにちは、翔太。

 私、もう翔太はここへは来ないんじゃない

かと思ってた。」

「どうして?昨日、

『必ずもう一度、ここに来る。』

って言ったじゃん。」

翔太は、舞の質問をわざとはぐらかして、そ

う答えた。

「そっか。

 …翔太、私、翔太に、伝えないといけない

ことがあるんだ。

 ごめんなさい、翔太!私、昨日は翔太に、

本当にひどいことをしました。私、入院の延

長の件で、精神的に余裕がなくなって、それ

で…、翔太にあたっちゃいました。

 本当は、私、今でも翔太のことが好きです。

だから…、翔太と、仲直りがしたいです!」

「…仲直りなんて、できないよ。」

「えっ!?」

翔太の口からは、少し意外な言葉が返ってき

た。

 「だって僕たち、ケンカなんてしてないで

しょ?

 僕の方こそごめんね。舞の辛い気持ち、受

け止めきれなくて。

 でも、舞が昨日みたいに、僕にあたって、

それでスッキリしたなら、僕はそれでいいん

だ。

 だって、僕も、舞のことが、大好きだから

。」

今日は、翔太の一言一言が、心に沁みる舞で

あった。舞は、翔太の発言に、激しく心を動

かされ、そして、翔太に対して、

『悔しい。』

という感情を、持ってしまった。(その感情

は、舞が翔太と付き合い始めてから、初めて

の感情であった。)

 『なんか今日の翔太、超かっこいいんだけ

ど。

 かっこ良過ぎて、なんか、負けたくない、

っていうか…。

 それに、何か翔太のこと、めちゃくちゃに

したい、っていうか、何というか…。 

 …ちょっと私、何考えてるんだろう!?今

日は翔太に、謝らないといけないのに。』

 「…舞、聴いてる?」

翔太がそう呼びかけるまで、舞は、そんな思

いに耽っていた。

「…あ、ごめん、ちょっとボーっとしちゃっ

てた。

 分かった。じゃあこれからも、よろしくお

願いします!」

「うん。こちらこそ、よろしくね!」

 舞の頬は、心なしか、舞が大好きなリンゴ

のように赤くなっていた。それを舞自身も自

覚し、

『ヤバい。私の表情、翔太にバレてないか

な?』

と、舞は気恥ずかしさで心配になった。

 そして、その自分の気持ちを翔太に隠すよ

うに、舞は翔太に話しかけた。

 「ねえねえ、でも、

 『仲直りなんて、できないよ。』

なんて台詞、いつ考えたの?

 何か、いつもの翔太らしくないよね?」

「それは、口をついて出てきた、っていうか

…。」

「ホントに?」

「…半分は本当で、半分は嘘かな。

 でも僕、今だから言うけど、舞に対して、

『悔しい。』

って気持ちを、持ったことがあるんだ。何か、

舞のことが好き過ぎて、負けたくない、って

いうか、何というか…。

 だから、ちょっと舞に意地悪してみようと

して、あんなこと、言っちゃった。

 …変な話してごめんね!舞が大変な時に、

するような話じゃないよね?

 というわけで、今の話は忘れてください!」

翔太は気恥ずかしくなりながら、そう答えた。

そして、舞は、翔太の頬が舞と同じ色になっ

ていることを、はっきりと見てとった。

 『翔太も、私とおんなじ気持ち、持ったこ

とがあるんだ。

 待てよ?このまま私が黙っておけば…、

 形勢逆転かな!?』

そこからの舞は、翔太に恋をする、少しイタ

ズラな女の子であった。

「ホントに、変な話だよね!

 じゃあ変な話した代わりに、何かしてくれ

る?」

「え、ご、ごめんね。何か…何がいい?」

「じゃあ、私のために、リンゴ、むいてくだ

さいな。」

「え、それだけでいいの?」

「それだけって何よ~。」

「そっか。分かったよ。」

こう言って2人は、笑った。2人の目には、

昨日は殺伐として見えた病室が、今日は心な

しか、明るく見えた。


 「舞、今日は僕ね、大学の図書館から本を

借りてきて、あと、本屋にも寄って、本を買

って来たんだ。」

「えっそうなんだ。ちなみにどんな本?」

「一応、図書館からは、絵本を借りてきたん

だけど…。」

「絵本!?私、もう子どもじゃないよ。」

そう言って舞は、無邪気に笑った。その時2

人は、完全に、いつもの2人に戻っていた。

「まあその通りなんだけど、大学生になった

ら、絵本を読む機会なんてないじゃん?だか

ら、たまにはいいかな、って思って…。」

「もちろん、翔太が私のために、持ってきて

くれたんならいいんだけどね。

 それで、どんな絵本?」

「一応、フランスの絵本を、翻訳したものが

あったから、持ってきたんだけど…。」

「そうなんだ!へえ~そんなのがあるんだ

ね。

 何か面白そう!

