第25話 フライトコントロール


「レディ、ゴー!」

 宗谷の合図と共に動き出した人影を、ようやくの餌を見つけたと喜んだアスタロトも歓喜していた。

 五年振りの生きた食材だ。早く生の腸を啜らせてくれ――なる触手が伸びて来る。餌となってくれる代わりに甘い蜜をあげるから。この偉大なるママに、血肉も骨も寄越してごらん――。

 誘おうとした触手は、地中より縦にも横にも伸びて形成されゆく鉄壁に行く手を遮られた。廻り込もうとしても、次々に範囲を広げてしまう頑丈な壁面により、行く手を阻まれてしまう。

 ならば高い打点より――と、一本の触手がキリンの首回りほどあるものを、幾本もしならせ突破を試みるも。今度は透明な壁が特攻を許さなかった。

 ――何だこれは。折角、五年もの歳月を経て再起したのに。アスタロトは地団駄を踏んで唸った。

 周囲を囲ってくるものを、片翼の羽でガリガリと引っ掻き回しても。大地も含めて広く覆い被さり、頭上にまで到達した壁によって四方は完全に塞がれていた。

 密封空間にされた途端に、鉄壁内の酸素も抜かれ。アスタロトは呼吸が出来なくなって悶え始めた。ここまで宣言通りの五十秒しかかかっていない。

「脈拍上昇。血中酸素飽和度急速低下。まもなく心停止」

 アイアンウォールの設置と、毒の浄化も同時に進行させているフォックスたちより、逐一送られてきている数値に目を光らせている宗谷が突入のタイミングを計っている。

 駆け走っていた碎王とゴッズが鉄壁の淵に到達すると、中でのたうち回っている寸劇が足裏越しでも伝わった。

 それも、やがては静かになった。アスタロトの鼓動が――止まった。


『――ウォール解放、十五秒前』

 シーラワンは壁を前にして拳を握り。二手に別れたゴッズワントゥーは壁を背に、星を眺めながら大型の愛銃を手にする息を整えた。もっと距離を取っていても狙いは外しやしない。至近距離のリスクを負ったのは、一時的に壁を解放した時に。的となるターゲット捕捉に割く時間を、零コンマ単位で短縮したかったことに限る。

『――フォックスワントゥー。酸素注入、出力パワーサプライ』

 鉄壁の中へ酸素を送り込めば、あとは一点を穿つのみ。宗谷は、中の様子を唯一視認できているフォックスからの体内分析データにも目を走らせた。

『――目標ロック。ポイントマーカー、オン』

 ドーム内で、ターゲットとするへその緒の在り処を示す蛍光弾が発射された。

『解放、五秒前。四、三、二』

 アイアンウォールが一瞬にして鉄壁の下部半分を解いた。離れたところであっても、大型の銃を構えながら振り返る息をぴたりと合わせたゴッズと。碎王たちが酸欠にならないよう、三人の周囲には高濃度な酸素が送り込まれている。

 フォックスがマーキングした点に照準を合わせたグレヴリーとジルの双方から、一発ずつの射撃が同時に行われていた。

 グレヴリーによって発射された弾は、アスタロトの下腹部を貫き。様々な臓器に癒着していたへその緒の網を切り裂いた。そして、ジルが発射した弾により、へその緒は体外へと追いやられた。

 無理矢理押し出された、縦横一点五ミリほどの真っ黒なお玉じゃくしが。土の上でびちびちょと跳ね回っていたそれを。碎王は圧縮の壁足で抑え込んだ。

「ゴッズ、燃焼促進剤、投下。フォックス、こいつを無酸素、電磁遮断状態で確保してくれ」

 勝敗の幕は、あっけなくも下りていた。


 一辺が五センチほどの鋼鉄立体キューブ内に納められた、アスタロトのへその緒はグレヴリーの手の中にある。

「こいつが、ねぇ……」

 アフリカ大陸に大穴が開いてしまった経緯を知っているだけに、やるせない気持ちも浮上する。

 へその緒を失った巨体は文字通りもぬけの殻となって、今は素直に燃焼促進剤によって燃え上がっている。その中には、遣いを頼んだオーガに頼むと言われていたアニーも含まれていて。あと一時間もすれば骨も全て灰になろう。

「それで? こいつをどうするって?」

 燃焼を見届けている碎王は、ピックスが帰還してくるのを見計らってから答えた。

「向こうで何とかするさ」

「向こう、って?」

 高速で近づくピックスが、碎王たちのもとへ到着すると。一両分が増えた八両編成の最後尾よりオーガが顔を出した。

「頼まれた物、積んで来たぞ?」

 碎王は手を挙げて応じ、全員をその場に集めた。


「ひとまず、この地球からアスタロトの脅威を引き離す」

 でな、と碎王は改まった。

「向こうはちょっとだけ、こっちより進歩した技術があるから。戻って術を探すよ」

 無理にこちら側で処分をせずに連れて行くと碎王は述べていた。

 グレヴリーは、キューブを見入ったオーガに手渡しながら告げる。

「その。こっちとか向こうとか、何だ? あれか? パラレルワールドみたいなって事か?」

「いや。そうじゃない、と思う」

 俺も上手く説明できないが、と前置きをして碎王は続けた。

「こっちには俺や宗、アンディやフィーニーたちはいないからな」

 向こうでは、単にまだ出会っていないだけかも知れないけれど。グレヴリーたちはいなかったと言う。だから、もしかしたら同じ世界なのかも知れない。

「俺たちがいた向こうは、こっちの歴史や文明とほとんど似ていて。唯一異なる点を上げるなら、天災と位置付けられた飛来外来種が、害虫的な存在じゃないってところだ」

 向こうでは、それこそ自然界のバランスを取る天秤説が昔から存在していて。悪影響を及ぼさない外来種の無意味な排除は、法律で禁止されているくらい、社会的にも確立されている。

