第9話 Side―B 第三章 三角関係

「翔太、いつもお見舞い、ありがとね。」

舞が倒れてから、2週間が経過していた。そ

して、翔太と舞は、2人が大学生になってか

ら初めての6月、初夏を迎えようとしていた。

「ううん、全然いいよ。僕も、舞に会いたい

から…。」

「またまた~。大学、サボりたいだけでし

ょ。」

「うん、それもあるかな。」

「ちょっと、冗談のつもりだったのに~。ホ

ントに?」

「もちろん、僕も冗談だよ。」

「そっか、ちょっと安心したかも!」

こう言って2人は、笑った。

 舞は、当初は早めに手術を行い、そして早

めに退院する予定であったが、その手術の予

定が少し伸び、今に至っているのであった。

 また、翔太はこの2週間、毎日、舞のもと

へお見舞いに行っていた。

 「あと、リンゴも、ありがとね。私、ホン

トにリンゴ、好きだから、こんなにいっぱい

食べれて幸せ。

 だって、病院の食事って、健康的かもしれ

ないけど、あんまりおいしくないんだもん。」

「そっか。じゃあいっぱい買って、持って来

なくちゃね。

 でも、倒れる前まで食欲がなかったって聞

いてたから、安心したよ。」

「それ、私の両親が言ってたの?

 それなら大丈夫!単に、下宿先にいる時食

べる気がしなかっただけ…のような気がする

から。

 私の食欲は、この通り健在です!」

そう言って舞は、翔太が切った、リンゴをほ

おばった。翔太は、舞のため、慣れない手つ

きでリンゴを切って、舞のベッドの近くまで

持ってきていた。

 「…とりあえず大丈夫そうだね。

 でも、僕リンゴ切るの下手だから、なんか

ごめんね。皮も、むけてないし…。」

「いいのいいの!私、繊細そうに見えるかも

だけど、リンゴは皮ごと食べれるタイプだか

ら!」

「繊細そうに見える…かな?」

「ちょっとそこ、彼氏だったら認めてよ!」

「あ、ごめんね。」

そう言って2人は、笑った。舞のリンゴを食

べる姿は、まるで小さな子が食べているよう

で、可愛らしいものである、と翔太は心の中

で思った。(しかし、「小さな子」という例

えは舞を怒らせてしまいそうなので、翔太は

それを口には出さなかった。)

 また、翔太は、病院の中の、舞が入院して

いる部屋を少しでも明るくするため、プリザ

ーブドフラワーを買って、部屋の中に飾って

いた。

 「ありがとう、翔太。これ、全部本物じゃ

ないんだよね…。なんか、完成度すごいな。」

「確かにそうだね。」

翔太がプリザーブドフラワーを飾っている時、

舞がこう言った。

「それに、翔太にしてはなかなかの、センス

じゃん。」

「『翔太にしては』は余計だよ~。」

「そうかな?」

「もう、舞には勝てないね。」

「それ、今頃気づいたの?」

「いや、前からです。」

「その通り、偉いぞ、早野翔太くん!」

「はい!」

冗談を言っている時の舞は、本当に明るく、

周りの人間は、ここが病院であること、そし

て舞が入院している患者であることを、忘れ

てしまいそうになることがあった。

 「ところでさ翔太、私、退院したらやりた

いことがあるんだ。」

「えっそうなんだ。

 何がしたいの?」

「私ね、退院したら、ピアノを弾いてみた

い!

