第15話 王都陥落

目を覚ましてそこがどこかなんて死んでしまっている私にとっては、もうひかるに会うことのできない私にとっては、そこが神様の目の前であろうと、天国でも、地獄でも、あまり関係のないことだと思っていた。

ゆりかごにしては早すぎる揺れに身をまかせ、川の底に身を置いたように沈んだ意識ながらに、それでも十年弱の本能から理解しようとしていたのだろう。

走って、逃げて、隠れて。不思議とその時まだ完全に目覚めていない意識の断片が掴んだのは私の人生とほとんど同じだった。

そうして今私に命の灯がともっているのか、そうでないのかを理解しないまま私は目を覚ました。

「――あ、目が覚めましたか!」

ぼやけながらの視界より早く、私の耳が聞いたことのない声をとらえた。

「――だれ……?」とほとんど条件反射的に聞く。

「すみません、それよりもまず、自分で体を動かしてもらえると助かるのですが!」

意味が分からなかった。相変わらず体は小刻みな揺れを続け、しだいにはっきりとしてきた視界に初めに映ったのが顔に汗をにじませながら、その赤紫色の短めの髪の毛を揺らす女の人の顔だった。

――え、なんでっ?

「えー、いや、ちょっ、待って。待って……」

突然のことで何がなんだか、状況分から――

「はいっ、なんでしょうか?」

「なんで、なんで私あなたにお姫様だっこされてるのっ?」

「それはっ、塞いだ傷口がっ、またあかないように」

息切れ切れになりながら、そう私に説明。傷口……すぐに理解ができなくて、それよりもこの状態は……恥ずかしすぎるっ。

「分かった、分かったから、ちょっ……降ろして……」

「分かりました、降ろします。ですが、走ってください!」

そう言いながら丁寧に素早く私の体をおろし、手を引かれ走らされる。

あたりはほとんど真っ暗で、どこかで感じたような音と空気を響かせながら、私たちは走っていた。

「なっ、これ一体どういう……?」

「すみません、病み上がりで、何がなんだか分からない状況だと思いますけど、とりあえず安全なところに着くまで、ついてきてください!」

安全……ていうことは、いま私たちは安全じゃない状況に――

甲高く気味悪い何かの叫び声が聞こえてきた。

「もうこんなところにまでっ……」

焦ったように声を出し、さらに強く手を引かれる。

《ふせろ》

その時、直接的に私の頭の中に聞こえてきたのは、私がいままで受けてきた助言というもので、それは今までの経験から言って聞いておいた方が良いもの。

だから私は急いで「ふせてっ!」と手を引き、前方を走っているその人に飛びつき、ふせた。

直後、真上を何かが通ったことを頬を激しくなでた生温かい風で分かった。

その姿を視認するまでそんなに時間はかからなくて、恐ろしいまでに見開かれた赤い双眸と大きく前に突き出した牙、こげ茶色の体毛に赤い鉄の匂いを含ませている。

かつて私が領外で避けてきた相手、紛れもないモンスターがそこにいた。

「なんで……こんなところに……?」

「詳しい話は、モンスターから逃げてからにしま――」と、その人が言い終わる前にモンスターは私たちに飛びかかってきた。

なんとか寸でのところでその攻撃を避け、

「とにかく、走ってください!」と急いで先を進んでいき、私はそれに必死でついていく。

途中、胸のあたりがひどく傷んだけれど、そんなの気にしていられないほど緊迫している状況だと言うことは分かっている。

私だって巫女としての力を持っているけれど、領外でモンスターと遭遇することは細心の注意を払ってとめた。

暗闇の中をジグザグにモンスターの飛びかかりを避けながら進み、前を進んでいた彼女が横へと曲がった。それに続いて、私もそこに飛び込む。

「ここはっ……行き止まり……!」

飛び込んだ先にあったのは、淡い光にともされた壁。もうここより先に進むことのできる道はない。完全に行き止まりだ。

「いいえっ、ここは出口です。そして、こうなってしまった以上他の皆さんには悪いですがっ……」

――ガチャン

私の心の中で完全に追い詰められたという気持ちが生まれたとき、その人の声と共になにか大きなレバーを引っ張ったのかそんな音が耳に届いた。

何をしたのか分からないまま、気付いたら後ろから襲ってきていたモンスターが私たちの目の前に現れ、今にも飛びかからんとしていて、その間際に消えた。

「えっ……? いなくなった……」

そういなくなったのだ。姿を消したのだ。何の匂いも、音もしない。

「この隠し通路の床をなくさせてもらいました。さ、外に出ましょう」

何が起きたのかわからないままにその人は少し悲しそうな表情をして、そう言う。

「ちょ、ちょっと待って! 一体どうなってるの? ここはどこ? あなたは……? 私

はなんで……生きているの?」

いろんな疑問の声が口から出て、だけどそれもそのはずで私は今の状況をほとんど捉えられていない。

「そうですね。そうなるのが……普通の反応ですよね。なにせ、あなたはずっと眠っていましたから……。ですが、とにかく詳しい話は安全な場所についてからするとして、自己紹介だけしておきます。私は王都直属特定遺跡管理官ユリアです」

