第23話 収束

王都内で確実に何か起こっている場所が判明したのは、僕が王都に足を踏み入れてすぐのことだった。王都を囲むところどころ崩れている外壁付近から無数の眩しいくらいに輝く光の矢が飛び出し、そしてある一点に向かってみるみる間に収束していった。

それは言ってしまえば人ならざるものの力が働いて発現しているはずで、確実に人という次元を超えて何か起こっているという確信があった。

つまりは神の創りしゲームの参加者の誰かがそこにいるということだ。

それが分かれば後は急ぐだけだ。

何か悲劇的な取り返しのつかないことが起きる前に、いち早くその場にたどり着かなければいけない。

建物の瓦礫に埋まった道を領外で授かった力の一部を使い、走り、目的の場所へと向かった。その場所に近づくにつれて建物や舗装されていたであろう地面の破損は激しくなっていき、ついに荒れ果てた空間にたどり着いた。

間違いなくそこはさっきの光の矢の雨が集まっていた場所であり、だけど僕は網膜に焼付いたその光景に目を疑った。

怒りが身を襲うとはまさにこのことだろう。

目に、脳にシンクによって首を掴まれ持ち上げられ、さらに続けて腹部に短剣を突き刺され吹き飛んで壁へと激突し、項垂れている少し記憶の中よりも大人びているこのみの姿を見ると、ただひたすらに冷たくも熱い激情が体の内側から沸々と湧き上がってくるのが分かった。

その状態を例えてか、腰に在る剣は光を発し、僕は自然とそれに手を伸ばしていた。

項垂れたこのみに、絶望的に傷ついたこのみに、まるで止めを刺すかのようにゆっくりとシンクが近づいていく。

意識するよりも早く体が動いていた。何をどう動かしたのか分からないけれど、気づけば僕はシンクの眼前に迫っていた。傷だらけのシンクを目の前にして何の罪悪感が浮かんでこないのは僕がとっくのとうにいつもの僕でなくなっているからなのだろうか。

僕の姿がシンクの視界に映ると同時にシンクの目が大きく見開かれ、その驚きを表現する。即座にシンクは目に留まらぬ速さで僕に攻撃を加えようと拳を前に突き出そうとする。

だけれど、その行動に至る筋一本動かす前に僕はシンクに向かって手を払うような仕草をする。

そうすることでシンクの体が巨大な衝撃を受けたように吹き飛んでいく。

いくらシンクといえども体中にたくさんの傷を負っていたし、しばらくはここに戻ってくることはないだろう。

そして振り返り、このみの目の前に立つ。

腹部に毒々しい色をしたナイフが深々刺さっている。そのほかにも傷をたくさんを追っている。そして何より顕著なのがこのみの表情だった。

まるですべての生気を吸い取られたみたいに青白くやつれている。

僕は光輝いている剣をこのみの前に掲げる。腹部に刺さっているナイフは光となって散り、このみの体を光が包む。徐々に傷が塞がっていき、傷ついた体を癒していく。

きっとこのみは僕がこの世界にやってきてからずっと何かと戦っていたんだろう。

少なくとも僕なんよりもずっと大きいものを背負って戦っていたんだ。

領外にあったあの家に僕の世界でのこのみの残滓があったのも、そのこのみからこの力を授かったのも、巫女がこのみということを示している。

一方で僕はどうだ?

何かと戦ったわけでもなく、何かと葛藤していたわけでもなく、何かを背負っていたわけでもない。

もう遅いのかもしれない。

思えば僕はいつでも何かから逃げてきて、だけど今逃げないで向き合えるものがある。

だったら、

「このみは……ゆっくり休んで。ここからは僕の役目だ」

少しでも君の背負っているものを僕が背負う。

僕がモンスターから王都を守る。

このみはすべてが終わるまでゆっくり休んでね。

「マさカ、おマエがくるとはナ」

真後ろから声がかかった。距離にしておよそ十メートル。

僕は振り向き、そしてまじまじとその相手を見る。

金髪に紫色の唇、腕には蝶の入れ墨、多くの傷を負い、そして片手を失っていながらも飄々としている表情。

一言で表すなら化け物。

「ン……オイおい、そいつのキズナオシチまったノカヨ……。ったく、ケイヒンなんだからテイチョウにあつかわなキャだめだろウ?」

不可解に不規則にノイズがかった声が妙に僕の心をいらだたせる。

「お前と交わす言葉は僕の中には存在しない」

だから、ただそう一言だけ伝えた。そして、剣を片手に足を踏み出す。

「そりゃナイゼ。せっかくのサイカイだ。タノしもうぜ!」

迫るはシンクの体。片腕がない状況ではその動きの予想もつく。

剣を横に振りシンクの体を真っ二つにする軌道を描く。シンクはそれを屈んで避け、さらに足を僕の方に蹴りだし足払いをかける。剣の軌道で横に振れた体をシンクの体を捉えたまま素早く回転し、さらに飛び上がり攻撃を回避する。

