第14話 彼女のワガママ
「……旅に出ようと思う」
「は……?」
僕がふゆかに言った言葉の反応として、多分そんな感じなんだろうなという予想通りの反応をふゆかは返した。
あれから深い微睡の中から目覚めて、僕はふゆかのいる家へと着いた。
家の中に入って“ただいま”“ちょっと、話があるんだけど、いい?”で、今の言葉だ。
「え、と、ごめん、よく分からないんだけど。いつもにしては早い帰りだったから、何かあったのかなとは思うけど……」
「まあ、一応、今の僕は重要任務の後の長期休暇って言うことになっているんだけど、大臣から極秘任務を受けて、そのために旅に出ようと思う。大まかに言うとこんな感じなんだけど……」
決して嘘は一つもいっていない。
確かに詳しいことは言えないけれど、これで最低限のことは伝わったはず。
「最初から期待はしてなかったけど、これはあんまりだよ、ひかる……」
「ん、何か言った?」
何か、ふゆかが小声で言ったような感じがしたのだけど……。
「なんでもありません。どうせ、ひかるには関係ないし、分からないから」
そうしてぷいと横向き頬をふくらませる。
「はぁ……」
やっぱりそうなるのかな、と僕はため息をつきながら頭をかく。
どうにもこうにも、わざとなのか分からないけど、理解しやすいサインだ。
「えと、もしかして……すねてる?」
「すねてない!」
「はは……」
僕はその答えに苦笑。
どうにも、僕たちはもう随分といい大人、もとの世界の僕よりかは少なくとも五歳は年上のはずなのに、ふゆかの言動はまるで子供だ。
「ふゆかも、子供じゃないんだから……」
「愛してる人の前でくらい、子供でいたっていいじゃない!」
「あ、いや……そんなに怒鳴ることないと…………」
これを気圧されたとでもいうのだろうか。僕に反論できる言葉はもう残ってなかった。
「……ふん、でも……まあ、私はひかるのそんな真面目なところに助けられたし、惚れたわけだし、きっとまた前と同じように誰かを助けるために行くんでしょ」
「うん……」
「だったら、行ってきても、いいよ……」
これは、一応ふゆかの許しが出たということなのかな。
「……ふゆか」
「なに?」
「ありがとう」
「なっ、なに、いきなり……。別に感謝する必要はないと思うけど」
「そう……?」
「そうなの! それに、もう待っているだけもいい加減いやだったし……」
少し目を僕からそらして、何か考えるように再び僕に聞こえないくらいの小声で何かをつぶやいたように見えた。
「えっ、ごめん、最後の方聞き取れなかったんだけど……」
「え、なにも言ってないから大丈夫だよ。あーあ、そろそろ夕飯の時間。ひかるは先にお風呂に入っちゃって」
それからは打って変わって、さっきまでのようなすねた表情も、何かを思う表情も消えて、明るい顔になってそう言い出した。
「え……あ、うん」
僕はそのふゆかの表情の変容ぶりに少し頭がついていかなくて、反応が遅れた。
「どうしたの、ちょっと腑に落ちない顔をして……。あっ、もしかして、お風呂一緒に入りたかった? ひかるがどうしてもっていうんだったら、ちょっと恥ずかしいけど……」
「い、いや、なんでもないよ。ふゆかは夕飯の準備に専念してくれれば……」
ちょっともだえるような、こっちの世界でもある新婚ほやほやモードに完全にふゆかが入る前に僕は慌てて言葉を継ぎ足して、その場から離れた。
結局、ふゆかにうまくまかれてしまったといった表現が正しいのだろうか。
旅にはもう明日に出てしまうから、夕飯の後か、明日の朝か、どっちにしろふゆかと話をする時間はまだたくさんあるだろうから……。
いや、僕も旅の準備をしなくちゃいけないから、案外そんなに時間はないのか。
…………まあとりあえず風呂にでも入って、ゆっくり考えるか。
「……よしっ、これで準備は大丈夫。っと、もう随分と遅い時間になっちゃったな」
あれから少しの時間が経って、ふゆかの作った夕飯を二人で食べ、僕は自室にこもって旅の準備をした。
そんなこんなで夜もだいぶ更けて……。
ま、やることはやったし、そろそろ寝室のほうに移動するかな、ふゆかも待っているだろうし、と思って自室を出て、寝室へと向かう。
でもやっぱりいくらこっちの世界で夫婦だと言っても、正直一緒に寝るのは心臓に悪い。