そう言いながらユリアは目の前の壁に手を当て何かを呟く。淡い光と共に壁に文字が現れ、そして壁そのものが消えた。現れたのは階段だ。迷いも鳴くユリアはその階段をのぼり始め、そして辿りついた場所はじめじめとしてほとんど光のない洞窟のような場所。私たちはそこから更に歩き、そして太陽の光と共に出口が見えた。洞窟の出口を出ると、どうやらそこは山の中のようで、蔦のような植物や低木が洞窟の入り口の周りに密集していた。だけれども見晴らしはよかった。おそらく木や草に隠れて山の外からはわからないのだろうけど、逆はそうではなかった。

広く青い空に、まばらに形の整った白い雲がぽつぽつと流れていく。遠くに見える田園風景は平和的で心が穏やかになる。

そして、この山の裾野に広がる街は崩壊していた。

「なに、あれ……」

思わず言葉に出してしまった。

そこにあるのは大きな宮殿に立派な建物の集まり、宮殿を中心として四方を貫く大通り。

見覚えがある場所だ。当たり前だ。だって、そこは紛れもなく王都そのものなのだから。

けれど建物の半分は崩れ落ち、至る所から火災を示す煙が発生していた。

まるで戦争でも起きたかのように、領外から遙か遠く離れた最も安全と思われる場所が。

「大体想像されたとおりだと思いますが……」

この場所が王都の近くの山だということは、さっきまで私がいた場所、つまりモンスターに襲われた場所は王都の地下部分だと考えることができる。通常なら、そんなところにモンスターがいるわけがない。

だったら考えられることは一つ。

「王都が……モンスターに」

攻撃、侵略された。それしかない。

「はい……そのとおりです」

「でも……なんで?」

王都が無事でないなら、他の町も無事ではすまない。当然、モンスターに攻撃されているはず。だけど、王都は領外から離れた場所にある。もし他の町が無事でないなら王都がモンスターに攻撃されるよりも早く対応策が打たれていたはずだ。王都がここまでの被害を受けるはずがない。

「どうやら、王都だけがモンスターに侵略されたようです。誰もモンスターの出現に気づくことはできなかったのですから」

「王都だけが……。だとしたら、どうやって」

モンスターを人目につかず王都まで移動させる。いや、そんな話そもそも無理だ。だって、モンスターは見境もなしに人を襲うからモンスターなのだから。移動中に人を襲うことを制御するなんてできない。

「それは、分かりませんが。とにかく、ここもそんなに安全な場所ではないので、詳しくは一息つける場所に行ってからにしましょう」

「うん……」

とにかく考えを纏めなくちゃ。

今になってモンスターが王都に襲撃してくる。モンスター側にとっては騎士がいる王都に攻撃したって、大して人を襲うことはできないかもしれないから利益はない。それに、今になって突然襲われたということは……私たちがこの世界に来てからそんなに時間が経っていない間にこの事件が起きたということは、そこにきっと私たちに関係する何かがある。私や颯也がいることから(多分ひかるもいるはず)当然残りの神の創りしゲームの参加者もこの世界にいるはず。

人を襲うのが好きで、人を殺すのが好きで、罪もない、関係のない人を悦びながら消していく、そして騎士なんて目に掛けないほど恐ろしく強い、そんな最悪の人物に一人心当たりがある。

そこまで考えが辿り着いて、私はふぅと一息ついた。

まだ決まったわけじゃないし、今この世界がどうなっているのか、私はまだ知らない。

それを知るまでは、あくまでこれは仮説。そう言い聞かせて、そこからはただひたすらに足を動かした。

あの洞窟から出てきてから私たちは山を一つ越え、木々に隠れてひっそりと建つ山小屋の中で急速をとっていた。

「まぁ、ここまで来れば大丈夫でしょう。移動中も追手は特にないようでしたから」

「そうだね、それに関しては大丈夫そう。それで――」

「分かっていますよ、私もあなたのような状況でしたらきっと混乱するので。でも、少し長い話になってしまうので、まずは腹ごなしでもしましょうか」

と同時に、緊張の糸が切れたようにお腹の音が鳴る。

「あぁ、えっと……!」恥ずかしくて顔がほてるように赤くなるのが分かる。

「ふふふ、何も口にしていないのでそれが当然です。ちょっと待ってください。ここに、いくらかの保存食がありますから」と言って出されたのは、こっちでいうバケットのようなものと紅茶。

「食べながら聞いてください」

そうして、私の中の記憶の途切れが繋がり始めた。

「私の仕事は簡単に言ってしまえば、この世界にあるありとあらゆる遺跡の調査・管理・保存を行うことです。

この世界にある遺跡は到底今の人類が持ちうる技術で創りあげられるようなものではなく、その解明が王国の発展を著しく促す場合もあるため、遺跡管理官は王都直属の組織でもあります。あなたを発見したのは、宮殿の地下にあった私をはじめる遺跡管理の最高責任者たち以外は立ち入り厳禁の遺跡へつながる扉があいていて不思議に思ったからです。

