第21話 夜明けの記憶
「五年前のことだ。人類が、初めて飛来外来種の脅威と猛威を知った、あの日――」
オーガはアメリカから派遣された海軍の、特殊作戦隊員としてアフリカの地を踏んでいた。
「勿論、米軍だけじゃない。人類が直面した危機を救わんと、欧州ロシア、中東各国も連合軍を結成して、あれに挑んだ」
あれ、に反応したグレヴリーが呟く。
「アスタロト」
「そう。記念すべき1A、アスタロトだ」
ジルも口を挟んだ。
「先発隊? だったら、本体を見た? 何でも、毒蛇のような頭と触手を持った、ドラゴンのようだったって?」
「あぁ。六キロ圏内はもう近寄れない状態だったが。まさしくそんな感じだったよ。翼も生やした、悪臭の堕天」
「だからアリスでもアンジーでもなく。悪魔を意味するアスタロトだったのか」
グレヴリーも今更ながらで、命名に納得していた。
「母体であった本体自体は、飛来着地した場所に根付いて。手足から伸ばした触手で侵略を始めた」
アスタロトから吐かれる息も、地球の生態系にとっては毒でしかなかった。
「俺たちの部隊が到着した時には既に、数えきれない街が侵食されていて。アスタロトの勢力は拡大。エジプト、スーダン、リビアにチャド。国境なんて関係ない。人や家畜、動物を餌にしての繁殖も、加速の一途だった」
つまりは手遅れだった。
経験値が増した現在では、それを事前に食い止める方法を熟知、共有しているものも。当時は全てが初体験だ。
宇宙よりやって来た外来種から、人々を遠ざける避難も勧告も遅れた。そこへ軍や警察、治安部隊などの兵も多く投入された結果、より多数の人間が犠牲になった。
「何もかもが遅すぎた。国連が、緊急決議で弾道ミサイルによる一斉攻撃を採択して決意した時には、既に六百キロ圏内は食い尽くされてた」
アフリカ大陸の北東部は、一夜にして酷い惨状に変わり果て。どうしようもなかった。
「俺たちの部隊は、じりじり後退する防衛ラインの最前線にいた。配属されたばかりで、初任務だったアニーも、そこにいたんだ」
ピックスは夜の闇が続く宙を黙々と駆けていて。サロン車のカウンター席に腰を据え直した夕夜も、じっとオーガの話に耳を傾けている。
平時であれば、決して明かされることのない。人には人の辛い出来事や、悲しい思い出が沢山あるのだと。複雑な心境で皆も聴き入っている。
「応戦ではなく、退避誘導が任務だった。逃げ遅れの住民がいないかの、最終チェックをしていた」
その時。本体より遠く離れた場所であるにも関わらず、アスタロトの触手がアニーに襲い掛かっていた。
「忍び寄った毒牙に、気づくのが遅れたあいつを。俺が咄嗟に庇った」
そこで左肩を負傷した。肉をえぐられ、激しく出血した。その傷痕は今でも体に残っている。
「あいつは、泣きながら。何度も何度もすいませんって」
謝る暇があるのなら。海兵隊員らしく振る舞い、仕事しろと告げたオーガはアニーの背を叩いて必死に鼓舞し。二人で何とか触手の一部を再起不能へと追い込んだ。
「いいヤツだったんだ。誰かを護る為に、人の役に立ちたいからって。海軍に入ったと言っていた」
逞しい体格を持つ強者揃いな特殊部隊の中で、アニーは小柄で頼りなく。照れるように笑う笑顔も可愛らしく、本当は女ではないかと揶揄われるくらい、幼い童顔をした男だった。
気になる事があると、直ぐに小首を傾げる癖も子犬のようで。言いたい事があっても、はっきりと言い出しきれない煮えない性格が災いしてか。実践経験も乏しいゆえに、配属先はなかなか決まらなかったそうだ。
「やっと決まったと思ったら。使えるヤツがいなくなった、ただの穴埋め。現場では到底、役に立たないのは解っていたのに。欠員補充で」
本部に文句を垂れようとしても、その指揮所さえ壊滅する有り様だった。
「仲間も次々に逝っちまうから。結局、俺がアニーの面倒を見るしかなかった」
しかし、負傷した体では。最後まで彼を護れなかった。
「引きあげる途中、誰もいなくなった町で。俺は応急処置に使えそうな薬品を探してた」
アスタロトの触手には、他の生物にとっては猛毒でしかない体液が付着している。
「アニーを庇った際に、傷口から毒が回って。意識も朦朧としてきてた」
処置をしていたその隙に、アニーは別の触手によって捕食されていた。
「戻ったら、案外綺麗な顔して倒れてたんだ。苦痛を感じる間もなく、あっという間の一瞬で逝ったんだろうなって思ったよ」