寝るときは、まあ話とかしておけば気にしなくて済むけど、目を覚ました時にそこに無防備なふゆかの寝顔があると、本当にやばい。
でもそれも今日で最後かな。
旅に出て、巫女を探して、神の所まで行って、僕たちを元の世界に戻してくれれば、ふゆかともさよならになって、僕はまた元の世界の厄介ごとを相手にする。
そう思えばいくらか気が楽になるのかな。
そんなことを思いながら、寝室の扉を開けて中に入った。
「あれ……?」
ふゆかは特にすることもなかったはずだから、てっきり寝室で僕を待っているとばかり思っていたのだけれど、僕の思い上がりだったかな。
ま、いいや。僕に他にやることはないし、ちょっと横になって待ってるかな。
そう思い、ベッドの上に横になって目を閉じる。
考えることもなく、疲れが特にあるわけでもないのに、しばらくの時間の経過とともに段々と眠りについていき、夢を見るか見ないかの狭間で僕は小さな呼吸音と温もりを感じて、ふと目を覚ました。
「ちょっ、ふゆ――」
「――静かに……、もう夜遅いから……」
考えるよりも速く僕の口からでた言葉は、静かにぴったりと僕の体にくっついているふゆかに制された。
「あの……、もうちょっと離れても……」
「いいじゃない。……私だって、ひかると会えなくて寂しいんだよ。また、旅に出るって言うから、しばらく会えなくなるし……。少しくらい甘えるの、だめなの?」
上目づかいにジト目で僕の方をじいっと見つめてくるふゆか。
前々から思っていたことなんだけれど、世界は違っても女子は卑怯だと思う……。
「別に……だめってことはないけど……」
そんなこと言われてしまったら、ふゆかのこと断れるわけない。
「ふぅ……、じゃ、ひかる、私のことぎゅうってして」
「えっ?」
「え、じゃない。ぎゅう~って」
「いや、ごめん、ちょっと意味が……」
「もう、はっきりと言わないと分からないの? 思いっきり、強く、抱きしめて、って言ってるの」
「……ムリ」
「ムリじゃない。……あまえさせて」
柔らかな吐息と声音とともに僕にそう言う。
もうっ、絶対にこういうのずるいし、卑怯だし、ずるいし、ずるいし。
もういいや、どうなってもいい、どうなってもいいから。
この状態でふゆかを抱きしめたら、僕の激しい心音は全部ふゆかに聞こえてしまうだろうとか、そのせいでもっと心臓の鼓動が激しくなったり、絶対にふゆかの髪の毛の香りで頭がくらっとするとか、いろんなことが頭の中を巡って絶対にゆっくり眠れないな、とか、そんな僕の行動を鈍らせるような付加要因を全部胸の奥にしまいこんで、ただふゆかのために、ふゆかのその柔らかで細い体をそっと強く抱きしめた。
「ふふっ、ひかる、すごいどきどきしてる……」
僕の予想通りに僕の胸にぴったりと頭をつけている形になっているふゆかには僕の心臓の鼓動はすべて聞こえているみたいだった。
「それは……しょうがない」
「なんで……? 私が可愛いから?」
この場合、なんて答えればいいのか。それは紛れもない事実なんだけど、すごい言うのがはばかられる。
「…………」
「答えてよ」
とりあえずの沈黙がふゆかの機嫌を少し損ねてしまったようで、暗めの声でそう言われた。
「うん……」
僕は仕方なく、そのままその問いに答えた。
「ふふっ、ありがと! …………それと、ごめんね」
後で付け加えたその言葉は何かを意味するようで、と少し問いかけようとした。
「えっ、ふゆか……?」
「だいじょうぶ、なんでもないよ。じゃ、明日の朝まで離さないでね……」
だけれども、そう先に言われてしまって、思えばきちんと話す時間もなくて、まあそれもそれでいいかと深く思いはしなかった。
僕も目を瞑り腕の中に静かな寝息を感じて、眠りについた。
そういえば、ふゆかは寝室に来るまで何をしていたんだろうか。
ふと、そんな疑問が浮き出ては、静かに沈んでいった。
翌朝目が覚めると、この前の時のようにふゆかは隣に居なくて、おそらく僕よりはやく目を覚まして食事の準備でもしてくれているのだろう、自然とそう思った。
瞼をこすりながら僕もベッドから起き上がって、食卓の方へと向かう。
予想通りそこには何かの歌を口ずさみながらキッチンに立つふゆかの姿があった。
「おはよう、ふゆか」
「あっ、もう起きたんだ。おはよう、ひかる」
昨日とは不思議なくらいに打って変わって、機嫌がいいみたいだった。
「何か、手伝うことあるかな?」