 そうだ、翔太、私に朗読してみてよ。」

「え、ちょっと緊張するな…。分かった。え

っと―、」

翔太は、朗読を始めた。その絵本は、近代の

フランスで描かれたものであった。そして、

その絵やストーリーは、なかなかのもので、

2人は、思っていた以上に、その絵本を楽し

んだ。

 「ありがとう、翔太。わざわざごめんね。」

「いえいえ、舞お嬢様のご機嫌をとるためな

ら、私は何でもやりますよ!」

「…それじゃあ私が、わがままなお嬢様みた

いじゃん!」

「えっ、違った?」

「ちょっと~。

 もちろん、お嬢様には憧れてますけどね!」

「じゃあ、『上品な舞お嬢様』ならどう?」

「それならOKだよ!」

こう言い合いながら、2人は笑った。いつも

のことながら、こういった他愛もない掛け合

いも、2人なら絶妙な空気感でできる、2人

は瞬時に、そして同時にそう思った。

 「それで、本屋では、どんな本を買ってき

たの?」

「ごめん、またフランス関係なんだけど…。

フランスの旅行雑誌を、買って来たんだ。」

そう言って翔太は、舞に雑誌をさし出した。

「翔太、本当にフランスが好きだね!」

「うん。だって、アルセーヌ・ルパン誕生の

地ですから!」

「そっか。

 でも、私もフランス、行ってみたい!」

「うん、舞が退院したら、絶対に2人で行こ

うね!