ホント、びっくりしましたよ。遺跡の中で人が血を流しながら倒れているなんて、ホラーかなにかかと思いました。ま、とにかく、その場で私が治療して――」

「ちょ、ちょっと待って、その場で治療したって……」

「生まれたときから持っているんです。怪我とか、傷とか、不思議ですけれどそういったもの治せるんです。まぁ、気味悪がられることが多いので、あまり知っている人はいないと思いますが」

「そう……なんだ。じゃあ、あなたが私を救ってくれたんだ」

颯也に刺されて、たくさんの血を流しているところをこの人が助けてくれた。

「ありがとうございます、私を救ってくれて……」

「いえ、当然のことをしたまでですよ」

「ううん、それでもありがとう……。私にはまだやらなくちゃいけないことがあったから」

「そんな……私も同じだったというだけです」

「…………?」

「それであなたを治療して、身元も不明だったから私の部屋で丸二日間ずっと眠っていました。事が起こったのは二日後の早朝、王都では決して聞くことのない獣たちの雄叫びが聞こえたのです。それからはよく覚えていません。多くのモンスターがあたりかまわず暴れ出し、見つけたすべての人を食い殺していきました。私もあなたを抱えて逃げようとしましたが運悪くモンスターたちのボスと思われる人に見つかってしまったのです」

「モンスターのボス……?」

それに今、モンスターのボスは人だって言っていたような。でも、そのユリアの言葉は私の記憶にある人物がこの世界にいることを確信させた。

「はい……その人はモンスターの中にいながら、モンスター共に人を襲い、殺していたんです。今でもはっきりと憶えています。短い金髪に、体中に刻まれた傷の数々、腕には何かの模様のようなものが書かれていたような気がします。その人の言葉でモンスターは私を襲い、そして私の仲間が私をかばってたくさん死んで、やっとのことであの非常通路に逃げ込むことができて、そしてあなたが目覚めたのです。もう非常通路の床をなくしてしまったので王都で生き残った人がこちらに来ることはないのですが……。元々、あの通路を知っていた私の仲間はすべて死んでしまったので、いいと言えばいいのかもしれません……」

傷を負ったように悲痛に染めた顔を歪め、何かを必死で押さえつけようとしている。

「ごめんなさい……辛いことを」

「別にかまわないですよ。いつか起こることが今起こっただけ……。ただ、これで王都は限りなく崩壊することでしょうね。ほとんどあそこにいる全員が死ぬことになる……」

「全員……! でも、騎士とか、戦う人はいるはずなんじゃないの?」

「いるにはいます。ですが大騎士も中央大臣もいない今、モンスターの大群と戦っても勝ち目はありません。モンスターに圧倒的に能力で劣っている人間が勝つためには、大騎士のように圧倒的な力を持つ者が先頭をきって戦うか、統率力で押し切るかしかないので……」

「大騎士……?」

中央大臣は知っているけれど、大騎士は知らない。

「数多の騎士をまとめる人のことですよ。王国にいる人はほとんど知っているはずですが、どうやら知らなかったみたいですね。あなたが倒れていた場所と言い、あなたの知識と言い、中々興味深いですが深くは追及しませんよ。それで、この後どうしましょうか?」

「あなたは……どうするの?」

私はすぐにその答を出すことができなかった。

「正直、こんなことを言うのは薄情かと思われるかもしれませんが、王都がどうなろうと私には関係のないことなので、あなたが何もしないのであればどこか遠くの地に逃げます」

「……」

おそらく、それが正しい選択なんだろうと私は思った。今、私があの場所に戻ったところでできることはたかが知れている。私には死ねない理由があるし、無駄にそうなるわけにはいかない。だけど、この世界は私がいた世界ではないけれど、この世界の私があんな辺境にまで押し込まれて何も反抗しようとしなかったのは、きっとこの世界に争いが起きることを望まなかったから。いつか私が元の世界へ戻って、この世界にあの人が来たとき、焼け野原にしておくわけにはいかない。

それに、王都を攻撃した首謀者も大体分かっている。あの人の心だって、元の世界で読んだ。

何も持たないものはあの人にとってはただの小石のようなもので、モンスターはただ殺しを楽しんでいるだけ。きっとこのまま誰も対抗できなければ、人を殺しつくすだろう。

私は見事に颯也の甘い罠に引っかかって死に際まで行ってしまったけど、おそらくそのせいで颯也は神の国へと足を踏み入れたのだろう。だから、あの人の目的だってきっとその神の国となるはずだ。

「ねえ、ユリア。私が王都をモンスターの手から取り戻すって言ったら、あなたは協力してくれる?」

そう決めた。どうしたって今の私には王都を見捨てるってことができない。ユリアだって協力してくれるかどうか分からないけど、一人でもやりきって見せる。

「……それは、モンスターと戦うってことですか?」

「そう、戦って、別に殺す必要はないけど、王都を取り戻す。やっぱり、無茶かな?」

「いえ……とても面白いと思いますよ」

私の予想と反して、ユリアは口元に笑みを浮かべ答えた。

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