第22話 歪んだ天使


 三十八度近い熱でぐったりと参っている夕夜を、宗谷はリクライニングソファーへ運んで横にしていた。

 冷却シートを額に添えて、コップに注いだ水を飲ませてやっている。術後の熱さまし用にと常備していたものが役に立って良かった。

 今、彼がこのような状態であるのに話すのは――と躊躇えば。「海咲さん……」夕夜は、離れかけた手を取り強請っていた。

「話し、て?」

 アンディは気流の乱れに敏感となった、自動運転モードを気にして先頭車両へと戻って行ったけれど、会話は通信機を介して聞いている。

 夕夜の手を取り直した宗谷は腰を落とし、静かに語り始めた。

「僕は、時間を操る力を持っててね――」

「時間?」

 宗谷は、夕夜に預けた懐中時計を取り出させて蓋を開けた。秒針はコテージで確認した時より、更に一秒と時を縮めた十五秒目を指している。

「ほんの数秒、僅かな時間だけど。自在に戻したり、繰り返したり出来るの」

 これは、操ることが可能な残り時間だと言って見せていた。

 それを聞いて大きく鼻息をついたグレヴリーは、口をへの字にしてから告げた。

「お宅ら。その尋常じゃねぇ能力、どこで培ってきたんだ?」

 碎王が横から口を挟んだ。

「まぁ、先を訊けよ」


 アンディが運転席に着くと、その視界に分厚くも高度も高い、発達した積乱雲の山が見えた。横目で確認した気圧の数値も警告を発している。あの中は酷い嵐だ。

「――みんな、少し揺れそうだ。気を付けてくれ」

 注意を促された通信が流れてからも、宗谷は続けていた。

「力に気づいて、最初は凄く戸惑った。どうしたら良いのか凄く悩んで、人との接触を避けてた時もあった――」

 どの道、人にはない能力を有したのだから。自分にしか出来ない事をしようと思い。守りたいものを護る職についたと述べた。

「それから。碎王たちとも出会って。護りたいものの為に、惜しみなく使った。役に立てるのなら、喜んでって……。使った分だけ、反動があるとも知らずに」

「僕が……、右手に受けるみたいに?」

「そう。僕の場合は、もっと最悪の結果を招いた」

 自分だけに悪影響があるのなら良かった。宗谷は親指と人差し指、中指の腹を擦り合わせて摩擦を再現した。

「繰り返す内に、時空が少しずつ擦れたみたいでね。やがて摩擦が摩擦を呼んで、大きな亀裂を生んで、溜まったひずみがゆがんでしまって……」

 夕夜は何となく理解したような、よく解らないような表情を呈し。宗谷は、擦っていた三本の指をぱっと離して、弾ける具合を簡易に再現して見せていた。

「歪みに限界が来て。ぽっかり空いたそこに、落ちたの。碎王や、フィーニーとフィーイン、アンディとピックスも一緒にね」


 乱気流を避けた進路で滑走していたピックスが、雲の下へと降り行くと。その車両にもぼつぼつと大粒の雨が当たり始めた。

 開けた視界に、降雨で霞むアフリカの黒い大地が見え始めた。かの中心部分は、何本もの稲光と雷が走る荒れ模様のようだ。

「落ちた……?」

 そこで碎王も口火を切った。

「俺たちも最初、何が起きたのか解らなかった。クイーンとやり合ってて、いきなり。空がバチンと歪んで吸い込まれてさ? 気づいたら、この地球に放り出されてたんだから」

「クイーン? ってロシアの?」

 ジルがその名に反応していた。ロシア極西にも出来た、飛来外来種による地球第二の黒点源である。

「そう。あの年の、十七番目に当たるクイーンだ」

 アスタロトの衝撃を受けて、宇宙から飛来する外来種に世界中が結束して対処法を見出し、慣れ始めていた矢先に。突如飛来したクイーンの繁殖速度は、人類が想定していたものを遥かに凌駕した、爆発的スピードでロシア極西部を侵食してしまい。結果的にはアフリカに続いての、二番目の黒点が刻まれてしまった。

