第23話

 アドヴェクスターに肩を支えられながら庭に出ると、真っ白なユリの花が凛と咲いていた。

 甘い香りは、シーファを優しく包み、傷ついた心にほんの少し沁みる。

 幼い頃、確か父はこう言っていた。

『シーファの母上も、このユリがとても好きだったんだ。……シーファは、本当に母上に似ているなぁ』と。懐かしさと寂しさに鼻の奥がツンとする。

 そして、もう一つ思い出した。幼い頃、一度だけアドヴェクスターに会った時、私は彼にこう言ったはずだ。

「……助けてくれてありがとう。これ、私の好きなお花。お礼」

 その時、彼は私になんと返したのだろうか。それだけは思い出せない。


「姫、一度部屋に戻りましょう。まずはお食事を摂らなくては、お身体が保ちませんよ?」

 そっと肩に触れる大きな手が、妙に温かく感じる。

 シーファはユリを見つめたまま頷き、ゆっくりと立ち上がる。

 すると、少し離れたところに立っている人物と目が合った。

「シーファ!」

 ルーヴァンが目を丸くしてこちらに駆け寄ってくる。

「こんなに痩せ細って……」

 そう言ってシーファの頬に手を伸ばした瞬間、アドヴェクスターはシーファを抱き上げて背を向けた。

「ルーヴァン、姫にお食事の用意を」

 彼の言葉が鼓膜を震わせた瞬間、ルーヴァンは動けなくなった。

 自分の護り続けてきた人が、遠くに行ってしまう。もう、手の届かないところへ。幼い頃のようには戻れない。聞こえない声が辺りに響く。


 ルーヴァンは、アドヴェクスターの背中が見えなくなってから小さく返事をした。

 コックに栄養のある、消化のいいものを作るよう言いつけると、ルーヴァンはすぐにシーファの着替えを用意させ、侍女を部屋へ向かわせた。

 今はシーファの顔を見れない、いや、見てはいけない気がして、自分は彼女の部屋には向かわなかった。



 *



 アドヴェクスターは、シーファを部屋のソファに下ろして彼女の頬に手を添えて顔色を伺った。

 明らかに先程より青い顔をしている。

「体調が優れないのに連れ出してすまなかった。ベッドに横になった方が楽か?」

「……違う、そうじゃない。……ルーヴァンは、ルーヴァンは……っ」

 大きく息を吸い込むと、シーファは顔を両手で覆ってうずくまってしまった。

 アドヴェクスターは隣に座り、彼女の背中をゆっくりとさする。

「今は無理をしなくていい。大丈夫。ゆっくり息をするんだ。……そう、ゆっくり。今の貴女は一人じゃない。俺を頼っていい」

 シーファの呼吸が落ち着き始めた頃に、侍女がやって来た。

「姫、御召し物とお食事を持って参りました」

「では、着替えが終わったら呼んでくれ、表に出ている」

 アドヴェクスターと入れ替わるように三人の侍女が部屋に入って来ては、シーファを着替えさせ、ベッドのシーツを替え、食事を置いて出て行った。

 また入れ替わるようにアドヴェクスターが部屋に入ってくると、シーファは尋ねた。

「……私が一人ではないのだとしたら、貴方は?」

「姫が、俺の傍に居てくれるというなら、一人ではなくなるね」

 彼は寂しそうな、意味深な笑みを浮かべた。

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