第25話 再会
目を覚ますと、僕の部屋にいた。
窓の外に見える空はきれいに茜色に染まり、陽は沈みかけていた。
部屋の時計が示す今日の日付は、本当なら僕がこのみと会った日の日付だ。
頭の中に響くのは、シャドウの言い残した言葉だ。
“すべてを、そして悪かったことだけを押しなべてなかったことにできるなんて思うなよ”
そんなことわかってる。
現に、僕の頭の中には三つの記憶が混在しているし、消えてるわけじゃない。
奴のしてきたことがすべて消えるんだったら、そもそも僕が神の力を消す行為に至ることも消えるわけだし、きっとそんな都合よく事は運んでくれないんだろう。
でも、それでもとりあえず窓の外から見える東京は見慣れた景色だ。
あとは……僕の頭の中にある記憶に蹴りをつけにいくだけだ。
「これで……終わりだッ!」
僕は目の前にいるシンクに向かって、剣を振るう。
辺りの建物は壊れて、燃え上がっている。シンクは手にもつ拳銃を僕に方に向けている。
一瞬後に発射された弾丸は僕の眉間に向かってくる。だけれど、その弾丸を自身の持つ剣で防ぐ。同時に、腰に差してあった拳銃をシンクに向かって数発撃つ。
奴の体からは血が吹き出し、体の動きが一瞬止まる。その瞬間を逃さず、すぐに剣で奴の首を狙う。
「コレデ……オワリナワケナイダロッ!」
だけど、想像以上に奴の体は素早く動いた。剣が首を刎ねる直前、奴はまるで未来を見透かしたかのように僕の剣の軌道上から身を反らし、そして自身の持っていた短剣で僕の胸を狙いにくる。
「くっ!」
どうする?
これをよけることはほとんど無理だ。それに剣の動きを今から帰ることはできない。この体はきっと前の僕のものより脆いし、一発喰らってしまえばそれで終わりだろう。
なら悪いけど、相討ち覚悟でせめて……こいつだけはッ!
自ら、その攻撃を喰らいにいった。そして、その後の一瞬でシンクを倒す…………はずだった。
だけど、目の前にあったのはこのみが無残にもシンクに体を貫かれている姿だった。
振り向いたその目は僕のしてほしくないことをすることへの覚悟が伴っていた。
「やめろおおおおおおおおおっ!」
途端に叫んでいた。
そして、このみの体が消えた。姿も存在も何もかも、目の前からすっぽり、神隠しにでもあったように。
同時に僕の中にはシンクの考えすべてが入ってきた。奴が何を思っているのか、何を行動するのか、どんな攻撃をするのか。
「おおおおおおおおっ!」
僕は……そしてシンクの首を刎ねた。その間のことはよく覚えていない。ただ必死に、そして理性さえ失っていたんだ。
その後だ、僕が……この世界での僕の兄、闇流に会ったのは。
静かに頭の中で繰り返される記憶に沈んでいた。
そうしていると案外その場所にたどり着くのは早かった。
高い塀に、荘厳な彫を身に纏った門、その奥に広がる藻はだだっ広い緑の森と、噴水。
奥にそびえたつのはゴシック調の建物。一言で言えば、豪邸。
そこが僕の、本家だ。
ぎいと扉が開く音が重く低く響き、中の光景を僕の目に映し出した。
「何をしに戻ってきた?」
声が降りかかってくる。
目の前には二股に分かれる階段があり、その途中にぼくの父、世流が立っていた。
顔に刻み込まれた皺は歳を感じさせ、また衰えない眼光とがたいのいい体は、未だに僕に圧力をかけてくる。
だけど不思議と心苦しくはない。どうしてだろうか。自分の気づいていなかったことに、気づいたからだろうか。
「……鍵をもらいに来た」
「鍵……だと?」
「そうだよ……この家の塞がれた扉を開くための鍵」
「……ならば、この家を継ぐ気にはなったのか? その“鍵”は当主が継ぐべきものだ」
「神の力ならなくなった。この家の役目も、当主も必要ないはずだよ」
「確かにな……元々、闇流に渡した私の力のほとんどは消えた。だが……元よりそんな力、この世界を守っていくためには必要などないのだ。事実、私がこの様々な世界を継いだ時、その力を行使したことなどほとんどないのだから」
「…………」
「で、どうするのだ? 私ももう若くない。お前が必要としているのはこの鍵だろう?」
父さんが掲げたのは、大きな鈍色に光る古風な西洋の鍵だった。たくさんの傷がつき、なんの装飾もなされず、だけど錆もせず放つ光も衰えていない。
「今ここで……お前が役目を継ぐ、と言えば今すぐにでも渡そう」
家を継ぐ、つまりは今まで拒んでいたことを受け入れるということだ。
今も昔と変わらず父さんは僕に執拗なまでの圧力をかけている。
でも、どうしてだろう。こうして僕は水面から顔を出して息をすることができている。
この場所に立つことが苦しくなくなっている。
「…………継ぐよ。僕が……守っていく」
多分、それは他の皆が今までずっと向き合ってきた自分の役目というのに、僕がやっとこさたどり着いたということなんだろう。
そんな僕の答えを父さんは微笑で返し、
「ふっ……なら持って行け」と言って、鍵を僕の方に向かって放り投げた。
僕はそれを受け取り、父さんは階段を上っていった。
去り際に一言「あとは……まかせた」と言って。
僕はその言葉に心の中で、ただ一言「ありがとう」と呟いた。
今、僕の頭の中には三つの記憶が混在している。
一つは、この世界での僕自身の記憶。
