第18話 この世界の、僕の決意

「今日で、あの日、僕が目を覚ましてから何日くらい経つんだろう?」

雪積もる廃墟を隣にいるこのみの手を握りながら、空気の冷たさと手の温もりを感じながら、そう問いかける。

「どのくらい、経つんだろうね。もうすぐで、一年くらい」

あいまいな返事が耳に届く。

そう、一年くらいが、特に何もなく、過ぎた。

去年の春このみと会ってから、夏の暑さと、秋の虚しさと、冬の寒さを感じて、本当に二人っきりで過ごしてきた。

「ねえ、このみ?」

「うん、なに?」

「このみはさ……」

僕が目を覚ます前に何が起きたのか知っているの。この世界に何が起こってしまったのか。僕が夢だと思っていることは本当に夢だったのか。

「……ううん、やっぱり何でもない。冷えるから、そろそろ中に入ろう」

この一年間、何度も聞こうと思っていたことを心の中でとどめた。心の中に在る時点で、このみを前にしては何の意味もない行為なんだろうけど。

「……うん」

それでも、このみが口を閉ざしたままでいるのは、今この場所が僕にとってもこのみにとってもこれ以上なく心地よい場所であるから。

だから、こんなにも時が過ぎてしまった。本当は、やらなければいけないことがあったような気がするのだけど、もう思い出すことはできない。

「もう…………冬か……」

――ひかる

ため息とともに吐き出した言葉に呼応するように、耳に聞き馴れた澄んだ声が届く。

「ふゆ…………か?」

――ひかる、聞こえてる?

瞬間、僕の頭の中の積もり積もった埃や雪を巻き込んで、一気にそこにあるものがふわりと舞い上がった。その一つ一つを確実に目に焼き付けて。

「ひかる……? っ! なんで、ここに!」

耳に届く声は大きくなり、比喩ではなく光が表れた。

「ここには、普通の人は絶対に入れないはずなのに!」

このみの初めて聞く焦った声が静かな世界に響き渡る。

このみが手を前にして、何かをしようとして、

「えっ?」

僕がその手を自分の手で止めた。

「なんで……?」

「思い出したから……」

ほんの、ほんの少しの時間だったけれど、この場所に来て夢だと思ってしまった記憶だけれど、それでもそう……。

どうして、今の今まで気づかなかったのだろう。

目の前に現れた光は僕の耳に届く声は、すべて僕の右手首にあるブレスレッドから発せられているものだった。

あの世界の僕とふゆかとを永遠につなぎとめる証。

守らなくちゃいけない。少なくとも、正しい僕が返ってくるまでの間、彼女の傍から勝手に去ってはいけない。

彼女の顔が、姿が、声が、気持ちが、僕に届く。その思いを決して無駄にしてはいけない。忘れるな、この体は……。

「……ひかるは、行きたい?」

「うん、行かなくちゃ……」

「ううん、そうじゃないの。……行きたいの?」

「……うん、待ってる人がいるんだ。僕はその人の傍にいたい、少なくとも来るべきときが来るまで。……だから、行きたい」

「外では、もうすぐひどいことが起きる。みんな、死んでしまうかもしれない。ここは安全で、ずっとのんびり暮らせていける……。それでも、ひかるは外に行きたいの?」

悲しそうな瞳で、心配そうな顔で、消え入りそうな声で、僕に語りかけてくる。

多分、今目の前にいるこのみは正真正銘のこのみで、僕のことをきちんと思っていてくれている。

「この体がもし、本当に僕の物だったら、きっとそんないろんな面倒事は背負わずにこの世界に逃げ込んでしまうんだろうけど、だけど違うんだ」

少しずつ、今迄塗り固められてきたメッキがはがれるようにして、僕の腕の火傷の跡や、幼い身体が少しずつ変わっていく。

「この体は僕の物じゃない。だから、持ち逃げなんてできない。僕の本当の世界で、僕の本当の体で、もしここがそんな場所だったら、こんなにも幸せなことはないんだろうけどね……」

「……うん、わかった。ひかるにそう言われちゃ、私も、本当は悔しいけど、だけど所詮私はただの歪んだ抜け殻でしかないから――」

途端、世界が崩れ始めた。

目の前にいたこのみは段々とその輪郭をぼやけさせながら、世界は細かい灰白色の塵になりながら、僕の右腕のブレスレッドからの呼びかけが強くなっていく。

――だけど、忘れないで

――あなたの見たこの世界は紛れもなく、あなたのいた世界で起こること

「――ひかる!」

そうして次の瞬間にはすべてが元に戻っていた。

「ひかるっ、大丈夫?」

ふゆかが僕にそう呼びかける。顔には安堵と心配の表情が浮かんでいる。その表情の奥には疲れが隠れているようにも思えて、僕はなんだか申し訳ない気持ちになる。

「ん、ああ、大丈夫……みたい」

「はぁ~、よかった。本当、どうなるかと……。あれ、それどうしたの?」

僕の腰にぶら下がっているそれを指差して、ふゆかは疑問の声を上げる。

「ああ……これは、もらったんだ。いや、託されたって言ったほうがいいかな……」

この世界で起こる災厄を止めるために託された力の証。

――直に、あの世界でも同じようなことが起きる。外に出るなら絶対に止めて

このみに言われたらやるしかないだろう。目の前で人がたくさん死ぬかもしれない。あの時と同じように、嫌な臭いが鼻を通り抜け脳に光景を焼き付けるかもしれない。

だけどそれでも、僕にはそれを黙って見ていることなんてできない。

理由を与えられ、力を与えられ、なんて僕は情けないんだろう。

たった一人で孤独に戦ってきた少女を、生きることに必死でしがみついた人を、たくさんの人を守ることに尽力した人を僕は知っているというのに。

きっと誰もが、自分なりの信念を持って生きている。

世界を守るとかたくさんの人を守るとか、きっとそんなことのために僕は闘うことはできない。けれども、守ると誓って、守れなかったこのみから言われたことなら、それを守るために僕は行動しよう。

「ひかる……? 怖い顔してどうしたの?」

「いや……ちょっと決心しただけ。戻ろうか、王都へ」

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