息を引き取って間もないアニーの、真っ赤に染まった胸には銀色の認識タグが下がったままだ。
オーガはそれを本国へ持ち帰り、遺族へ手渡したいと思案した。けれど自身とて、無事に帰国できるかどうかも分からない。
「その時、無線が流れた。連合軍による、アスタロト殲滅の一斉攻撃が始まるってな」
その頭上を通り過ぎる、幾百、幾千もの光の筋が、爆心地めがけて飛んでゆく空を見上げていた。――そうだ、いいぞ! やっちまえ! そう吠えるのが精一杯だった。
そして、夜明けの地平線に太陽ではない、人類生存をかけた人の手による眩い閃光が昇った。
半径三百キロ圏内を根こそぎ破壊して焼き尽くす、のちに汚点の意も込めた黒点とも呼ばれるようになる攻撃によって、アスタロトの脅威は掃滅された。
「弾道ミサイルの中に、実は核も混じってたんじゃないかって噂されるほど。あの総攻撃の威力は凄まじくて――」
退避圏ギリギリだったこともあり。爆風と振動の余波を受けたオーガは、アニーもろとも吹き飛ばされた。
「気が付いた時には、俺も。粉塵の砂や土に埋もれた」
土砂を払い除け、生きていると実感したその隣で。アニーは永遠の眠りについていた。
着任してすぐに。万が一の時に備えて、伝えておきたい事や大事な話があるのなら、先に言っておけよと伝えたけれど。彼の話は結局、最後まで聞けずに終わった。
「もう半分以上埋まってたしな。掘り返そうにも、俺もボロボロで。精根尽き果ててた」
安らかに眠れよとだけ手をついて祈り、オーガは黒き荒野と化した交戦の場を後にした。
「――これは、間違いなくアニーのものだ」
彼の社会保障番号は忘れもしない。オーガはその手に握っていたタグを、集う面々に晒して見せた。
「あいつが。俺が軍にいた時の、最後の相棒だったからな」
幾人と相棒が代わってきた中で、アニーが最も優しい男であったからこそ、余計に覚えていると言ってオーガは語りを締め括り。グレヴリーは半分おどけながら口を開いた。
「……実は、死んでなかったとか?」
「まさか」
オーガは大げさに首を振った。
「確認したさ、何度もな。それに、腕も――」言い淀んでから、濁さず続けた。「両腕の肘から下、食いちぎられてたんだぞ?」
宗谷も口を挟んだ。
「それで、あの義手みたいな?」
どうかな、なる降参の手を挙げ。碎王は組んでいた腕を解いた。
「それを、確かめたいんだな?」
ピックスは、アスタロト黒点に向かって走行している。
「僕も!」
急に声を上げた夕夜に、視線が集中した。
「あ……、んと」
熱を帯びてぼうっとしている頭の中はまだ混乱している。様々な事がありすぎて、何が何だか分からない。瞼も熱くて重い。どうしてだか、体が異様に火照ってもいる。
「僕も、行っていい? パスポート、持ってないけど……」
本当の事を知りたい一心だった。何が原因でこうなったのかを。ただただ知りたい。その事以外を今は考えられなかった。それに――。
「グレヴリー、前に言ってくれたよね? 僕の力は、いつか必ず役に立つって」
「あぁ? うん……言った、か……?」
頬を掻くものなど構わず、夕夜は碎王にも告げた。
「何が起きているのか。どうしてこんな事になってしまったのか。混乱しているのは皆も同じだって!」
「あぁ言った。お前が力を使う度に、その体のどこかを犠牲にするのも、黙認できないとな」
夕夜はカウンター席から立ち上がり、真正面から対峙してくれている碎王を見上げた。
「間違ってないって」
であれば証明して欲しい――。夕夜の心も熱くなっていた。
「あぁ。お前は間違ってない」
「僕の所為じゃないって!」
「そうだ。お前の――」
碎王の発言に、宗谷が割って入っていた。
「僕の所為」
全てを話す時が来た。
夕夜が見つめた宗谷の瞳には一人、混沌を打ち払った決意が滲んでいた。
なれど夕夜は、体の内から火照る熱気にあてられ。ふつと意識が遠のき、がっくりと膝を折って崩れかけた。
「おいっ!?」
「夕?」
「あ……、ご、めんなさ……」
倒れ込む寸前に手を伸ばしていた宗谷は、同時に受け止めたオーガに体を任せて夕夜の額に手を当てた。
「……この子、熱が」
それは単なる風邪か。はたまた力の余波か。
暮れゆく地平線へ向けて快走の滑空を続けているピックスは、軌道衛星からもよく見える雷雲の巣に向かってばく進していた。
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