立て続けに刀身を地面に近いシンクの体に斜めから切りかかる。だがそれも地面につけている左手を使い横に飛ばれ避けられる。空中で大ぶりになった体を一回転させながら地面に足をつける。背後にシンクの気配が漂い、後ろに剣を持っていく。次の瞬間に訪れたのは強い衝撃。それを足で踏ん張り耐え、刀身を地面に刺し、腕の力と跳躍で半回転、視界の端に捉えたシンクの肩口に向かって蹴りを入れる。

大きな攻撃の後には大きな余韻ができる。今までかたくなに僕の攻撃を避けてきたシンクがその時初めて左手で蹴りを受け止めた。

決して軽い蹴りではないけれどその威力を完全に消され、だけれど僕の攻撃はそれで終わりではない。更に体をひねり地面に突き刺さっている剣を抜き、そして首元めがけて振る。シンクの攻撃を防ぐ手立てである左腕は僕の腕を抑えるので使われている。つまり、もうシンクは攻撃を避けることも防ぐこともできない。

勝ちを確信したけれど、だけれど、刀身の少し先にあるシンクの両眼がぎらりと不気味な色を宿して、まだ死んでいないことを、まだ自分がまけていないことをくっきりと示していた。

「詰めがあまイなッ!」

口を大きく開き吼え、そしてその大きな口で、するどい歯で刀身を受け止めた。

まるで動きもしない大きな壁に切りつけたみたいに掌に衝撃が走り、思わず剣を手放してしまう。

「くッ!」

思わず体の中にある緊張感が口から飛び出して、それでもまだあきらめるわけにはいかない。

腰に差してあったもう一本のなんの変哲もない剣をとり、自身の回転によって周るスピードを利用してさらにその場で体をひねり、シンクの左手を狙う。そこは僕の剣を口で防いでいるシンクの目から見れば死角。

「オオオオオッ!」

自らを鼓舞する叫び声を出しながら、シンクの左腕の手首から先を切り落とす。その先から鮮血が溢れ出す。

「クソッ!」

自らに起こったことを自覚したのか、がっちりと剣を固定していた歯を外し口を開く。

僕はその一瞬を見逃さずに剣の柄を掴み、そしてシンクの腹部に手をかざす。剣を通して僕の手のひらから出てくる衝撃はシンクの体を飛ばし、そして僕も自身の攻撃による回転によって地面を転がる。