そのまま、食卓に着いて待っているというのも暇になりそうだったので聞いてみる。
「うーん、そうだね。あ、じゃあ、私に後ろから抱きついてもらえる?」
とんでもないことを朝っぱらから要求するな。それとも、これを聞いた僕がバカだったのか……どちらもありそう。
「ごめん、やっぱり何でもないや。大人しく待っているよ」
「えー、なんでよ」
と、また子供っぽく駄々をこねるような雰囲気を醸し出す。
それにふと思いついて、言葉を出す。
「……えっとさ、僕、記憶喪失だから分からないんだけど、ふゆかって前からそんな感じだったの…?」
気になるところではあった。この世界とふゆかの馴れ初め、この世界で僕を記憶喪失だと知らなかったときのふゆかの反応と、今のふゆかの言動・行動は少しばかり食い違うような気がする。
「いきなり……? でも、……うーん、考えてみれば、少し幼くなってるかも。ひかるが記憶喪失になって、ひかる自身が前と比べると幼くなったような感じがして、私も無意識のうちにそれに合わせていたのかも。やってて楽しいから、余計にね……」
そうだったのか。いや、でも考えてみれば当たり前かもしれない。僕はいたって普通の高校生で、比べてこの世界の僕はもとの世界で考えれば軍隊・組織のトップだ。精神年齢を比べれば、こっちが劣るのは明らか。
今までは意図的にそうしようと思ったことはないけれど、やっぱりそうした方がいいのかな。イメージ的には颯也あたりが一番、心身年齢共に似ているような気がする。
「あっ、でも別に変えようとかは思わなくていいよ。昔のひかるも好きだったけど、今のひかるも可愛くて、かっこよくて、大事な根本のところは変わっていなくて、大好きだから」
でも、要はふゆかも結局はそういうことなんだろう。表情とか仕草とかはちょっと変わってきても、彼女の僕に対する思いとか見方とかは変わらなくて、いつも僕のことを思ってくれている。
それが分かって、その思いが僕に向けられていないと分かっていても、うれしくて、同時に申し訳ないとも思った。
ふゆかをここに一人残していかなくちゃいけないことを。
「……ごめんね、ふゆか」
「え、いきなり、どうしたの?」
「いや、さ、そんなに僕のこと思ってくれていたのに、こうして僕はまた君と長い間離れてしまって、すまないなっていう思いがあるから……」
それに、僕は君が求めている僕ではないから……。
「いやいや、大丈夫だよ。もともと、ついて――」
と、突然ふゆかが固まったように口を開けて、言葉を途切れさした。
「ん、どうしたの、ふゆか? ついて……なに?」
「ん、ん~、な、なんでもないよっ!」
「そうかな、なんか様子が……」
僕と目を合わせてくれないし、何か言ってはいけないことを勢いにまかせて言ってしまったような、何か隠し事があるような……。そういえば、昨日から様子はおかしかったかもしれない。時々、僕に謝ってくるし、ふゆかの部屋で何かやっていたようだし……。
“ついて……”ふゆかが言おうとした言葉って……。
その時僕の頭の中に一つの選択肢が現れて、静かに消えた。それは、僕にとってはあってほしくないことで、でも確かめるしかないわけで……。
「あのさ、ふゆか……」
「な、なにっ?」
「もしかして……」と言いかけて、ダッシュでふゆかの部屋の前に立った。後ろでふゆかの「あ、ちょっと待って」という声を振り切って、別に今の僕たちは夫婦なんだから女の人の部屋を覗いても何も問題ないと自分の中で言い訳をして、その部屋の扉を開けた。
もともと、僕もそうだけど、着替えとか私物とかしかない簡素な部屋作りで、おいてあるものに違和感のあるものはほとんどないはずだった。
だけれど、存在感丸出しにその部屋の中央に置いてあった大きな荷物と旅支度用のマントウヤその他の所持品を見て、確信した。
「あ、ちょ、こ、これは違うからっ」
後ろから追いついてきたふゆかが僕の前に通せんぼのように両手を広げて、そう弁解する。何が違うのか、まだ僕は何も言っていないのに。
「えーと、これがどういうことか説明してほしいんだけど……」
「ち、違うからね。別に、もうひとりでお留守番みたいな感じでひかるを待つのは嫌だから、いっそのことひかるの旅についていけばいいとか、決してそんな風に思ってひかるの目を盗んでいそいそと旅支度をしていたわけじゃなくて……」