 私、実は『楽器を弾ける人』に憧れがあっ

たんだ。何か、最近流行ってる歌とかを、サ

ッと弾けたら、カッコ良くない?」

「確かにカッコいいね。でも、舞が楽器に憧

れてるなんて、初耳だよ。

 それで、楽器もいろいろあるけど、どうしてピアノなの?」

「うん。今までちょっと恥ずかしくて、誰に

も言って来なかったんだけど…。

 ピアノがいい理由は、やっぱり楽器の王道、

って感じだし、それに、ギターとかに比べて、

女の子らしいかな、って思ってね。」

「そうなんだ。」

「それに、最近流行りの曲じゃなくても、例

えばクラシックとかジャズとかの曲でも、弾

いてみたいな。

 私、曲名までは詳しくないんだけど、すご

い速い曲とかあるじゃん?それを弾きこなせ

たら、カッコいいよね?」

「確かにそうだね。

 ようし、じゃあ僕も、楽器の練習、頑張ら

ないとな。僕も楽器は全くの初心者だったけ

ど、軽音サークルに入って、ギターとかドラ

ムとか、だいぶん弾けるようになったんだ。

 舞がピアノ弾くなら、僕はギターかドラムで、セッションしたいな!」

「そうだね。一緒にセッション、できたらい

いね!」

2人は、退院してからのささやかな夢を、語

り合った。

 「あと私、大学の単位が、心配なんだけど

…。」

「それなら、大丈夫じゃない?試験は7月の

終わりだし、それまでには退院できるよ。

 あと、講義のノートは、できる限り書いて、

後で渡すから…。」

「でも、出席日数は、大丈夫かな?」

「それは、事情を話せば大丈夫、だと思うよ

…。」

「でも、やっぱり不安だから、翔太が代筆、

してくれたらいいんじゃない?」

「いや、それはちょっと…。」

「冗談だよ冗談。困らせてごめんね。

 でも、事情を話せば、何とかなるよね?」

「うん。仕方ないことだし、何とかなると思

うよ。

 あ、もうこんな時間だ。そろそろ、面会終

了の時間だね。

 じゃあ、また明日も、来るからね!」

「うん、ありがとう、翔太!」

「またね!」

こう言って翔太は、面会終了となる夕方、病

院を出た。舞は入院している間、本当に元気

で、舞の脳に腫瘍がある、というのが、嘘の

ようであった。


 翌日の午前中、翔太は久しぶりに、所属し

ている軽音サークルに、顔を出していた。サ

ークル室には、まだ午前中であるにも関わら

ず、数名の学生がいて、楽器演奏の練習をし

たり、話をしたり、CDプレーヤーとヘッド

ホンで曲を聴き、イメージトレーニングをし

たりしていた。

 そのため、サークル室内は、楽器の音や人の声で、充満していた。

『この雰囲気、久しぶりだな。』

翔太はサークル室に入った直後、そう思った。

 「おっ、翔太じゃん。久しぶり。

 最近顔見なかったけど、何かあったのか?」

翔太に気づいたサークル仲間が、早速声をかけた。

「いや、ちょっと忙しくて…。

 でも、楽器の練習も、時間見つけて、しとかないとと思ってね。」

「そっか。まあ、翔太の具合が悪かったわけじゃないんだな。」

「うん、僕は大丈夫だよ。ありがとう。」

「いやいや。」

 舞の入院の件は、あまり言いふらすと舞が嫌がるだろうと思ったため、舞のことをよく知らないサークルの他のメンバーには、伝えていなかった。

 『よし、練習だ。頑張って練習して、舞が退院したら、一緒にセッションできるようにしておこう。

 それに、ピアノに関することも、舞に教えてあげたいな。

 そのためには、音楽の勉強や練習、もっとしないといけないな…。』

 翔太は、舞が退院するまでは、サークルには顔を出さない予定であったが、前日の舞のピアノに対する思いを聞き、サークルに行って練習することにしたのであった。

 久しぶりにギターを弾き、またドラムを叩いてみると、自分の腕がなまっていることに、翔太はすぐに気づいた。

『ヤバいヤバい、もっと練習しなきゃ…。』

翔太はそう思い、また自分の楽器の力量のなさに嫌になりながらも、練習を続けた。

 そうやって、翔太が練習をしていると、翔太の同級生で、サークル仲間である、秋山美沙子あきやまみさこが、サークル室に入って来た。そして、

「翔太くん、久しぶり。

 ちょっと、話があるんだけど、いいかな?」

と、翔太に話しかけた。

「あっ、美沙子ちゃん。久しぶり。

 いいよ。どんな話?」

「ちょっとここじゃ何だから、外に出ない?」

「えっ?