 ところで舞は、フランスならどこへ行きた

いの?」

「私、そんなにフランスは詳しくないんだけ

ど、パリには行ってみたいなあ…。ルーブル

美術館とか、凱旋門とか?あと、ヴェルサイ

ユ宮殿も、行ってみたい!それに…、

 ブランドもののバッグは、絶対ハズせない

な!」

「…やっぱり舞は女の子だね…。

 僕は、もちろんパリにも行ってみたいけど、

アルセーヌ・ルパンの生みの親の、モーリ

ス・ルブランの出生地、ルーアンはハズせな

いな!」

「そう、なんだ。

 そこって、パリからは近いの?」

「えっとね…。」

翔太は雑誌の、フランスの地図を差し出しな

がら、語り始めた。

 「ほら、ここがルーアンだよ!パリからは

…、パリのサン・ラザール駅から電車で1時

間半だね。」

「ふうん。」

「それで、このルーアンは、モーリス・ルブ

ランの出生地、ってだけじゃないんだ。

 例えば、ルーアン大聖堂には、初代ノルマ

ンディー公のロロのお墓があったり、百年戦

争で有名なジャンヌ・ダルクは、この町で火

刑に処されていたり、…」

「ごめん、途中からついていけない…。」

「あっ、ごめんね。フランスのことになると、

ついつい熱くなっちゃって。僕の悪い癖だ

ね。」

翔太は、舞に謝った。

 「ううん、いいよ。

 ただ、私、ちょっと聞いたことがあるんだ

けど、

『フランス人は、英語を使いたがらない。』

って、本当なの?」

「…何かね、昔の人は、そういう傾向があっ

たみたいなんだけど、最近の若者は、普通に

英語、使うみたいだよ。」

「そっか。私、英語には自信あるんだけど、

フランス語は全然分かんないし、旅先でも、

ちょっと不安だな…って思って。

 まあ、気が早いんだけどね。」

「大丈夫!僕がフランス語で、何とかするか

ら!」

「ホントに?」

「少なくとも、努力はするから!」

「大丈夫かなあ~。」

こう言って2人は、笑った。

 「じゃあ今日はこの辺で。明日、また来る

ね!」

「うん!いつもありがとね、翔太!」

「いえいえ。

 じゃあまたね!」

こうして、翔太はこの日、家路についた。


 次の日も、翔太は舞の元へ、お見舞いに来

た。その日は翔太は大学の講義が日中あった

ため、夕方からの、お見舞いであった。

 「舞、また舞の好きな、リンゴ持ってきた

よ。」

「うん。いつもありがとね、翔太。」

「じゃあ、今からリンゴ、切るからね。

 僕も、ちょっとだけだけど、ナイフ使い、

慣れてきたんだ。」

そう言って翔太は、舞の前で、リンゴを切り

始めた。

「え~慣れてきてそれ?」

「ごめん…これは僕の才能の限界です。」

「何よ~何か私が悪いこと言ったみたいじゃ

ん。

 それに、ちょっと大袈裟じゃない?」

「それもそうだね。なんかごめんね。」

こう言って2人は、笑った。そして、2人は、

翔太が切ったリンゴを、一緒に食べ始めた。

 「僕もお腹がすいてたから、ちょうど良か

ったよ。」

「そっか。疲れてたんだね。」

「うん。今日は講義が長引いたんだ。

 舞も確かとってたよね?木村先生の英語の

講義?」

「あっ木村先生か~。

 あの人、熱血漢だよね?」

「そうだね。

 それで、今日は僕の大の苦手の英語で、そ

の熱血漢の木村先生に当てられて、本当に困

ったんだ。

 何か、

『この程度のことくらい、分かりますよね?』

っていうような態度で、焦ったよ。」

「ふうん、なるほどね。

 でも、あの先生、嫌味な所はないよね?」

「そうだね。嫌味ではないんだけど、いやそ

の分、自分のできなさがはっきりしちゃって、

それはそれでショックだったよ。」

「それは大変だったね。」

 2人は今日も、翔太が大学で見てきたこと

から、他愛もない会話まで、楽しく話をした。

それは、舞が入院する前から、ずっと続けて

来た、2人の会話であった。

 しかし、最近の舞は、少し痩せたように、

翔太には見受けられた。そして、

「舞、ちょっと痩せた?」

と翔太が舞を心配して訊くと、

「うん。ちょっと痩せたかもね。

 でも、それは多分、病院の食事が質素なせ

いだよ。

 院内食も、そろそろ飽きてきたな~。」

と、舞は軽く受け流すように答えた。

『この分なら、とりあえずは安心だな。』

と翔太は思い、

「じゃあ、舞は退院したら、何を食べたい

の?」

と、舞に訊いた。

 すると、

「とりあえずは、…リンゴかな?」

「それ、今でも食べてるじゃん!」

「あ、そっか。」

舞はこう冗談を言い、翔太は鋭くそれにツッ

コミを入れた。

 そして、

『とりあえず、舞が元気で良かった。』

と思う、翔太なのであった。

 そうして、舞と翔太が話をしていると、突

然、舞が違う話を振って来た。

 「ねえねえ、翔太、翔太は今、幸せ?」

「…急にどうしたの?」

「翔太、ちゃんと答えてくれる?」

そう言った舞は、真剣な表情であった。だか

ら翔太も、

「うん。幸せだよ。

 僕はこうして、舞と一緒にいられて、それ

だけで、とっても幸せなんだ。」

と、舞の目を見て、真剣に答えた。

 「ありがとう、翔太。

 私も、今、とっても幸せ。

 こうして、翔太と一緒に話ができて、一緒

に居られて、本当に幸せ。」

舞も、翔太の目を見て、そう答えた。

 「ありがとう、舞。また、退院したら、…」

翔太が次の言葉を言い終わらないうちに、舞

の目から、涙が溢れてきた。

 「ごめん、翔太、急に泣いたりして。

 でも、私、やっぱり、死にたくないよ…。

 この前は本当にごめんね。この前の私は、

ひとりよがりな気持ちだった。自分のことし

か考えてなかった。ただ、自分が怖いだけで

…。翔太のことなんか、これっぽっちも考え

てなかった。

 でも、今日は違うよ。私、翔太ともっと一

緒にいたい。翔太と、いっぱい思い出、作り

たい。

 でも、私が死んじゃったら、翔太に寂しい

思いをさせることになるんだよ?それに、翔

太との楽しい思い出、作れなくなっちゃうん

だよ?