 しかも、それでもクイーンの胞子は死に絶えず。人々は絶望の淵に追い込まれてしまった――そこへ、彗星のごとく現れたのが。ピックスと碎王たちだった。

 

「俺たちはもともと、飛来外来種の駆除や退治専門の生業だったから。クイーンクラスの対処法も熟知してた」

 対応にあぐね、慄く者たちを前に。颯爽と現れた未知なる力や、空を翔ける高度な列車に驚きつつも。彼らの活躍により、クイーンの脅威は去っていた。

「それからの事は、お前たちも知っての通りさ」

 碎王は、グレヴリーやジルに視線を向けた。

 その年の二十二番目、ビクトリアの襲来により、カナダとアメリカの国境部分は大打撃を負った。

 こちらも、両国が誇る独自の戦力だけで飛来した外来種の退治を試みるも手間取り。やがて、ナノミクロンレベル以下での増殖根本を見逃す根絶を怠った事後的副産物にもよって、第三の黒点が地球に打ち込まれてしまった。

「もっと早い段階で、手を貸そうとしてくれていた碎王たちに頼れば、あんな事には……」

 助言を跳ねのけ。国家、政府が威信を強固にした結果。ジルは唯一の肉親である実兄を亡くしていた。

 そして、この件を介して知り合ったグレヴリーやオーガたちは。碎王にスカウトされる形で、対飛来外来種に特化した緊急対応特殊戦略部隊、フィーガ結成へと至る。


「――ちょっと待てよ?」

 グレヴリーは眉間に筋を立てて声を上げた。

「なら、飛来外来種は、その――歪みってやつからやって来るってことか?」

 俄かに信じがたい首も傾げる横で、ジルも茫然としたまま言った。

「その歪みがなかったら。ビクトリアも、クイーンもアスタロトも。その他もみんな、この地球に、外来種が飛来することはなかった?」

 碎王たちの視線は宙を泳ぎ、その首も、縦とも横にとも振られなかった。

 事が大きすぎて、思考が追いついてこない頭の上で手を組んだジルは、天井を見上げてから項垂れた。「嘘だろ、そんな――」フィーガを結成することもなかったのかも知れない。

 最良の仲間が、事の発端で原因だったとは。家族や同僚の多くを失った悲しみや怒りが一気に混ざりすぎて、呆れも通り押した罵倒の気も起らなかったジルは、冷静に述べた。

「まぁ……、それはそれとしても。その事と、夕夜の力に何の関係が?」

 ひずみだ、ゆがみだと言う前に。ここまで積み重ねた信頼関係も崩壊しそうだ。

「まだ、本当にそうであるのかの、確信はないんだけど――」

 宗谷が煮えない言葉を濁した時に。ピックスはアフリカの黒点に近い、中心部より約三百キロほど離れた地点に到着していた。


「オーガ」

 不毛の大地に停車してすぐに、アンディは相棒を呼んでいた。

 窓枠に腰かけて腕を組んでいたオーガは。水滴を跳ね返して垂らす、窓の向こうに佇む人影を捉えた事によって、呼ばれた意図を知る。

「……あいつに訊こう。あいつは、それすらも知っているような口ぶりだったからな――」

 オーガは、下車する歩みを碎王の前で一旦止めた。

「問題は、あいつがどうやってそれを知ったのか。にもよるんだろ?」

「そうだな。俺たちが直前まで不確実としていたものを。あれがどうして言い切れるのか、こっちも知りたい」

 軽く頷いたオーガは、サロン車に一つしかない乗降可能なドアを内側から開き、雨季でもないのに大量の雨を降らせているスコールの中へ歩んでいった。


 惑星間の航行も可能なピックスより、この地へ先回りできるほどの技術は、今の地球上には存在しない。それを可能とするならば、もはや彼とて、人知を超えた存在になった証しであるのだろう。

