第5話 僕の知らない世界

僕の頭の隅でかすかに痛みを感じた。

それが僕の失われていた意識を取り戻すきっかけとなったみたいで、徐々に外で起きていることがぼんやりと分かってきた。

「……いっ、……かっ!」

誰かが僕を呼ぶ声がする。

体を揺さぶられる。

やっと僕の目は光を感じ取ることができて、その瞼を通して暖かなものを感じることができた。少しそこから瞳を開けると、光のとげが目に入ってきて少し痛みを感じる。

長いこと光を感じてなかったみたいに、僕の目は完全に瞼を開いてもしばらくは機能を果たさなかった。

その機能が果たされるようになって、その時に僕の目に映ったのは大勢の人たち。

それも、僕が知らない人ばっかりがいる。

「おいっ……大丈夫か?」

なんか僕のことを心配してくれているみたいだ。

立ち上がろうとして身体が思ったよりも重くて、そして後頭部がズキッと傷んで体がよろけた。

「おいおい、大丈夫かよ?」

そう言って、その人が僕に肩を貸してくれる。

金の短髪で紺の目をした僕と同じくらいの身長の……。

あれ……僕ってこんなに背が高かったっけ?

目線がいつもと違うような。

それに、この人たちの服装……、なんかおかしい。

濃紺のコートを羽織って、その下には鎧のようなものを着ている。腰には剣のようなものまで携えていた。

まるで、ここが現代じゃないように。

いや、そもそもおかしいんじゃないか。

僕はあの場所で炎に焼かれて、たとえ生きていたとしても病院にいるはずなのに。

それが……。

これは夢か……? でも夢には思えない。

どちらかと言ったら、ついさっき見たあの灰色の世界の方が夢に思える。

それほど僕はもうここを現実だと本能的に思ってしまっていた。

「おい……本当に大丈夫か? なんか言ったらどうだ?」

僕が物思いにふけりながら、そうして沈黙をしていると心配をされた。

でも、なんと答えればいいのだろう。

僕は、この人たちのことを何も知らない。

僕は今どんな状況でここにいるのかもわかっていないんだ。

もし僕が今の僕みたいな状況の人を見たら、当然そうして心配をするはずだし、それで僕たちのことを全く知らなかったら、それは記憶喪失のように思ってしまうことだろう。

頭が痛んでいるってことは、きっとどこかに頭をぶつけてしまったのだろうし、そうなってもおかしくない。

「ちょ、ちょっと待って……」

僕はその人が肩をかしてくれるのを断って、自分一人で立った。

「ここは……どこ?」

記憶喪失の人のまねをしたようで、でもそれはそれで紛れもなく僕自身の真意だった。

「おまっ、ちょ……もしかして……」

そう、そのもしかしてなんだ。

ここは僕の知らないところで、君は僕の知らない人で、僕はどこか僕とは違う。

同じように見えるけど、同じじゃない。

これは悪い夢で、悪い現実だ。

なんで……、なんで僕はこんなところにいるのだろう。

考えたかった。

でも、できなかった。

何をどう考えても、今は僕のことを知っているこの人たちについていくことしかできない。たとえそれが嘘をつくことになっても、正直に何もかも話すよりはまだましだろう。

僕が記憶喪失と認識されてから、とにかくその人たちは僕のことについていろいろと話してくれた。もちろん僕の知らない世界ついても。

話されたことをざっくりまとめると、大体こんな感じになる。

いま僕がいる場所は、通称で空白地帯と呼ばれる部分で王国と領外の間にある、人っ子一人いない場所らしい。王国って言うのは、いわゆる人が住む場所のこと。要はこの世界は一つの国によって治められているということになるらしい。