 私、やっぱり…死にたく…ないよっ!」

舞の涙は、留まることを知らなかった。その

心の声は、前回とは違い、翔太への愛に、溢

れたものであった。

 「大丈夫だよ、舞。」

次の瞬間、翔太は舞を優しく抱き寄せながら、

こう舞に囁いた。

 『前回は、舞の不安に、寄り添うことがで

きなかった。だから今回は、絶対に、舞の不

安な気持ち、受け止めてあげるんだ。

 もう、舞を離したり、しない。』

翔太の胸には、そんな決意があった。

 そして、翔太は舞の耳元で、舞にこう語り

かけた。

 「大丈夫。僕が、側にいるから。手術、絶

対に上手くいくから。

 そしたら、フランスに、絶対一緒に行こう

ね。それに、いっぱいデートして、話をして、

それに…、

 楽しい思い出、いっぱい作ろうね!

 だから、もう少しの辛抱だよ。

 僕も、頑張るから。

 舞も、一緒に頑張ろう。」

 そして、2人はしばらくの間、言葉を交わ

さずに、抱き合った。その間、舞は、少し泣

きじゃくりながら、翔太の胸元に、自分の顔

を当てて過ごした。

 そして、

「ありがとう、翔太。翔太はいつでも、優し

いね。

 ちょっと、気が楽になったかも。」

「そっか。それは良かった。」

翔太は舞を優しく引き離しながら、そう言っ

た。

 「本当にありがとう、翔太。私、翔太と出

会えて、本当に良かった。

 私1人だったら、絶対に、病気になった瞬

間に、塞ぎ込んでたと思うんだ。

『もう何も、希望なんてない。』

みたいな感じにね。

 でも、翔太がいたから、私は、楽になれた。

希望を持って、生きることができた。だから、

私、翔太のことが、本当に好き。

 だから、私と一緒に、もう少しだけ、頑張

ってくれる?」

「もちろんだよ、舞。もう少し、本当にもう

少しだから、一緒に頑張ろうね!」

 こう言って2人は、笑みを交わした。

 「あ~何か泣いてすっきりしたら、お腹が

減ってきちゃった…ってか、病院の食事、さ

っきも言ったけど、正直に言って不味いんだ

よね…。」

「じゃあ、何か食べる?」

「うん!

 とりあえずリンゴはもう食べたから、次は

…、アップルパイが食べたいな。」

「…アップルパイは持ってきてないよ…。」

「そっか、じゃあ次来るときには、買ってき

てくれたまえ、早野翔太くん!」

「かしこまりました、野村舞お嬢様!」

こう2人は冗談を言って、笑った。そして、

今日は2人の固い絆を、確認し合う1日とな

った。


 「野村舞さん、少しだけお話、いいです

か?」

 舞は、その日の夜、翔太が家に帰った後、

家族と共に、医師に呼び出された。

 「舞さんの脳腫瘍は、幸い良性です。です

から、命に別状はないでしょう。

 ただ、その腫瘍の部位が、少し、手術をし

にくい所でして…。

 そのため、入院期間を延長して、お待たせ

することに、なってしまいました。

 しかし、もう大丈夫です。系列の病院の、

脳腫瘍手術の権威の医師に、事情をメールで

送り、話をした結果、

 『私がそのオペ、執刀しましょう。』

との返事を頂きました。

 その医師は、身内のことで恐縮ですが、と

ても腕の立つ医師です。ですから、舞さんの

手術も、必ず上手くいくと思います。安心し

てください。

 最後に、手術の日取りですが…、

 1週間後になります。」

舞と舞の家族は、そこまで聴き、少しの安堵

の気持ちと、手術に対する緊張感とが入り混

じった、何ともいえない気持ちを、味わうこ

とになった。

 そしてその日、舞は眠りについた。


※ ※ ※ ※

翔太はその晩、手紙を書いていた。しかし、

それはいつもの翔太ではない、少なくとも、翔太自身は、そういう感覚を持っていた。まるで、自分以外の人間が、自分の中に住んでいる感覚―。この感覚を、一言で表すなら、こうなるだろうか。

 とにもかくにも、翔太は夢中で、ひたすら手紙を書いていた。

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