三章 〜憐れな姫君

第15話

 ルーヴァンは、遠くから聞こえる声に目を覚ました。

 その声は次第にこちらに近づいてくる。

「シーファ、起きろ。昨日の声が近くまで来ている」

 彼女の肩を揺らすと、驚いたように目を開け、息を潜めて辺りを見回す。

 しかし、周りは大人の身長よりも高い茂みに囲まれていて、様子を伺うことは容易ではない。

「ルー……いや、ロヴェル、」

 彼女がその名を口にした途端、ルーヴァンはハッとした。

 そうだ。今はヴィラッドに仕える者じゃない。孤児の旅人だ。

「ロヴェル、とにかくここから離れよう」

 彼女が囁いた時、昨日は聞こえなかった声がした。

「姫は見つかったか?」

「申し訳ございません……」

 向こうの動きが止まった。その隙に声とは反対方向へ行こうとした瞬間、は通る声で言った。

「お前たちの目は節穴か? すぐそこにいるだろう? 折角テナが案内してくれたんだ。無駄にするな」

 その瞬間、2人は呼吸を忘れた。上空を見ても、テナの姿は見えない。勿論、木の上にも止まっていない。

「ソフィーナ、ここは俺がなんとかする。反対側からこの木に登れ。絶対に枝を揺らすなよ」

「……っ! うん」

 戸惑う様子を見せたが、ルーヴァンが目を合わせないようにしていることに気付くと、音もなく木に登った。昔、彼女にこっそり教えた木登りがまさかこんな事に役立つなど思ってもいなかった。

 彼女の姿が消えると同時に、茂みから兵士が出てきた。

 彼らはルーヴァンの姿を確認すると、持っていた槍を彼に向けて問うた。

「貴様、名乗れ」

「わ、私は、ただの旅人です……! な、名は、ロヴェル、と申します……」

 殺気を殺して、相手に怯える演技をした。自分は孤児の旅人だ。

「ロヴェル……ということはヴィラッドの生まれか?」

 その声の主はゆっくりと茂みの中から姿を現した。それは美しい容姿だが、青い瞳は氷のように冷たく見える。

「アドヴェクスター王子、この者しかここには……」

「ほう……これはこれは、ルーヴァン殿。芝居が上手いな、関心するよ。お前たちは下がっていろ。馬車をここまで呼んでこい」

 やはり、この男はアドヴェクスター第2王子だ。

「ロヴェルはお前の爺様の名だろう? ルーヴァン」

「……ルーヴァン? 私の名はロヴェルですよ……?」

 その言葉に、彼は鼻で笑って冷たい視線を突き刺す。

「惚ける気か? 私の目を誤魔化せるとでも思ったか? 1度だけお前の顔を見たことがあるぞ。私は1度見た顔は忘れない。……答えろ。シーファ姫を出せ」

 このまま芝居を続けるべきか否か、ルーヴァンは王子を見つめたまま考えた。

「確かに今、私はお前たちの敵国の者だ。しかし私はお前にも、勿論姫にも危害を加えるつもりは一切無い。国王への用は、済んでしまったからな」

「前……?」

 考えるより先に口が開いた。

「ヴィラッド帝国国王の首は私が獲った」

 頭が真っ白になっていくのを感じながら、拳を握る。

「シーファ姫、先ほども申し上げましたが、貴女たちに危害は加えない。早くここまで降りてきて下さいませんか?」

 隠し持っていた小刀を抜こうとした瞬間、木の上からシーファが王子の頭上を目掛けて飛び降りてきた。王子はそれをひらりと交わすが、姫は着地すると身を翻して彼に2度目の攻撃を仕掛ける。彼女の瞳は、殺気で不思議な色の光を帯びている。

「おやおや、シーファ姫がルーヴァン殿に武術を教わっていたというのは本当だったのか、逞しい姫君だ」

 彼は余裕の表情で交わし、姫の右腕を掴む。

 彼女が受け身を取ろうと覚悟した瞬間、王子は姫を抱き寄せた。

「お話は後ほどにしましょう」

 そう囁くと、姫はその腕の中でぐったりと気を失った。

「予め睡眠薬を手袋に染み込ませておいて正解だったな。さあ、ルーヴァン殿も馬車に乗ってください」

 姫を壊れ物のように抱えると、彼は先に馬車に乗り込んでしまった。

 彼は、ルーヴァンが姫から片時も離れないようにしていることを知っているようだ。仕方なく彼の言う通り、馬車に乗り込み、王子の隣に腰を下ろした。



 シーファは、ルーヴァンには劣るがそこら辺の大人より強かった。力が劣る分、賢さと身の軽さが相手を圧倒させていた。それをこの男は自分にも姫にも傷ひとつ負わせることなく自分の思い通りの方向へと物事を進めている。

「私と姫をどうなさるおつもりですか」

 久し振りに帰ったヴィラッドの王宮で、姫を彼女の部屋に運んだ後、ルーヴァンは王子に尋ねた。

「姫には私の妃になって頂く。ルーヴァン、君には私と姫、2人の護衛を任せようと思っている」

「姫を妃に……」

 その瞬間、ルーヴァンの心に大きな穴が開いたような気がした。

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