行き着く暇もなく立ち上がり、そして目には、体中に埃を身に纏い片腕片手を失いながらも、怒りで表情を染めながらも、立ち上がるシンクの姿が映った。

「クソクソクソクソッ、ムカツク、ヤラレタ! アアアアアアアアアアアアッ!」

壊れたラジオのようにノイズだらけになったシンクの声は耳の奥を強く震わせる。

もうシンクは冷静を欠いている。僕の攻撃を避けることなんてできないだろう。

体勢を立て直し、シンクに向かって剣を突き立てるようにして走る。

到底、今のシンクには負えない速度で、防ぐことのできない力で。

シンクの左右の眼がそれぞれ違う方向を向き、体中に浴びるようにして塗られている血がさらにその姿に悍ましさを現す。

だけどそれももう終わりだ。

もう目の前にまで迫ったシンクの胸元にこの剣を突き刺す。

それで終わりだ。

そしてその切っ先がシンクの心臓へと迫り、皮膚を破ろうとした瞬間、右手に冷たい脈動が走った。

最初は何が起こっているのか分からなかった。

だけど、高い金属音と崩れ落ちる右手首のブレスレッドを見て、不意にシンクに止めを刺す手が止まり、記憶の中にある言葉が浮き上がってくる。

『これは私たちをつなぐ証だから』

ふゆかの言葉だ。

え、だから、これは……。

体が硬直するのと同時に今が命を懸けての戦闘中だというのに思考が停止する。

ただ頭に浮かぶのは冷たいふゆかが倒れている姿。

心が動揺し、だからこそギョロっと僕の方を完全にとらえたシンクの次の行動を読むことができなかった。

シンクは己に残っている最後の武器、自らの歯を再び使い僕の右手の喰いちぎった。

冷たい脈動に支配され動かなくなっていた僕の右手は途端に火傷するくらいに熱いものを吹き出し、その熱が僕の凝り固まった体を背後へと退かせた。

「ッ!」

声にならない音が口から飛び出し、動揺した心を落ち着かせようとする。

まずは治癒だ。そして、シンクの攻撃も避けなければ。瞬時に思考が纏まって、充分にその後の行動に反映させることができるはずだった。

だが、

「ハン、テメエトアソブノハコレクライニシテヤルヨ。オレニハモクテキガアルンデナ」

相変わらずノイズがかった声で、でも確実に先ほどまでとは違って冷静さを取り戻していた。そして、あろうことかシンクは僕のいる方向とは真反対に向かって走り出した。

そしてその先にいたのは、

「このみッ!」

思わず叫んでいた。

そして本能的に追いかけようとした。だけれど、それも焦っていて気付かなかったのだろう。

眼前に何かが落下した。その衝撃は周りの瓦礫を吹き飛ばし、塵が俟って僕の視界を奪った。すぐさまその塵を払うため剣を薙ぎ、風を起こす。

目の前にいたのは、

「颯也っ!」

そう頭上から、さらに言えば遥か高く天から落ちてきたのは紛れもなく颯也自身だった。

「ッ!」

強い衝撃を伴って落下してきたはずなのに、傷一つ負っていない颯也に向かって声をかけ、そして颯也も僕の姿を認めると何か言いたそうに口を開くけれど、何も言葉はでてこなかった。

「ひ――」

そしてようやく颯也の言葉が僕の元へと届けられるといった時、まったく別の音がこの世界に響いたような気がした。

まるで誰かの鳴らした指の音のように軽快でどこまでも澄みわたっていくような。

気づけば世界は灰色に包まれ、そして目の前にはいつの日か見たものが映っていた。

巨大な体躯に紫色に光る透明な体躯、顔と思われる場所には青白く光る二つの眼球。大きな拳が振り上げられ、『ああ、またお前か。でも、そういうことになってるんだな』と心で思った。

次の瞬間にはその大きな拳の下で僕の意識はどこか別の場所に飛ばされた。

「――やあ、はじめまして」

気づいたら僕は上下左右とも区別のつかないような真っ白な空間にいた。

声がしたのは目の前から。

そこには“僕”がいた。

正確には僕と同じ顔だけれども、僕よりも身長は高く、表情は大人びている。

あぁ、あなただったのか。

心の中では理解していた。

「あ……えっと……」

だからこそ僕の口からはどんな言葉も出すことができなかった。そこには確実に僕があなたの代わりになっていた世界で後戻りのすることなんてできない事を起こしてしまった後ろめたさがあったからだ。

「何も……言わなくてもいい。君は僕だ、わかっている」

目の前の僕はそうどこか苦虫を噛み潰したような表情で僕の目を見ず話す。

「でも……僕はあなたの……」

「言わなくていい……君は僕で、僕は君だ……。それに、僕も同じようなものなんだ。そしてきっと君もまだ後戻りできないわけじゃない」

そしてゆっくりと僕の方に近づく。

「でもね、まだ僕は完全には大人じゃないんだ。だから……これはけじめだ!」

近づいてきて、そして腹部に強い衝撃が走った。

目の前の僕が拳で僕を殴ってきたのだ。

「ッ!」

息ができない。胃の中のものがすべて外にでてしまいそうだ。思わずその場にしゃがみこむ。頭を下につける。言葉にならない悲鳴が抜け出たように、体の中に空気が足りず何もできない。たったひとつの息を吸い込むということが、いつも何の気なしにやってきたことができなくなっていく。

でもようやく息を吸うことに意識を集中して、一息、ほんの一握りの空気を吸い込むことができた。

「はぁ、はぁ……」

荒い呼吸はその空間に響き、そしてゆらゆらとしながらも立ち上がる。

目の前にある表情は固く、だからこそまだ腹に痛みが残っているけれど、この体にあるあらんかぎりの力で目の前の僕の顔を殴った。

その体は宙に舞い、回転し、そして勢いよく地面に落ちる。

「ごほっ、ごほっ……」

むせぶ声が耳に届き、そしてゆっくりと立ち上がる。

口元に血が滲み、顔全体が赤く腫れていた。

「ありがとう……」

ただ緩い表情で微笑み、目の前の僕はただそうとだけ言い僕の肩に手を置いた。

そっと耳元に口を寄せ、

「こっちのことはまかせろ。……気をつけろよ」と小さく呟き、そして僕の前から消えた。

僕はその空間にたった一人で、でも頭の中には次々と僕がした記憶のない僕の記憶が流れ込んでくる。

ああ、あなたが僕の世界でやっていたことは……とまさに思いだし、静かに渦に呑まれる上澄みのように身を委ね、向かうべき場所に向かう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る