「だから、こっちに来て驚いたさ。街並みも食べ物も変わらないのに、唯一。飛来外来種の歴史がなかったんだから」


 夕夜も、オーガから渡された鋼鉄のキューブを手に取ろうとして「わっ!」落としかけた。「――重っ!」

「気を付けろよ。左手まで折っちまうぞ?」

 クスクスと笑われ、照れた夕夜を碎王は真面目に眺めた。

「そこでだ、夕。お前の力を貸して貰いたい」

 宗谷が添え手をしてくれたものへ見入っていた夕夜は、碎王に向く。

「どう、すれば……?」

 碎王は、ここまで仲間としてやってきた面子の一人ずつへ視線を移す。

「こうなったのは、向こうで歪みを発生させてしまった、俺たちの責任でもある」

 それを閉じさせ、チャラにする。

「俺たちがこっちへ来てからも、知らぬ間に。歪みは不安定に、複雑に歪んでたんだ」

 それでメアリーを途中で見失ったり、ナンシーをシグナルロックできなかった。飛んで来た到来形跡を全く捉えられなかったのも。今にしてみればその証拠となる。

「不安定な歪みの波間を、ジャンプしてたんだ」

 額を指先で擦ったグレヴリーが懐疑的に発した。

「……区間ワープするみたいに、ってか?」

 碎王は大きく頷く。

「だから、こっちも飛ぼうと思う。それで、歪みを完全に閉じてしまえばいい」

 そうすれば、今の地球に外来種が飛来することは、金輪際なくなるだろう案でもあった。


 話が飛躍しすぎて全てを呑み込めずとも、それだけは理解できたジルが訊ねた。

「……帰る、のか?」

「――そうさな。戻れるかどうかも出たとこ勝負だが。全部、夕が鍵なんだろうよ?」

 大人の視線が夕夜に集中した、その時。

「んっ!」

 宗谷が、胸を鷲掴んだ前のめりで屈み込んだ。

「海咲さん!?」

「宗!?」

 碎王は懐中時計を取り出した。時計の針は十三秒を指している。勝手に刻まれる感覚が短くなってきたのも初めてのこと。

 時計を眺めていたアンディが口を出した。

「もしかして。歪みが、近いんじゃないか?」

「近い? ……また摩擦が、大きくなってるって事か」

 ――夕夜がいるから。とは本人を目の前にして切り出せなかった碎王が、アンディを眺めていると。胸の痛みを堪えた宗谷が姿勢を正した。

「急ぎましょう。僕の時間がなくなる前に」

 長年、共に戦ってきた相棒の熱が、腕に掛けられた手から碎王に伝わった。覚悟なら、とっくの昔に出来ている。その顔を、ゴッズとオーガに向けた。

「俺たちの最後の頼み。聞いてくれるか?」


 巻き込んでしまってすまないと、頭も下げられそうになるものを。グレヴリーとオーガは手を出して制した。

「よせよ、碎王。俺たち、良いチームだったじゃないか?」

 何を今さら。

「俺にも、最後を見届ける筋合いがあるだろ。どうすりゃいいのか言ってくれ」

「帰路のフライトコントロールは僕が」

「宗? お前、そんな状態で出来るのかよ?」

「僕しかいません。やれます」

 ツンと尖ったいつもの冷静さに微笑みも宿した宗谷は、腰を屈ませて夕夜を見入る。

「どんな反動が夕に起こるか、分からない。でも……夕の力に、ちゃんと意味があったって証明したい。――力を、貸してくれる?」

 夕夜は、瞳を潤ませた宗谷に抱き付いた。

「海咲、さんっ」

「巻き込んじゃってごめん」

 肩口に眼を押し付けた夕夜も、涙声になっていた。

「謝らないでよ……」

「うん。ごめんね?」

「やだよ! 海咲さん……、大好きなのに」


 二人のやり取りを横目にしていたアンディが、遠隔操作でピックスの動力を始動させた。

「ビクターサーティーンに追いつくまで約三時間だ。すぐに出発しよう」

「あ?」

「何だと?」

「どこに行くって?」

 追いつくとは、いったい――。こちら側の三人が呈した疑問に、碎王は悪戯な笑みで答えた。

「ちょっと宇宙をドライブするのさ」

 何ならバーベキューの続きをするかとも足されたものに。

「宇宙へ行くの?」

 夕夜も涙目で満天の星空を仰いだ。瞬く星が、瞬かない空間へ飛ぶという期待で、胸が弾んだ。

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