それとは反対に領外には人は住んでいない。なんでも、そこには総称してモンスターと呼ばれる人を喰らう生き物がいるらしく、かなり危険とのこと。

そして僕たちは騎士と呼ばれる人であるという。

騎士という人たちは定期的に領外へと行きモンスターを討伐するのが役目となる。

「己の名誉と人々の平和のために命を懸けて闘う、それが騎士ってもんさ」

そいつに言わせると騎士というのはそんなものらしい。

少し僕たちとは違うな、って思った。

でも、僕はそんな騎士の中でも王から称号をもらった特別な騎士らしい。

信じられない話だけれど本当らしい。

なんで、この世界ではこんな目立つ役職についているんだよ、僕は。

年も身長も体つきも違うらしいし、なんでも婚約者がいるらしいとの話。

信じられない話だけど。

こっちのほうがさっきの話よりももっと信じられない話だった。

思わず二度聞きを二回くらい繰り返したほど、信じられない話だった。

そして今回の討伐は随分と危険な任務だったらしく、僕はこの任務から無事帰還できたら、なんとその彼女と婚約するという約束をしてしまったらしい。

その任務からの帰還の途中に僕は前日の雨によって山道が崩れやすくなってしまっていたところを歩いてしまったらしく、見事に地面が崩れ、道から外れて、転げ落ちてしまった。そして、転げ落ちた先で木にぶつかって気を失った。

周りから見た感じではそうなっているらしい。

それが直接的な原因か分からないけど、その後に僕はこの体の中に入った。

名前もひかるのままだし、多分ここは夢の世界ではないのだと思う。信じられない話だけど、僕が今まで住んでいたのとは別の世界なんだろう。

今となっては何が起きても大して驚きはしない。なんだって普通に生活していたはずが、心が読める少女と出会い、追われ、逃げ、とんでもない組織に保護され、そしてわけもわからないまま命を狙われたのだから。

それにしてもタイミングが悪すぎる。

こんなタイミングで僕はいったいどうすればいいと言うのだろう。

あと数時間もすれば、その婚約者と僕が同居している家のある町につくという話だ。

実に僕がこの世界に来てから三日になる。

とりあえず討伐の終えた騎士の行動は決まっているらしく、王都における王への報告を僕の口からしなければいけないらしい。今の僕にしろというのもちょっと無理な話だけど、それはどうしてもしなければいけないらしい。

各々の構成員は寮や自宅へと帰り、この編隊のトップである僕は正装で王都へと赴く。

一人で……。

付き人もいないらしく、さっそく訪れた試練だ。いや、その前にも試練はたくさん待ち構えているか。今も悲しく僕は一人旅の途中だ。

空白地帯にもっとも近い町についたら、そこで僕たちは解散した。

ただ、イリト(始め僕に肩を貸してくれた人)だけは僕に世界のこと、王国のことを最低限教えるため二日程度は一緒に旅をした。

どうやら、この世界の交通手段には車とかそういった移動速度の速い乗り物はないらしく、馬のような生き物が引く乗り物に乗って町から町へ、村から村へと移動をしている。

僕は今、その生き物が引く乗り物に乗って町に向かっている。

がたんごとんと揺れるその乗り物の振動にただ身をまかせることしかできない。

目の前が真っ暗というわけじゃないけど、どうしたらいいかは分からない。

これが僕だけに起きていることなのか、そうではなくて他の人たちにも起きていることなのか? いや、そんな気配は感じられない。

なんで僕がこんな目に遭っているのか。

何のために。

誰の仕業で。

不思議で謎なことは尽きることを知らない。

「考えても仕方ない……か」

一人呟き頭を空っぽにする。何も考えず、けれどそう簡単にはいかずつい考えてしまう。

僕の婚約者とは一体どんな人なのだろう、と。

僕自身はまだ一度も会ったことはないのだけれど、この世界の僕はその彼女に何度も会っていて、一緒に暮らしていて、これで僕が帰ったら結婚することになっていた。

その約束がどうなるかは、なるようになるしかないと思うけど、もしそうなった場合は何だか僕はこの世界にずっといるような気がしてならない。

いつかは戻れるんだろうけど、それがいつだかは全く持って予想がつかないし、どうすれば戻れるのかも分からない。

「……ふぅ」

ひとつため息をつく。

疲れるな、こういう風に考え事をするのは。

これならいっそのこと記憶喪失だったほうが楽だったかもしれない、と思う。

もしこれが誰かの仕業なら、それはきっと神様のせいなんだろうな、と心の奥底で思った。いるわけないか、とは否定できなかった。

だって僕はこのこと以外にも、どうしようもなく説明のつけることがないことには巻きこまれてきたんだ。それに、二人の真剣な言葉から神という単語が出てきたのは、紛れもなく真実。

だったらそれはもう、神様の仕業でしかないんじゃないか。

僕はそう、自分自身の素直じゃない部分に語りかけた。

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