 いいけど…。」

そう言って翔太は、美沙子と共に、サークル

室を出て、近くのラウンジに向かった。

 そのラウンジは、サークル室の近くにあり、

また学生用に、開放されたものであった。そ

して、まだ午前中ということもあり、そのラ

ウンジには、やって来た美沙子と翔太以外、

人はほとんどいなかった。

 「それで、美沙子ちゃん、…話って何?」

翔太がそう尋ねると、美沙子は、少しモジモ

ジした後、意を決したかのように、翔太の方

を向いて、声を出した。

 「あのね、翔太くん。

 私、翔太くんのことが好きです。初めて会

った時は、友達のうちの一人、としか思って

なかったんだけど、翔太くんと話をして、仲

良くなっていくうちに、段々好きになって…。

気づいたら、翔太くんのこと、大好きになっ

ていました。

 だから、私と付き合って欲しいんだ。」

 翔太は、美沙子の突然の告白に、びっくり

した。

 美沙子は、どちらかというと派手なタイプ

で、いつも明るめの茶髪に巻き髪、そして少

し厚めの化粧で固めていた。また、背も高め

で、活発な性格であったため、美沙子・翔太

の所属する軽音サークルでも、中心でみんな

をまとめる、そんな役割を美沙子はしていた。

 そして、翔太と美沙子は、(翔太はそこま

で活発な方ではなかったため)サークル内で

は別のグループであったが、お互いにサーク

ル愛が強く、サークルの今後の方針について、

話し合うことも多かった。

 「ありがとう、美沙子ちゃん。ちょっと、

びっくりしちゃって。

 でも、僕、美沙子ちゃんと付き合うことは、

できないよ。

 僕、彼女がいるんだ。」

翔太からの返事に、美沙子は少し動揺しなが

らも、話を続けた。

 「えっ、そうなの?…知らなかった。

 それってどんな子?」

「その子は、美沙子ちゃんと違って、背も低

いし、みんなの中心にいるタイプじゃないか

もしれない。でも、優しくて、本が好きで、

何かに夢中になると止まらなくて…。

 僕、そんな彼女のことが、本当に大切なん

だ。」

「…そうなんだ…。」

「それに…、これも言った方がいいかな?

 一応、他のサークルのメンバーには言わな

いでね。

 実は僕の彼女、今、病気で入院してるんだ。

もちろん、手術をすれば治るらしいんだけど

…。それで、僕は毎日、その子の所にお見舞

いに行ってて、サークルに顔を出せなかった

んだ。

 だから、今は彼女を支えてあげたい。彼女

の力になりたい。だから…、

 美沙子ちゃんと付き合うことは、できない

んだ。ごめんね。」

「でも、その…病気の彼女さんがいるって、

大変じゃないの?翔太くん、大丈夫?」

「全然。僕、本当にその子のことが好きだか

ら。」

 美沙子は、いつもの翔太らしからぬ、決意

に満ちた表情を見た。

『自分には、翔太くんと、その子との間に入

る余地はないな…。』

美沙子はその瞬間、そう思った。

 「分かりました!じゃあ今日限りで、翔太

くんのことは、諦めます!

 私、翔太くんの、そういう優しい所が、好

きだったんだ。だから…、

 彼女さん、大事にしてあげてね。」

「うん。ありがとう。」

「それにしても、今日はやっと会えた、って

感じだったよ。翔太くんに告白しようと思っ

て、私、ずっと、翔太くんが来るのを待って

たんだ。何か、メールで呼び出すのも、悪い

かなと思ってね。

 でも、翔太くんは全然、サークルに来ない

し…。

 やっと分かった。原因は、それだったんだ

ね。なら仕方ないね!」

「なんかごめんね。ちなみにどのくらい、待

ってたの?」

「それは…、一万年くらいかな?」

「何それ!」

「もちろん冗談だよ!