「で、今の僕のことだから、押しに弱いとかで、直前に言い出せば許してくれるだろう、とかそんな風にも決して思っていない、と……」
「そうそう……、じゃ、じゃなくてね、これは、違くて……その……」
「違くて……?」
「…………ごめんなさい」
もう誤魔化すことができないと思ったふゆかはそこで潔く謝った。
「昨日、散々しばらく会えなくなるからって、無理難題を押し付けてきておいて、ここに持っていくとは……」
「だから、それは、昨日謝ったから、それで……」
なるほど、あの意味不明な謝罪はここに繋がっていたというわけか。なるほど、でも、さすがにふゆかをつれていくわけにはいかない。
「はぁ……ふゆか、詳しいことは言えないんだけど今回僕が行う任務は領外で行うものだから、危険で、とてもじゃないけどふゆかを連れていくことはできないんだよ」
「え~、また領外なの? でも、だったら余計についていきたいよ」
「なんで、また……」
「だって、大切な人が危険な場所に行ってしまうのに、一緒にいられないなんて耐えられないじゃない? 大丈夫だよ、自分の身は自分で守るし……」
「自分で守るって……」
とてもじゃないけど、ふゆかが自分自身身を守る姿が想像できない。
「あれ、話してなかったっけ? 私、結構強いんだよ」
「…………」
「あ~、なにその、こいつ真面目にそんなこと言ってるのかな、みたいな目は~」
「いや、だって、本当かどうかわかんないし」
「本当だって~。話したでしょ、ひかるとの出会いがひかるを襲ったときだって」
「ん、いやまあ、聞いたけどさ」
そして衝撃的な出会いだとも思ったけどさ。
「もちろん返り討ちにされて、なんだかんだ言ってひかるは私の抱えてたこと解決してくれたわけだけども。だからそれまでは結構うまくいってて、強かったんだよ~」
「……へ~」
「あー、信じてないでしょ。だったら――」
「――あーはいはい分かったよ、ふゆか。分かったから……」
なんだか長くなりそうだったから、僕はそこでふゆかの言葉を区切った。
「え、なに、ついて行っていいの?」
「いや、そうじゃないけど……」
「えー、なに、なんでそんなに頑なに私のこと、拒否するの? もしかして、私に内緒で密かに他の女の人と会うとか、もしかするとそんな感じなの?」
「いや、ちが――」
違うと素直にその時言い切れないのが、結局僕の性格なのだ。巫女というからには、それが女性である可能性は高くて、ふゆかの指摘はあながち間違ってはいない。
「あー、やっぱりそーなんだ。婚約してからまだほんのちょっとしかたっていないのに、もう浮気?」
「ちがっ、違うって、別にそんな目的で会いに行こうとしてるんじゃなく――」
「いいよ、もう行っていいよ、ひかる! 私はひかるのこと好きだから、こっちで他の人と会うなんてことできないけど、ひかるがそうしたければ、そうすればいいじゃない!ひかるがいないこの家で、ひそひそと泣いてやるんだから!」
もうすでに半泣き状態で顔を手で覆っているふゆかが外に聞こえてしまうんじゃないかってくらいの大きな声で叫んでいる。なんだかもうとてもじゃないけど説得って言うか、このまま僕が旅に出たらふゆかに呪い殺されるような、そうでなくても旅が終わってここに戻ってきたときに、とてもめんどくさいことになるような、そんな感じになってしまっている。こっちの世界の僕のことも考えると、それはちょっといただけない。
「あー、ちょっといいですか、ふゆかさん……?」
「なによ、まだ私を悲しみのどん底に落としいれるようなこと言うつもりなの?」
「いや、そうじゃなくて……」
「じゃあ、なに!」
キッときつい睨みをきかせて僕の方を見るふゆか。もう計算してるんじゃないってくらいに、その次に僕が言う言葉はもう一つしか残っていなかった。
「……別についてきてもいいよ」
「…………本当?」
「うん、本当だよ」
「本当に、本当?」
「うん、本当に、本当」
「…………わーい、やった! ありがと、ひかる、大好きっ!」
本当に計算づくめでいるんじゃないってくらい、僕がそう言うとふゆかの涙なんかもう渇いてて、手を挙げてはしゃいで、満面の笑みで僕に抱き着いてきた。
本当にこんなの僕には向いてない。決して嫌じゃないけど、そう思った。
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