「……乾燥ステップ気候に雨を降らすなんざ、大した雨男だ」

 呟いたものは、歩んだ先で対峙した男に向けてのものではない。

 ずぶ濡れとなるオーガは、夜の間を飛び続けていた闇間と。暗雲で沈む夜空を見上げた。――夜明けが恋しい。確か、あの時もそんな気分だった。

「アニー。お前はここで、死んだんだ」

 死亡宣告を突き付けられた、両腕を機械仕掛けにしたアニーは。どしゃぶりの不毛地帯で佇み、ほくそ笑んでいた。

「それ。本当に僕だった?」


 オーガは、アニーが身に着けていた認識票を投げ返した。

「お前は死んだ」

 毒で腐食した後も生々しい当時が窺える砂漠の上に、投げ落とされた銀のタグプレートにも黒い雨が打ちつけるものを。アニーは笑いながら見下ろしている。

「そうだよ。僕は――」

 小首を傾げてオーガを見つめる。

「灰と煤と、毒炎の泥に塗れた、この黒地の奥底に葬られた」

 続けて、絶望しかなかったと冷淡に告げられたものは。強い雨脚と雷鳴に紛れてしまい、オーガには届いていない。

 機械の手が、オーガの後方で佇むピックスを指す。

「――彼が弥勒の使嗾? 冗談じゃない! 僕は認めない!」

 掲げた手で、アニーは己の胸を叩いた。

「僕が! この歪んだ世界を救うんだ!」


 何を言っているんだ、こいつは――。

 死んだついでに、とうとうネジの一本もぶっ飛んだかと思ったオーガがより一層、困惑の表情を色濃くしている時に。ピックスの窓辺から、二人の様子を窺っていた宗谷にも異変は起きていた。

「ん……」

 心臓がドクリと跳ねて息苦しさが増した。

 異変を察した碎王は、宗谷に詰め寄る。

「どうした、宗?」

 小刻みになった呼吸を大きな息で整えた宗谷は、手に握っていた懐中時計を見入った。

 力を使っていないのに、針は勝手に時を刻んで十四秒を指している。

「……貴方の言う通り。時間がないのかも知れません」

「んんーっ」と深く唸った碎王は、大きな手で顔を撫でつけてから口元を覆い隠す。

 しばしの沈黙が過ぎたのちに、業を煮やしたグレヴリーが発言する。

「お二人さん。俺らにも分かるような言葉で、喋ってくれねぇかい?」

 そうは言っても――、なる時が数秒過ぎてからようやく。

「……終わりに、出来るかも知れん」

 呟くように告げた碎王に、宗谷は縋った。

「でも、どんな結果を招くか。僕だって分からないんです。きっと、多分誰にも――」

 しかも鍵を握る夕夜は現在、熱におかされている。

「けど。お前も、薄々分かってんだろ? そうするしかないって」

 懐中時計をぐっと握りしめた宗谷の手は震え。大地も震えていた。

「――何だ、地震か?」

「わお、わお、わおっ! デカいぞ!」


 地鳴りを伴った黒の大地が大きく揺れて、ピックスも小刻みに揺れ動いた。

 震える振動に揺さぶられたコップが、サイドテーブルより落ちて床に水をぶちまけると。震源の方角を眺めていたグレヴリーから驚嘆が上がる。

「――嘘だろ?」

「まさか……っ!」

 隣で覗き込んでいたジルも驚愕で息を呑んだ。

 分厚いガラス越しで見えた異形が、大きくうねりながら迫り来ていた。

 暗黒を天然の背景スクリーンとした、発光も強い稲妻が大気を翔け走る度に。欠けた片翼をギシギシとしならせ、蛇のような頭を持ち。のたうち回る触手の手足を鞭のように振るう姿は、まさしく毒魔の堕天使。

 アニーは目の下に敷く赤い筋を、血の涙にした顔の前で人差し指を立てて「しーっ」と静寂を促した。

「一緒に聴こうよ? 地球の生態系が変わる嘆きと喝采を」

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