 じゃあ私、サークル室で練習してくるね!」

「分かった。」

 こうして、2人は別々に、サークル室に戻

った。美沙子の恋は叶わなかったが、そこに

は清々しい表情の、美沙子がいた。


 「こんにちは、舞。今日も来たよ。」

翔太は、サークル室で楽器の練習をした後の

夕方、いつものように、舞の所へお見舞いに

行っていた。

「あっ、翔太。」

舞は、翔太の挨拶に答えた。しかし、今日の

舞は、いつもと様子が違う、翔太は瞬時に、

それを感じ取った。

 「舞、何かあった?」

舞は、翔太の質問には答えずに、逆に質問を

返した。

「そういえばさ翔太、翔太は誰かに、告白で

もされたの?」

『えっ、どうしてそれを…。』

翔太はその質問を受けた瞬間、ついさっきの、

美沙子との一件が思い浮かんだが、

『舞がそのことを、知るはずがない。』

と、瞬時に考えた。

 しかし、

『このことを舞に隠すと、勘違いされる。』

と思い、はっきりと、舞に午前中にあったこ

とを話すことにした。

 「そうなんだ。翔太は優しいし、モテそう

だもんね!」

今日の舞の言動には、全体的にトゲがある、

翔太はそう感じた。

 「いや、そんなことはないけど…。

 でも、美沙子ちゃんとはただの、友達だ

よ。」

 そして、舞は、翔太がびっくりするような

台詞を、言い放った。

「そうなの?もったいないよ。良かったじゃ

ん、翔太。

 その…美沙子さん、と、付き合っちゃいな

よ。」

「えっ、どういう意味?」

「だから、そのまんまの意味。翔太とその子

とだったら、幸せになれると思うよ。

 …私のことなんか忘れてさ。」

翔太の表情は、舞の言葉を聞き、みるみるう

ちに変化した。

「…何、言ってんの?」

「翔太もそろそろ、病気の私のことが、お荷

物になって来たんじゃない?こうやって、お

見舞いにも、来ないといけないしね。

 気を遣う必要なんてないよ。私とさっさと

別れて、その子と付き合った方が、いいんじ

ゃない?」

「…どうしてそんなこと言うの?」

その言葉を聞いた瞬間、舞は半泣きになりな

がら、激昂した。それは、今までダムの水の

ように溜まっていた感情が、一気に堰を切っ

て流れ出したような、そんな様子であった。

 「だったら翔太が、私の身代わりになって

くれるの?そんなこと、できないよね?

 私、今日医者の先生に、

『野村さん、もう少し、入院期間を伸ばしま

しょうか。』

って、言われたんだよ?すぐ治るはずの、良

性の脳腫瘍がだよ?

 最初、1週間後に退院できる予定が、2週

間くらいに伸びて、また、入院期間が伸びた

んだよ?

 これじゃあ、ホントに治るかどうか、分か

んないよね?私、このまま病院で、死ぬかも

しれないんだよ?

 こんな気持ち…翔太には分かんないよ!」

 舞の心から溢れ出したダムの水は、舞の目

から、涙となって流れていた。

「ごめん、僕、何も…、」

「もう誰の声も聞きたくない!

 お願い、帰って!」

舞は、翔太が何かを言い終わらないうちに、

そう叫んだ。

 「…分かった。今日の所は帰るよ。

 でも、必ずもう一度、いや二度でも三度で

も、来るからね。」

翔太はそれだけ言い残し、病室を後にした。

 翔太が病院を出た時間帯は、夕方であるに

も関わらず、太陽が照って暑く、これからの、

本格的な夏の到来を、感じさせるものであっ

た。しかし、そんな外の天気とは対照的に、

翔太の心の中は、どんよりとした雲で、覆わ

れていた。

 『僕が、悪いんだ。今日、僕は舞に、何も

してあげられなかった。

 もっと、舞の心に寄り添ってあげることも、

できたはずなのに…。』

翔太は、家へと帰る道すがら、自分自身を、

責め続けた。そして、翔太の心の中の雲から、

「大粒の涙」という名の雨が降ってくるまで、

そう時間はかからなかった。

 こんな路上で急に泣き出したら、道行く

人々は、きっとびっくりするだろう。しかし、

翔太はそんなこともおかまいなしに、号泣し

ながら、下宿先のアパートに帰った。


 『私、翔太にひどいことをした…。』

舞は、その日の夜、自分の言動を、激しく後

悔した。

 『私は、本当はあんなこと、言いたかった

んじゃない。私は…、本当は翔太に、側にい

て欲しかったんだ。

 でも、入院の延長を聞かされて、それで、

急に不安になって…、私は誰かに気持ちをぶ

つけて、楽になりたかったんだ。

 でも、翔太にあんなこと、するんじゃなか

った。翔太だって、本当に私のことを心配し

てくれて、ずっと一緒にいてくれたのに…。

そんな翔太の気持ちも考えずにあんなことす

るなんて、私、本当にバカだ。

 そうだ。辛い時、いつも側にいてくれたの

は、翔太なのに…。

 私、本当に、翔太のことが好きだ!』

舞はそこまで考え、自分の心の底から溢れて

くる想いを、止めようとはしなかった。

 『でも、これでもし、翔太がここに来なく

なったらどうしよう?その…、美沙子、さん

と、付き合うことになったとしたら…。

 私は、耐えられないかも。

 でも、翔太にとってそれが幸せなら、仕方

ないのかな…。

 ああ、でも、翔太を他の人に、とられたく

ない…。

 ああ、どうしよう…。』

 舞の想いは、止まらなかった。そして舞の

涙はいつの間にか枯れ、舞はいつもの、恋を

する女の子の顔に、戻っていた。

 『とりあえず翔太が明日以降ここに来たら、

ちゃんと謝ろう。

 でも、もし翔太が来なかったら…。

 ああ、そんなこと考えたくないっ!』

その日、舞は、いつもより長く感じる、夜を

過ごした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る