一つは、別の世界での僕く自身の記憶。
そして最後の一つは、この世界での僕じゃない僕の記憶。
今、起こっていることは最後の一つの記憶が関係しているはずだ。
そして、僕がシャドウによってつけられた傷を忘れようとして、実際失っていたであろう記憶ももうある。
あの時、このみと初めて会ったとき、僕はこのみの行きたがっていた場所を知っていたような気がした。でも、その場所がどこなのかわからなかった。
それが今になってわかったんだ。
僕はその場所に行ったことがある。なんたってそこは紛れもなく僕の家の中にあるんだから。
「ここらへんは、本当に久しぶりに歩くな」
長い間、ほとんど家に顔を出すことはなかった。
母親や妹に会いに少し顔を見せるだけで、真正面から家に顔を出すなんて久しぶりだ。
少し埃かぶった床を歩きながら、古ぼけた観音開きの扉の前に立つ。
木製の、一見何の変哲のない扉だけど、そこには頑丈な鍵がしてあって多分どんなに無理矢理に開こうとしても開けることはできない。
僕は右手に握りしめていた鍵をあらためて手に取り、目の前の扉の鍵穴を見つめる。
きっと、ここにいるはずだ。
だってここはすべてが――。
心の中で準備を行って、鼻から息を深く吸い、口からゆっくりと吐き出す。
少し震える手に鍵を構え、鍵穴にゆっくりと差し込んでいく。
がちゃがちゃと金属音を響かせながら、鍵は鍵穴の中にすっぽりとはまり込んでいく。
これ以上、鍵が鍵穴の中に入らなかいことをしっかりと確認して、僕はゆっくり鍵を回した。
がちゃんと鈍い音を響かせて、扉にかかっていた鍵が外れたことを示す。
鍵を外して、扉を開ける、なんて極めてありふれた行為のはずなのに、心臓の音は高鳴るばかりだ。
それに伴って息は荒くなるし、心は苦しいばかりだ。
「ふぅ……」
もう一度、深呼吸をして、そして心の準備が終わった。
ドアノブに手をかけ、回し、押し、開く。
扉と扉の間から漏れ出てくる光は僕の体に一筋の線を作り、そしてその先に見えるものを僕の目に映した。
あったのはのどかな、庭のようなもの。
天井には太陽に似せた光があって、部屋の中央には噴水があった。白い小鳥が元気に辺りを飛び、そして噴水の向こうに見えるベンチに一人の女の子が眠りながら座っていた。
きれいな栗色の長い髪に清楚な青いワンピースを着ている。すやすやというのが正しいくらいに、穏やかな顔で目を瞑り、たぶん眠っている。
「やっと……君に会えた」
実際の日にちにしてみれば半日と経っていない。
いや、そもそも僕と彼女とはこの世界では会っていないことになっている。
それでも、僕が彼女、このみと別れてから随分と長い時間が経って、随分といろいろなことが起きた。
それでも、こうして僕が君に会おうと思うことができたのは他ならぬ君のおかげだよ。
そして、ゆっくりとこのみに近づいて、そして話しかける。
「このみ…………迎えに来たよ……」
「ん…………ひ……かる?」
僕が話しかけると、このみは永い眠りから覚めたように小さくぽつぽつと降り始めの雨のように言葉を口にした。
「そうだよ……紛れもなく、僕だよ。やっと……君に会えた」
「ひかる……本当にひかる、なの?」
「うん」
徐々にこのみの言葉に湿り気が増していく。心の中にあるのはやっと君を守ることができた、ただそのひとつだけだ。
「あぁ……また、ひかるに……会えるなんて。私……私、ひかるに本当に……。こんな大変なことに巻き込んじゃって…………取り返しのつかないことになっちゃって……会ったら、赦してもらえないだろうけど絶対に謝ろうって思って…………でも……でも、駄目だね。言葉が続かないや」
このみの瞳から次々と涙が零れ落ちていき、僕の瞳もそれにつられて湿り気を帯びる。
「謝る必要なんて……ないよ。僕の方だって、君を守るといいながら、結局最後までその約束を守ることはできなかった。謝らなくちゃいけないのは……僕の方だ。それに、このみのおかげで、ずっと逃げていた自分の役目に向き合うことができたんだ。むしろ、感謝したいよ」
「なんで……ひかるがそんなこと言うの……。そんなんじゃ、いつまで経っても私はひかるに頼っちゃって……いつまでも変わらないままで……また、ひかるを大変なことに、巻き込んじゃう……」
「いいよ……。もう、このみは別に神様に好かれているわけでも、人に嫌われているわけでもないからさ……普通に毎日の生活を送って……それでたくさんの迷惑をかけてよ」
「……ひかる…………ひかる、ひかる……」
もう、そこから先はお互い何かを言葉にすることはできなかった。ただその清清しく心地のよい場所で、心の中に安堵が一杯に広がって、どうしたらいいか分からずに嗚咽の声を漏らしていた。
太陽を模した光が僕たちを照らし、心の中から暖かさが広がり、そっとこのみの体へと手を伸ばし、抱きしめた。
微かな熱と頬を流れ落ちる涙を感じ、その声をいつまでも耳に残し、噴水の流れ落ちる水の音と、元気な鳥の鳴き声と、そして耳に聞こえないこの場所に息づくすべてのものの声を聞きながら、ただそうして時間が過ぎるのだけを感じた。
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